それをあなたに伝えるのは非常に心苦しいけれど
学校以来の水泳に、そして久しぶりの友達との外出に家族まで浮足立っているのがよく分かった。
外出を見送るだけなのに妙に張り切る母さんや、誰と行くのとうるさい妹に当てられて私まではにかみながら、駅で待ち合わせしていた美鈴と顔を合わせる。
「早いね」
「楽しみになって早く来ちゃった。私学校以外のプールって初めて! 凄いよね~ずっと自由時間って逆に何したらいいか分からない!」
「ダイエットでしょ」
「おいこら」
ぎゅうぎゅうと手を一生懸命握ってくるけど、彼女の柔らかい指に包まれてもちょっと暑いだけだ。まあ、七月末日の夏休みが始まってすぐくらい、その暑さも嫌と言えば嫌なものだ。
美鈴のダイエットの話は結局持ち越しになったけど、彼女の希望と定番のアイデアとしてスイミングが推奨された。私も詳しくないけど、負荷がかかるけど……負担が少ない……、みたいな。
そう偉ぶって話す美鈴だけど、きちんと習うわけでも、長く通うわけでもないだろうから、結局はダイエットを口実に私と遊びたいだけだということは透けて見えた。
その、不義理というか不道徳というか、享楽主義なところはあまり好めないけれど、私もちょっとは美鈴と遊びたいからおとなしく一緒に行くことにした。
「でも電車に乗らないといけないんだねー」
「自転車でも行けなくはないけど、楽だし」
そもそも市営プールというものが少なくなっているみたいだし仕方ない気がする。
学校のプールや温水プール、色々あるし、特に捻りのないところは潰れるのかなぁ。それは少し寂しい気がするけど。
「ところで体重いくつ?」
「おいこら」
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しかし改めて見ると、美鈴の持っているものは凄まじい。
「ふー。ん、どしたの?」
「いや……タバセンじゃないけど、胸でっかいなぁって」
「やめてよそういうの」
どうも美鈴にとって体型の殆どはコンプレックスらしく、そういう会話は嫌っていた。直せるなら直したいくらいで、それゆえ嫌いながらダイエットの話題には注目していたらしい。
確かに腕や足がムチっとしてたり、胸やお尻もちょっと目立つかもしれないけど、それほど悪いものではないと思う。全然グラビアアイドルみたいなものだ、うんうん可愛い可愛い。
なんて褒めそやそうが、美鈴は嫌な顔をして口籠るだろうので、言わない。過度でなければ運動すれば健康的だし、少しくらい痩せても害はないだろうし。
美鈴が着たのは一緒に水着を買いに行った時選んだ競泳用みたいなやつで、実際に着用している姿は、これといって感想が出ない。
そもそも試着の時に見た姿だし、別に無理して感想を言う必要もないか。
「梨香の水着可愛いよね」
「ん」
そう思っていたが、美鈴の方が私の水着に感想を告げてきた。上下の別れたビキニタイプの、二人で選んだ水色の普通の感じの水着だけど。
というか、可愛いという感じでもないと思うけど、うーん。
「本当にそう思う?」
「うん」
「ふーん……ありがとう」
適当に誤魔化しながら、私は逆に美鈴を褒めようと思った。
だけどスタイル良いねとか、そういうことは彼女のコンプレックスで、水着は機能美を追求したものだからなかなか難しい。
「美鈴は優しいね」
なんて、よく分からない言葉が出たけど、彼女もはにかんで「ありがとう」と言ってくれた。
夏休みに入っているからか、プールにはたくさんの人がいた。もちろん、市営のさびれた雰囲気もあって充分泳ぐスペースや自由はある。プールサイドで座ることもできるから、私は日光に照らされて煌めく水面を指さし言った。
「じゃ、泳いだら?」
「え、なにその投げやりなの。せっかく一緒に来たんだし」
というものの、ここは本当にテーマパークではない。これといったウォータースライダーだとか、そういう遊具やアスレチックみたいなものはない。
