第20話 ダイニングルームの魔女裁判(前編)
「(これは、危機だわ…!)」
キョウが屋敷から叩き出された後、ティエラは、暗い地下牢で堅牢な鎖に両足を封じられていた。
彼女と共に置かれた水や食料を摂れるよう両手は自由になっているものの、天人の力を持ってしても足についた鎖は壊すことができなかった。
何度も何度も力を込めて鎖を振り回していたために、彼女の足は傷だらけになっている。
いつまで閉じ込められるのかわからない中、幸いにも空腹は満たすことができた。
しかし、彼女の身にはより喫緊の課題が迫っていた。
「キョウが出してくれた服が…!消えていくわ…!」
魔力で『具現化』された物体は、大きさによって魔素に還元される速さが異なる。
ティエラの身に着けている服はすべてキョウに『具現化』されたものだ。
故にスニーカーや帽子、そして下着に至るまで魔素へと還元されてしまったのだ。
「ついに上着も…!」
彼女の来ている白いシャツと青色のガウチョも、既に魔素への還元が始まっていた。
ゆっくり、しかし確実に、服の先から白い粒子へと変化して地下の闇へ消えてゆく。
その下に何も身に着けてないティエラの肌は、徐々に露わになっていった。
不幸中の幸いだったのは、彼女に誰も監視がつかなかったことだ。
屋敷に住まう彼らの怪異牢への底なしの信頼に救われていた。
「でも…いつ誰が来るかわからないというのに…!」
最早下着よりも肌を隠す面積が小さくなっている服を両手で懸命に抑える。
誰も見ていないとはいえ、他人の屋敷で服を剥かれたとあっては彼女のプライドに関わる。
「…はっ!?」
ふと、地下牢への扉があいた音が聞こえた。
「(誰か…来る…!)」
扉を開けた人は、ゆっくりと地下牢への階段を下ってくる。
「(こんな姿、誰にも見せられないわ…!)」
焦るティエラは、牢の外を睨みつける。
「こ…来ないで!」
今更彼女の言うことを聞く人間が屋敷にいるとは思えないが、ティエラは叫ばずにはいられなかった。
「誰か…いるの?」
暗闇から聞こえてきた声は、意外にも小さな女の子のものだった。
階段を下りてきた影は、ぼんやりと壁の蝋燭に照らされる。
その姿は小さく、ティエラには見覚えのあるシルエットだった。
「…あなたは…ユウノ…?」
「…これは…なんてことなの!?ティエラ、これを!」
ユウノは牢の前の棚から布を引っ張り出すと、怪異牢の中のティエラへ向かって投げた。
今にも消えかかっていた服の上から布を羽織り、ティエラは間一髪、身体を隠すことができた。
「ユウノ…本当にありがとう…。」
「そんなことよりティエラ、どうしてこんな…!?」
「わからないわ。私も逃げられなくて…。」
「…っ!エルイン!」
「…はっ!」
ユウノは階段の方へ振り向いてエルインの名前を呼ぶ。
すると、上からは彼の声が聞こえた。
「私がいいと言うまで、地下牢に入ってきてはだめよ!そこで待っていなさい!」
「ユウノお嬢様!?いったい何が…!?」
「説明はあと!怪異牢の鍵を持ってきなさい!」
「畏まりました!」
返事と同時、騎士たちの慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ティエラ、私はお姉さまの服を持ってくるわ。あと少し、ここで待っていて!」
「ありがとうユウノ。あなたが来てくれて、本当に良かった…。」
ティエラはほっと胸を撫でおろす。
乙女の危機を脱した喜びに、僅かに瞳が涙で滲んだ。
「(お父様、お兄様…この愚行、いくら何でも見逃せませんわ…!)」
ユウノは力強く、地下牢の階段を上がっていった。
* * * * * * *
「ユウノお嬢様、これは…!?」
「早く、彼女を解放しなさい。」
「はっ!」
エルインたちにより、堅牢な怪異牢の扉とティエラの足についた鎖が外される。
ユウノが持ってきた服に身を包んだティエラは、外で会ったときよりも幾分かやつれていた。
「ユウノお嬢様、事情はお察しいたしました。こんなことは…」
「婦女にこの扱い…、貴族の名折れね。」
「屋敷でこのようなことが起こっていようとは…。ティエラ殿、詫びる言葉もない…。」
「ティエラ、本当に申し訳ないわ…。」
エルインとユウノに深々と頭を下げられたティエラは小さく頷く。
「貴方たちは悪くないわ。それよりも…」
「キョウ殿、ですな。」
「ええ。ひどい怪我をして、今朝早くに外へ叩き出されたわ。今頃、空腹と脱水で限界のはずよ。もしかしたら…」
「ティエラ殿、キョウ殿は我々にお任せくだされ。すぐに日没まで我々の馬を走らせよう。」
「ありがとう…、私も行きたいのだけれど…。」
「なりません、貴女の体力は限界だ。ユウノお嬢様、手数を掛けますがティエラ殿と共に居ていただけますか?」
「もともとそのつもりよ。女性同士の方が安心できるだろうし。」
