部活対抗闘争《クラブウォーズ》
今にも雨が降りそうな曇天の下、空っ風が過ぎ去っていくグラウンドの真ん中に、僕は立っていた。
目の前には、不良漫画でしか見たことのない、武装した男子生徒の大群がいる。ただし、漫画と違って、ほとんどが眼鏡を掛けたオークかスケルトンだ。お馴染み、漫研の皆さんだ。
奴らは手に、金属バットや木刀、バールのようなものなど、好き勝手に持っている。
「愚かな連中だ……。あんな棒切れを持って、軍隊気取りとは」
僕は誰に聞かせる訳でもなく、そう呟いた。隣で静かに立っている先輩は、それを解っているのか、それとも端から聞いてなかったのか、変わらず静かなままでいた。
「期待していいんですよね、メア先輩?」
「うん……、期待して。後輩くん」
僕の隣に居るのは、つい先日までは漫研に所属し、今は僕らの部の新たな部員になった、紫峰院冥亜先輩だ。
姫カットの超ロングな濡れ羽色の髪を風に靡かせ、眼鏡の奥にある、神秘的な青紫の瞳で、ぼんやりと前を見つめている。
だらりと下がった左手には、既に抜き身の模造刀が握られていた。気だるげな声に反して、やる気満々だ。
「じゃあ早速始めましょうか。メア先輩は側面からお願いします」
「うん……、いってきます」
いってらっしゃいを言おうと横を見たら、既にメア先輩は音もなく消えていた。
凄いな。足の速さならお嬢以上だ。やはり学園は広いなぁ、まだまだ色んな生徒がいるもんだ。
改めてこの学園の広大さに想いを馳せていると、敵の左翼から絶叫が響いてきた。早速始めたらしい。
メア先輩とはこれが初の協同戦線だ、僕も良いとこ見せないと。
気を引き締め、懐から小梅ちゃんを引き抜く。
「軍隊が……、なんぼのもんじゃぁああい!!」
僕は小梅ちゃんを振り上げ、敵の隊列へと真正面から突撃した。
雄叫びを上げて突撃しながら、僕はこうなった経緯を回想する。バトルものとかで、よくこんな感じに回想を入れてるから、つい真似したくなって出来心でやった。
とにかく話は、昨日の会議まで遡る――
◆◆◆
「入部する……。彼らの部活に」
記入済みの入部届けを手に、紫峰院先輩が発した、たいして大きくないその言葉は、しかし会議室に居た全員を驚愕させるには十分だった。
「な、な……なにを言ってますの貴女!?」
最初に、僕の腕を抱き寄せていたお嬢が困惑の声を上げた。
「……英語で言えばいい?」
紫峰院先輩は首をコテンと傾げて、若干的外れな返事をした。見た目どうり、独特な感性を持ってる人らしい。
「そういう事ではなくっ……と、とにかく入部なんてダメですわ!」
「それは出来ません」
お嬢の拒絶の声を、書記長ちゃんが横から断ち切った。
「貴女たちの部は確かに例外的な存在ですが、学園に帰属している正式な部活であることに変わりはありません。よって、よほどの理由がない限り、入部希望の学園の生徒を一方的に拒むことはできません」
書記長ちゃんの言葉に付け加えるなら、紫峰院先輩は漫研に所属しているようだが、漫研は非公式のクラブで、そこに所属していても学園での扱いは無所属になる。だから学園で正式に認可されている部活に入部しても手続き上はなにも問題ない。ちなみに、グラスハート先輩が内に入部した際は、先輩目当てに多くの野郎共が入部届けを出してきたが、下心丸出しだったので僕が一人圧迫面接で全て落としておいた。僕の殺気を乗り越えて、死ぬ気で先輩にアタックしようとしたガッツのある輩は一人もおらず、やはり軟派者ばかりかと落胆したのを覚えている。
書記長ちゃんが淡々と正論を告げるのを、お嬢はぐぬぬ、と悔しそうに聞いていたが、直ぐにハッとして反論した。
「り、理由なら有りますわ! 今のを見たでしょう、うちの部員に性的な目を向けてましたわ! 不純異性な交友ですわよ!?」
お嬢、流石にそれは紫峰院先輩に失礼ですって……。
「それは、私も困る……オトモダチから、始めたい」
紫峰院先輩が恥ずかしそうにしながら、お友達になりたいと告白してきた。
ほら、友達になりたいだけみたいですよ?
