第06話 魔力の泉と最初の戦い
「ようやく魔王のテリトリーを抜けたな…。」
ティエラと共に、緑の大地へ足を踏み出す。
キョウにとって、この世界で初めての安息の時間が訪れた。
「迷うことなくテリトリーを出れたのもキョウのおかげよ。ありがとう。」
ティエラはそう言って微笑んだ。
明るいところで改めて見ても、彼女は美少女だった。
服についた汚れや傷が痛々しいが、瑠璃色の髪は太陽を鈍く反射していた。
「でも油断はできないわ。テリトリーとの境界には、棲家を追われた動物や怪異がうろついているもの。」
ティエラは神経を研ぎ澄ます。
今のところ、周囲には脅威となる生物はいないと『直感』が教えてくれた。
この世界では、家畜や魔力を持たない野生の獣を『動物』、魔力を持つオークやスライム等を『怪異』、魔力の核を持つ怪異を『魔物』と言う。
動物から怪異や魔物、人類や天人までを総称して『生物』と呼ぶらしい。
オークやスライムがいるのか…とキョウは感動したが、もし自分が出くわしたらゲームオーバーなのは間違いなかった。
「それにしても、喉が渇いたな…。」
歩いたり走ったり、戦ったりしてキョウの喉はカラカラに渇いていた。
途中まで歩く方向に沿っていた川は、途中から蛇行し森の奥へ消えていた。
「せっかくさっきまで川があったのにな…。」
「黒い根に汚染された水を飲むのは危険よ。これだけ豊かな森なら、湧き水くらいすぐに見つかるわよ。」
ティエラも喉が渇いていたが、明るい声で言った。
天人は強いから弱音を吐かないのだと思っていたが、彼女の人柄もあるのだろうな、とキョウは気づいていた。
「(テリトリーは抜けたから、そのうちティエラともお別れになるだろうな…。)」
キョウはティエラの背中を見つめる。
視線を察した彼女は振り向いて、なに?と笑っている。
「いや、何でもない。行こう。」
二人は再び歩き始めた。
* * * * * * *
森の中を進んでしばらく経った。
太陽は西に沈みかけており、森の中は早くも夜の雰囲気を漂わせている。
ふと、ティエラが立ち止まった。
「どうした?」
「あっち…何か光ってるわ。」
ティエラが前方を指さす。
目を凝らすと、微かに木々が青白く光っているところが見えた。
「行ってみよう。」
二人は少し方向転換をして、光の方へ向かった。
「あれは…魔力泉ね。」
「魔力泉?」
「強力な怪異が水の中で息絶えたり、魔素の流れが集まったところに水場があると、水が魔素を含んで淡く発光するの。それが魔力泉よ。」
「なるほど、綺麗だな…。」
そんなに大きな泉ではないが、青白く光る水面はとても幻想的だった。
「魔素の流れは不定形だし、水中の魔素は徐々に消えていくからそう見れるものじゃないわ。飲めば魔力を回復できる便利な泉よ。」
『翠ノ國』にいた頃は、友達と魔力泉を探したこともあったわ、とティエラは懐かしそうに呟いた。
含まれた魔素により、生物は水中に生息できないため死の泉でもある。
しかし飲んでも害はないため、飲み水に困っている二人には渡りに船だった。
「でも気を付けて、周りには強力な怪異がいることも…」
ティエラがそう言いかけたその時。
「…!隠れて!」
「うわっ!?」
キョウはティエラに押し倒され、二人は茂みの間に横たわる。
「『キラービー』よ!」
大きな低い羽音が、静かな森の中から不気味に響いてきた。
人の頭二つ分は優に超えそうなほどの巨大な蜂が、ぬうっと暗闇からあらわれた。
「なんだあの化け物!?」
「『怪異』よ!まともな武器もない今、敵対するのは危険だわ!」
囁きながら茂みの中で体勢を整える。
『キラービー』は驚異的な飛行能力と強力な毒を持ち、森の中でも強者の部類に入る『怪異』らしい。
「やっぱり、この魔力泉周辺を縄張りにしていたみたいね。あの目は暗闇でも獲物を探すことができるのよ。」
「ということは、体温を感知しているのか?」
「ええ…。キラービーの縄張りで焚火や休憩をしていたら、すぐに襲ってくるわ。」
「なるほど…、ティエラでも倒すのは難しいのか?」
「いくら私でも、短剣じゃ傷もつけられないわよ。」
薬もない今、強力な毒を食らったら一発でおしまいだ。
折角命を繋ぐ貴重な水がすぐそこにあるというのに、手に入れることができない。
どうにかならないか…とキョウはよく観察する。
