一番の友達
「でも凄いよねー枇々木さん!」
「なにがー?」
「結局全部平均点越えてたしー!」
「まーねー!」
水泳の時間、今まで一人でやるか先生とペアを組んでいた私もようやく固定のパートナーができた。
バディを組むことに抵抗があって休むことも多かったけど、こうしてきちんと授業に出られることは幸運だ。
ただこうして柔軟をしていると、もちぷにっとした枇々木さんの肢体に何かしたくなる。
「水泳って、結構ダイエットに良いらしいよー!」
「は?」
背中をぐっと押して前屈させると、むにゅうと指が彼女の肉に沈む。なのに彼女は初めて出会った時のような敵意を示す。
「いやダイエットに良いって……」
「それがなに?」
「だって枇々木さん結構……」
「言うな」
「足とか二の腕とか」
「言うなって言ってるでしょ!」
「こらそこ!」
枇々木さんのせいで先生に一喝を受けた。あまりすぐに怒るのは私も感心しない。
「あーあ、怒られた」
「久瀬のせいでしょ、くだらないこと言って」
「納得いかない」
しばらく彼女と一緒にいて分かったことは、彼女は結構食べる。
引きこもって動かないことは勿論、食事の量が多いし間食も多いらしい。二人でミスドに行った時は私の倍の量食べてたし、コーヒーに入れる砂糖も倍くらいだった。
まだ胸や太腿みたいなセクシーなところに肉付きがあるだけ、なのか以前太ってて良い具合に痩せたのかは分からないけれど、このペースだとすぐに目も当てられない仔豚ちゃんになってしまうのではないか。
「ちょっと失礼」
「ん……わひゃ!」
水着越しに、むにゅうと腹肉をつまんでみる。だがそれは想像以上の弾力と分量、腹に戻らず僅か伸びる肉、これが引っ張れれば引っ張れるほど彼女の体脂肪率の高さを……。
無言で殴られた。と同時に枇々木さんの禁忌に踏み込んでしまったらしい。
「久瀬ぇ……!」
「待て、話せばわかる」
「問答無用!」
枇々木さんが犬養毅を知っていたのかどうか、それが分からないくらい彼女の鬼気迫る表情は迫力に満ちていた。
―――――――――――――――――――――――――――
「裸体を見ると気になるよね」
また、べしっと叩かれた。しつこいかもしれないけれど、正直なところ学校で彼女を見た時から少し思ってた。
「私は枇々木さんがどんな風になっても仲良くできるけど」
「そんなに気になる?」
「触ったらちょっとヤバって思った」
「…………うー」
低い声で獣のように唸られた。威嚇かと思ったけど、単純に困って迷ってるらしく、私の裾を掴んでくる。
「でも運動って……こう……無理」
「どう無理」
「勉強追いつかないとダメだし」
「終わったじゃん」
期末テスト、正直見事だったし歴史に至っては私をも上回る九十八点、誰もがこれには唸ったし先生もとても驚いていた。単純な暗記だから楽だと枇々木さんは嘯いていたけれど、この点数は記述も殆ど完璧にできている証左。
彼女の地頭の良さはよく分かったが、その反面というべきか、運動はかなり疎かにしているらしい。苦手、というほどではない忌避の対象らしい。
「何キロ?」
「え。……ちょっと待ってそんなこと普通聞く?」
「ううん、やっぱりいい。枇々木さんがどうなっても友達だから」
「その言い方もやめて……」
見捨てないでと言わんばかりに悲壮に満ちた枇々木さん。裾を掴む力が増している。
体型とかそういうの、自分に自信があるならどうとでも平気っていう意見はあるけれど、彼女はあまりふくよかになりたくないらしい。まあその気持ちは分かる。このままじゃクラスの男子の彼女を見る目がひっくり返る日も遠くなさそうだし。
枇々木さんはよく喋る人だし、見た目も態度も可愛いし、体も女性的だ。それに頭も良いからよく喋りかけられてる姿を見る。
ただ枇々木さんは人見知りする人らしいから、進展する様子はない。アニメの話でもすれば一発なんだろうけど。
「でもさ! ていうかさ! みんなどうなの!? 授業とかで疲れて帰って『はぁアニメでも見て寝よう…』ってなるじゃん。痩せる暇ないじゃん。運動とかってどうしてるの!?」
「あーどうなんだろうね。私はそもそも枇々木さんほど食べないし」
私はむしろ痩せ型だし、少食だ。日々食べた分は生きているだけで消費している、という感じか。
「ずるい」
「ずるくない」
「ぜっっっっっっっっったいずるい」
「じゃあ私の生活を見習ってみようか?」
「……でもさ、たくさん食べない生活って生きてるって感じしないんじゃないかな? やっぱり『食』は『歓び』だよね」
「うわ本当のデブみたいなこと言ってる」
「なにおう!」
やんや、やんやと笑いあいながら教室にまで戻ったけど、やっぱり問題は解決していない。
そのまま私は席に戻ったけど、枇々木さんもついてきて、一言。
「ダイエットする」
「お……おおー。そうなんだ」
「一緒にやろう」
「私これ以上痩せたら骨と皮だけになっちゃうけど」
「私も……、久瀬がどんな風になっても友達、だし……」
「いや死ぬから」
同じ気持ちだねわーい、とはならない。太っても死にやすくなるけど痩せすぎも死ぬのが人間だ。流石にダイエットに付き合って死ぬなんて不本意すぎる。死ぬのは『いつか』死ぬとしても。
ただ枇々木さんは本気らしく、私が付き合うならダイエットしてもいいかな、みたいな気持ちなのだろう。
その一人で決断できないところはちょっと面倒臭いけど、やる気を出してくれたのなら少しは協力してもいいか。
「ま、いいけど。プランとかある?」
「ない。走る?」