それならなにも態々斬りかかってこなくても、友達になりたいと僕に一言言ってくれれば良かったのに。刃を交えて語り合おうだなんて、まったく口下手なお人だ。でも、嫌いなタイプではない。
「なんだ、最初からそう言ってくださいよ。あ、スマホですか? ラインしてます?」
「ちょっと天野くん、ガードがユルすぎますわよ!?」
「急になに言ってるんですか?」
確かに防御は得意と言うわけではないけど、下手でもないはずだ。それに攻撃が最大の防御だと思ってる僕に、死角はない。
お嬢は何故かわなわな震えながら、書記長ちゃんに助けてほしそうな目を向けた。
「……学園側は、生徒のプライベートにまでは干渉しません。良き、交際をして頂ければ、と……はい」
どうしたの書記長ちゃんまで、急に歯切れ悪くなってない?
なんだか混沌としてきたこの場に、今まで忘れ去られていた、あの男の声が響いた。
「――戦争だぁ!!」
遠藤会長の大声に、全員が一斉に振り向いて……直ぐに興味を失って顔を戻した。
「とにかく、話が急過ぎますわ。ここは一旦、話を持ち帰って、後日また改めて――」
「――せ、戦争だぁ!!」
「書記長……、あの人うるさい」「遠藤さん。何度も申しますが、会議中は静粛にお願いします」
「あ、はい、すいません……って、そうではない!!」
めげずに再度大声を出した遠藤会長だが、紫峰院先輩が耳を塞ぎながら書記長ちゃんに苦情を洩らしたことで、また注意された。
書記長ちゃんの冷たい声に思わず着席しかけた遠藤会長だったが、自分の目的を思い出したのか、かろうじて立ち直り、そして失礼にもお嬢に指を突きつけた。折ってやりたい。
「俺はあんたたちに、部活対抗闘争を宣戦する!」
遠藤会長は高らかにそう宣戦したが、部活対抗……はて、なんだっけそれ?
この学園、独自の校則や変なルールが多くて、しかもいつ使われるのかも分からないようなのばかりだから、そう堂々と言われても困るんだよな。こんな時は、助けて書記長ちゃんだ。
「部活対抗なんちゃらって、なんのこと書記長ちゃん?」
「はい、お答えします。クラブウォーズとは、昭和の時代に我が学園で抗争状態にあった、学生の右翼団体と左翼団体が死人を出さないために考案した、闘争調整手段が元になった校規の一つです。これに勝利したものは、敗者に一方的な条件を飲ませることができます」
うーん、よくわかんないけど、昔からこの学園は暴力的だった、てことはよく解った。
つまりだ、遠藤会長はこの校規を利用してこの場を切り抜けようとしているわけか。しかも、上手く行けばこちらを言いなりにできる一手を打ってきた。さっきまで死に体だったくせに一気に立場を同等にさせてくるとは、土壇場で頭がキレるタイプか。
僕が遠藤会長の脅威度を上方修正している間も、書記長ちゃんの説明は続く。
「これによって、人数の上限、武器の有無、勝敗条件の設定、捕虜の人権保障などを抗争前に互いに協議することが出来るようになり、スポーツマンシップに則って争いが行えるようになった。……と、されています」
そんな血生臭いスポーツマンシップがあってたまるか。
これを考えたやつは、全世界のスポーツマンに土下座するべきだろう。
僕にここまで言わせるなんて相当だぞ。
僕が書記長ちゃんの説明を受けている間も、遠藤会長は息を吹き返したように熱弁を奮い続けていた。
「一度ならず、二度も部員を取られたとあっては、もう黙ってはいられん! これは、正当な権利の行使である!!」
「二度もって……。今回のはともかく、グラスハートさんのことは、そちらに非があるのではなくて? 彼女はそちらの扱いに堪えかねて、漫画研究会を脱会したんですわよ?」
お嬢が顔をしかめて遠藤会長に反論した。
お嬢が言ったように、元々グラスハート先輩が去年まで、つまり一年生の間、漫研連合に所属していたのは、事実だ。
もちろん、実はグラスハート先輩は漫画が大好きで漫研に所属していた、というわけではない。
