合宿2日目・男なら、一度は剣から斬撃を飛ばしてみたい
「むにゃ……もう食べられないのらぁ……」
そんな可愛らしい寝言が、隣の布団から聞こえてきた。
幸せそうな表情で眠っているチミ先輩を起こさないように、僕は静かに自分の布団から抜け出す。
外側に面している障子を少し開けると、空はまだ白み始めたばかりだった。夜の間に冷やされた澄んだ山の空気が部屋に流れ込んできて、そっと頬を撫でていく。
今日は合宿の二日目だ。
部屋数が足りず、なんやかんやあっていつの間にか先輩と相部屋する事になってしまった訳だが、その後は特に問題もなく、夕食まで各々自由に過ごした。
そして迎えた合宿一日目の夜。
最初に僕と相部屋になったチミ先輩は、初めての部活合宿ということもあってか、昨夜はずいぶんと夜遅くまで僕と雑談に興じていた。
まだ日も登らないこんな早朝に起こすのは忍びない。なにせ夜中の十一時まで起きていたから、まだチミ先輩はお眠だろう。
僕は手早く着替えると、チミ先輩の安眠を妨げない様に抜き足差し足でコッソリ部屋を出た。
◆ ◆ ◆
顔と歯を磨いてサッパリした後、暇を持て余したので、玄関先で朝のラジオ体操を舞って氣を充足させておく。
裏百八番を舞い終えた頃には、太陽が山間から顔を出していた。それと同時に、僕の身体からブワッとオーラが迸る。
やはり夏になると調子がいい。発光具合からして普段とは違う。なんというか、艶がある。
このオーラを放射することにより、いまの僕は半径二キロにあるものを詳細に感知出来るようになる。ちょうどこの前、公園で遠藤会長の隠行を見破ったように、生き物だろうが幽霊だろうが、どんなに擬態を施そうとその存在を察知することが出来るのだ。その気になればアリの子一匹足りとも逃しはしない。
何故このような芸当ができるのかというと、その原理は…………謎だ。
ラジオ体操を踊り続けていたら、いつの間にか出来るようになっていたとしか言いようがない。
これには母上も首を傾げていたから、過去に例はないのだろう。一種の境地というやつだ。つまり僕が一番上手くラジオ体操を踊れるということだ。もしくは、人類は新たな進化の段階に来ているのやも知れない。わくわくするね。
ラジオ体操を舞い終えた僕は、練習がてらに、軽く別荘の周囲に氣を張り巡らしていく。
そう、このまま……このまま精神を、天と地と一体化させるように、融け込ませて……──我ハ星ノ一部ナリ。然リ、星ハ我ノ一部ナリ──……ら!
「──むっ……! レーダーに感あり!」
危うく地球と一体化しそうになった精神が、高密度の氣を察知したことで一気に身体に引き戻された。
目標、別荘の庭先! むむ、中々の氣の持ち主だ……誰だろう? お嬢の氣は……まだ部屋で就寝しているな。ということは消去法で、これはメア先輩の氣だな。
そうと分かればこうしちゃいられない。さっそく、朝のご挨拶に伺わなければ。先輩に気付いたのに挨拶をしないなど、後輩が廃るからな。
僕は朝一で先輩とコミュニケーションを取れる喜びを隠しもせず、スキップしながら裏庭へと向かった。おっと、使い終わったらちゃんとオーラの放射をオフにしておかないとな。
「あ、やっぱりメア先輩だ」
柵で囲われた別荘の裏庭に着くと、庭の真ん中で白い襦袢姿のメア先輩が抜き身の刀を手に静かに佇んでいた。あれ、今日は眼鏡を掛けてないや?
