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俺とパイセン  作者: 雨傘撃墜
第一章 後輩の僕と、愉快な先輩たち
15/31

部長会議


 色々あった休日明けの月曜日。放課後の部室で、いつものようにのんびりしていたら、チミ先輩が窓際のティーテーブルの上にノートを広げて、せっせとなにかを書いていた。

 ちなみに、このアンティークなティーテーブルはお嬢が持ち込んだものだ。


「チミ先輩、なにしてるんですか?」

「もうすぐ夏休みだろう? だからいまから、夏休みの計画を立てているのだ!」


 未来への希望に満ちたきらきらした瞳で僕を見上げてくるチミ先輩。

 穏やかな気持ちになった僕は、ノートにマジックで書かれた「計画書」の文字が、計画の「画」じゃなくて「角」になっているのを黙っておくことにした。


「へぇ、良いですね。どこに行くか、もう決まっているんですか?」

「うむぅ、まずは海だ! キャンプもしたいし、花火もやりたい。でも今年は、部活のみんなともどこかに行ってみたいなぁ」


 舌ったらずな言葉で、来たる夏休みに思いを馳せる先輩は、本当にこの部と仲間を大事に想っているのだろう。でなければ、想像だけでこうも楽しそうな笑みを浮かべやしない。


「では部活動らしく、部の皆と合宿にでも行ってみる、なんてどうでしょうか?」

「合宿……!!」


 思い付きで言った言葉だったが、チミ先輩は“合宿”という響きに惹かれたようだ。


「合宿かぁ……。みんなでお泊まり……、バーベキューしたり、夜には花火大会……! よしっ、しよう! 合宿!!」


 早い。さすが先輩、即断即決だ。けど、


「その前に、お嬢やグラスハート先輩とも話し合いましょうね」

「はわっ、そうだった……!?」


 あたふたする先輩を微笑ましく思いながら、僕は部室にある重厚な作りの古い柱時計を確認した。ちなみにあれもお嬢が持ち込んだものだ。ていうかこの部室にあるお高い物は、だいたいお嬢の私物である。

 そろそろいい時間だろう。

 タイミングよく、部室のドアがノックされた。


「どうぞ」


 静かに開かれたドアから、お嬢が入ってきた。


「ごきげんよう。迎えに来ましたわよ、天野くん。さ、行きましょうか」

「はい、お嬢」

「あれ? 二人とも、どこかに行くのかい?」


 不思議そうな顔で訪ねてきたチミ先輩に、僕は何でもない事のように笑って答えた。


「はい。ちょっと、夏休み前の『部長会議』に」



◆◆◆



 僕と先輩たちが通うこの学園は、無駄に広い。そして無意味に学生が多い。

 広大な敷地に幼稚園から大学、学生寮やコンビニ、果ては自動車学校まで欲張って詰め込んだせいで、もはや小さな街みたいになっている。文字道理の学園都市だ。


 そしてそれらの施設は、大きく五つの地区に分けられて、上から見ると丁度十字のような形をしている。


 僕らが通う高校があるのは十字の右側、通称東地区だ。真ん中のグラウンドを中心に、学年が若い順に東、南、西と校舎が建ち、それにくっつくように実習棟や体育館が建ち並んでいる。だがそのせいで、東地区の西校舎なんて訳のわからない言い方になったりして、生徒たちにも大変不評だ。ちなみに空いた北には、部活棟がある。僕らの部室があるのもここだ。


 その部活棟を出て、これからお嬢と出向くのは、この学園の心臓部。十字の中央にあたる、丸いビルみたいな建物、通称、中央学園管理校舎。

 そこの一室で今日、先の一件で、こちらと会談したいと申し出てきた漫研連合との会議が開かれる。



◆◆◆



 各地区を繋ぐ路面電車に乗って揺られること十数分。そして更に十分近くテクテク歩いてウンザリしかけた頃に、やっと目的地についた。の、だが……。


「なんすかコレ……?」


 中央校舎ビルの入口前に、ズラッと生徒が並んでいた。まるでヤのつく人のお出迎えみたいだ。

 よくみたら、全員漫研の連中だな。なにしてんだコイツら?


