第18話 業火と焚火と紡がれる糸
「…んうぇ?ここは…?」
メルナは、揺れる背中の上で目を覚ました。
「お姉ちゃん!」
「やっと目を覚ましたか…。余程疲れてたんだな。」
ドルトが、背中にいるメルナに向けて話しかけた。
ククルは隣でメルナの杖を持っている。
「ここは…?あたし、寝てて…。」
「ランドアルカナへ向かう街道の道中だ。見ろ、もう夕方だぜ。」
「そんな…!」
メルナはぱちりと目を覚ます。
ドルトは立ち止まって、彼女をゆっくりとおろした。
「…ありがとう。」
ククルから杖を受け取り、乱れた服装を直す。
テリトリーを動き回った彼女の服はひどく汚れていた。
「森の中で、怪異は出なかったの?」
「あぁ、幸い何事もなく進んでいるぞ。」
「…そう、それは良かったわ。」
メルナはほっと胸を撫でおろす。
「あぁ…変わったことと言えば…。」
「なに?」
ドルトは、口を開きかけて喋るのをやめた。
「…いや、何でもねぇ。」
「…そう。」
メルナは、それ以上追求はしなかった。
実際、幸いにも怪異に襲われることはなかったが、道中彼らは奇妙なものを見かけていた。
それは無残に破壊された馬車と、巨大なグランドベアの死体である。
直前まで人がいた痕跡だったが、今その人がどうしているかまではわからなかった。
もしかしたらグランドベアにやられているかも知れないし、逃げ延びたかもわからない。
疲れ切っているメルナに余計な動揺を与えないために、ドルトは何も言わなかったのだ。
ドルトとメルナはそれ以上何もしゃべることなく、無言で街道を歩き続ける。
気づけば、太陽は木々の向こうへ姿を隠そうとしていた。
「…あそこ!何かあるよ!」
「ククル、どうしたの?」
ククルが道の先に何かを見つけて走り出す。
その先にあったのは、木製の立て看板であった。
「あぁ、この道をこっちへ行くとアマレウス様の別邸があるんだ。」
「貴族様の…お屋敷があるのね。」
ドルトが分岐した道の先を指さす。
既に木の影が道に落ちていて遠くまでは見えないが、近くに屋敷があるという安心感はメルナ達にとって大きな安らぎを与えていた。
「んじゃ、今日はこの辺で野営とするか。」
「そうね、暗くなってきたし。」
分岐を街の方へ少し進んだところに、彼らは木々が開けている場所を見つけた。
ドルトたちは街道から外れ、少ない荷物を草の上へ降ろして足を休めた。
「よし、火をつけるぞ。薪を集めて来てくれ!」
「わかった!」
ドルトの指示を受けたククルは一目散に木々の中へと消えていった。
「…?」
ふと、メルナはククルの消えていった方角に微かな違和感を覚える。
「…どうした、メルナ?」
「あっちに、ちょっと魔力を感じて…。」
「…怪異か!?ククルが危ない!」
「いいえ、違うの。あれは、魔法…使い…?」
サキと言う女神に力を与えられて以来、彼女は魔力に対してより敏感になっていた。
「魔法使いだと…?」
「お姉ちゃん!」
ドルトが怪訝な顔をすると同時、茂みの奥からククルの声が聞こえた。
「ククル!?大丈夫なの?」
「僕は大丈夫だよ!ここに人が倒れているんだ!」
「…人が?」
メルナとドルトは顔を見合わせ、ククルの声がする方へ向かった。
* * * * * * *
「なんでこんなところに人が…。」
「そんなことより早く手当てを!」
街へと続く街道に、その人の姿はあった。
全身泥まみれでうつぶせに倒れており、横を向いた顔は瞼を閉じているが苦痛に歪んでいた。
「…脈が弱いな、呼吸も不規則だ。」
「まだ助かる見込みはあります!ククル、手伝って!」
「わかった!」
メルナはククルと倒れた人の身体を仰向けにすると、すぐに杖を構えた。
「おいおい、いくらなんでも治癒魔法じゃとても無理だろ…。」
