一年半ぶりの登校に際し
「あれーっ! あれっ、あれっ、なんで」
真っ先に大声を出したのは堀田さんだ。クラスに現れた闖入者、その姿を知っているのは彼女と私くらいだろう。
目元まで隠れるほどの黒髪、この間は三角座りで分からなかったけど腕と足のふっくらとした体型で、特に胸は目立つ、と言っても過言ではないスタイルだった。
男性受けする、というよりかは、漫画めいたほどでもないけど、西洋画の蛇状身体を思い出す。女性の私でもどこか触りたい衝動に駆られる体型だ。ナイスバディとかワガママボディっていうとわかりやすい。
枇々木美鈴、その存在がクラスに現れると俄かにみんなが色めき立つが、その彼女は真っすぐ私に向かってきた。
「見た?」
発言の意図は、彼女が貸してくれたアニメDVD『タロットチェンジャー』についてだろう。
「見た、けど持ってきてない」
「本当に見た? 感想聞かせて」
疑り深くて執拗な性格は相変わらずだけど、約束を守って登校するくらいには真面目な性格らしい。
そんな真面目な枇々木さんがどうして引きこもってたか、多少は気になるけど。
今私がすべきことは感想を話すこと。
「圧巻だったけど収まるべきところに収まったって感じだった。派手な能力とかも出てくるけど最終的には己の欲との闘い、みたいなテーマに落とし込んでて大団円になってたのは落としどころとしては良かったと思う。二十二人全員にスポットを当て切ったわけじゃないのは不完全燃焼ではあるけど、節制のおじいさんとか個性的だしそう考えると味わい深い作品だったと思う。愚者がもう一度大暴れした時とかもすっごい動いてたし……」
「そう……そうなの! そうなのよ! すっごい分かってる! 私もそう思う! 久瀬さんとは話が合う~!」
相変わらず高いテンションだ。もしかして人と話すことが好きなのか。引きこもってた割にはアクティブな性質の人らしい。
留年だか休学だかで一年ブランクがあるけど、ただ一つ年上なだけなのだ。同年代相応の女の子らしさというか、子供らしさか。もう十七か十八だろうに。
「はいこれ!」
ぼんやり考えていると彼女は感激した様子のままで鞄から二冊の本を取り出して私に押し付けた。
「なに?」
「タロチェン原作の外伝小説。これはアニメ化してないけどファン必見だから。読んで」
えぇ、と困惑する。けどそれを私が読むことは枇々木さんにとって決定事項らしく、ふんすふんすと鼻息を荒くして渡して、そして鞄を背負い直した。
「じゃ!」
「じゃ、って?」
「用果たしたから帰る」
そんな馬鹿な、と思ったけど枇々木さんは本気で帰りそうだった。
ただ、行く手には堀田さんが立ちはだかっている。陸上部の実力者である彼女を枇々木さんが倒せるとは思えない。
「な、なに」
「何じゃない。帰るなよ」
至って正論にも思えるけど、別に帰ってもいいんじゃないかとも思う。
なにせ、既に昼休み。残す授業はあと二つだけ。
「だって……教科書とか、持ってきてないし。そもそも授業何あるかとか知らないし!」
「貸すから大丈夫!」
一年間休学してたらしいし大丈夫ではないと思うけど。家でちゃんと勉強してるとか……、最近だと学校に行かず塾や家庭教師の勉強を重視する人もいるって話だけど、枇々木さんがそうとは思えない。
一年のブランクを思うと、今日ここに来ただけでも立派だ。
まあ一年とちょっと、いい加減引きこもるのが辛かったとも考えられるけど。
ただ、私が枇々木さん帰ってもいいんじゃないかなと思ったところで、堀田さんは一切帰す気がなく、枇々木さんは諦めてそれを受け入れたみたいだった。
大丈夫なんだろうか、とちょっと心配する。授業に追いつけるはずもないし、いきなりの新顔にクラスの空気も微妙な感じだ。
こういう調和を乱す、とまでは行かなくても枇々木さんが受ける疎外感は大きなものだろう。だから帰りたかったのかもしれない。
