文尾雛の死にたい理由
死にたい、と公言するようになってからすっかり人が離れた。
口さがない人はじゃあ死ねば、と言うし、優し気に注意してくれる人もやがては離れていく。いまだに私が死んでないから、だろうけど。
こんな調子だから友達もいなければ誰かと協力することもなく、無視されることはあっても過激ないじめのようなこともなく、空気のように生きている。
いつかは死のうとぼんやり思う。切羽詰まって今すぐ、とは思わないけれど、きっと寿命で死ぬことはないだろう、とも思う。
いつか。そんな夢見てるような実感のない言葉だけれど、私は必ずその『いつか』が来ると信じているし、その『いつか』が来ることを心待ちにしながら、恐ろしくも思っている。
ただ、そんな特別な『いつか』はそう簡単には来ないわけで、やっぱりダラダラ生きている。
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今日も今日とて、いつも通りだった。
テストに向けて勉強して、クラスの手伝いとかもそこそこして、有害なことはせず、ただ死にたいだけのふらふらした人。
頼れる友達がいないのはちょっと不便かもしれないけど、中学の時からずっとこんなだしもう慣れたかなって思ってる。
「久瀬さ~ん! もう久瀬さんと一緒に死ぬぅ~!」
久瀬梨香というのは私の名前で、座って大人しくしてるそんな私に突撃みたいに抱き着いてきたのは、確か文尾雛、っていう子だ。
この学校では珍しく髪を金色に染めていて、私くらい他の人に注意されてたけど、以前から関りがあったわけではない。クラスの不良同士、みたいな扱いは受けてたけど。
「はぁ~、雛はもう……」
「嘘じゃないもん! 本当の本当だからね!」
友達に窘められた文尾さんは、その人に対抗するみたいにますます私にくっつく。濃いめの化粧の割に少し爽やかな香りと女の子の感触が妙に懐かしくて、疚しい感情が起こる。
「なに?」
「私も死にたい! ねえ久瀬さん付き合ってくれるよね?」
と、言われても、という感じなんだけど。彼女は泣きはらしたような赤い顔で困ったように私に縋る。
あからさまに私が困ってみると、文尾さんの友達らしき人が教えてくれた。
えっと、この人は確か仁木陽さん。
「あー、その、彼氏に振られちゃったから凹んでるわけ。そんなに真面目に取り合わないでよ? 死にたいわけじゃないんだし」
「死~に~た~い~!」
友達同士なのか知らないが意見の真っ向から異なる二人。文尾さんは甲高い声で喚きながら、むぎゅむぎゅくっついてくる。ほとんど会話もしたことないのにスキンシップが過剰でうっとうしい。
聞くところによると彼氏にフラれたから死にたい、と言う理由で私を頼ってきたらしい。
私は駆け込み寺でも自殺マニュアルでもないんだが。でもクラスメイトのいくらかは私をそういう目で見てるんだろうな、と思った。
「ね、というわけでお願い。放課後付き合ってね!」
そう力強く言われて、弱弱しく頷いてしまった。なんか、妙にパワーのある子で逆らうことができない勢いだ。
「ちょ、ちょちょ本当に死んだりとかしないでしょうね? んなふざけたことしたらマジ許さないから」
仁木さんに念を押されたけど、そっちにも弱弱しく頷いた。マジ許されないのは困る。
「まあ軽く話す感じで」
「そう? なら良いけど」
許されたっぽいからとりあえずその場ではお開きになった。
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文尾さんはとにかく雰囲気が軽い。パワフルなギャルだからこうと決めたことはするタイプだけど、死ぬとかそういう重い話からは遠ざかると思ってた。
が、放課後になっても彼女は忘れず、私の元に来た。
「ね、ね、どうやって死ぬ?」
息がかかるほど顔の近い、爛々と語る文尾さんの遥か後ろ、廊下の方で仁木さんが心配そうに私に一瞥して、そのまま去った。
文尾さん死んだらたぶん私も死んでるんだけど許さないってなにされるんだろう。葬式を破壊とかされるんだろうか。そんなの、知ったこっちゃないけど。
「死に方は色々調べてるけど、やっぱり楽な方が良いと思う? フッた彼氏が憎いなら、自殺より良い手段があると思うけど」
私はそんな風に、文尾さんを説得する姿勢だった。
そもそも文尾さんが放課後に死ぬ話をきちんとすると思ってなかった。面倒臭く授業を受けて、休み時間に友達と楽しく遊んで、昼休みにお弁当を食べてでもすれば、放課後にはクレープやドーナツでも食べて気分を変えて「ごめん、やっぱり気分じゃなくなっちゃった!」なんて言って帰ると思ってたから。