そう言ってユウノはティエラを見る。
投獄されてからずっと一人で足掻いていたティエラの足には、怪異牢の鎖が食い込んだ跡が深く残っていた。
ユウノは、痛々しい傷跡に手を伸ばして魔力を込めると、治癒魔法を発動させる。
「大した効果は期待できないけれど…。」
「十分よ。ありがとう、ユウノ。」
ティエラは力なく微笑んだ。
そんな彼女を見たユウノは静かに怒りの火を灯す。
「エルイン、お父様とお兄様が相手でも私は容赦はしないわ。」
「ユウノお嬢様、私も騎士道を歩むものとして、今回の一件見過ごす訳には行きませぬ。アマレウス家の為にも、この過ちはきっちりと清算せねばなりません。」
「まだダイニングで彼らの宴会は続いているはずよ。エルイン、屋敷の人間を全員抑えてちょうだい。」
「仰せのままに…。」
エルインは敬礼をすると、配下の騎士と共に階段を駆け上がっていった。
ティエラと地下牢で二人きりになったユウノは、治癒魔法を込めたまま彼女に向き直った。
「ティエラ…、いえ、ティエラ王女。」
「…ユウノ、どうしてそれを?」
「そのアクセサリ、『天ノ國』の王家に伝わるものでしょう?それで分かったのよ。」
「流石ユウノね、一瞬で見抜くだなんて。」
「さっき、上でキョウの魔力が込められたモノを見つけたの。それに…、あなたの服が魔素に還元されたということは、キョウは魔幻師だったのね。」
「『サーモカメラ』…、見つけてくれたのね。」
「そういう名前なのね、あれは。あなたの首飾りは魔素に還元されていないから、本物で間違いない言うことね。」
「ユウノ…。」
ティエラは目の前の小さな魔法使いを見る。
世界への深い見識を持つ彼女は、若干10歳にしてすべてを見通していたのだった。
「悪いけど、少し傷が回復したらダイニングへ来てくれるかしら?あなたの姿をお父様に見せつける必要があるわ。」
「ええ、大丈夫よ。…無理しないでね。」
「お父様に歯向かうのは好ましくないけれど、今ここで立ち上がらなければ遅かれ早かれアマレウス家は滅びることになるわ。不穏分子は徹底的に洗い出さないと。」
ユウノの硬い表情が、治癒魔法の光に照らされていた。
* * * * * * *
「ご歓談中失礼する!その場を動かないでいただきたい!」
皆の身体に程よくアルコールが回り、心地の良く出来上がった微睡を切り裂くようにダイニングの扉が開けられた。
更に、そこからは騎士がどかどかと流れ込んでくる。
物々しい雰囲気に、歓談する人々の気持ちのいい酔いは一気に冷めていった。
「…一体何事だ!?」
「エルイン様…!?」
すっかり顔が赤くなっている屋敷の警備兵は、エルインの姿を見て驚く。
「エルイン、何のつもりだ。」
「…グウィンド様、ご無礼をお許しください。しかし、これはアマレウス家の危機なのです。」
「危機だと…?」
グウィンドは先ほどよりも強い眼光でエルインを睨みつける。
しかし、今回は彼は動じることはなかった。
「沈まりたまえ!詳しく説明いたす!」
エルインと共に入ってきた騎士が部屋を取り囲むと、水を打ったように室内が静まり返った。
その様子を見ると、エルインはゆっくりと息を吸い込んで口を開いた。
「先ほど、地下の怪異牢で鎖につながれたティエラ殿を発見、保護した。」
「…何だと…!?」
予想外の報告に、室内にどよめきが沸き起こる。
「彼女は深く傷ついており、投獄された理由を知らなかった。このことについて、関係者に説明を求めたい。」
エルインは毅然とした態度で室内にいる人々に問いかける。
しかし、ダイニングにいるほとんどの人にとっては寝耳に水であった。
「…ゲートル!」
「…は、はっ!」
「私はお主に彼らが逃げ出したと聞いておったが、これは一体どういうことなのだ…!?」
「そ、それは…。」
グウィンドに名指しされたゲートルは冷や汗を流す。
「(畜生…エルインの奴め、余計なことをしてくれおって…。仕方あるまい、催眠のことを話すほかあるまい…。)」
最早隠し事ができないと悟った彼は、仕方なく思惑の一部を語り始めた。
「父上、私は、ティエラ殿を保護していただけなのです。」
「保護だと…!?」
グウィンドの握る手に力が入るが、ゲートルは構わずに仰々しく続ける。
「そうです。あの男…キョウは特異な魔法使い。そしてその正体は、催眠の魔法使いだったのです。」
「なんと…!?」
グウィンドは握った手を放し、顎に手を当てて考え事を始める。
「(よし、思ったよりも展開が早かったが予想通りだ。これで誤魔化せただろう…。)」
グウィンドの反応を見てゲートルは気を緩める。
しかし、その心にはすぐに楔が刺されることとなった。
「お父様、それは違います。キョウ殿は催眠の魔法使いではなく魔幻師であります。」
ダイニングへ、ユウノが入ってきたのだ。
遂に20話に到達です。
読んでくださる皆さまのおかげで続けられています。