けどひとまずは堀田さんに任せてみよう。私だってそんな器用な真似はできないし、人と人の摩擦なら堀田さんみたいな人望ある人の方が良い潤滑剤になるだろう。
席が遠いからあまり関わることもないだろう、借りた本くらいは早く読んで返してしまおう。
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けど五時間目が終わってすぐ、枇々木さんは私のところに来た。
「もう無理~、帰りたいよ~」
「なんで私にそれ言う?」
枇々木さんと私の関係はどういうものなんだろうか。堀田さんは……他のクラスメイトに枇々木さんの説明をしているらしい。彼女が他に知る人間が私だけらしかった。
とは思えないくらい、瞳を輝かせているけど。
「読んだ!?」
私が手に外伝小説を持ってたから、ぐでっと私の机に倒れていた彼女は尋ねる。本当にテンションの上がり下がりが激しい人だ。
「まだ序盤の序盤。授業中は授業受けてたし」
「なーんだー、つまんない……。授業も全然分からなかったし」
「それは仕方ない。一年休学してたんだっけ? で、その前から登校拒否してたとか」
「うん。今年始まった三ヵ月分と、一年前の休学と、冬休み前後にはもう登校拒否してたから。それはなんとか進学できたから今ここにいるんだけど」
「えーっと……じゃあ半年分くらいは授業受けてないんだ」
「そーなる。しかも一年以上のブランク」
「どうすんの?」
「どうしよ?」
深い溜息を吐いて、また枇々木さんは私の机に顔を置いた。
「勉強って好き?」
「勉強が好きな人いるの?」
「……いないか」
「うん」
そうは言っても学校に来る以上は勉強しないとダメだし、はてどうしたものかと頭をひねる。
学習用のドリルや教科書で勉強し直すしかないだろうが、彼女にそれができるのか。
ふと見やれば、堀田さんはもどかしそうな表情でこっちを見ていた。彼女も成績が良いとは言えないから手助けしにくいんだろう。引きこもりってこういう社会に復帰する方が大変なんだなぁ。
「ちょっとぐらいなら手伝おうか?」
「ほんと!?」
何の気なしの提案、どころか社交辞令程度の気持ちで言った言葉は、想像以上に彼女を高ぶらせていた。
勉強したくないからもう学校に来ないとか、手伝ってもらってもしたくないって言うと思ったけど、彼女は人生の復帰に前向きであるらしかった。
「あー……タバセンにでも相談するか」
「タバセン?」
田端先生、頭悪そうで親しみやすいからみんなそう呼んでる。親身になってくれて優しいけど平気な顔でセクハラしてくるから苦手な人も多い。はっきり言って変なやつだ。
「ま勉強はおいおいで良いじゃん。今日はもう一時間苦しんで」
「え~……帰りたい」
「放課後にタバセンのとこ行こ」
「だから誰?」
そんな話をしている間に授業の時間になって、終わって。
退屈そうな姿が目に見えていた枇々木さんも、そのままの面倒臭そうな顔で、けどきちんと私のところに来た。
「その、タバセンのところ行くの?」
「ん」
軽く頷いて、少し面倒臭いけど、彼女を連れ立って職員室に向かうことにした。
堀田さんは教室の陸上部の人達と話しているらしく、教室を出るタイミングで目が合ったけど、彼女は申し訳なさそうに手と目でごめんねという合図だけを送ってきた。それに頷いて、バイバイと手を振り返した。
「そういえば枇々木さんなんで昼休みに学校来たの」
「駅までは早くに来たんだけど、久しぶりだから迷っちゃって」
「迷っちゃってなんか食べてきたわけだ」
「臭った?」
「コーヒーと砂糖の匂いした」
即座に彼女は口元に手を当てた。今更気にしても仕方ないと思うけど。
職員室までの道くらいは彼女も知ってるらしく、口臭を気にしながら隣を歩いている。一年近くはこの学校に通ってたのだから、懐かしみながら、だろうか。
