第03話 光と影の最初の出会い
「(来た…!)」
天人たるティエラに魔法の適性はないが、驚異的な身体能力と並外れた直感で敵の気配を察知することができる。
彼女が隠れた岩の向こう側に、自分を追いかけてきていた魔影の気配を感じる。
「やっぱり、テリトリーにいるうちは逃げられないよね…。」
ティエラは満身創痍の身体にムチを打ち、いつでも動き出せる体勢を取る。
もう何度目になるか覚えていないが、この逃走劇もそう長くは続かないだろう。
本来、魔影の移動速度は速くはなく、人間ですら小走りで撒くことができる。
しかし、魔王のテリトリーにいるうちは、魔影はどこまでも追いかけてくるという特性を持つ。
テリトリーの中で逃げ疲れ、弱った獲物を捕食して魔力として吸収する。
体力のない生物にはこれ以上ない脅威と言える。
「川を跳び越す体力は残ってないわ…。どうせ追いかけて来るなら、いっそのこと。」
ティエラは、護身用の短刀に手をかける。
着の身着のままで自室を飛び出した彼女が持つ、唯一の武器だった。
しかしリーチもないこの武器では、テリトリー内の魔影を相手にすることは無謀だった。
天人の王女として、彼女はこの世界に存在する魔物や怪異について一通りの教育を受けている。
恐怖で感情が早まってしまいそうになるところを、辛うじて理性が押さえつける。
「(光がないと、核が現れない。)」
魔影をはじめとする魔物は、体内に存在する核の破壊により死に至る。
逆に言えば、核を破壊しない限り倒すことはできない。
魔影は半透明の魔物であり、明るい空の下では弱点である核が丸見えになるため、ある程度訓練を積んだ人類でも倒すことができる。
「空が晴れていれば、の話だけどね。」
ティエラは、太陽の光を完全に遮断してしまった赤黒い雲を睨むように見上げた。
『天ノ國』に伝わる伝承のとおり、魔王と共に出現した赤黒い雲と黒い根は、魔影のような魔物ですら厄介な敵に昇華させていた。
「(…まっすぐこっちに来ているわ。迷っている時間はないわね。)」
魔影はティエラが隠れている岩のすぐ傍まで迫っていた。
どうやって生物を感知しているのかは分からないが、奴らは常に最短距離で追いかけてくる。
「…こっちよ!」
意を決し、ティエラは岩陰から飛び出した。
川を背にして、彼女は魔影に対峙する。
「敵は四体…隙を見てまた逃げればいいじゃない。」
彼女は微笑む。
それが、強がりであることは理解していた。
やみくもに逃げたところでテリトリーは脱出できないし、魔影はまたティエラを追いかけてくるだろう。
「(ギリギリまで引き寄せて、上を飛び越せば逃げられるかな…。)」
天人の跳躍ならば、奴らの頭上を越すことなど容易い。
しかし、越したところで倒せなければ意味はない。
「今…!」
ティエラが足に力を込めたその瞬間、魔影の後方にある穴から眩い光が照らした。
「…光…魔法?!」
テリトリーの暗がりに慣れたティエラの目は、あまりの明るさに視界を失う。
しかし、混乱しながらも勝機を見出した彼女の体は動いていた。
「ここね!」
天人の驚異的な適応能力で瞬時に視界を確保すると、最後の力を振り絞りティエラは魔影に迫った。
短刀を構え、強烈な光で露になった魔影の核に刃先を向ける。
「…一つ!」
魔影が、腕先を刃のように伸ばしティエラへ振り下ろす。
彼女は体を捻じって攻撃を躱すと、振り回した腕の勢いをそのままに次の核を捉える。
「…二つ!」
ティエラは地面に足を踏ん張り、刃先を返して二つの核に向け水平に短刀を振る。
魔影はティエラの動きに付いて来れず、迫りくる短刀の餌食となった。
「三つ!四つ!」
あっという間に、ティエラは四体の魔影の核を破壊した。
魔影は、煙のように消え去った。
「(おわっ…た…。)」
息切れしたティエラは全身の力が抜け、その場に座り込む。
「…おい、大丈夫か!?」
光の主は、あの強力な光を消すとティエラのもとへ駆け寄ってきた。
「(若い男…人類かしら…。)」
再び暗闇が訪れた世界では、彼の姿はよく見えなかった。
しかし、害意はなさそうだと声色で察した。
これが『天ノ國』から落ちた彼女の最初の出会いであった。
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魔影、魔物、得体の知れない存在に怯えながらも、京の頭は冷静だった。
紗希を救うために、この世界に飛び込んだのは自分の判断だし、そこに後悔などあるはずもなかった。
「とにかくまずは、敵を知らなきゃな。」
魔物はともかく、目下最大の脅威は付近に存在すると思われる魔影だった。
光で追い払うことができるということを京は掴んでいたが、持っているライトがどこまで通用するかは未知数だ。
危険な賭けにはなるが、魔影を見つけたら光の効果を確かめる必要があった。
「お、これが例の黒い根ってやつか。」
洞窟を進むと、床や壁、天井に至るまで黒い根が張っているのが見えた。
この付近に魔影が出現するのだろう。
「(黒い根、どんなものか触ってみたいが危険だろうな…。)」
根に毒を持つ植物など無数に存在するし、ましてやここは異世界である。
迂闊に行動すべきでないと京は判断した。
「根が侵食してきているということは、出口も近いのか?」
京は根に触れないように慎重に歩みを進める。
緩やかな坂を上がり、大きな岩を曲がると強い風が吹いてきた。
「…外か?」
風の音が洞窟に反響する。
視線を上げると、その先には出口が見えた。
「暗いな…、天気が悪いのか?台風みたいな雲が巻いてる。」
出口の先に見える空は、夏の夕立前を彷彿とさせた。
しかし、この空のような禍々しい赤色を京は見たことがなかった。
出口の寸前で京は外の様子を伺う。
すると、その先に何かが見えた。
「(あれは…、魔影か!?)」
人型の黒い影が四体、出口の先に立っている。
顔もなく、全身が真っ黒なのでどっちを向いているのかわからない。
見つからないように姿勢を低くすると、魔影の向こうにもう一つの影が見えた。
「(…女の子!?)」
魔影の向こうに、女の子の姿があった。
その先には川があり、どう見ても追い詰められている様子だった。
「いろいろ試してするつもりが、そんな時間はなさそうだな…。」
京は苦笑いする。
間合いも逃げ道も、考えている暇は無さそうだった。
「(魔影はこっちには気づいていないみたいだ。やるなら今…!)」
京は身を隠したまま、ライトの光を最大にして四つの影を照らした。
外は暗く、光は川の向こう岸の木々まで届いた。
しかし、魔影に変化は見られない。
「まずいな…、効いてないのか…?」
これだけの光を発せば、魔影は間違いなく京に気づく。
「ひとまず逃げるか…。」
京が洞窟から外へ踏み出したそのとき、魔影の向こうの女の子が動いた。
彼女は短い剣を取り出し、驚異的な身体能力で魔影を消し去っていく。
「(…強い!この世界の人間は、あんなに強いのか!?)」
京は洞窟の出口でライトを構えたまま食い入るように見つめる。
四体の魔影は、やがて姿を消した。
「(ライト…、意味あったのか…?)」
京は顔を顰める。
一度見ただけではよくわからなかった。
ライトの先で、女の子は剣を握ったまま力なくその場に座り込んだ。
「…おい、大丈夫か!?」
京は我に返ると、ライトを消して彼女のもとに駆け寄っていった。