「彼女から授かった治癒魔法なら助かります。」
メルナは力強く言うと、杖を構えて魔力を込めた。
周囲に光の粒子が現れ始める。
「なんだこれは…。ここまで強力な魔法、見たことがない…。」
白い光が倒れた人の身体へと吸い込まれていく。
彼の表情は、少しずつ穏やかになっていった。
「…ふぅ。」
「お姉ちゃん、お疲れさま。」
メルナは汗が滲んだ額を拭うと、構えた杖をおろした。
「もう終わったのか?」
「…ええ。驚いた、この魔法、この人とすごく親和性が高いみたい。」
「だから早かったのか。」
「でも、意識が戻るまではまだ時間がかかるわ。私たちの野営地へ連れていきましょう。」
「わかった。」
ドルトはゆっくりと頷いた。
「(どうしてこんな人が、一人でこんなところへ倒れているんだろう…。)」
メルナが不思議な格好をしている彼を見つめていると、ドルトはそっと抱えて立ち上がった。
「行くぞ、メルナは大丈夫か?」
「ええ、これくらい、大したことではないわ。」
「お姉ちゃん、流石だね!」
彼女の隣で、ククルが嬉しそうに笑った。
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「…ここは…?」
キョウはどうやってここに来たのか思い出せない。
あちこちで燃え盛る炎と、途切れることのない叫び声。
空には禍々しい雲が広がり、大地はおどろおどろしい魔物や怪異が埋め尽くしている。
「…はっ!」
キョウは後ろに大きな気配を感じて振り向いた。
視線の先にあったのは、真っ黒な人影だった。
だが、魔影とは明らかに違う雰囲気を纏っているその姿は、何かの『終わり』を予感させる。
「…異分子ヲ…排除…。」
「…なっ!?」
その影は抑揚のない声を出すと、瞬きをする間に一瞬でキョウの近くまで寄った。
空間に現れた闇から巨大な鎌を取り出し、空高く振り上げる。
「(やばい!)」
振り上げた鎌の刃先はキョウを向いている。
脳が危険信号を発し、咄嗟に逃げようとするが身体が動かない。
「(動け…っ!俺の身体…!)」
足に力が入らず、冷や汗が頬を伝う。
影が鎌を振り下ろす、その直前だった。
「…ナニモノ。」
振り上げた鎌は、突如現れた緑色の光線に影の腕ごと吹き飛ばされていった。
しかし、千切れた腕の先からすぐに新しい腕が生えてくる。
「…化け物め!」
キョウの口から反射的に声が出た直後、足に力が入り駆け出すことができた。
「…逃ガサナイ。」
しかし、その影は空に浮いたかと思うと、キョウより遥かに早い速度で追いかけてくる。
「…逃げられ…ねぇっ!」
一生懸命に走るが、足元が悪く思うように前へ進めない。
人影はあっという間に頭上へ到達し、距離を縮めてくる。
「くそっ!早い!」
「…お兄ちゃん…!」
「…紗希?」
キョウは突如、懐かしい声を聞いて立ち止まった。
しかし、周りを見回しても人影はない。
「こんな時に幻聴か…!」
「お兄ちゃん!これに触れて!」
「紗希!?」
今度は上から、確かに妹の声が聞こえた。
すぐに空へ視線を向けると、そこから緑色に輝く物体が降りてきた。
「…これは…紗希のアクセサリ?」
「早く!それに触れて!」
「触れるって…。」
いつの間にか、人影は再び鎌を取り出し高く振り上げている。
逃げるか触れるか、悩んでいる時間はなさそうだった。
「賭けるしかねぇか!」
「…排除スル。」
振り下ろされた鎌がキョウを捉えるより一瞬早く、指先が緑色に輝くアクセサリに触れた。
再び、あのアクセサリに吸い込まれる感覚を覚える。
「よかった…、間に合った…。」
紗希の懐かしい声が響き、キョウは緑色の光に包まれる。
もう命の危険は感じられなかった。
「…紗希…」
光の中に問いかけるが、彼女の声は聞こえない。