しかし、和の趣き溢れる庭で静かに佇ずむその姿を見ていると、それだけで一枚の絵を見ているような感覚に陥る。
普段の幼い言動とギャップがあるけど、やっぱりメア先輩は美人さんだ。きっと何をやらせても絵になるに違いない。
いつもは眼鏡のレンズ越しに見ている青紫色の瞳が、朝焼けの中で妖しく輝いていて、少しの間見惚れてしまった。
そう言えば、あのカラコンを外した所を一度も見たことがないな。こだわりでもあるのだろうか?
「……? だれ……?」
僕の気配を察知したのか、メア先輩がふらりとこちらに身体を向けてきた。直ぐに挨拶をしようと思ったのだが、先輩の青紫の両眼と目が合い、その視線に射竦められたような気がして、言葉が喉の奥で詰まってしまった。正面から見ると、ゾッとするくらい綺麗だな……最近のカラコンはすごいや。
「……すみません、覗き見するような真似をしてしまって」
なんとか声を出しながらメア先輩に駆け寄ったのだが、近くでよく見ると、先輩の目はどこかボンヤリとしていた。昨日の朝もこんな感じだった。まだ眠気が取れていないのだろう。
「あー……こーはい君……? おは……」
「はい、おはようございます。もしかしなくても、まだ眠いんですか?」
「くぁwせdrftgyふじこlp……」
「は、はい……?」
どうやら相当眠いらしく、全く呂律が回っていないその言葉を聞き取ることは出来なかった。
「だ、大丈夫ですか? 部屋に戻ってもう少し眠むっていたほうが……」
「ぅぅー……。朝けぃ……しないと、めぇ……」
そう言ってぶんぶんと鋭く振り回しされる業物らしき刀を避けながら脳内でメア先輩語を解読すると、『朝稽古しないとダメなの』と、仰ってるらしい。
「それはそれは──よっ! 大変ですね──ほっ! 日課なんですか? ──ハッ!」
「んー……。めんどぅ……」
先輩の振り下ろしの一撃を白羽取りしながら雑談に興じる。
朝弱いのに毎日欠かしていないとは、なんて立派な心掛けなんだ。僕も見習わないと。
「ところで話は変わるのですが先輩。大変申し訳ないのですが、あいにく僕は動く的でも喋る藁束でもないんです……」
僕としては、出来ればメア先輩の稽古に付き合いたいのだが、いま先輩が持っているのは本物の刀だ。万が一白刃取りそこなって業物っぽいアレで切られたら流石に痛そうなので、寝ぼけている先輩に気付いてもらえるよう、声をかける。
「むぅぅ……。そうだよ。こうはい君は藁束なんかじゃ…………んー?」
話している途中で、それまでぼんやりしていたメア先輩の視線が僕へと定まった。
「え……え? ……えっ、後輩くん……?」
「はい。後輩の天野です」
よかった、目が覚めたようだ。
「えっ、えぇ!? わ、わわ……!?」
すると突然、メア先輩が顔を隠すようにあたふたと両手を動かし始めた。なんだ? 様子がおかしいな。
「どうされました?」
「め、眼鏡……! 眼鏡……! ……ないっ!?」
ガーンッ!!という効果音が聴こえそうな表情で固まるメア先輩。珍しい。今まで見たことないレアな表情だ。
僕は驚きのあまり、無意識にポケットの中からスマフォを取り出してフォト機能をオンにしていた右手をとっさに左手で抑えた。抜けの目の無いやつだ、スキあらば盗撮しようとしやがって。
「こ、後輩くんっ、あっち向いてて……!」
「はぁ、わかりました……?」
メア先輩が僕の後ろを指さしたので、右手からスマフォを奪い返しながら回れ右する。
よく分からないが、きっと何か理由があるのだろう。残念ながら、まだまだ人の機微に疎い僕には察せられないので、ここは黙って従う。
「ご、ご、ごめんね……? もういいよ……」
言われて振り向くと、何故か目元を手で隠したメア先輩が居た。
「……なんか、如何わしいですね」
「……? …………! き、君も、私が性的な目をしてるって、思ってるの……!?」
「えっ?」
「し、してないよ? 性的な目で見たこと、ないよ? 嘘じゃないよ、信じて……?」
メア先輩は目元を隠したまま、何処か必死に弁明を繰り返した。かわいい……。
「いえ、僕はそんな風に思った事は無いですけど……もしかして先輩、初めて会った時にお嬢が言ってたこと、ずっと気にしてたんですか?」
