久瀬梨香の終わる一日
堀田さんとタバセンから、勇気をもらったとでもいうのだろうか。
時間が解決したとも考えられるが、少なくとも昨日や今朝のような絶望感は過ぎ去った。
そして冷静に、美鈴の家にまで来ることができた。彼女と向き合って話す覚悟もできた。
これを勇気と言わずになんと呼ぶか。私を心配してくれる者、気遣ってくれる者がいるというだけで、少し安心できる。安っぽい自分がちょっと嫌になるくらい、充分元気が出た。
きっと文尾さんも心配とかしてくれるんだろう、なんてのは、もう現実逃避だけど。
チャイムを押して、おばさんにまず挨拶をした。
「ねえ美鈴と何かあったの? あの子また全然部屋を出なくて、食事も全然しなくて……」
「すいません、少し、話させてください」
失礼だと思うけど、おばさんはすっと道を開けてくれた。
閉じられた美鈴の部屋の扉にノックして、心臓の鼓動がうるさいくらい鳴り響くのも無視して、声を振り絞った。
「美鈴、話したいことがある」
「帰って」
くぐもった、けれどしっかりと断絶の意志が籠った言葉が返ってきた。
「美鈴、私は……」
「お願いだから一人にして! 私、私をしばらく一人にして……お願い……」
鳴り響く心臓が鷲掴みにされたように苦しい。
言葉が、届かない。
気持ちが、届かない。
彼女は、もう既に全てを諦めてしまったのだろうか?
「美鈴! 私は、謝りたい、君にも、岡倉にも! だけど、だってこんな……」
「帰って!」
引き裂かれた。
六十兆個の細胞が今、全てバラバラになった。
もうそこにいるのは私じゃなかった。死体だ。動く死体だ。心も気持ちもない、意志のない肉の塊だった。
「もうっ……もう帰ってよぉ……」
彼女の声を聴く耳が、心だけが痛い。
離れたいと思った。茫然と、死体らしく歩いた。
夕焼けがギラギラ輝いていた。道路は熱を放っていた。
気付いたら家にいて、気付いたら全部終わってて、私はまた、泥になりたいとか水になりたいとか、適当なことを考えたり、何も考えなかったりして、寝た。
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午前六時四十分、二階の自分の部屋で目を覚まし、母の朝ごはんの調理を手伝う。
朝食をリビングのテーブルに置いたら、二階の兄と一階の妹を起こして、私も自分の部屋で着替えて、鞄も玄関においてから朝食をとる。
父を見送って、大体七時くらいに食べ終わって、朝は六チャンネルのニュースを見ながら、新聞も確認。
七時半には家を出て、七時五十分の電車に乗り、八時三分に高校の最寄り駅につく。
だいたい八時十分には高校について、教室で授業。
学校に美鈴は来ていない。ただまんじりとせず、図書館で借りた戯曲だとか、書店に置かれている新書なんかを読んでいたけれど、集中できなくてぼーっとしていた。、
授業もそつなくこなして、空席になった誰かの席をたまに見たりして。
放課後、まだ始業式の次の日だから全然何もなくて、早い時間だから、堀田さんの言葉をぼんやり聞き流して帰って。
午後四時五十二分の電車に乗る。
帰りはコンビニによってカッターナイフを一本買った。帰宅は五時半くらい。
帰宅後はまんじりとしないまま、ぼーっと部屋でただ座っていた。
六時四十分には夕飯の手伝いを軽くする。
七時半ごろに家族揃わず夕飯になった。父も兄も帰ってこない
お風呂掃除を済ませて、お湯を沸かして、今日は私が先にお風呂に入った。そのあとに藍子が入っていた。
すぐに歯を磨いて、ただただ、ぼーっとしていた。
一時間、二時間、三時間。
兄が帰ってくる音、父が帰ってくる音、兄が風呂に入る音、父が風呂に入る音。
四時間、五時間、六時間。
気が付いたら午前三時、私は鞄の中から買ったばかりのカッターナイフを取り出した。
『いつか』の時に備えて自殺できるか、カッターナイフを手首に添えて確認。
きらきらに光る刀身を見つめながら、つぷりと簡単に刃は沈み、激しい痛みに耐えながら私は刃を押し込んだ。
深く深く、涙が出るほどに深く、簡単に、恐れていたけれど、やっぱり平気だったのか、血が溢れる、流れる、垂れる。
苦悶の声が漏れる。流れる涙は痛みのせいかも分からず、出てくる苦悶の声も何のせいか分からない。ただ死にたかった。死にたいという今までの気持ちが募ったのか暴力的なまでに深く深く刃を突き刺す。
痛い、ああ、なんて痛いんだろう。涙があふれて止まらない。だけど本当に不思議なことに、手首の痛みと同じくらい胸が痛んだ。心が痛んだ。
間違っている。そんな気がした。正しいことだとずっと思い続けてきた行動はどこまでも心が違うと身を滅ぼしながら叫んでいるように激しく心臓が鳴りやまない。
だけど、もう嫌になったのだ。疲れた。もう苦しい思いをしたくない。ここで休ませてほしい。
流れる血は止まらない。
ああ、だけど、これでは死ねないんだった。
アルコールを取るとか、煙草を吸うとか、お湯につけるとか、一工夫。
何かないかと部屋を出ようとしたけど、この姿を誰かに見られたら、病院に行ってしまうかもしれない。
どうしよう、ああどうしよう。
だけどこのままで死ねなかったら意味はない。アルコールくらいは飲まないといけない。
なんとか部屋を出て、階段を降りよう――――
そこで私の意識は途切れた。




