くすぶる
美鈴のことが好きだ。
心の中で呟いてみる。彼女のことを思うとまた会いたいと、彼女の顔が見たいと思う。
一緒にいると嬉しい気持ちが沸き上がる、もう少し、もっと一緒にいたいと思う。
彼女の言葉を聞いて、彼女と対話して、笑って。
そんなたわいのない時間がかけがえのない時間だった。
私にとってそれが全てで、それが好きということだった。
美鈴とキスをした。
私が求める以上のことを彼女は欲しがって、私はそれを気にせず行った。
その意味を未だに理解はできていない。美鈴のためならそれくらいは平気で出来たし、特に嫌がるほどのことでもない。
違和感のようなものはある。理解はしているが納得できていないと言った方が正しいのだろうか。
好きの違いや意味というものが、まだわからないのだ。
―――――――――――――――――――――――――
私と美鈴が教室に入った時の奇妙な緊張感、明らかな異物に反応する人の目を私は知った。
気味の悪い興味の目、排斥する敵意の目、確認するだけの冷酷な目。
少し過ごせば、遠巻きに口さがない人はレズだの変態だのと言う。
「ね? こんなもんだよ」
「うーん……割と慣れてると思ってたけどこれはなかなか……」
美鈴と出会う以前の私も、死ぬことを放言しては呆れられる狼少年のようなもので、それはそれで白い目で見られていたけれど。
はっきり言って今の方が不快だ。理解されない人間として放置されるより、同性愛者というカテゴリに入れられてヤジを浴びせられるような感じだ。直接言われることがないのが幸いと言えるけれど。
恐らく噂を広めた張本人の文尾さんも、憎しみか憐れみかわからないような感情を込めた目でたまに見てくる。睨むというには少し弱いけれど、奇異の眼差しに違いはなかった。
「美鈴は大丈夫?」
「私は最初から誰も信用してないから。梨香以外」
岡倉才人を見殺しにした、という理由で全ての人間を疎んで引きこもった。美鈴の言葉を額面通りに受け取るなら、分かり合った私以外はそんな風に歯牙にもかけないのだろうけど。
最初からそんな風に見限れるなら私も幾分か楽なのに。私は自分が殆どの人より劣った罪人だと思い込んでいたわけだから、彼女のように人の目を気にしないのは難しい。
――いや、美鈴だって平気なわけがない。けど彼女が強がっているのを今暴く必要もない。また二人きりで遊んで、そっと慰めることができたらいい。
「それより梨香は大丈夫なの? だって、そもそも全部私が……」
「ねえねえ」
そんな会話の途中だった。
明らかに忌避されている私達の間に割って入ってきたのは、やけに嬉しそうに歯を見せて笑う堀田さんだった。
手にはスマホをもって画面を見せびらかしている。
その内容は。「日本でも女同士で結婚式できるんだって」というページだった。
あまりに、なんとも破天荒。破天荒すぎる堀田さん。言葉が出てこない。
「蓮、馬鹿にしてるの?」
「まさか! 応援してるし。美鈴姉が結婚するの見たいしさ~」
美鈴は凄く冷たい声で堀田さんを睨んでるけど、堀田さんはそれさえどこ吹く風だ。美鈴のドレス姿をイメージしてるのか妙にふんわりしてる。
美鈴のドレス姿か……スタイルが良いからきっと似合うだろう。けど黒い髪が綺麗だから和服もいいかもしれない。
呑気に考えるけど、隣に立つ私はどうだろう。タキシード? ドレス? 体型的には男の格好も不自然じゃないけど。
でも私と美鈴の式なんて、滑稽にすら思える。女性同士が並んで、愛を告白しあって、誓いのキス。
望んでいるわけじゃないけど、夢物語を聞いているような。
「ほらほら、写真見てこれ。結婚した人」
画面には、二人の女性が映っていた。ドレスを着た人とスーツを着た人。幸せそうに笑ってる。
まだ現実感はあまりわかないけれど、こうして実物を見ると多少は理解できる。
それより、美鈴が食い入るように画面を見ていることが気になった。
私と結婚したい、って思ってるのか。それは……むずむずする。
美鈴の好きというのが分からなかったけれど、私と結婚したいなんて熱烈な告白だとしたら、それは理解ができる。私だって女子としてプロポーズされるような情熱的な人に恋い焦がれてみたいと思ったり、という感じなのだ。
まさか美鈴がそこまで私を……? 途端に恥ずかしくなった。だとしたら、それは本当に好きのレベルが違う。