「へっ? …………ううん?」
「そ、そうですか……」
流石にこれくらいの機微なら分かる。メア先輩、気にしてたのか……。
僕は気まずい雰囲気が定着する前に話題を替えようと、前から気になっていた事を尋ねることにした。
僕だって普通の男の子だ。こんな美人の先輩とセンシティブな会話を続ける勇気はない。
「あ、そ、そういえば! メア先輩っていつもその綺麗なカラコンしてますよね? 何かこだわりでもあるんですか?」
「からこん……?」
メア先輩は目元を隠したまま首を傾げ、不思議そうな顔……は見えないので声で聞き返してきた。
「カラーコンタクトの事ですよ。先輩、着けてますよね? 紫の」
「? ……あ、眼のこと……?」
先輩は納得がいったのか、僕へと目を真っ直ぐ向けた。ような気がする。
「そういえば、言ってなかったね。私の眼ね、生まれた時から、この色なの。黒じゃないの、不思議だよね」
「えっ、そうなんですか!?」
僕は驚いて、手で隠されたメアの先輩の目をまじまじと見つめてた。
へぇ、生まれつきなのか……世の中にはああいう不思議な瞳の色の人もいるんだなぁ。人間って不思議だ。どうりで、作り物にしては綺麗なわけだ。
「わぁ、そんなに見ちゃダメ……!」
あれ、なんで顔を見つめるってバレたんだ?
不思議に思った僕は不敬ながらも、あえて従わずメア先輩の隠された顔を見つめ続ける。よく見ると、手の指の間に僅かな隙間が開いていて、そこから綺麗な青紫の瞳と目があった。
「な、なんで、見る……!?」
「どうして顔を隠すんですか?」
「そ、それは……顔……見られるのが……」
そう言って、メア先輩は真っ赤になった顔を僕から逸した。
「いつもは、眼鏡越しだから、平気なんだけど……ち、直接見られるのは……恥ずかしい」
「…………」
なんだろう……この感情は? 急に心臓がドキドキしだした。運動した訳でもないのに。
やばいな、未知の心臓病にでも罹患したのだろうか?
「メア先輩……僕、あなたと出会えて良かったです」
「へふっ!? な、なにを……いきなりっ……?」
いえ、今生に悔いを遺さないようにと、生前整理を少々……。
◆ ◆ ◆
「昨日も思いましたけど、メア先輩ってやっぱりお強いですよね」
急な動悸もしばらくしたら治まったので、そのまま僕とメア先輩は庭に面した縁側に腰掛けてお喋りをすることにした。相変わらず目元は隠したままではあるが。
「そう……? でも色々デタラメな後輩くんに言われると、ちょっとフクザツ……」
「デタラメですか? 初めて言われましたよ、そんなこと」
「そうなの……? お嬢とかに、言われたこと、ない……?」
「普通の人より力持ちですわねぇ、とかならありますけど」
この前、体育の授業の体力測定で筋力を測る機会があったのだが、軒並み器具を壊してしまったので実はどのくらい筋力があるのか、よく分かっていないけど。教師にめっちゃ怒られたことしか記憶にない。
そのあと鬱憤晴らしに全力でボール投げをした時は、投げた直後にボールがソニックブームを起こして目の前で粉々に砕け散った。そんでまた怒られた。とにかく力待ちなのは確かだろう。
「この前使ってた、あの刀とか……」
「ああ、小梅ちゃんの事ですか?」
「わぁ。も、持ち歩いてるんだ……」
パーカーの懐からスっと小梅ちゃんを取り出すと、メア先輩が後退りした。
「どうしたんです?」
「だってそれ……呪われてるよね?」
いつもの無表情のままだが、おっかなびっくりと言った風に、ぶるぶる震えながら小梅ちゃんを指差すメア先輩。
「えー? 何言ってるんですかメア先輩。小梅ちゃんはそんな悪霊とかの類いじゃありませんから大丈夫ですよぉ〜」
「うそ。凄い邪気でてるよ……? 写真撮ったら、くっきり写るんじゃないかな……」
「はい。七五三みたいな晴れ着を着た黒いショートヘアーの美幼女が写ってました」
「既に撮ってたの……!?」
「そりゃあ、家族みたいなもんですから」
日常的に取っていたら、いつの間にかアルバム三冊くらいの枚数になっていた。
小梅ちゃんたち美人三姉妹が写り込むだけで、何気ない空間がちょっとした非日常に早変わりするから、シャッターを切る指が止まらなくて……あ、画像見ます?
