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第07話 二つの小さな希望


「あぁ…生き返る…。」


カラカラに渇いたキョウの身体に、冷たい水が染みわたる。

魔素のおかげか、疲れも取れていくように思えた。


「生きてる…って感じがするわね。」


ティエラは袖で濡れた口を拭うと、すっかり暗くなった天を仰いだ。


「なんか、一度休むと疲れを自覚するな…。」

「今晩はここで休みましょう。この辺はキラービーが縄張りにしていたから、一晩くらいは安全なはずよ。」

「そうだな…、そうするか。」


休むと言っても、そのままの格好で地面に寝転ぶしかない。

とても二人にとっては休まる環境ではなかった。


夜の森は冷える上に、ティエラはドレス姿でところどころ破けている。

天人でも風邪を引くかもな…とキョウは心配する。


「そう言えば、魔力泉の水は飲むと魔力が回復するんだよな?」

「そうよ。含まれてる魔素の量は少ないから、そんなに多くは回復できないけれど…。」

「そうか、わかった。」


キョウは泉の水に顔を突っ込むと、勢いよく水を飲み始めた。


「キョウ!?そんなに水を飲んだらおなか壊すわよ!」


水を飲みながら、心配そうに見つめるティエラに彼は親指を立てる。


「ぶはっ、もう限界だ、これ以上飲めない…。」


お腹が水で膨れた代わりに、魔力は大分回復した。

キョウは手をかざし、『アクリルブランケット』を具現化してティエラに差し出した。


「これ…私のために…?」

「そうだ。これくらいしかできないが…。」


二枚目を具現化するには魔力が足りなかった。

これ以上、水は飲めないので諦めるしかない。


「…何度も言わせないで。恩人を困らせるわけにはいかないわ。」

「俺は恩人と言われるほどのことはやってないし、今はどちらかと言えばティエラが恩人だ。」

「キラービーを倒したのはキョウじゃない!」


ああだこうだとお互いに一歩も譲らない。

キョウは毛布を出したのは失敗だったかな…と一瞬考える。

だが、ティエラは遂に観念したように首を振った。


「仕方ないわね…。半分ずつ使いましょう、これ以上は譲れないわ。」

「え…、いいのか…?」


キョウは素になって質問する。

天人の王女様に、隣で寝ても良いと言われるのは予想外だった。


「か、勘違いしないでね!風邪を引かれても困るだけよ!」


ティエラは奪うように『アクリルブランケット』を受け取ると、そっぽを向いてしまった。


「…ティエラ?」

「…なんでもないわ。ちょっと毛布を見ていただけよ。」


照れ隠しだったが、キョウから受け取った毛布が不思議だったのは事実だった。


感触は羊毛のようだが、羊毛では難しい鮮やかな染色が施されている。

それは、王族であるティエラすら知らない素材でできていた。


「(…キョウは一体、どこから来たの?)」


ティエラは出かかった言葉を飲み込んだ。

さっき同じような質問をしたとき、彼は答え辛そうにしていた。


これから隣で寝る(・・・・)のに変な質問をして気まずくなる必要もない。


「(寝る…?隣で…?)」


彼女はハッと顔を上げると、キョウに向き直った。


「キョウ…お願いがあるんだけど…。」

「なんだ?」

「髪を…洗いたいから、待ってて…。」


月明りに照らされた彼女の顔は、真っ赤になっていた。



* * * * * * *



ティエラは湖畔に腰を下ろし、服を濡らさないよう首を傾けて髪に水をかけた。


「魔素を含んだ水は汚れも毒も分解するから、気兼ねなく洗えるわ。」

「へぇ…、魔素って万能なんだな。」

「油もお湯もないからそんなに綺麗にはならないけど、贅沢は言ってられないわね。」


彼女は髪を洗いながら苦笑いを浮かべた。


王家の人間だと言うが、不便な生活に弱音一つ吐かない。

なんて強い人だろう、とキョウは素直に感心した。


ふと、キョウの中でティエラの姿が、紗希(さき)の姿と重なった。


紗希を探して家に帰るという目的が、キョウには非現実的で途方もない夢のように思えた。

しかし目の前にいる天人の王女は、そんな夢に手を届かせてくれる…そんな予感を彼は感じた。


「(自分は何もできないくせに、彼女の意向も無視して何を考えているんだか…。)」


深いため息をついた。


「ティエラ、こっちへ来てくれ。」


