夏休み前の戦い
漫研との抗争が始まって一週間が経つ。
あれから遠藤会長は、ぱったりと姿を消した。
こちらからの暗殺を危惧して身を隠したのだろう。思っていたより行動が早い。やはり連合の長の名は伊達ではなかったか。
あのあと漫研連合と取り決めた勝敗条件は以下のとうり。
【漫研連合側】大将である遠藤会長が討ち取られること、もしくは部員の全滅。
【こちら側】チミ先輩、グラスハート先輩を除く僕、お嬢、メア先輩の全滅。
実にシンプルで良い、僕好みのジェノサイドルールだ。
非戦闘員であるチミ先輩、グラスハート先輩を除いたのは、当然の配慮だろう。これには向こうも承諾してくれた。
今のところ僕らの全戦全勝だ。新たにメア先輩が加わったことで、戦術の幅が広がったのが大きい。だが雑魚をいくら倒してもキリがない。このままでは夏休みにまでもつれ込むだろう。それはマズイ。夏休みも奴らに付き合うのはごめん被る。
狙うは早期決戦。そのためには、やはりどうにかして遠藤会長を探しだしたいところだな……。
ところで話は変わるが、今は授業中だ。
最近のラノベの学園ものでは、授業風景なんてないも同然だが、その点僕はちゃんと真面目に授業を受けている。恋やバトルにうつつを抜かして学業を疎かにしては、卒業してから困ったことになるからな。
剣から斬撃を飛ばせようが無双チートな異能が使えようが、大学試験や就職面接にはクソの役にも立たん。世間はそんなに甘くない。せいぜい職業不明の自称ヒーローになるのがオチだろう。そうなりゃお先真っ暗だ。
だからバトルや恋と同じくらい、真面目に勉強を受けて、内申点とテストの点を上げるのは重要なことだ。
僕が教科書とにらめっこして数学の方程式を脳ミソに刷り込んでいると、前の席のチミ先輩が先生に当てられていた。
「わ、わかりません! 何もかもわかりません!」
チミ先輩の泣き出しそうな声が教室に響いた。
問題の解き方が分からなくてパニックになっているように見えるが、安心してほしい、これは演技だ。
チミ先輩はこのクラス唯一の年長者として、クラスの皆に遠慮して分からないフリをしているだけだ。でなければ、一年生を二回も経験している先輩が答えられない理由がない。
「ごめんなさい! バカでごめんなさい!」
チミ先輩、演技うまいなぁ……。
◆◆◆
――放課後。
「うわーん! 助けて天野くーん!!」
帰りの礼が終わった直後、チミ先輩がくるりとターンして後ろの席の僕に泣きついてきた。
「虫でもでましたか?」
「違う、そうじゃないんだよ! もっと深刻なことだよ!」
「お、落ち着いてください先輩」
机をペチンペチン叩いて荒ぶっているチミ先輩を宥めて落ち着かせると、チミ先輩は神妙な顔で語り出した。
「天野くんには黙っていたけど……、実は私は――君が思っているより、バカなんだっ!!」
チミ先輩の叫ぶようなその言葉が耳に入った途端、頭の中が、真っ白になった……。
「は……え? な、なにを、言って……? い、いや。僕には分からない。先輩が今なにを言ったのか、僕はなにも聞いてませんから――!」
「天野くんっ!」
なんとか出した声は掠れていて、逃げるように立ち去ろうとした僕を、先輩は制服の袖を掴んで引き留めた。
「は、離してください! 冗談でも僕はそんなウソ聞きたくな――」
「ウソじゃない。ウソじゃないんだ……、本当なんだよ。私は――バカなんだ」
そのまま消えてしまいそうな声に驚いて振り返ると、先輩は寂しげに微笑んでいて、その頬を一筋の光る涙が伝い落ちていった。
その雫を見て、僕は思わず先輩の小さな身体を強く抱き締めていた。そうしないと、本当に消えてしまいそうで、恐かった……。
「そんな、どうしてっ……!? なぜ先輩ばかりが、こんなに苦しまなきゃいけないんですか!? 神はいったい、何をしているんだ!!」
この世の不条理を嘆き、涙ながらに神への呪詛を吐く僕を、チミ先輩は優しく抱き締め返してくれた。