「こちらを威圧しているつもりなのですわ。気にせず通りますわよ」


 そう言うと、お嬢はなんら臆することなく、むしろ王者のように堂々と道の真ん中を歩き始めた。

 その圧倒的なカリスマを前に、逆に漫研の連中のほうがたじろいでしまっている。


「あんたらもご苦労さん」


 近くにいた連中の労を労ったあと、僕はお嬢の斜め後ろに追従した。

 周囲がざわめく中を気分よく歩いていると、ふと列の中から僕に向かって、戦くような声が飛んできた。


「あれが、『狂犬』……!」

「誰が狂犬だゴルァッ!!」


 僕は吠えた。

 いわれなき誹謗を吐いたヤツを探して、ワンワンキャンキャンと吠え散らかした。


「こらっ、メッですわ! 落ち着きなさい、天野くん!」


 お嬢が僕の制服の背中を引っ張って止めてきた。

 しかしその間もヤツらの口は閉まらず、僕について、有ること無いこと言い触らし続けた。


「いや、狂信者だろ? なんかの女神を信仰してるって……」

「生還した第三のヤツらは、闇属性の狂戦士って言ってたぞ?」


 なんだそれ、いずれにしろ僕は狂ってんじゃねえか!?

 ざっけんなテメェら、今すぐ血祭りにあげてやらぁ!!


「えーん、お嬢ー! ヤツらが僕をいじめてくるんですー!」


 僕はピタリと吠えるのを止めて、お嬢の胸へヨヨヨ、と弱々しく泣き崩れた。


「まぁ、可哀想に天野くん……こんなに傷ついて。よしよしですわ、私はいじめたりしませんわよ」


 お嬢に抱き締めてもらいながら、よしよしと頭を撫でられた。僕は犬から猫へとクラスチェンジして、喉をゴロゴロ鳴らす。

 周囲から歯ぎしりの音や悔しそうな呻きが聞こえてくる。

 僕はお嬢からは見えない角度で、漫研のヤツらに嘲りの笑みを向けた。


 どーだ、羨ましかろう?

 お嬢のような美少女に抱き締められ、おまけになでなでされてる、この僕が! 僕とお嬢にはそれだけの絆があるってことをたっぷり見せ付けてやる。

 そこで指をくわえて血涙を流すがいい!


 そのままお嬢に慰めて貰いながら、歯ぎしりや呪詛が飛び交う中、中央校舎の入口を潜った。



◆◆◆



 校舎に入ったあと、会議室がある上階へ行くために、お嬢とエレベーターに乗り込んだ。

 塔みたいに高い中央校舎をエレベーターが昇っている間、お嬢がふと思い出したように話かけてきた。


「そう言えば、忘れてしまうところでしたわ。はい、天野くん」


 そう言って、お嬢はいつも持ち歩いているカバンの中から、布にくるまれた何かを取り出して僕に渡してきた。

 受け取って布を取り外すと、彼女(・・)がいた。


「小梅ちゃん……! 治ったんですか!?」


 お嬢が僕に渡してくれたもの。それは、お嬢に預けていた愛用のナイフ、『小梅』ちゃんだった。


 小梅ちゃんは、銃刀法をちょっぴりオーバーランしちゃってる、オチャメさんなナイフ娘だ。

 そんな彼女のチャームポイントは、表裏揃った美しい波紋である。波紋があるならそれ、ナイフじゃなくて短刀じゃね? ていう野暮なツッコミはなしだ。ちょっとヤバいものだから、ナイフで通しているんだよ。


 すっかり美人さんになって戻ってきた小梅ちゃんに見惚れていると、お嬢が付け足すように言ってきた。


「研ぎ師の方からの伝言ですわ。刀は振るわれることを大層喜んでいるが、芯にガタが来始めている、と。あまり無茶な扱いは、控えた方がよろしいでしょう」

「そうですか……」


 小梅ちゃんも歳だからな……おっと、急に悪寒と頭痛がッ。レディに歳の話は失礼だったな。


 僕は宥めるように、制服の内側に小梅ちゃんを忍ばせた。うん、やはりしっくりくる。久しぶりの感覚だ。


「それで、小松さんたちはまだ治ってないんですか?」


 小梅ちゃんは、三姉妹の末っ子だ。お嬢には、小梅ちゃんのお姉さん二人も預けているのだが……。


「そちらは、もう少し掛かるそうですわ。あと、刀のオンネン?とやらが危険だとか、どうとかボヤいてましたけど……職人さんの専門用語はさっぱりですわね」


 そうか、それは残念だ。小梅ちゃんも寂しいのか、シクシクと幼い女の子の泣き声が聞こえてきた。

 僕とお嬢しか乗ってないエレベーター内に、小梅ちゃんの哀しそうな泣き声が木霊しだしたので、慌てあやしつけて、なんとか泣き止んでくれた所でエレベーターが目的の階に着いた。