ほら、この入学式の時のクラス集合写真とか、僕の影に写り込んでいる小梅ちゃんを見つけたクラスメイトたちが、その可愛らしさにビックリして大騒ぎしたんですよ。女子がきゃー!とか、ギャーッ!!とか騒いだりしてて、小梅ちゃんの所持者としては、ちょっぴり誇らしかったですけどね。
メア先輩はスマホの画面を覗きながら「うわぁ……」と感嘆の声を上げていた。
「どうです? ウチの子たち。可愛いでしょ?」
「やっぱり君は、デタラメ……」
何故その評価に落ち着くんですか? 解せない……。
「そういえば先輩って、剣から斬撃とか飛ばせます?」
「できる」
「流石です」
僕はまだ自力で出来ないんだよなぁ。
この間の僕らを尾行していた不審者の件もあるし、そろそろ遠距離攻撃のレパートリーを増やそうかと思っている。今までは鉛筆を投げたりしていたが、そもそも鉛筆は武具ではなく純粋な文具であって、人を殺傷するには不向きらしいのだ。この前、家のリビングで夏休みの課題をしていたとき、どこからか入り込んだ蚊が目についたので鉛筆で仕留めたら「それは武器ではない」と家族に注意されて気付いた。こんなに鋭く尖ってるのに武器じゃないなんて、驚きだよな。
「へぇ、意外……」
「そうですか? でも、これで僕がそんなに言うほどデタラメでもないと分かってもらえましたよね?」
僕にだって出来ない事の一つや二つあるんです。
「うん……うん? う、うん、そうだね……?」
え、何故そこで解せないとでも言いたげに首を傾げるんです? 解せない……。
「えっと……な、なら、その……合宿の間、私が教えて上げようか……? 斬撃の飛ばし方」
「え、いいんですか?」
「う、うん……。後輩くんは、筋がいいし、才能あると思うから、すぐに習得できるよ。絶対やったほうがいい。是非おすすめする」
「そ、そうですか……?」
何故かやたらとグイグイ勧めてくるメア先輩に若干たじろいでしまったが、せっかくのご厚意であるし、メア先輩ほどの達人から教えて貰えるなんて早々ない事だろう。
これはチャンスだ。男子なら垂涎のスキル、剣から意味不明な理屈で出てくるあの、有名だけどよくわからないけどカッコイイ技を、ついに僕も会得出来るまたとないチャンスだ!
「……分かりました。剣については未熟者ゆえ、至らぬ点が多々あるかと思いますが、どうかご指導のほど、よろしくお願いします」
僕は居住まいを正し、メア先輩へと深く頭を下げた。
「うん……。こちらこそ、よろしく、お願い……する」
顔を上げると、メア先輩が後ろに振り返りながら、「よしっ……!」と小さくガッツポーズしていた。
何が「よし」なのだろうか……?
こうして、メア先輩から合宿中に、剣から斬撃を飛ばす技を教えてもらえる事になった。