「しょうがないよ、天野くん。私がバカだってことは、ずっと前から受け入れていたんだ……。だから、そんなに悲しまなくてもいいんだよ」
「そんな、そんなのって、あんまりだっ……!! 先輩だって、そうなんでしょう? 本心では、イヤなんじゃないんですか!? だから僕に黙っていたんじゃないんですか!? 本当の事を言ってください、そうなんでしょう!?」
先輩の小さな肩を掴んで強く訴えると、先輩は俯いて身体を震わせると、僕にすがり付き、血を吐くように、本心を叫んだ。
「わ、私だってっ……! 本当は私だって、バカはイヤだ!! バカは、イヤだようっ……!」
よかった、先輩の本音を聞けて……。誰だって、嫌なはずだ。バカは。
でも、非力な僕たちには、どうすることも出来ない。
そのまま僕とチミ先輩は抱き合ったまま、悲しみを分かち合うように二人でおいおいと泣き続けた。
バカって、悲しい……。
◆◆◆
チミ先輩の涙にもらい泣きするクラスメイトが続出して教室が悲しみに沈みかけたので、騒ぎが大きくなる前にチミ先輩を小脇に抱えて部室へと待避した。
「このままじゃ夏休み前の期末テストで赤点取っちゃう。補習やだよ……みんなと遊べなくなる」
いくらか落ち着きを取り戻したチミ先輩は、部室の中央にある丸いガーデンテーブルに座りながら頭を抱えていた。
ちなみにこの高そうなデザインのガーデンテーブルは、お嬢が持ち込んだものだ。
「先輩のいない夏休みなんて、チョコチップのないチョコチップアイスみたいなもんじゃないですか……」
そんなのただのバニラになっちまう。バニラでは、ただの平坦な長い休みだ。チョコチップがあるから最後までワクワクしながら楽しめるというのに。僕も頭を抱えた。
「どの教科がヤバいんですか?」
二人で頭を抱え続けても埒が明かないと、意を決してチミ先輩に尋ねた。
「算数は、大丈夫。あとは道徳も自信ある。それ以外の教科が……」
チミ先輩、チミ先輩。道徳も算数も小学校までです。
「つまり、全部ヤバいと?」
「うぅ……、バカでごめんよ……」
チミ先輩はまた頭を抱えて踞ると、そのままテーブルの下に隠れてしまった。
「なんで私こんなバカなんだろうなぁ……、考えてもバカだから分かんないや……。きっと生まれ変わってもバカなんだ」
こりゃ重症だ。
チミ先輩を助けてあげたいが、僕一人では力不足だ。援軍が必要になる。
頭が良いだけではなく、今の打ちのめされたチミ先輩に優しく教えてくれるような、まさしく女神のような味方が。そんなお人は一人しか居ない。そう――
「グラスハート先輩っ!!」
「ひゃぁ!?」
丁度部室の奥からお盆に人数分の紅茶を載せてやってきたグラスハート先輩が、驚いてカップをカチャカチャさせていた。
あ、ごめんなさい。急に大声で呼んで……。
◆◆◆
「グラスハート先輩、勉強を教えてください」
僕とチミ先輩は、一緒にぺこーと頭を下げた。
グラスハート先輩は品行方正で容姿端麗なことはもはや言うに及ばず、頭脳も明晰であらせられる。才色兼備を絵に描いたようなお人だ。
その女神のお力添えがあれば、チミ先輩の期末テストの赤点を回避できるかもしれない。
「チミちゃん、今度の期末テスト危ないの?」
「グラスハート君、このままじゃオールゼロすらありうるんだよ……」
「うーん、それは深刻ね……」
真顔で申告するチミ先輩を見て、グラスハート先輩は眉を顰めながらお茶を一口飲んだ。
「今から間に合うでしょうか?」
「チミちゃんの頑張り次第……かしらね」
「わ、私がんばる! だから助けてグラスハート君!」
涙目で懇願してくるチミ先輩にグラスハート先輩は、手のかかる妹の面倒を見る姉のような、優しさに満ちた苦笑を浮かべた。
実際はチミ先輩の方が誕生日が早いのだが。
「なに言ってるの、チミちゃん。お願いされなくても協力するに決まってるじゃない」
「グラスハート君……!」
グラスハート先輩……!