 エレベーターを降りて、すぐ目の前にあった案内図を確認し、予め学園に照会しておいた部屋番号の会議室へ向かうと、その扉の前に、綺麗に背筋を伸ばして立っている人物がいた。

 高校の制服を着た、女子生徒だ。

 長い黒髪を後頭部の下の方で結んで、生真面目そうにキッチリと制服を着こなし、手にはファイルホルダーを抱えている。

 リボンの色は青、僕のネクタイと同じ色。つまり一年生だ。


「お待ちしておりました。天野さん、氏名空欄さん」


 女子生徒が一礼した後、そう言ってきた。

 氏名空欄とは、お嬢の事だろう。

 お嬢の本名は生徒名簿にも載ってないから、人によって色んな呼ばれ方をされている。グラスハート先輩が「お姫ちゃん」と呼ぶように。

 しかし、そのまんまで呼ばれてるのは、僕も始めて聞いたな。

 呼ばれた氏名空欄さんが、目の前の一年生女子に誰何した。


「あら、失礼、どこかでお会いしたかしら?」

「申し遅れました。今回の部活動会議に議長として参加いたします、生徒会より派遣されました、書記長の波風彩音(なみかぜ あやね)と申します」


 以後お見知りおきを、と波風さん――書記長ちゃんが礼をしてきた。

 今回のような、部活間のいさかいから開かれる会議では、公平な立場の第三者として、学園側から生徒会役員が派遣されることがある。

 学園の代理人とも言える生徒会の権限は大きく、その生徒会が下した判断に真っ向から逆らう生徒は少ない。

 だからこそ、こういった場で議長という立場を任される。


 そんな強大な権力をバックに持つ書記長ちゃんは、しかし権威を笠に着ることもなく、むしろ僕らに謙るように、会議室の扉を開けてくれた。


「先方はまだ来ておりません。どうぞ、寛いでお待ち下さい」


 本人は事務的な口調なのに、下結びの長髪が、礼に合わせてぴょこんと可愛らしく跳ねるのがシュールだった。


 書記長ちゃんに促されて、僕とお嬢は会議室に入った。

 何てことない、普通の部屋だ。広さは十畳ほど、真ん中に重厚な作りの長テーブルがひとつと、同じデザインのイスが、向き合うように二脚ずつ並んでいる。


「思い出しましたわ。“波風”といえば、一年生にも関わらず、学園に十二人しかいない書記長に大抜擢されたという、あの波風さんかしら?」

「はい。私の来歴と合致しますので、恐らくはその波風かと」


 お嬢が小さく手を叩いて書記長ちゃんに質問したが、真面目すぎてなんともとんちんかんな応答だ。

 お嬢が言ったように、うちの学園の生徒会には、書紀長が複数いる。

 生徒数が多いため、役員が一人だと仕事が追いつかないから過去に役員の席が増員されたのだとか。因みに、書記長の上には彼らを纏める総書記がいる。なんだか北の将軍様みたいだが、総書記の上にはちゃんと生徒会長、副会長がいたりする。

 こう言うと書記長は全然偉くない様に聞こえるが、生徒数が四桁行くうちの学園の中から選ばれた十二人である、エリート中のエリートだろう。


「生徒会期待のホープがご列席されるなんて、光栄ですわ。規模が大きいとは言え、非公式クラブとうちのような零細部活の会議に態々ご足労頂き、まことに痛み入りますわ」

「謙遜はいりません。私たち生徒会は、あなたたちの部を正当に評価しています。問題行動も含めて」


 エリートな書記長ちゃんが、まるで感情の篭っていない声で僕とお嬢を見つめてくる。

 やだなぁ、それってつまり、ファンってこと? そっかー、ついにファン出来ちゃったかー。いやこれは、中二の時にした筆記体の練習の成果が、ついに実るか?


「やれやれ……サイン、しようか?」

「……なぜです? 特に必要ありません」


 あれっ。思ってたの違う反応。このドヤ顔どうしよう……。


「え、い、いらないの?」

「いりません」

「ほ、本当にいらない? なんなら僕と握手も――」

「早く席に着いて下さい」


 問答無用で着席を促された。ちぇー、なんだよ。へいへい、座りますよ。座りゃいいんでしょ。背筋伸ばして座ってやんよ!


