第01話 雨と雑貨屋とアクセサリ
目を覚ました。
いつの間に寝ていたのだろうか、頭がぼんやりとしている。
病室の窓を叩く雨の音と、ベッドサイドモニターが刻む電子音が仄暗い部屋に溶け込んでいく。
彼は固く握りしめた右手がじっとり汗ばんでいることに気づき、ゆっくりと妹…紗希の手を離した。
ぐっしょりと濡れた服と靴の不快感も、今は全く気にならなかった。
「紗希…。」
兄である京は、力なく呟いた。
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高校二年生の伊織京は、帰宅部だが登山を趣味としていた。この夏休みは一歳年下の妹、紗希と二人で北アルプスを登る予定を立てていた。
夏休み前のある日、兄妹はとある雑貨屋へ立ち寄った。
二人はそれぞれ、登山に使うおしゃれな雑貨を探し求めていた。
「やべえ、降ってきた…!」
「早く入らないと濡れちゃうね!」
放課後、妹と校門で待ち合わせした京と紗希は、店までの道中夕立に降られた。
鞄を傘にしつつ、先日紗希が発見した気になる雑貨屋へと急ぐ。
「ここだ!こんにちはー!」
紗希は駆け込むようにして店のドアを開けた。
低い鈴の音が響いたが、店員らしき人の姿は見えない。
「おぉ…、なんとも雰囲気の漂う店だな…。」
うす暗い空間をオレンジ色の電球がところどころ照らし、店内は怪しげな雰囲気に包まれている。
「イイ感じのお店だねぇ。お兄ちゃんの探しているものもありそうだね!」
「そうだといいなぁ。」
紗希は眼を輝かせながら店内を見回した。
京は先日、最大数百メートルまで照らせる強力なLEDライトを購入していた。
登山やキャンプ、廃墟探索と多彩なシーンで役に立つ。
大きくて形が特殊なので普通の店には合うケースが無く、こうして街の雑貨屋を探し回っていたのだ。
「あたし、奥見てくるね!」
「おい、気をつけろよ。」
紗希は、熊よけの鈴やらアクセサリーやらを探しに店の奥へ早足で進んでいった。
店内は狭く、商品は飾られているというよりは適当に置かれている。
ガラス細工や複雑な金属加工品もあり、京はぶつかって落とさないかヒヤヒヤした。
兄妹が幼い頃から親しんだ商店街の裏路地に、こんな店があったことを京は知らなかった。
映えそうな店内は紗希の大好物だ。
「お兄ちゃん、こっちこっち!」
奥の棚の裏から紗希の声が聞こえる。
京は、棚にぶつからないよう気を遣いながら声のする方へ進んだ。
「おお、きれいだなこれ…。」
「でしょ?なんか光ってたからすぐ目に入ったの。」
紗希は、エメラルドグリーンに光る石のついたネックレスを、乱雑に積まれた雑貨の山から持ち上げた。
「なんで光ってるんだ?蓄光塗料か?電池か?」
「よくわからないけど、神秘的だよねぇ。」
よく見てもこの石が光る仕組みはわからなかった。
石は店の照明以上に明るく光っているが、電池が入りそうなところも見当たらない。
「似合うかな?」
紗希は近くにある鏡に向き直ると、紐に頭を通す。
その瞬間だった。
「おい…っ!」
紗希は、操り人形の糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
京は慌てて紗希の腕を掴み、辛うじて地面に叩きつけられるのを阻止した。
「紗希!?くそっ…!誰かいませんか…!」
京は精いっぱい叫ぶが、何の返事も聞こえてこない。
救急車を呼ぼうか迷ったが、両手は紗希を抱えているし、狭い店内には彼女を寝かせるスペースもない。
京は紗希の腕を肩に回し、担ぎながら急いで店の外へ出た。
雨のせいで、外を歩く人の姿はない。
京はここを少し行ったら病院があったはずだと思い出し、彼女を両手で抱え走り出した。