やはり先輩は女神だった。
「取り合えず、順番にやっていきましょう。今度の試験範囲を教えてくれる?」
それから、グラスハート先輩に試験範囲を伝えると、次はチミ先輩の現在の学力がどの程度なのか、グラスハート先輩がその場で簡易テストを作り、チミ先輩に解いてもらった。
そしてテストの採点が終わると、グラスハート先輩はテスト用紙代わりのルーズリーフを眺めながら、さっきより増して難しい顔になった。
「グラスハート先輩。チミ先輩の学力って、そんなにヤバいんですか……?」
チミ先輩に聞こえないように、グラスハート先輩の方へイスをずらしてこっそり尋ねた。
「んー……、小学校高学年くらい、かしら?」
「え……?」
なんだって……外見年齢より全然できてるじゃないですか! あ、でも、チミ先輩は17さいだから、高校生にしては低い学力なのか。おしいな、外見とは吊り合ってるのに……。
「うぅー……、バカでごめんなさぃぃ」
チミ先輩が机に突っ伏して呻いていると、部室の扉がノックされた。この叩き方は、お嬢だ。
「開いてますよー」
イスに座ったまま返事を返すと、ドアが開いてお嬢に続き、メア先輩が入ってきた。
お嬢は銃を隠し持つのに使っているキーボードケースを背負い、メア先輩は風呂敷に包んだ模造刀を抱えている。今日は、お二人がゴミ掃除の当番で、僕は休みの日だ。
「まさか、天野くん並みに動けるなんて……、メアさんには驚かされましたわ」
「わたしも、鉄砲にびっくり……。お嬢、何者?」
「それはタブーですわ」
仲良く話し合いながら入ってきたお嬢とメア先輩は、中央のガーデンテーブルに集まって難しい顔を突き合わせている僕らを不思議そうに見ながら、テーブルにやってきた。
「どうしましたの? 揃っておんなじような顔をして」
「あ、お疲れさまです。今度の期末テストのことで、ちょっと……」
「はあ……?」
僕の説明を聞きながら、お嬢とメア先輩は自分の荷物をテーブルに立て掛けたり、膝の上に置いたりしてイスに座った。
「このままだと、チミちゃんが赤点確定なのよ」
グラスハート先輩は二人にチミ先輩の解いた答案を手渡した。
お嬢はちょっとびっくりしたような顔で、メア先輩はボーッとそれを眺めていた。
「前々から思っていたのですけど……チミさん、10歳ほど歳を誤魔化してませんか?」
「お嬢くん、それはあんまりだよ!? 私はれっきとした17さいだ!」
「あ、も、申し訳ありませんわ。つい……」
お嬢がおろおろしながらチミ先輩に謝った。お嬢って完璧超人にみえるけど、たまにこういうドジを踏むんだよな。ギャップ萌えカワユスなぁ。
「そう言えば……丁度、どこかの天才が作った、バカが治るという触れ込みのお薬が手元にありますけど」
「なに!? 今すぐそのバカが治るお薬おくれ!」
「だめですだめですチミ先輩。絶対ヤバい薬ですって」
お嬢が思い出したように呟いた言葉に飛び付いたチミ先輩を押し止める。薬に飛び付く真似なんてやめてください!
「私もそう思いますわ。今日帰ったら処分するつもりでしたの」
「そんなぁ〜……」
へにゃへにゃとテーブルに倒れ伏すチミ先輩には悪いが、楽になにかを得られる方法なんて、その裏に何か代償がなければ成り立たないものばかりだ。
チミ先輩にそんな方法は似合わない。
「地道に勉強しましょう。僕も手伝いますから」
「天野くん……、迷惑かけてごめんよぅ」
「さっきのお詫びという訳ではありませんが、もちろん私も協力しますわ」
「私も、応援する……」
お嬢がいつもの調子で協力を申し出て、メア先輩は控え目ながらも、チミ先輩にエールを送った。
「みんなぁ……!」
二人の心強い声援を受けて、今まで沈んでいたチミ先輩の顔に喜色が戻り始めた。
僕もだが、皆チミ先輩に暗い表情は似合わないと思っているんだろう。
僕ら、いま青春してんなぁ……!
その光景を微笑ましそうに見つめていたグラスハート先輩が手を叩いて全員の注目を集めた。
「それじゃあ決まりね。期末テストまで残り少しだけど、協力してチミちゃんと一緒に、みんなで夏休みを迎えましょう!」
グラスハート先輩の号令を受け、僕たちはそれぞれの掛け声をあげた。
夏休み前の高校生として、僕らの本当の戦いが始まった。