キョウは気持ちを切り替えると、残りの魔力で『シャンプー』と『タオル』を具現化させる。


「それは…?」


ティエラはシャンプーの上部についたディスペンサーを不思議そうに見つめる。


「『シャンプー』、石鹸だ。これで髪を洗うんだ。」


この世界にも石鹸は存在するが、洗髪専用の石鹸である『シャンプー』が一般的に登場するのは、キョウがいた世界においても20世紀を過ぎてからだった。


些細な恩返しのつもりで、彼女の髪を洗ってあげようと考えたのだ。


「ふふ、なんだか変な感じね。それにすごくいい香り。」


キョウが彼女の髪をわしゃわしゃと洗うとくすぐったそうに笑った。

一通り洗い水でシャンプーを流すと、彼女の瑠璃色の髪は見違えたように輝きを増した。


「すごい…すごいわ!こんなにも簡単に汚れが落ちるなんて!」


ティエラは濡れた髪もそのままに、嬉しそうに髪を撫でている。

キョウはタオルで彼女の濡れた髪を拭く。


「とても…ふわふわな布ね。心地がいいわ。」


彼女は頭にかけられたタオルに頬ずりをした。

夢見心地と言った、満足げな表情を浮かべている。


出会って間もない女の子の髪を洗うのはどうかとも思ったが、本人はとても喜んでくれた。

少しは役に立てたかな、と胸を撫でおろす。


「キョウ。私ね、『天ノ國』には帰れないの。」


ティエラが、なんとはなしに口を開いた。

顔が隠れているので表情は見えなかったが、声色で彼女の心情を察して黙って髪を拭き続けた。


「『天ノ國』はこの空の遥か高くにあるの。だけど、帰るための『門』がなくなっちゃって。」

「…そうか。」


この世界について何も知らないキョウは、ただ相槌を打つことしかできない。


地上(ここ)へ落ちてきてから、ずっと一人で彷徨っていたわ。そのうち魔影に追われて、逃げる体力も尽きて、ここで死ぬのね、って何回も思ったの。」

「…ああ。」

「でも、キョウが助けてくれたのよ。そのとき、なんとなくキョウとなら『天ノ國』に帰れる予感がしたの。」


ティエラは振り返る。


「天人の『勘』は当たるのよ。」


彼女は穏やかに笑い、星が輝きだした空を見上げる。


「キョウ…星が綺麗よ。久しぶりに見るわ。」

「本当だ。ずっと見ていられるな。」


キョウも星空は好きだった。

夜もまだ更けていないのに、北アルプスの山小屋から見る星に負けず劣らずの満天の星空だった。


「私たちの国から見ても、星々は遥か遠くにあったわ。案外、ここと『天ノ國』は近いところにあるのかも知れないわね。」


彼女は眼を細める。

視線を落とすと、そのままシャンプーを手に取った。


「キョウが出してくれた道具は、不思議なものばかりね。出会ってからいっぱい驚かされてる。」


穏やかな風が湿った髪を撫でる。

夢のような美しい景色に、キョウは小さく息を漏らした。


「ねぇ…キョウ。」

「なんだ?」


ティエラは一呼吸置いて言った。


「雲よりも、遥か高くまで、飛ぶ方法を知らないかしら?」


『翠ノ國』の鳥人はおろか、『龍ノ國』の竜人すら届かない絶対的な高所。

『天ノ國』は、強者に与えられた究極の要塞だった。


それを誰よりも知っている彼女は、母国へ帰ることを諦めていた。


…キョウに会うまでは。


知らない世界を見せてくれる彼に、つい期待をしてしまった。

願いが叶わない失望など味わいたくはないのに。


ティエラは少し後悔しながら、それでも僅かな期待と共にキョウの顔を見た。

彼は何かを考えこんでいる。


風が草木を揺らす。

二人にとって永遠にも思える静寂が訪れた後、キョウは重い口を開いた。


「知っては、いる…。」


ティエラは思わず息を呑んだ。


「そんな…」

「だけど、今の俺には無理だ…。」


キョウは膝で拳を握る。


「いや、『今の』というのも嘘になる。そんな日が、訪れる保証はできない。」


過酷な世界に対して、あまりにも無力な自分。

遠い未来の約束という無責任なことなどできっこなかった。


しかし、その言葉を聞いた彼女は既に覚悟を決めていた。


「それでもいいの!いつか…、いつか叶う日が来るという可能性が、少しでもあるなら…!」


ティエラは、キョウの手を握って言った。


「私は、あなたと共にいるわ!」


空に星が流れた。


次回より第一章が始まります。

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