それほど思い入れがあるとも思えないが。
今の三年と同級なのだから知り合いもいるだろうし、顔を知ってる先生もいると思うけど、平気なのか。
職員室に入ると、普通にタバセンがいた。コーヒー飲んでぼーっとしてる。いつもぼーっとしてる人だけど。
「失礼します、田端先生、少し良いでしょうか」
言われてこちらを見て、彼女はすぐに立ち上がって歩いてきた。
立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。所作において美しい日本の女性をそんな風に言うこともあるが、それ以上の行動をさせてしまってはタバセンはポンコツになる。
彼女の流麗な黒い髪と涼しげな目元、引き締めた唇を微動だにさせず、来て何も言わず彼女はいきなり枇々木さんの胸を揉んだ。
「えっ!? は!? へ!?」
戸惑う枇々木さんに注意するのが遅れた――反省は後にして、私は先生の手を叩いて睨む。
「なにしてるんですか?」
「本物とは思わなかった。すまない」
「まず聞け」
「柔らかかった」
「話を聞け」
立って座って歩くだけするモデルみたいな仕事の方がタバセンには向いていると切に思う。けどこんなんで優しいから人気もそこそこにある。人間ってわからない。
枇々木さんが少し怖がってるから間に立って、本題を早速伝えることにした。
「枇々木美鈴さん。休学して登校拒否してたクラスメイトなんですけど、勉強が追いついてないんです。どうしたらいいと思いますか?」
「勉強に追いつく方法か。私が教えられることなら教えるが」
「でももう不信感抱かれてますよ」
「枇々木の胸が大きいのが……」
言葉の途中で先生の脛を強めに蹴った。
余計な話はしない方が良いが、こいつが余計なことしか言わないんだよな。
「オススメの問題集とかないですか?」
「久瀬、暴力は良くないと思う」
「田端先生は女性で優しいから見逃されてますけど我々がその気になったら即座に教育委員会に報告されますよ」
脛を労わりながら先生はよろよろ席に戻って行った。そしてすぐに戻ってきて、いくらかの問題集を持ってきた。
現代文から倫理まで……どうやら全科目分揃っているらしい。私のクラスは文系コースだから文系分だけ。
「これは?」
「オススメの高二問題集を貸し出す。いいか貸し出すだけだぞ。これを見てノートに答えを書いて自分で丸点けするとかならしてもいいが必ず書き込まずに返すこと。教師が生徒に無償で教科書をプレゼントするなんて大問題だからな」
なるほど、優遇や贔屓はしてはいけないけど、先生にできる限りの形の手助けであるらしい。
「もちろん、放課後にでも昼休みにでも私のところに来てくれたら、可能な限りできることをする。だがな枇々木、それには君の努力が必要だ。忘れないでくれ」
クールでかっこいいことを言うと、やっぱり良い先生に見える。タバセンを見てると人間には良いところと悪いところがあるんだってはっきりわかる。
枇々木さんは戸惑いながらもその問題集を受け取った。教師の仕事は忙しいと言うし、先生の気持ちに応えるべく私が枇々木さんの勉強を見ることにしよう。
「じゃあ、枇々木さんこれからも学校来てよ。私が教えるから」
「……えっ、ほんと?」
「そう言ったし」
言ってしまった以上は責任を持つ。それくらいは私もしなければならない。
私の『いつか』は少し遠くなってしまった。
「じゃ、久瀬さんもタロチェン読んでよね!」
「交換条件?」
「絶対だから!」
凄く沢山勉強しなくてはならないことを分かっているのだろうか。その後も、彼女はただ感想の共有を楽しみにしている様子で爛々と楽しそうにしていた。
タロチェンことタロットチェンジャーは自作小説でなろうで読むことが可能ですが、本作品を楽しむために読む必要はありません。