「…紗希…!」
緑色の光は色が薄れてゆき、今度は真っ白な光に包まれていく。
「サキ…っ!」
「きゃぁっ!」
がばっと上体を起こす。
視線の先には、暗闇に浮かび上がる暖かな焚火があった。
「…ここは…?」
「お目覚めになられたのですね。」
横から女の子の声が聞こえた。
首を向けると、サキと同い年くらいの女の子が地面に座っていた。
「君は…?」
「私はメルナ。メルナ=シュロップと申します。」
「お前さんの命の恩人だ、いくら感謝してもしたりねぇぞ。」
豪快な笑い声が、彼女の後ろに立つ大男から発せられた。
「恩人…、俺を助けてくれたのか。」
「助けたなんて。私は授かった力を適切に使っただけです。」
「授かった…力…。」
キョウは腕を前に出し、手のひらをじっと見つめる。
頭も幾分か冴え、屋敷を追い出されてからの出来事を思い出すことができた。
「(あれは…夢だったのか…。紗希に会えたと思ったんだが…。)」
キョウは肩を落とし、深くため息をついた。
「おいおい、助かったというのに辛気臭ぇ顔してんな。」
「いや…助けてくれたことには感謝している。だが、今の俺には生きている意味が分からないんだ…。」
「何言ってやがる。女神の力がなければお前さんは助かってなかった。これは女神の思し召しだろう。そんなこと言っちゃあバチが当たるぜ。」
「女神の…力?」
「そうだ。普通の治癒魔法じゃ手遅れだった。驚いただろ?」
「…えぇ。このまま死ぬんだと…思っていました。」
この世界の普通の治癒魔法では、どう足掻いても助からなかったということはキョウも理解していた。
キョウは自分が死を受け入れた事実に小さく身震いする。
「でも、あなたは助かった。女神様のご意思に違いありません。」
「女神様、か…。」
「ええ。我々をもお救いくださった、偉大なる女神…サキ様です。」
「サキ…!?」
メルナの口から発せられたその名前に、大きく目を見開く。
「…え、えぇ。サキ様です。もしかして、ご存じなのですか?」
「…わからない。君はサキの姿を…見たのか?」
「はい。黒髪の、私と同じくらいの年齢の女性でした。」
「黒髪…。」
間違いない、紗希だ、とキョウは確信した。
この世界の人間を詳しくは知らないが、黒髪で名前がサキならば彼女に違いないだろう。
「どうしたのですか…?」
「あ…いや。多分俺は、そいつをよく知っている…。」
「まさか…!」
メルナは再び大きく驚いた。
「まぁまぁ、話はあとでいいだろう。とりあえず何か食べないとまた倒れちまうぞ。」
大男は二人の会話に割り込むと、優しげな少年と共にキョウの隣に座った。
「お兄ちゃん大丈夫?これを食べるといいよ。」
少年は、キョウに木の串に刺さった肉を差し出した。
「君は…?」
「ククル。メルナお姉ちゃんの弟だよ。」
「ククルか、ありがとう。」
キョウはお礼を言うと、温かい湯気を発する肉に小さく齧り付いた。
「…うまい。」
「ほんと!」
ククルが嬉しそうに笑う。
キョウはこの世界に来て初めて、温かいご飯にあり付くことができた。
肉は少し硬かったが、久々の食事らしい食事は身体に染み渡っていった。
温かい食事に、温かい家庭。
遠い過去に感じるついこの間の日常は、平凡ながらもかけがえのない宝物だった。
「…ぐっ…!くぅっ…!」
何かを堪え切れなくなったキョウの両目から、涙が溢れ出した。
「ちょっと…!大丈夫…!?」
メルナが慌てて背中を擦ってくれた。
「…だっ、大丈夫…!ちょっと、懐かしくなって…。」
女の子の前で泣いていることに恥ずかしくなったキョウは荒っぽく涙を拭う。
メルナ達も詳しい事情は知らなくとも、同じような境遇であろう彼の気持ちは痛いほどよく理解できた。
頬を伝う涙は、焚火の光を反射して鈍く輝いていた。