 だが相手が来るまで特にすることもなかったので、なんでも生真面目に答えてくれる書記長ちゃんに質問しまくって暇を潰した。

 以下、彼女から聞き出したプロフィールである。


 波風彩音、15歳。A型。

 誕生日は8月23日の乙女座。

 好物は親子丼とざる蕎麦。嫌いなものは無し。

 スリーサイズは上から87……と聞いた所で、お嬢に扇子で叩かれた。

 いやマジでそこまで答えてくれるとは……あとでこっそり聞こうかな?


 と、案外楽しくお喋りしていたところで、相手側がやってきた。


「――遅れて申し訳ない。待たせたかな?」


 そう言って会議室に入ってきたのは、長身の男子生徒だった。制服の上からも分かる、引き締まった筋肉質な体型をしている。

 コイツが漫研の長、遠藤会長か……意外だな。

 てっきり、ワキガみたいなオークが来るのかとばかり思っていた。

 イケメンでもブサイクでもない、いわゆるフツメンだが、一大組織の上に立つ者としての自覚を常に持っているのか、精悍な顔をしている。つまりイケメンといえる。

 だが、ヤツのあれは、結果にコミットさせた筋肉のつき方だ。僕の目は誤魔化せん。

 まあ、どうせついていくなら油きったタヌキ親父より、スポーツマンな若々しい社長のほうが自慢できるもんな。コイツはそれをよく解っているんだろう。


 その地味にモテそうな遠藤会長の後に続いてもう一人、入ってきたのだが……これまた驚くことに、学校なのに黒い振り袖を着た、細身の眼鏡女子が入ってきた。

 その容姿は凄まじく、口元まで届きそうな、異様に長い前髪のせいで顔が見えない。眼鏡が前髪に埋もれているぞ。

 あれは、なんだ……? もしかして遠藤会長の背後霊かなんかか?