二十五メートルプール一つと、併設して子供用の底の浅いプール一つ。実にシンプルな、味気ないものになっている。
本当に泳ぐ以外のすることはないくらいだけど、でもその方がストイックにダイエットに取り組めるというものだろう。
ひとまず軽く準備体操をして、授業でやってたみたいに美鈴と柔軟体操もして。
少し汗をかいたこともあって着水した。人の邪魔にならないようにコースとコースの間くらい。別に、明確に区切ってあるわけではないけど。
「ひゃぁ、冷た~い!」
はしゃぐ美鈴を尻目に、ダイエットで運動するためならやっぱり屋内の温水プールの方が良いんじゃないか? と疑問が浮かんだ。いや、別に遊びに来たんだからこれでいいけど。少し真面目にとらえすぎてしまった。
――というか、美鈴に自信を持って欲しいんだ。ダイエットしなければならないと思うなら真面目にしてほしいが、別に今の姿でも構わないだろう。
コンプレックスをそのままにしてほしくない、その気持ちが強い。
「鬼ごっこでもする?」
「ん、いーよ! じゃあ梨香が鬼ね!」
と言われたので触ろうとすると、彼女は軽やかに潜りスーッと離れて行った。意外なほどスムーズな動きに目を奪われた。
運動が得意な印象ではなかったけれど、今まで本気を出していなかったのかもしれない。
それからは一時間くらい追っかけっこをした。途中で全員休憩しなくちゃいけない時間が決まってて出されたけど、それまでは互いにタッチして何度か鬼がかわるくらいには白熱した。高校二年にもなって。
「意外と楽しいね」
「うん」
お店も併設されていて、そこにはお菓子や玩具も売っているけれど、私と美鈴はカップヌードルを注文した。その場で食べられてその場で捨てられるのがそれくらいだから、食べ物はかなり限定的だけど。
縁日の出店よりなおしょぼい。こういう施設が経済的な理由で淘汰されるのは必然なんだろうと思うけど、海の家で食べる食事のようにどこか風情を感じもする。失われる遺産、というものか。
どうでもいいけど。
ふと美鈴の方を見ると、ラーメンを食べながら時折競泳水着の胸元を引っ張ってはお腹や胸を見ている。
「何が見えるの?」
「わ。……いや、何もせずに痩せないかな~、って」
「ダメなデブの言うことだよそれ」
「だっ! 誰がダメなデブか! 誰が……うぅ……」
怒ろうとしても怒れず、素直に気を落としたらしい。
別に痩せなくてもいいのに、と思うのは私だけなのだろう。しかし何もせずに変わろうというのも都合のいい話だ。
すっかり凹んでしまった美鈴は、それでも力なくラーメンをすする。しょげた顔でスープをごくごく飲む。
いやいやいや。
「つゆは捨てない?」
「勿体なくない?」
太る以前に体に悪そうだ。まあそれを言ったら昼食がカップヌードルの時点であまりよくないだろうけど。
「お弁当はちゃんとしてるのにね」
「お母さんが作ってくれてます。……そういえば梨香は自分でも手伝ってるんだよね……」
「そうだけどそんなに気にすることか? 普通はそんな人いないし私のが変わり者だって」
「いやでも……はぁ羨ましい」
「羨んでも仕方ないと思うけど」
「それでも羨ましいよね~……」
はあ、と溜息を吐きながら美鈴の指が私の剥きだしのお腹をなぞる。普段の仕返しか、妙にくすぐったい指の動きに「んんん」と含み笑いが漏れる。
仕返しにお腹の肉をつまもうとしたけど、それは競泳水着に阻まれて上手くできない。えへへと笑う美鈴の頬をぺちぺち叩いて辞めさせた。
「そんなに嫉妬しても仕方ないってどうせそのうち……」
死ぬんだし。
なんて軽口をたたくことも私にはできなかった。
「……ん、そのうちなに?」
叩く手は彼女の頬を撫でている。撫でられた彼女は純真な表情で私に問いかける。
その穢れも知らぬような優しい表情に私はますます言葉を詰まらせた。