『怪異』であるキラービーは毒針が長いが、巨大なオオスズメバチの姿そのものだった。
「ならば…考えがある。試してみる価値はある。」
キョウは茂みに隠れたまま、ライターを具現化させた。
「それは何?」
「ライター、火をつける道具だ。」
「火打石よりも小さい…便利なものね。でもまさか…焚火をするつもり?」
「そのまさかさ。」
キラービーに見つからないよう気を配りつつ、キョウは周囲の枯葉と枯れ木を集め薪を組んだ。
「キラービーは熱に耐性があるわ。火があっても臆することなく近づいてくるわよ。」
「大丈夫、火は囮だ。ティエラ、火を大きくしといてくれ。」
キョウはライターで枯葉に着火すると、焚火の管理をティエラに任せた。
不安そうに種火を育てるティエラを横目に、残りの魔力ありったけで具現化したモノに小細工を施す。
「何を作っているの?」
「これは主役が燃えやすいように、枯葉や枝を蔦で巻き付けたものさ。」
キョウは、悪い笑みを浮かべた。
「…来たわ!」
ティエラは首を伸ばして暗闇を睨む。
天人の聴覚は、音から距離を掴めるほど鋭い。
「よし、隠れるぞ!」
キョウは作り終えた小細工を火の中に放り込むと、ティエラの手を引いて焚火がギリギリ見える別の茂みに身を隠した。
「何を放り込んだの…?」
「見てればわかる。まぁ、賭けみたいなもんだが…。」
焚火を観察していると、キラービーが焚火のもとに表れた。
「獲物がいないのに焚火から離れないのか?」
「火の回りに集まってくる生物はキラービーだけじゃないわ。色々な獲物が引き寄せられてくるのよ。」
「なるほど、そいつらを待ち構えているわけか。」
なかなか知能の高い怪異だな、とキョウは感心した。
「ねぇ…周囲を警戒し始めてるわ。このままじゃ私たちも危ないわよ。」
「いや…大丈夫だ。あと少しのはず…。」
焚火に集るキラービーは、ゆっくりと焚火の周囲を回り始めた。
時々、平然と燃え上がる火の中を通り抜けている。
十分に距離をとっているとは言え、敵の索敵能力が読めない以上長居は危険そうだった。
「やっぱり、逃げましょ…」
ティエラが口を開くと同時、暗い森に破裂音が響いた。
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キラービーは軽度の火耐性を持つ虫の怪異である。
魔力泉の周囲を縄張りする知能を持たない生物は、魔素を吸収して怪異に変化する。
ならば…とキョウは、ありったけの『殺虫剤』を具現化していた。
しかし魔幻師の特性上、キョウしか殺虫剤を扱えない。
普通の虫相手のように近寄って噴霧するのは危険だった。
どうにかしておびき出し、殺虫剤を大量に浴びせる必要があった。
そこで、殺虫剤の缶を熱で爆発させることを思いついた。
焚火に引き寄せられたキラービーに襲い掛かった火球は、爆発で霧散した大量の薬剤を含んでいた。
薬剤は少量でも虫の神経系に確実なダメージを与え、『怪異』を羽虫が如く地面に叩き落とす。
神経を攪乱され地面で暴れまわる巨大な蜂を、キョウは見下ろせるところまで近づいていた。
「近くで見ると拒否反応が出そうだな…。」
毒々しい体色に、煩わしいほど大きな羽音。
脳が危険信号を発するが、キョウは残していた『殺虫剤』を取り出すとキラービーに向かって構えた。
「悪いな、こっちも必死なんでね。」
発射された薬剤は、『怪異』に確実な止めを刺した。
「キラービーが…、こんなにも簡単に倒せるなんて…。」
後ろからついてきたティエラは、動かなくなったキラービーを見て目を丸くする。
「いや、今回ばかりは運も大きかった。ちょうど缶が爆発する方向にいてくれたからな。」
「この臭い…、強力な毒を使ったのね。それでいて私たちには無害だなんて…。」
「無害というわけでもないから、あまり吸うと体に良くないぞ。」
瞬時に毒と判断したティエラの鋭さに驚きつつ、キラービーを木の棒で焚火の中に転がした。
「水を手に入れるだけだったというのに…。」
「キラービーだって、泉に近づく生物は容赦なく仕留めに来るわ。私たちも彼らも、生きることに必死なのよ。」
「そうか…。」
弱肉強食の世界。
自分の甘い価値観は捨てなくてはならない、とキョウは考えた。
「それでも…。」
燃えゆく死体に向かって、キョウは静かに手を合わせて目を瞑る。
ティエラは、そんなキョウを静かに見守った。