 しかも紺色の風呂敷に包まれた長物を両手で抱えているし……あ、座った……。


「すべての出席者が着席しました。これより、部長会議を始めます」


 あの眼鏡の人、生徒だったのかよ!? いや、私服登校OKだから、着物とかは問題ないんだろうけど……気になる。


「天野くん。気を引き締めなさい。あの和服の女生徒、相当の腕利きですわ」


 隣に座る僕にだけぎりぎり聞こえる程度の小声で、お嬢がそう注意してくる。

 そうだ、僕は今、何のためにここに居るのか思い出せ。

 いざという時にお嬢の身を守るための肉壁だ。生徒会が介入してきているとはいえ、この会議中に何が起こるか分からない。

 いまは余計な雑念は振り払おう。


 いよいよ、会議が始まる。

 この会議の結果によって、漫研連合との今後の関係が大きく変化するだろう。

 いまは謎の振り袖女より、お嬢の護衛に専念しよう。



◆◆◆



「まず最初に、こちらの部下の不始末を謝罪したい」


 互いの代表の挨拶もそこそこに、開口一番に遠藤会長がそう言い出して、頭を下げてきた。


「あら、彼らが何を仕出かしたのか、遠藤会長はご存知で?」


 お嬢はなんら関心の無さそうな顔で、下げられた頭を見ている。


「校内で騒ぎを起こし、そちらの男子生徒を襲ったと聞いている」


 いけしゃあしゃあと、まあ……。前から襲ってきてた癖に、腹芸は達者だな。

 遠藤会長は僕を見据え、白々しくそう言ったが、お嬢は小さく溜め息をついて、ガッカリしたとばかりに小さく頭を振った。


「書記長。足りない部分を補って差し上げて」

「はい。学園側は彼らの暴挙により、現場となった東校舎の実習棟三階廊下の全面的な封鎖という被害を被りました」

「……それについては、学園とは既に話が着いているはずだ。修理費を、此方が全面負担するという形でな」


 遠藤会長が憮然と書記長に反論した。相当な額だったんだろうな。


「はい。ですが復旧までの間は、生徒たちの授業に支障がでました」

「……生徒会は、彼らに肩入れするのか?」


 遠藤会長が非難を帯びた目を書記長ちゃんに向ける。


「いいえ。生徒会は常に、公平な立場を遵守します。ですが、この件に関しては、学園側も貴方たちの被害者だったという、事実を述べたまでです」

「っ……」


 遠藤会長が、苦虫を噛み潰したような顔になった。

 お嬢はそこを容赦せず、一気に畳み掛けに入る。


「書記長。会議が始まる前に、私が提出した証拠はお役にたったかしら?」

「はい。非常に興味深いものでした」

「証拠……?」


 遠藤会長が、話が見えないという顔で、書記長へと顔を向けた。


「数日まえ、彼女から生徒会に提出された、漫画研究会連合の破壊活動に関する、音声記録を始めとした数点の証拠物品のことです」


 お嬢の仕掛け(・・・)が、ここでようやく芽吹いた。

 あのときお嬢は、第三のヤツらの破壊活動を、黒服さんたちに指示してバッチリ録画させていたのだ。あのあと僕もそれを視たが、たった一人のいたいけな男子生徒相手に、殺傷力のある武器でよってたかって袋叩きにしている光景は、もう事件ですよアレ!

 ……まあ、その後僕が暴れている所もバッチリ撮られていたので、そこはカットしてもらったのだが。

 以前からああ言ったチャンスがある度に、お嬢はコツコツ証拠を集めていたらしい。そして先日のワキガの襲撃で、言い逃れ出来ない証言を押さえることができた。


 書記長ちゃんの淡々とした物言いに、遠藤会長の顔が強張っていく。


「まさかっ……! 貴様ら、俺を謀ったな!? これは、会議なんかではないッ!!」


 流石に気付くよな。

 そう、部長会議というのは、単なる名目。都合よくそっちから持ち掛けて来たから、利用させて貰ったに過ぎない。

 これは、被告である漫研連合を吊し上げるための、裁判だ。戦争はとっくに始まっていたんだよ。

 お嬢の罠に掛かったのを遅まきながら理解した遠藤会長が、憤慨して立ち上がりかけたが、


「静粛にしてください」


 書記長の小さくも冷たい声が、激しかけた空気をピシャリと打った。


「それらの証拠品を精査した結果、数々の疑念はあれど、漫画研究会連合には複数の余罪があると認められました」


 書記長は、冷徹な裁判長のように、被告人を無感情な目で見下ろす。そこに私情は無く、あるのはただ事実を見定めんとする眼差しだ。


「今回の一件以外にも、過去に同様の破壊活動をした疑いが、貴方たちには掛けられています」


「くっ……。だが、俺はそんな事には関与していな――」


『――だっ、第一漫研の、遠藤会長だ!! 全部彼に言われてやったことなんだなっ』


「なっ……!?」


 見苦しくも足掻こうとした遠藤会長の声は、ここにはいないはずの、ワキガの甲高く野太い声に遮られた。

 その声の発生源は、いつの間にかお嬢が手に持っていた、ボイスレコーダーだ。アイツを生かしといたのが、ここで役に立ってくれた。


「ち、違うっ! それはでたらめだ!!」


 ああ、そのとうり。でたらめだよ。

 だがそんなことは重要じゃない、これはただのパフォーマンスだ。絶対中立の生徒会という大魚を動かすためには、どうしても必要だった撒き餌だ。

 そして撒いた餌に反応して重い腰を上げてくれれば、自ずとその近くの餌も目に入るだろう。その餌は、お前らだよ。遠藤会長。


『本当なんだな! 嘘じゃない、信じて欲しいんだなっ!』


「ですって、遠藤会長?」

「こ、のっ……!!」


 お嬢が優雅に遠藤会長に微笑みかける。

 きゃー! お嬢ステキー!!


「双方、静粛に」


 進退極まったな、遠藤会長。いや、漫研連合。

 何事も、終わるときほど呆気ないものだ。

 今までマンパワーで隠蔽してきた罪が、生徒会によって明るみに出れば、漫研連合はよくて即日解体。最悪、上の何人かは退学に追い込まれるかもな。

 とにかく、鬱陶しかった漫研の襲撃もこれで終わり――!?


