いつかになっても
居心地の悪さは残るものの、それは私達の存在ではなく堀田さんと間さんの不和が原因のように感じられる。
今までに見たことがない程の騒ぎだった。美鈴が登校してきた時や、私が入院した時もそれなりだったらしいが、今回は声の大きさと危なさがまるで違う。今後も少々の切っ掛けがあればあんな事態になるのかもしれない――そんな危惧が、みんなの雰囲気を悪くしていた。
教室に戻ってきた二人はあからさまに不機嫌そうで、互いに言葉を交わすことなく、また誰かと喋ることもせず、一人でむすっとしたまま大人しく座っていた。
美鈴も堀田さんに声をかけづらそうにしているし、みんな居心地悪そうにしている。私達への奇異の目がなくなったことは喜ばしいが、無論素直に喜べる事態ではなかった。
こういう風に悩んだ時はどうしたものか、おのずと私の答えは一つだった。
「で、どういうお説教したんですか?」
放課後の職員室、若干忙しそうなタバセンを呼び止めて私はそんなことを聞いた。今日は美鈴も一緒に。
「それほど難しい話じゃない。人に迷惑をかけないように、と理詰めで話した。それだけだ」
「それだけ? にしては時間がかかったような……」
「口答えしてきたからな。それぞれ丁寧に論破した。はぁ……」
流石のタバセンも体力の有り余る二人相手にしたからか、思い出して疲れた風に溜息を吐いた。
迷惑にならないように、というのは単純だけど、それで二人が納得するとも思えない。それでもああして黙っていたのは、それだけタバセンの説教がちゃんとしていたんだろう。
「あの、ありがとうございます」
美鈴がぺこりと頭を下げた。つられて私も頭を下げる。田端先生にはお世話になりっぱなしだけど。
「うむうむ。ま、こういうのも教師の仕事だ。困ったらどんどん頼ってくれ」
真面目な人だ、と心の底から思う。どうかセクハラで逮捕とかされないでほしい。
けどタバセンは、気まずそうに口をもごもごさせている。
「……というか、だな。今後の方が困ることが色々出るだろう。この学校はそういう事への配慮が全く為されていないから。つまり、要望は好きなだけ言ってくれ。可能な限り答えるつもりだ、という……」
「そんなに引け目を感じなくても」
私としてはあの二人を制止してくれただけで十分だし、これまでこの学校に通っていて不便だと感じたこともない。
私と美鈴は、普通と呼ぶのは憚られるとしても、普通じゃないと言うほど変ではないのだ。
「そうは言っても……いや、まあ、そうだな。君達が何か言うまで私も自分のペースで色々やっていこう」
やっと先生はそう前向きに言ったけれど、まだ何か歯に挟まったみたいな感じだ。
隠し事をしている、というのは傍目から見ても分かるだろう。
「何か言いたいことがあるならはっきりどうぞ」
「……ん、言わない方が良い事だ。気にしないでくれ」
「気になりますよ」
「聞いてしまうと聞かなかったことにできないだろう?」
タバセンは当然のことを言ってはぐらかす。一体どんな言いにくいことを言うのか、ただ先生の目を見つめて待っていると、観念したように口を開いた。
「――実は、君から枇々木に告白された旨を聞いてから、先生全員に性的少数者についての見識や知識について話し合ってだな、校長なんかにも談判したんだ」
「……そんなに、頑張ってたんですか」
「ああ。その結果、本当にこの学校の遅れを感じた。同性愛など間違っているなんて論調の奴もいたくらいだ。それは私がいかにマイノリティを迫害するというのがどれほど時代遅れで世間的にバシバシ叩かれるかと事例も含めて説得したからなんとか全体的に意見を傾けたが。……ふふ、本当に滑稽だった。まるで宇宙人の襲撃を受けるような――――いや、違う。今のは他意はない。というか、すまない。その、悪気は当然なかったし……」
意気揚々と鬼の首を取ったように話す楽しそうだった先生は、突然気まずそうに頬を掻いた。
……その宇宙人とやらと私達を重ねたことに、罪悪感を覚えたらしいが。
「それくらい分かりますから。気にしてませんよ」
