不器用な関係
枇々木さんが貸してくれた外伝小説は、読めば放送するのは躊躇われる内容だった。まあ続編がアニメ化されない理由は色々あるだろうけど。
本伝に比べ、内容は陰湿な復讐譚であった。相棒の少女を殺された女は腕を失いながらも敵を討つために戦う。
その女もまた別の恨みを買って復讐され命を落としかける。
本伝の、枇々木さん曰く『魔法少女の純真や正義』とは対照的な、血を血で洗う憎悪の連鎖。
だがその中に、確かな命の価値を感じた。
必ずや敵に命で報いさせるという執念、かつで出会った敵と仲間の恩讐の果てに、命を失ってでも果たしたい復讐を終えた主人公は最後生きることを望む。
『いつか』の時を心待ちにしている私は、衝撃のような痺れを感じた。
自殺することを過去に誓った私は、けれど実際に死にそうな目に遭ったことはない。
死に瀕したことがないからこそ命を失う決意が生まれるのかもしれない。命を捨てる覚悟ができないから『いつか』という漠然とした日を待っているのかもしれない。
勉強机の奥にしまってあるカッターナイフを探し当て、チキチキと小気味よい音と共に飛び出た錆びかけの切っ先を手首に押し当てた。
――大丈夫、切れる――
妙に冷静に、私はこの刃を致命的なほどに切り込めるという直感があった。たまには寄り道して帰ろうとか、普段朝食はパンだけど今日はご飯にしようとか、それくらいなんとなくで変えることができる事実として。
もちろん、切ったところで簡単には死ねないということは分かっている。アルコールやたばこを摂取し傷口をぬるま湯に浸すとか、切り方にもコツがいるとかは知っている。ただ自分を蔑ろにできるという確認、ジンクス程度の直感でしかない。
それでも少し安心した。この作品に多少心揺さぶられようとも、思うところがあっても、私の根幹は変わらない。
命は一つしかない。儚い、大切なものだ。それを奪うものを許せない気持ちも分かるし、代償として命を奪う気持ちも分かる。
私の死とて贖罪が理由だ。己の生の中の疑問を解決する術として自殺を受け入れている。
ただ今は死ねない。
この二冊の本を返して、枇々木さんに勉強を教えないといけないから。
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「読んだ!?」
朝から開口一番、枇々木さんは期待の眼差しを向けてきた。あと、今日はちゃんと朝からいる。
「読んだ。随分毛色が違う感じだけど……、個人的にはこっちの方が好きかな」
「へー乙なこと言うもんだね。私はこういう前提ありきの展開ちょっと面倒臭いと思うし、全体的に暗いから好きじゃないけど」
「ファン必読って言ったの枇々木さんだったのに?」
「ファンは必読」
根拠はなさそうだけど、妙に自信満々に言われると笑ってしまう。彼女はこれを読んでどう思ったのか気になっていたけど、面倒臭い話、というのが本音みたいだ。
「これ、ありがとう」
「うん。あ、なんなら外伝じゃない方の原作貸そうか? 読んでないでしょ?」
「別に大丈夫かな……それより、勉強しないか?」
「あー……せめて好きなキャラの話してから」
結局、そんな他愛のない話をしてから私は彼女の勉強を見守ることにした。
成績自体は悪くないし、枇々木さんも頭が絶望的に悪いわけではない。むしろきちんと復習してきて彼女の勉強は流れに乗っている。
「頭いいんだ」
「良いと言うほどではなし……」
はぁ、と溜息を吐きながら設問に向ける眼差しは真剣なものだ。これならタバセンや私がいなくても十分やっていけるかもしれない。
「なにこれ。ねえなにこれ」
「どれ」
ふんふんと読んで二秒、二次関数の応用問題。
「応用問題は後回しで良いよ今重要じゃないしテストにも出ないし。基本をとりあえず一通りやっていこ」
「そんなんでいいの?」
「とりあえず追いつくことを目標に」
じきに始まる期末テストできちんと点数を取って、取れずとも補習を受ければ枇々木さんも進学はできるだろう。それほど時間はないけれど彼女のやる気次第でどうとでもなりそうだ。
「ね、なんで久瀬さんって優しくしてくれるの?」
「え?」
思いもよらない質問に、言葉が出てこない。これといった理由は特にないからだ。
「流れで」
「流れ。……私ってつまんなくない?」
また思いもよらない質問、これには答えより疑問が浮かびあがる。
「なんでそう思うの?」
「オタクの話題しかないし。年齢も違うし情けで付き合ってもらってるんじゃないかって」
真剣な話をしている割に枇々木さんは世間話をする程度に平静を装っていた。これといった感情の機微も見られない平凡な雰囲気。
それが異常なのは言うまでもない。だって枇々木さんは感情表現が豊かすぎる人だから。
「それが不安なんだ」
「不安とかじゃないし。私だって別にお情けで付き合ってもらう必要はないって言いたかっただけ」
「強がってない?」
「年上舐めんな!」
年齢のことを気にしているのだろうか。それだけじゃないにせよ何かいろいろ気にしているのは間違いない。
正直な気持ちを告げても困ることはないだろうから、思いのたけをぶつけるのが良いだろう。彼女も本音で話しているのだから。
「そもそも私、友達いなかったから。今までよりちょっと楽しいかな」
「……えっ、蓮は友達じゃないの?」
「私はそう思ってないし、堀田さんもそう思ってないと思うよ」
一年の時こそ話しかけてきた人だけど、二年になってからは枇々木さん関連でしか喋っていないはずだ。堀田さんがクラスメイトはみんな友達、なんて言うお花畑の頭を持っているなら友達と思っているかもしれないけど。
「……いじめられてる?」
「まさか。そんなの、絶対許さない」