「何も考えてないのかい」
「でへへ」
「でへへじゃない」
けど私もダイエットなんて計画したことはないし、とにかく手段を考えないとどうにもならない。
伝手はないけれど、しらみつぶしで考えて、結局取れる手段は一つしかなかった。
――――――――――――――――――――――――――――
堀田さんは案の定話にならなかったらしい。
もちろん参考にできる点は多々あるだろうし、何より陸上の選手だ。体重や筋力の調整はプロ同然のコントロールができるだろう。
ただ私達はアマチュアで、常にそういった体調管理に気を配り続けている彼女の常識を当てはめることはできない。
そもそも四六時中運動して食事にも厳格な制限をしてしかもサプリメントも追加で摂って……ってしてるところを見ると、枇々木さんも私も三日と続かないだろう。
だから簡単なダイエット知ってそうな女子で、ちょっと話聞いてくれる人。
「嬉しい~! 久瀬さんが私を頼ってくれてうれしいよ~!」
文尾さん、ギャルだし男性と付き合ってたこともあるし、楽に痩せる方法みたいなの知ってそう。偏見だけど、それなりに外見には気を遣ってるし何かは相談できるだろう。
ということで相変わらずスキンシップの過剰な文尾さんに相談した次第だけど、なかなか進展はない。
「なんだかんだでちゃんと食べて運動するのは一番大事なんだよ、まず!」
「うんうん」
なぜか私が彼女をちょっと抱く形になっている。胸元に頭があってシャンプーの甘い香りが漂っている。
「……なんで?」
枇々木さんが冷ややかな目で見てくる。これはもう、文尾さんがこういう人なんだよとしか言えない。
「だけど忙しいんだよね~」
「うんうん」
「いや、なにその感じ。友達いないって言ってたじゃん」
「でも実際枇々木さんと一緒にいるとき全然喋ったりしてなかったでしょ?」
「え~でも私的にはもう久瀬さん、っていうか梨香とはマブみたいなところあるしぃ!」
「りっかっ!?」
突然の名前呼びに枇々木さんも大層驚いているけど私も驚いている。文尾さんはまあそういう人だから、と分かってたけど、枇々木さんがやけに冷たい感じなのはなぜか。嫉妬か。一番の友達でいたいみたいなことか。
「へぇ~、随分見せつけてくれちゃって」
「えぇ……そのテンションはなに?」
「いいよいいよ別に。別に私は久瀬さんのこと好きでもなんでもないし」
こっちはさん付けに戻ってしまった。相変わらず素直になれない人だ。ダイエットは枇々木さんのために考えているというのに。
「へー、私は梨香のこと大好きだけどな~!」
ぎゅっと背中に腕が回されてすりすりと頭をこすりつけてくる。妙にくすぐったい感触にむらむらと変な気持ちが沸き上がる。
「こ、こら、やめないか」
「えへへ」
「えへへじゃなくて」
「もういい!」
突然、枇々木さんが叫んで、そのまま走って行ってしまった。
「え、ええ、そこまで」
「……あれ、どうする?」
「どうしよう」
文尾さんと目を合わせて、少し困惑。
追いかけるべきかもしれないし、そっとしておいてあげるべきかもしれない。ただ、ここでこのまま文尾さんと一緒にいるのはあまりよくないと思う。
「ごめん、ちょっと」
「えっと、枇々木さんに面白くなってからかっちゃったこと、謝っておいて。ごめんなさい、私……」
「大丈夫、枇々木さんが文尾さんのことよく分かってないだけだから」
ちょっとしたすれ違いのようなもので、決定的な破壊ではない。
ほんの少し時間をおいて、話し合って、いつもみたいに話せば元通りになることなのだ。
廊下を歩いて、渡り廊下の手すりにもたれて黄昏る枇々木さんを見つけた。
少し泣いたらしく頬に濡れた後があるけれど、大きく崩れているわけではない、ほとんどいつもの調子だろう。
「大丈夫?」
ぐず、と鼻をすする音が聞こえて、目元を少しこすって、やっと話す姿勢になってくれた。
「いやほんと、大丈夫なんだけど」
意外と殊勝な態度だけど、大丈夫なわけない。だって枇々木さんは泣いてる。
「ていうか、自分でもこんな風に泣くと思ってなかったし」
「そうなんだ。……文尾さん、ごめんって。ちょっとからかっただけのつもりだからって」
「それも分かってるつもりだったんだけど」
ぐず、とまた鼻をすする音がした。でも、今度は涙がぽろぽろと零れだした。
拭っても拭っても涙がこぼれる。心配で近づくと、枇々木さんはそれを必死で拭いながら、距離を開く。
「や、ほんと、ほんと大丈夫だから。ちょっと待って」
「大丈夫じゃなさそう」
「ちょっと待ってくれたら大丈夫」
だけど涙はどんどん出てきて、やがて嗚咽が漏れ始めた。彼女にとっても不本意な涙であるのは明白だった。
どうしてそんなに泣いてるんだろうか。分からなくて、分からないから、もっと心配になる。
「わっ、わたしっ、ほ、本当は、っ、わかってた、から。べ、っべつに、ひっ、く、くぜっ、さんに、友達いないって、わか、わかってたしっ」
泣きながら辛辣なことを言われた。でも確かにかれこれ数週間は一緒にいて、勉強したりご飯食べたりしてるんだから、私の交友関係くらい、枇々木さんは把握してるだろう。
だからこそ、何故こんなに取り乱すのかと聞きたくなるけど。
「っで、でもっ、な、なんかあいつと、仲良くしてるの見てると、っも、っもうっ! なんか! っわ、わたしよりっ! 私より仲良いやついるんだってなったら! なんかっ! ダメになって!」
わかりやすい嫉妬だ。抱くのが馬鹿らしくなるくらいだ。けど、耐え難いことは耐え難い。
私にはそんな人はいない!