 僕の気が緩みかけた、その一瞬の隙を突いたかのように、今まで沈黙していた黒い振り袖の女が、初めて動いた。

 持っていた長物を振るって乱暴に風呂敷を解き、出てきた刀――いや、模造刀の柄を握りしめ、瞬きする間も無くお嬢――ではなく、僕へと斬りかかってきた。


「うおっ!?」


 慌てて抜き放った小梅ちゃんを盾にして、袈裟懸けに降り下ろされてきた凶刃を受け止める。


「やっぱり……。あなた、イイ匂いがする」


 鍔迫り合っている刀の向こうにある顔が、小さな声でそう呟いた。

 長い前髪の隙間から、瞳孔がキュッと開いた可愛らしいお目目が、僕をジッと見ていた。

 カラーコンタクトでもいれてるのか、目の色が青……というより、青紫色の、不思議な色をしていた。


「石鹸の、いい匂い……」


 振り袖女は、鍔迫り合いの最中だってのに、まるで花の薫りでも楽しむように、スンスンと鼻を鳴らす。


「これでも、綺麗好きなもんで」

「そう。でも――」


 言葉の途中で、彼女はいきなり体を倒して、僕の首筋に顔を埋めてきた。


「は……?」


 そして深呼吸のように深く息を吸い込み――僕の匂いを嗅いできた。


「いっ……!?」


 なにこの人!? なんで僕の匂い嗅いでるの!?

 や、やめてー! 凄い恥ずかしい!!


「――すぅー……っ、はぁ……、鉄臭い。たっぷりの、血の匂いがする。こっちの方が、スキ……」


 音が聞こえそうなほどの、粘着質な笑みを浮かべている――顔を見なくても、愉悦を含んだ熱っぽいその声色を聞いただけでそう分かった。


「気に入った。イイ匂いの後輩くん」

「ひぇあっ!?」


 首の所がヌメってした!? えっ、いま、舐められた……!?


 気付いたら、超至近距離で感じてた体温がなくなり、いつの間にか彼女は元の位置に立っていた。

 こっちを見ながら、赤い舌で唇を舐めている。絶対舐められた……。


 ――けど、やられっぱなしは性に合わないんですよ、先輩(・・)


「っ!?」


 振り袖の先輩の長い前髪が、目の上辺りでバッサリと切り落とされた。

 ぱらぱらと落ちてく前髪の下から、今まで隠れていた眼鏡と、瞳孔がかっぴらいたままの、驚きに満ちた青紫の両目が露になる。


「かわいいですよ、そっちの方が」


 僕は持っている小梅ちゃんをひけらかしながら、ニッコリ笑って振り袖の先輩を褒めた。


「……」


 彼女は手で案外綺麗な顔を隠しながら、怨めしそうに指の間から僕を見つめてきた。


「……イイ。思ったより、ずっと」


 あ、あれ……? 全然怨めしそうじゃない。むしろ嬉しそうにしてる。なんで? くそぅ、なんか負けた気がする……。


「あ・ま・の・くんっ」

「あだっ」


 お嬢に頬を引っ張られた。いきなり何するんですか?


「お宅の番犬、躾が為っていませんわよ」


 お嬢、無視しないで下さい。お嬢にされると心にきます。


「し、失礼した……。おい、紫峰院(しほういん)っ。なぜ勝手に動いた……!?」

「……」


 紫峰院というらしい、振り袖の先輩は、遠藤会長の詰問に答えず、ジッと僕を見つめ続けている。

 どうやら外の部下達と違って、うまく彼女の手綱を握れていないようだ。

 敵方の人間関係を分析していたら、お嬢がいきなり、ぐいっと僕の腕を引っ張ってきた。


「わ、渡しませんわよ!?」

「……」


 先輩たちの間で、謎のにらみ合いが発生した。

 それよりお嬢、そろそろ離してください。制服がシワになっちゃいます。


「……あの、会議中です」


 書記長ちゃんが、少し困ったように眉を下げて、小さく呟いた。


「……申し訳ありませんわ。うちの、ええ、う、ち、の! 天野くんが襲われたもので、つい……」


 お嬢は扇子で口元を隠しながら、優雅に書記長ちゃんに微笑んだ。


「……書記長、話がある」


 さっきまでお嬢をジトーっと睨んでいた紫峰院先輩が、ゆるゆると挙手した。


「はい、なんでしょうか?」


 紫峰院先輩は書記長ちゃんに近づき、何かボソボソと耳打ちしている。

 お嬢と僕は「なんだろ?」と、不思議そうにそれを眺めた。


「……ええ、はい。持っていますが?」

「ちょうだい。ペンも」


 紫峰院先輩は手のひらを上にした腕を、書記長ちゃんに無造作に伸ばした。

 書記長ちゃんは不思議そうに首を傾げながらも、持っていたファイルホルダーから、一枚のプリントとボールペンを取り出して紫峰院先輩に手渡した。


 紫峰院先輩は受け取ったプリントをテーブルに置くと、さらさらとなにかを書き付けたあと、スッと書記長ちゃんにそれを突き付けた。


 そして、今日一番の爆弾発言を、会議室に投下する。



「入部する……。彼らの部活に」


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