私が受けることも、目の前で行われていたって私はそれを絶対に許さないだろう。少なくとも目の届く範囲にいじめはない。
私の意志を感じてか、枇々木さんは安心して引き下がってくれた。けど、友達がいないのは事実だった。
「そっか……じゃあ私が友達になってあげるよ」
「……もう友達だと思ってた」
「……っ!? そ、そういうこと言うんだ! へー、ふーん!」
「私も、別にいいよ、無理して友達になってくれなくても……」
「ちがっ、違うって久瀬さん! そういうんじゃなくって私は」
焦る枇々木さんが可愛くて、笑ってしまったところでからかっていることがバレてしまった。
「もう! もうもうもう! 年上! 年上だからね!」
「わかったわかった」
枇々木さんのこういうところは好きだ。私に欠けていた様々な感情をありありと示されているような気がする。
別に私は感情がないわけでも、決して笑わないわけでもない、普通の人間だけど、彼女のように自分を晒すことはしてこなかった。彼女の分かりやすさは、尊敬すべきことだと思う。
彼女のようであったなら、きっといろんなことが変わっただろう。たらればに過ぎないけれど。
そのまま朝は口をきいてくれず、授業の時間になった。
ちょっとからかいすぎただろうか……、あまり怒ってなかったらいいけれど。
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休み時間になっても枇々木さんは来てくれなかったけど、昼休みになってしばらく昼食を食べていると、お弁当箱を持ってようやくやってきた。
「……久瀬さん、本当に友達いないんだね」
憐れむようでもなく、確認するように言う。本心を隠すでもなく、別に彼女が喜びも悲しみもしないことだから気持ちが表に出ていないようだ。
「いないけど」
「休み時間とかずっと私の方見てたし」
「枇々木さんがこっち見てたから」
「久瀬さんがこっち見てくるから見てたの!」
卵が先か鶏が先かは分からないが、ともかくしばしば目が合ったことは間違いないらしかった。
「ま、それはそれとして、なに?」
「いや……うん……」
休み時間は堀田さんとぽつぽつ喋っていたみたいだけど、今の堀田さんは他の陸上部の人と一緒にご飯を食べている。
短い時間にちょっと話すくらいならできるけど、ああいう集団の中に身を置くことはできないのだろう。
けど、一人でいるのもできない。そもそも居場所がないから。
それで私のところに。
「べ、勉強、しないといけないし」
その道具も持ってないのに強がり方としてどうなんだ。やっぱり結構嫌われたみたいだけど、頼れるのも私しかいないと。
いてもいなくてもいい、なんて言えば彼女は無理して離れて、一人で苦しむのか。きっとそうなるだろうけど。
私から歩み寄ろう。彼女がいなくなると、私もきっと寂しくなる。
「枇々木さん」
「な、なに」
「私は枇々木さんともっと仲良くなりたい」
このまま嫌われて離れるのは寂しい。
会えなくなるのは悲しい。
いなくなってしまうのは、辛い。
それはきっとまぎれもない正直な気持ちだ。
「せっかく仲良くなったんだから、もっと仲良くしよう」
「…………」
ぽかんと口を開けて枇々木さんは驚いている様子だった。あんまりぼんやりしてるから分かりづらいけど。
「な、なんで」
「なんで、って、普通に。だって私友達いなかったし」
「いやなんで、そんな、急にデレて」
「でれて?」
「いやっ! あの! ……えー、うん、よろしく」
もごもご言い辛そうにしながらも、素直な気持ちは枇々木さんに届いたらしく肯定の言葉が出てきた。これで一安心できる。
「じゃあ食べようか」
「うん」
私の席近くの人も移動してるから、空いている椅子に座って二人で一緒に昼食を食べた。
久しぶりに誰かとの昼食だけれど、そこに感じ入ることや感慨はない。ただ、ちらちら様子を見てくる枇々木さんに視線を返していた。
食事が終わってしばらく見つめ合っていたけど、ようやく彼女の方から言葉を開いた。
「じゃ、勉強道具持ってくる」
「うん」
時間はそれほど長くないけど、勉強をほんの少しでも進めておきたいんだろう。
仲良くなれてもなれなくても、その面倒を見るくらいは続けていく。
できれば仲良くやりたいけど。
問題集とノートを持ってきた彼女は、それらで顔を隠すようにして、また私の前に座った。
「……どうしたの?」
「……いや」
下にずらして目線をちらと寄越す。妙に緊張してるみたいで、顔を見せるのも辛いようだが。
「どうしたのかって聞いてるが」
「……いや~」
「なに、気持ち悪い」
「気持ち悪いて! そういうの初めて言われたから嬉しかったの!」
「はー。やっぱり枇々木さんって可愛いよね」
別に枇々木さん相手に私は照れるとか隠す、みたいなことはないけれど、彼女はめいっぱい私に照れて恥ずかしがっているんだ。人に慣れていないのか。
「よく平気で可愛いとかそういうの言えるな!」
「逆に枇々木さんはあざといくらいだから。私は悪くないよ、枇々木さんが可愛すぎるのが悪い」
「やめぃ! わかったからわかったから!」
引きこもりの少女が自分の可愛さに気付く、三文小説のストーリーみたいだ。
少し安っぽいけど、サクセスストーリーは嫌いじゃない。人が幸せになる物語は好きだ。
悲劇に染み入る感動はある。その哀愁に長い時間心が囚われる心地もそれほど悪くはない。
けれど人が幸せになるところを見て、その安心感を得てこそ生の安堵があると思う。
私がいつ死ぬかは分からないが、『いつか』死ぬとして、やはりその生は良きものにしたいから。
「……じゃあ勉強するから」
「うん」
さらさらとノートに文字を書き込んでいく枇々木さんの真剣な姿を、しばらく見つめていた。