だからきちんと来た彼女には少しだけ敬意を示しつつ、だけど現実的に生きる話をする。
「自殺より良い手段……? ……ううん、だけど、もういいっつーか……。うん。もういいから」
「なんで?」
「生きる希望を失くしたっていうか……復讐したいとかじゃないの。私の全部をかけた恋だったから」
しんみりとしたムードで髪の毛を弄りながら喋る彼女は、派手な外見と裏腹に乙女らしいというか、ギャルらしからぬ純情らしい。
「そんなにその人のことが好きなの?」
「うん、今でも。一年間付き合ってたんだけどさ」
始まりは高校に入ってすぐくらいだろうか。長く続いたものだし、早くに始まった恋なんだな。
「だから復讐とかそういう物騒なのは……」
「自殺だって物騒だよ」
何を勘違いしているのか、黙して死ぬのが美徳だとでも思っているのか、きちんと勘違いは正す。
私は別にカウンセラーでもなければ保護者でもない。文尾さんの命の価値だって順当に一人の命として扱うから特別視もしないつもりだ。
だから、本当に本気で、それこそ私以上に死にたいというのなら、それは私に止める権利はない。
それでも勘違いして適当に死なせるわけにも殺すわけにもいかないから、きちんと話し合う。その結果で彼女が本当に死にたいっていうのなら、私もそれに付き合うつもりだ。
だから、まずはじっくり話す。
「もしも今文尾さんが本当に死んだら、その人は絶対自分のせいだって思う。それは文尾さんが意図してなくても復讐になる。それは嫌だよな?」
「う、うん」
「じゃ結局ワガママだ。自分が死にたいってだけでその人に嫌な思いをさせるんだったらダメじゃん」
これ以上ない正論で、決して彼女が求めている答えでも、彼女が望んでいる言葉でもない。けれど、命をむやみに粗末にするなんてことは私は許せないから、厳しい言葉だってかける。
「だって……だってだってだってもうどうしたらいいか分からないんだもん!」
「泣いた?」
ヒステリック気味に叫ぶ文尾さんに、私は聞いた。
「それとこれと何の関係があるわけ!?」
「声をあげて泣くと結構すっきりするから」
なんて私が聞くまでもなく、もう文尾さんの目にはじわじわ涙が浮かび始めて、そのヒステリックじみた衝動のままに声を上げ始めた。
「だって、だって、だってぇ~! うわああああああああん!」
朝に抱き着いてきた時みたいに、タックルするみたいに私の胸に飛び込んできた。おお、よしよしと背中を撫でてやるくらいはできる。
号泣する文尾さんの呻きと一緒に何か言ってるみたいだけど、彼氏と別れた理由だとかいかに好きだったかとか、やっぱりよく分からない話だから適当に相槌を打つ。
色恋沙汰はよく分からないけど、文尾さんが命を懸けるに値すると思ったことで、そう決断に踏み出させたことなんだから、それでも真摯に聞くことはする。
蔑ろにするつもりはない。理解はできないけど。
すっかりワイシャツ越しにおへそまで濡れたところでやっとぐずりながら文尾さんが離れてくれた。顔は赤いし化粧も落ちて酷い顔だ。
「……どう? 死ぬ?」
「……どうしよう?」
あは、と力なく笑う彼女は、その気力はもうないみたいだった。
ずっと死ぬ死ぬ言い続けた私だから笑うけど、結構死ぬのって気力いる。餓死とか凍死みたいに動かない方法ならそれもできるけど、時間がかかるから気持ちが変わりやすい。
だけどいざ痛い方法とかで死ぬにはそれなりに気力が、やる気がいる。今の彼女にはどっちの手段も取れないだろう。
「私はやめた方がいいと思うよ。別に彼に嫌われたわけでもないんだし、チャンスもある。受験勉強のために遊ぶのを控えるって話だし関係は続くかもしれないじゃん」
「……そうかな?」
「もうちょっと話し合ってみて、バッサリ嫌いだって言われたらまたおいで。なんか死ぬ方法見つける」
「あ、あはっ! けっこう、キツいね、久瀬さん……」
「死ぬ方がずっとキツい」
私はそう笑いかけて、ハンカチで文尾さんの涙を拭ってあげた。まだ酷い顔でとても人前を歩けそうにない。
「……ありがとう、意外と久瀬さんって優しいんだ」
「そう? それは嬉しいけど」
あまり優しいところを見せたつもりはなかったけど、そう思われたなら素直に受け止める。
彼女は鞄から鏡をとってさっさとメイクを直すと、元通りとはいかないけど整った顔に戻った。
「もうちょっと色々自分で考えてみる」
「ん。がんばって」
彼女の決断が出たなら、私はそれ以上に言うことはない。せいぜい見守るくらいはするかもしれないけど。
ただそれもいつまでなのかはわからない。
私は『いつか』死ぬのだから。