数百名を越える漫研連合の総勢力を動員した、大規模な一斉土下座で入部を迫られたからだ。後にグラスハート先輩は、「とても断れる雰囲気じゃなかった」と、語ってくれた。
だが、奴らはそうは思っていないのだろう。
漫研連合は、僕たちにグラスハート先輩を取られたと思い込んでいる。
実際はグラスハート先輩の美しさにやられて、姫サークル化した漫研連合の過剰な特別扱いが怖くなって逃げ出したと、グラスハート先輩から聞いている。
漫研がグラスハート先輩をプリンセスなんて呼んでいるのは、その頃の名残だ。
そうしてグラスハート先輩は今年の春に漫研を一人で逃げ出し、その最中に、僕は先輩と出会った。
今でも鮮明に思い出せる。桜並木の中、まるで物語から脱け出してきたような、グラスハート先輩との出会いを……そしてそこから始まる、女神と少年が紡ぎ出す新たな神話の――
「侮辱するのも大概にしろ! プリンセスは俺たちの、掛け替えのない仲間だ! プリンセスを誑かしたお前たちから、必ず彼女を取り戻してみせる!」
「――あんだとボケェ!! ええ度胸じゃ、姫サーの勘違いナイトなんざ恐かねぇ! グダグダ言わんとかかってこんかいワレゃー!?」
気づいたら、僕は吠えていた。
あまりにも彼の者の、俺が主人公でヒロインはグラスハート先輩な言い回しが腹に据えかね、啖呵を切ってテーブルに片足を乗せていた。
「女神は誰のもんでもねぇ、女神自身のものだ!! 矮小な人間風情が、女神を欲するなど身の程を――」
「天野さん、静粛に。それとテーブルに足を乗せないでください」
「……あ、はい。すみません」
公平な書記長ちゃんに怒られてしまった僕は、行儀よくイスに座り直し、背筋をピンと伸ばして啖呵を続ける。
「矮小な人間風情が、とにかく受けてたつぜコンチキショー!!」
と言うわけで、グラスハート先輩を姫サークルから守る戦いが勢いで勃発してしまった。
あとでお嬢から「何をしているんですの!」と叱られた。ショボンだ……。
◆◆◆
「――おぉっ……?」
回想を終えて我に返ると、辺りは死屍累々だった。
いかんな、全く記憶に無いが、どうやら勝ったようだ。
呆気ないな。まあ、でもこれは緒戦だ。大将の遠藤会長もこの一戦には出てきていない。また次があるだろう。
これも記憶にないが、胸ぐらを掴んで殴り続けていたらしい、一匹のぼろ雑巾のようなオークを放り捨てて、握り締めたままだった小梅ちゃんを納刀しながら、メア先輩を探す。
辺りを見回すと、丁度メア先輩が僕に向かって歩いてきてた。
「お疲れさまです、メア先輩」
「お疲れ……」
そう言いながら、メア先輩は僕に抱きついて、また首筋に顔を埋めてきた。
「くんくん……あんまり、汗掻いてない……?」
「後輩とはいえこれでも男子ですからね。百人ていど、軽くこなして見せますよ」
血に塗れた拳を握りしめ、力瘤を作る真似をして頼れる後輩アピールをしてみる。
「すごい。頼もしい」
僕から離れた先輩は、今度はペタペタと二の腕を触りだした。
メア先輩は言葉数が少ないが、その分スキンシップを多くとるようだ。
まだ短い付き合いだが、そうだと理解すれば僕に拒む理由はない。
「あ、そうだ。メア先輩、これから予定とかあります?」
「ない……。暇」
「では良かったらですけど、部室に来ませんか? これからメア先輩の歓迎会を開こうと思っているんです」
メア先輩をチミ先輩主催の歓迎会に御誘いすると、先輩は首を傾げて僕を見つめてきた。
「……後輩くんも居る?」
「はい。メア先輩が楽しめるように、準備させてもらったつもりです」
「うん……、いく。連れてって」
小さく頷いてくれたメア先輩が僕に手を伸ばしてきたので、うやうやしくその手を取った。
「では、僕たちの部室にご案内しますね、先輩」
独特な雰囲気を持っている先輩だが、可愛らしい所もあるし、きっと皆ともすぐ仲良くできるだろう。
僕とメア先輩は仲良く手を繋いで、男子生徒が大量に転がるグラウンドを後にした。