少し呆れた風を見せると、隣で美鈴もこくこくと頷く。まだ少しタバセンのことが苦手みたいだけど、たぶん見直したんじゃないかな。
タバセンはまだ伏し目がちだけど、私達の気持ちは伝わっている。と思う。
「……情けない限りだ。喋らず影で尽力している方がカッコイイと思ったが、こんな風に不快な気持ちにさせてしまった」
「そんな不快じゃないですって」
「そう言ってくれるなら、思ってくれるなら、良いんだが。こうした不意の言葉で傷つく人もいるからな。……こういうのは本当に難しい問題だから、私はあの二人にこういう話をしなかったんだがね」
なるほど、と心の中で頷く。こういう話は、私と美鈴の中でもまだうまくかみ合っていない風に思える。
何が正しくて、どうあるべきなのか。それは答えが出ない命題のようだ。
会話さえしたくない人がいる中で、私達は互いのことを知り、きちんと棲み分けなければならない。
誰かに不幸になってほしくない、もちろん自分達だって幸せでありたい。
美鈴と離れることはない、それがまず、前提なのだ。
まずは、美鈴ときちんと話し合おう。
どうなりたいかを、どうしたいかを。
そして私も、考えよう。
「……まあ月並みな言葉だが、したいようにしたまえ。若いうちはそれができる。私も若いから校長に啖呵を切ったんだ。たぶん出世はない。もしかしたら来年度くらいには飛ばされるかもしれない」
そんなタバセンの衝撃的な弱音を聞いて、少し励ましてから職員室を後にした。
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美鈴の家にで、百合アニメなるものをぼんやりと見ていた。
基本的には女性同士の同性愛を百合と呼ぶらしいが、その種類はまちまちで、今見ているものは私達の事情とはまるで違った。
この間に見たほのぼの日常アニメとかなり似ている。特に悩むことなく、たまにちょっとハプニングでチューしたり、女の子が女の子にドキドキしたり。
「平和だね」
「……うん」
美鈴が頷く。
これが間違っている、と言うこともできる。けれど、こうあるべき、ともいえる。
私は、どっちだと言いたいのだろうか。こんなに楽じゃないと、平和じゃないと憤るのか。こんな風になりたい、楽しくやりたい、とこうあるべきだと主張するのか。
誠実に社会を考えるなら、アニメを引き合いに出すものじゃないのだろう。タバセンみたいにいろんな人ときちんと話し合ったりすべきだ。
――でも、やっぱり私は社会とかクラスとか、他人のことはどうでもいい。
「美鈴、私は美鈴と一緒に居られればそれでいい。クラスメイトが疎ましがったら、ひっそり静かにする。美鈴と一緒なら、黙ってても全然平気だから」
「……私は、そんなのはやだ。だって、普通に喋ってただけだよ!? 勝手にイチャついてるとかって判断されて、黙らされるなんて、エスカレートするに決まってる! 私達が一緒だから引き剥がすとかだってするし、あんな奴ら苛めだってしてくるよ! 許せないよ、そんなの……!」
美鈴は憤っている。だけど、私と美鈴の気持ちは一緒だ。
美鈴の怒りに打ち震える手を、そっと両手で包み込む。
美鈴となら話せる。意見を違えようと、感情的になろうと、一番信頼できる美鈴となら、きちんと理解し合えるまで話せる。
「結婚とか、そういう話だったからさ、うん……確かに黙らせようとするのは間さんとかが悪いかもだけど、ちょっと私達の話の内容もあれだったのかもしれないし」
「そんなこと……ないと思うけど」
「今度、普通の話してても同じように言ってくるなら、その時は私も文句言うよ。だから今は、うん、ちょっと落ち着こ?」
しばらく沈黙があった。
それは美鈴が落ち着いたわけではなく、どんな言葉を言うかという思案の時間。
でも、どんな言葉でも私は受け止めるつもりだ。一緒に考えることが私にはできるのだから。
けど、言葉は予期せぬもので。
「梨香は……、どれくらい私と一緒にいてくれる?」
答え難いものだった。
「将来のことは、……分からない」
「まあそうだけど。でもこういう時って嘘でも『ずっと一緒だよ……』みたいに言うものじゃない?」