混乱する頭に加え、息苦しさと肌寒さと、目に入る雨で何が何だかわからないまま、京は無我夢中で走ったのだった。
はっ、と京は頭を持ち上げた。
考える余裕もなかったが、アクセサリを紗希の胸につけたまま店を出てきてしまったことを思い出した。
「落ち着いたら、あとで事情を説明しに行こう…」
そう考えながら、布団をずらして紗希の首に掛かっているアクセサリを見る。
エメラルドグリーンの光は、気のせいか先ほどより弱くなっていた。
京はなんとなく不吉な予感がしたので、アクセサリを紗希の首から外そうと石に手を伸ばす。
「(なっ!?)」
京は、手の先から石に引き込まれる感覚に襲われた。
* * * * * * *
「いてぇ…。」
さっきまで病院のベッドに伏せていたはずの京は、冷たい床に叩き落とされた。
痛む身体を抑えつつ、なんとか起き上がりあたりを見回す。
「暗くてなんも見えねぇな…。」
床だけが、あのアクセサリと同じエメラルドグリーンに光っていた。
神秘的だが、なんだか寒々しい。
濡れた服や靴は、何故だがすっかり乾いていた。
「お兄ちゃん?」
突然、京の後ろから声が聞こえた。
振り返ると、そこには紗希が立っている。
「紗希…こんなところで何してるんだ?」
「お兄ちゃんこそ、なんで突然落ちてきたの??」
京の質問に、より大きい疑問符をつけて紗希が返す。
「…紗希がつけていたアクセサリに触れたら、すうっと吸い込まれて…」
「あー、あれかぁ…。」
紗希は、思い出したように頭をかいた。
「何か知っているのか?というか無事なら早く家に帰らないと…」
「ごめんね。私は、帰れない、かなぁ…。」
よろよろと立ち上がった京に、紗希は首を傾げながら言った。
「帰れないって?なんで、どうして…?」
「私ね、この石に、選ばれちゃったみたいで…。」
「選ばれた…?」
紗希は胸にかかっているアクセサリを掌で持ち上げると、苦笑いを浮かべた。
「ちょっとね、あっちで、やらなきゃいけないことがあって…。」
「え…?あっちって…」
「ごめん!私、もういかなきゃいけないの…!」
紗希は突然話を切り上げると、振り返って小走りで駆け出した。
「待てって!何でだよ!お前がいないと、俺は…」
「来ないで!」
立ち止まって紗希は叫んだ。
ただならない雰囲気に、京の体が無意識に仰け反る。
「私はあっちでやることがあるから!行かなきゃいけないから!」
「だったら俺も行く…」
「だめ!」
紗希は語気を強めて振り返った。
その目尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「あっちはとっても危険なの!私はいいけど、お兄ちゃんは絶対だめ!」
紗希は、鬼気迫る表情で首を振る。
京の頭には疑問ばかり浮かんでくるが、言葉にならない。
「後ろにまっすぐ行けばお兄ちゃんは帰れるから、早く…」
紗希が京の後方を指さす。
振り返ると、微かに光っている扉が見えた。
「そんな…。」
京が絞り出した声は、誰の耳に届くこともなく暗闇へ消える。
混乱する頭を庇うように、ゆっくりと紗希へ視線を戻すと、彼女は既に駆け出していた。
「おい!待てって…!」
京は、落下したときの鈍い痛みも忘れ、紗希を必死に追いかける。
しかし彼女は振り返ることなく、その先の光の中へと消えていってしまった。
「お前を…こんなところに置いて行って…!家に帰れるわけないだろ…!」
紗希に聞こえているかはわからなかった。
京は息を切らせながら、光に向かって走る。
彼女の姿が見えなくなると、急速に光は小さくなっていった。
「あぁぁ…!!」
足がもつれる。
ひとり分の大きさの光の中に、京は倒れるように飛び込んだ。
彼は、また暗闇に包まれた。