私もずっと一緒にいたい、と思ったけれど、漠然とした考えしかなかった。彼女はきちんと将来を見据えて、それで私とずっと一緒にいようと真剣に考えているのだろうか。
どうしよう、少し怖い。彼女の気持ちに応えられるだろうか。両想いのようなものだと安心していたのに、その重圧に、美鈴の気持ちに応えられていない不安が生まれた。
美鈴はこんな私と一緒で、本当に幸せなのだろうか。
異性とだって結婚なんて、今はまだ考えられるものではないのに。
「そういう話、やめてくれない?」
不快感の強い、嫌悪の声だった。どういう意図で来たのか、聞かなくても声音と表情を見れば一目瞭然だ。
「そういうって、どういう?」
私がどう反応したものか悩んでいると、美鈴が先に答えていた。立ち上がって真正面からガンの飛ばし合い、普段の美鈴とは思えないほど強気だ。
「わかるでしょそれくらい。きしょいし」
「なんであなたのために我慢しなくちゃいけないの」
「私だけじゃないし、みんなそう思ってる」
「みんなって誰? あなたの言うような……」
美鈴はまだ何か言おうとしたけど、口籠る。
ある程度、私も止めようとした。
クラスの中には、確かに彼女が言うような『みんな』がいるのだ。決して思い込みや架空の存在ではない、きしょいと思うようなみんなという存在が。
「普通の話をする分にはいい?」
美鈴を座らせて、私が尋ねた。ええとこの人は確か……。
「間さん」
「……まあ、それなら」
これくらいの譲歩は仕方ないだろう、そもそもクラスで話すようなことでもないと思うし。
大人しく引き下がってくれたのはありがたい。普通に、普段みたいに私達も大人しくやっていけば――
「――なんで我慢しなきゃダメなわけ?」
と思っていたのに、明らかな喧嘩腰で立ち向かったのは堀田さんだった。
「堀田さん、別にいいから」
「私が良くない。迷惑かけてるわけでもないじゃん」
「は? みんなが不快な思いしてるって言ってるじゃん」
「不快ってなに? それでこっちが我慢しないとダメなわけ? 言ったもん勝ちじゃん。こういうのあれだよ、人権。人権」
小学生みたいなことを堀田さんは言い出すけど、それで間さんは口を濁らせる。まあ、正論と言えば正論だし、反論しづらいけど。質が悪い。
「美鈴姉も久瀬さんももっと堂々としなよ。なんか最近こういうの悪い事じゃないって言うんでしょ? 知らないけど」
彼女はいつも、どうしてこう。
私も美鈴も、確かにお互いを好きでいたいけど――みんなに嫌われたいわけじゃない。
二人さえ良ければそれでいいなんて漫画みたいなハッピーエンドはない。まだ一年以上この学校にいるし、そのあとのことだってわからない。
孤立は確かにしていたけれど、誰かの敵になるわけじゃなかった。
「堀田さん、黙って」
「……え? なんで私が」
美鈴はもう怖がっている。人の目を見て、怯えてしまっている。
これ以上食い下がる理由はない。美鈴と一緒で、それでいて安息がなければならないのだ。
「ごめんね間さん、今後は気を付けるから」
「……うん」
今度こそ間さんが引き下がって、私も美鈴をつれて教室を出る。ここで話すには少し内容が重いから。
「待って。私は納得いかない」
「じゃあついてきなよ」
不満そうな堀田さんも引き連れて、風通しのいい渡り廊下の、初秋のまだ熱気を帯びた風を浴びる。
そこで緊張の糸が切れたのか、美鈴は静かに嗚咽を漏らした。
「うっ……うぅ……ぇっう……」
「辛かったよね」
クラスでの孤立を見てしまって、如実に感じてしまった。いかにみんなに幻滅していると嘯いても、明確な人の悪意を受けて平気なわけがない。
むしろ、そういうのに敏感だから彼女は人から遠ざかったのだ。美鈴が平気じゃないことは、見ればすぐにわかった。だから教室を離れたのだ。
「……堀田さん、まだ何か言うことある?」
「……だって、でも、納得いかない!」
堀田さんはまだ食い下がる。きっと彼女が正しくて、我侭に生きてきた証だろう。
でも世の中はそう簡単には動かない。変わらない、そして残酷で非情だ。
私も美鈴も知っていたことだ。既に、知っていたのだ。悪辣なことばかり起こるけれど、それでも静かに過ごしたいと思うのだ。
「でもさ、堀田さん。私は別に彼女達のために我慢するわけじゃないから。自分のためだ」