「美鈴に嘘はつけないから」
「んん……たまにそういう、梨香って……かっこいいこと言うよね」
それはよく分からないけど。
「美鈴は大学とか行くの? 私は一応進学するつもりだけど」
「えっ、急に進路の話されても……」
「これからの話をしたのは美鈴じゃない」
「いや……うー、そっか、まあそういうことから考えるべきだよね。はぁ……」
少なくとも高校在学中は、恋人同士の関係も充分可能だろう。
けど別々の大学に通うことになったら、今より一緒にいる時間は格段に短くなる。同じ大学に通う、以外だとそんな感じだろう。
家事手伝いとかニートとか、そういうのだったらずっと一緒も不可能じゃないだろうけど……現実的じゃないな。
今は、会う時間が短くなるって考えただけで悲しくなる。寂しいし、その分、今もっと美鈴と一緒にいたいって思える。
けど、いずれは絶対に会う時間は減るだろう。そうなって、私は美鈴と今のような関係を続けていけるのだろうか。そういうことを考えないと。
「……進学も就職も嫌だなぁ。私の分の蓄えくらいなら家にあるだろうしニートしたい」
「ええー」
「あでも美鈴が進学するんだったら私も同じとこ行こうかな! そしたら毎日一緒だよ!?」
それは合格すれば、の話だ。目を爛々と輝かせる美鈴には悪いが、私が不合格で美鈴が合格なんてことになったら目も当てられない。受験勉強だとどっちの方が賢いかはわからないけど、少なくとも定期テストだと美鈴の方が点が取れる。
というか、ニートしたい人が大学に行くのはどうなんだ。よくないぞ。
……っても、私も人のことが言えるわけじゃない。私だってモラトリアム期間が欲しいくらいの気持ちでしかない。
どう生きるか、なんて以前から考えてなかった。なにせ『いつか』死ぬと思い込んでいたのだから、その『いつか』が来るまでまんじりとしない意味のない時間稼ぎができればいいと思っていたのだから。
夢とか、希望とか、したいことはない。『いつか』死ぬというあてもないあらゆる終了の予感だけを盾に生きていたのだ。
考えれば、惨めなものだ。私には美鈴がいて、家族がいて、私には何もない。私は何もない人間だ。
すんなりそれを受け入れられる自分がいる。元より孤立していたのだ、惨めなものだったのだ。手首の傷をちらりと見た。岡倉が死なずとも、私に刻まれたものはいつか刻まれるものだったのかもしれない。この傷は私が生きる以上必ずできるものだった、そんな気さえしてくる。
「美鈴は私にどうしてほしい?」
美鈴の不埒な進路を糾弾しながら、私はそんな風に聞いていた。
だって私は美鈴に救われて、美鈴がいないとダメだったから。
「えっ、私別に、だって私は梨香がいればそれでいいから、梨香がしたいようにして」
「参ったな……私、したいこととかないから。私も美鈴に合わせようかな」
「じゃニートしよう。一緒に暮らすとか!」
それは、また難題な気がする。だって――
――ああ、美鈴と長く一緒にいると、家族とかにも関係を話す時が来るのかもしれない。
私達はどうなるんだろう。
不安の多さに足元が崩れ去るような気持だ。
「……いつか、家族に話す日も来るのかな」
「…………まあ、いつかは」
「……いつ?」
「…………今じゃないよ。うん、いつか、だから」
『いつか』、漠然とした遠い時間だ。
必ず来るけどすぐは来ない。確実な終わりを予感させながら、期待するような恐れるような終焉。
――想像をはるかに超えた重い衝撃と共に、かつて私に訪れた。
でも――――
もう私は諦めない。投げ出さない。美鈴を苦しめない。
どれほどの困難であろうと、辛い目に遭おうと、決して、決して逃げ出さない。
美鈴と一緒にいると決めた。彼女を悲しませたくない。
どれだけの反発を受けようと、我慢を強いられることがあっても、憎まれても。
離れることだけはしない。
そう、決めた。
「いつか、家族に話す時が来ても、私はいつまでも美鈴と一緒にいたい」
「……そ、そっか。えへへ……」
できれば私も! みたいに応えてほしかったけど……。
美鈴がやっと安心してはにかんでくれたから、それでよしとした。