なんて断言できればかっこいいけれど、私だって、堀田さんと喋る枇々木さんを見て何も感じなかったわけではない。
別に枇々木さんは、堀田さんがいれば平気なんだろうし、堀田さんが他の陸上部の人と一緒じゃなかったら一緒にいるだろう。帰る時も電車は逆だし、すぐ私のことを嫌がったり怒ったりするし私が付き合うのに楽だから友達でいるだけなんじゃないかって思ったこともある。
だから今は安心してる。枇々木さんが、それだけ私に執着してくれることが、不謹慎だけど嬉しい。
「自分でもっ! めっ、面倒っ! 臭いって、お、思うけど、けどっ、し、っ、仕方ないっ、じゃんっ……な、涙っ、出るんだからっ!」
「いいよ」
「……いいよ、って、何、が?」
「私の一番の友達は枇々木さんだよ。面倒臭くても」
「だっ、だけどっ、私が嫌、っていうか」
「それは私は知らない。別に枇々木さんが何が好きで何が嫌いでも気にしないし。ただ、私の意見として、私は枇々木さんが一番の友達だし、枇々木さんが面倒臭い人でも構わないっていう、意見」
彼女は、強く嫉妬する人だ。一番の友達という言葉の重みを、存在の強さを、私より感じられる。
それはきっと、彼女の不安を和らげるだろう。少しは安心できるようになるはずだ。
「め、面倒臭いよ!? 私、本当に、他の人と、話せなくなるかもよ!?」
「枇々木さん以外に喋ったことほとんどないから。本当に、先生と、堀田さんと、文尾さんくらい。平気へっちゃらだ」
「……そんなに優しくしても、何も出ないよ」
「枇々木さんしょっちゅうオススメアニメ出してくるじゃん」
「そ、そういうのじゃなくて!」
「一緒にいると楽しい。それだけじゃダメか?」
とても単純な話だと私は思う。
ただ枇々木さんにとって、一緒にいることが苦しくなることもあるのかもしれない。
そこは枇々木さんに選ばせる。離れることはできなくても、いったん距離を置いて落ち着くことはできる。
だから私は待つ。ただ一人でいることには慣れているから。
「……私、凄い嫉妬するよ。しょっちゅう久瀬さんの一番になってるか、確認すると思う」
「何度確認されても変わらないと思う」
「……じゃあ、一つお願いしていい?」
「なに?」
「梨香、って呼びたい」
「良いよ」
「あと、美鈴って呼んで」
二つ目のお願いが出てきたけど、私は別に良いか、と頷く。
「こっち来て、美鈴」
「……う、うん」
おずおずと歩いてくる美鈴は、もう涙も収まってるのに妙にたどたどしい足取りは、まだ不安が残っていることを如実に示していた。
私から歩み寄りたい気持ちをぐっとこらえて、ただ視線を交わす。
ただ信じてほしい、私は決して君を徒に不安にさせたり、苦しめたりしない。
どれくらいの時間か分からないけど、『いつか』の不安があっても、私が生きている限り君と一緒にこの生活を楽しんで、幸せに生きたいと。
君と信じ合いたい。
私の腕の中に入って、やっと美鈴の背中に腕を回す。
「これからもよろしく、美鈴」
「……うん、よろしくお願いします」
「……………………梨香って呼ばないのか」
「それは、その時が来たら」
にひひと笑う声が耳元で踊る。
不安なことはあるけど、私も確かに彼女との仲が深くなったと確信できる。
美鈴と一緒に、今しばらく楽しく過ごしたいと心の底から思える。
できれば一日一話くらいのペースで投稿したいと思ってますね。