「…………ふーん」
露骨に不満そうだけど、堀田さんはとりあえずは離れてくれた。私達を糾弾しても仕方がないと諦めたのだろう。
となると、矛先は間さん達に向かうと思うが、気にしても仕方ない。彼女は立ち回りも上手そうだから、いずれ無駄なことだと悟ってくれるだろう。
できれば堀田さんにも静かに、普通に過ごして欲しい。私達もそうしたいし、今は美鈴の心配だけしていたい。
「私……私、悔しいよ! どうして私達だけ、普通にできないの!? 好きなのに、それを確認し合えないの!? そんなの……」
私の言葉は気休めにもなれない。今の私に美鈴を救うことはできない、そんなことを感じた。
ただ美鈴と一緒にいることで、彼女の傷を癒せるなら、そんなことを思う。
「授業、どうする? 帰ろっか?」
「……やだ。恥じることなんてないんだよ? 私達は……普通なんだから」
普通、普通と美鈴は言うけど、普通ってなんだろうか。
許されてるとか認められてる、他と違う、受け入れるとか離れる、そういう個人の選択について。
嫌がったり多少の悪口を言うのも許されていることだ。学校だとイジメとして問題にできるかもしれないけど、社会に出るとどうなるか分からない。
許されているからと言って守られるわけじゃない。何もかもが自由にできるわけじゃない。そういうのは、まあ世間とか社会が不完全なだけかもしれないけど。
けど、だ。私も美鈴もそんな不完全なところで生きている。である以上は、不完全なところに迎合しないと、そうしないと生きていけない。
自由や平等や性問題なんてどうでもいい、美鈴と一緒にいられればいい。
「じゃあ帰りたくなったら帰ろ」
「……ん。梨香は、帰りたい?」
「別に、どっちでも」
人目を長く離れていた美鈴と違って、私は多少他の人の目じゃ動じない自信がある。多少はキツいけど、耐えられないほどではない。
でも美鈴は泣いたから。泣くってすごい惨めな気持ちになるし、何もかもやってられなくなる。
あまり無理してほしくないけど、美鈴の意見を尊重しよう。尊重尊重。
少しだけ美鈴が落ち着くのを待ってから、チャイムが鳴る前に私達は教室に戻った。
が。
その教室が既に阿鼻叫喚の様相を呈していた。
「落ち着きなって二人とも! っていうか先生も止めてくださいよ!」
怯えてる先生は、クラスの真ん中で言い争う二人を見たり、教室の外を見たり。他の先生を呼びに行こうとしているのかもしれない。
で、教室の真ん中では堀田さんが間さんが聞くも苦しい口汚い言い争いをしていた。それを止めようとしているのは仁木さんだ。
「帰って家でやれって言ってるだろ! 迷惑だっつってんだろ!」
「うるっさいなぁ! 関係ないんだから引っ込んでろ!」
「アンタ邪魔!」
ゴリゴリに言われてるけど、仁木さんも退かない。二人じゃなくて、三人で言い争っているのか。
と、仁木さんと目が合うと彼女は二人を放ってこっちに来た。
「……どうする?」
と言われたけど、私達に言われてもどうしようもない気がする。
そもそも堀田さんがここまですること自体が想定外fs。こんな風にされても私は居心地悪いが。
他の先生を呼びに行くのが一番建設的かな、と考えを巡らせていると美鈴がすっと一歩踏み出した。
そのまま、二人の間にまで行くと、堀田さんの肩を強引に掴んで自分の方に振り向かせて――
「蓮、やめ」
「……だって!」
「やめ」
それだけで、堀田さんは口籠っていた。不満そうなままだけど、もう間さんにやっかむこともしない。
そうしてると間さんも他の取り巻きみたいな人に宥められて、なんとか落ち着く。
私の知らない美鈴の一面だった。堀田さんとは幼馴染だから、だろうけど。
こういうのを見ると、自分だけ蚊帳の外にいる感覚に陥る。私も彼女達みたいに、何かと戦わないといけないのかもしれない。何かしなければならないのかもしれない。
別にそんなの求めてないのに。
しばらく後、誰かが別の先生を呼びに行っていたみたいで、授業のたけなわに堀田さんと間さんは連れ出された。
私達も当事者だと思うけど、その場にいなかったからとりあえず授業は受けていたけど、事情聴取みたいなことはされそうだ。
一体何を言われるのだろうか、そんなことを考えると心に闇が差した。