死ぬ、自殺する、そんな言葉を平然と使い続けていた私が、今でもその時が『いつか』来ると確信している私が、美鈴にだけはそういったことを伝えることがなぜかできなかった。
それだけ、美鈴にショックを与えたくないと思っているのか、死ぬという暴力的な言葉を彼女に浴びせたくないと思っているのか、分からないけど。
だけど、それでも美鈴には伝えないとダメだと思った。何故ならそれは彼女に伝えようと伝えまいと、私は死ぬのだから。
「……そのうち、死ぬから」
彼女にはそれを、なんとしてでも伝えることにした。
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しばらく美鈴は、放心していたように思う。
私はただ、ただ必死に気持ちを伝えた。それほど長い時間ではなかったが、再びプールに入れる時間が来たけど、動かずにプールサイドで彼女に話し続けた。
私がいかに決意を固めているか、けれど漠然としているか、そのためにクラスで浮いていて、堀田さんなんかに絡まれたり、文尾さんと話し合ったり、そんなことを。
短い話なのに、美鈴に話すのはとても苦労した。美鈴にそのことを伝えるのが辛いとすら思った。それでも、美鈴がいても私の決意は変わらないのだから、なんとか伝えた。
やがて美鈴が口を開いた。
「でもその『いつか』って決まってないんだよね」
「まあうん」
「毎日うちに来て」
「……えぇ?」
「夏休み毎日うちにきてアニメ見よう!」
私の話に対して、彼女の結論はその『いつか』を来させない、というものだった。
シンプルだけど、効果的だと思う。そうされたら私も死のうとなかなか思えない。
迷惑じゃないだろうか。というか、美鈴はそれでいいのだろうか。
「私は、いいけど」
「じゃあ約束ね! またこうしてプールにも来るし、うちでアニメも見る。どうせなら夏期講習とかも行く? 夏祭りも、なんなら海だって行く!? 楽しい思い出いっぱい作って梨香を死なせないから!」
私は、そんな言葉を言ってほしかったのだろうか。そんな感慨が胸に染み渡る。彼女と出会うために、こんな風に学校生活を送っていた、とさえ思うほどに、かけられた言葉は優しいものだった。
「美鈴……ありがとう、ごめん」
「気にしないで! ……それより、どうしてそんな風に考えるようになったかは教えてくれないの?」
それは、私の罪を、汚点を彼女に話すことになる。それは、ますます彼女が愛おしくなった今では猶更伝えるのが難しい。
「……きっと、いつか、伝えるから」
「ううん、無理しなくていいよ! 私は……うん、梨香が今こうして気持ちを教えてくれただけで嬉しいから」
美鈴の優しさに甘えるだけの自分を、少し情けなく思う。
だけど、今は甘えることにした。きっと『いつか』はまだ来ないから。
いや、『いつか』なんて来ない方が良い時だから。
手をつないで、それでも心細くて、体を寄せて、まだ少し心細いから、もう片方の手をつないで。
「ねえ美鈴、少しだけこのままでいて」
「大丈夫だよ、梨香」
ちょっとだけ、二人で一緒にいてから、また遊んで、そして帰ることにした。
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電車で別れてから家に帰る途中、いや帰ってからも、いろんなことを考えた。
美鈴と出会ってから、美鈴と仲良くなって遊んでから、私はすっかり変わってしまったように思う。
私生活の殆どが変わらないようで、美鈴のことや、美鈴に影響を受けて、彼女のことを考える時間も増えた。
それなのに死の予感、『いつか』の存在感は確かにそこにあった。罪悪感こそがその正体であるからこそ、美鈴のような純粋な人と共にいると如実にそれが浮き彫りになるのだ。
私は、どうなるのか、まだ分からない。ただ彼女と遊ぶ日々にさえ疚しさを感じるところが、確かにあった。