初めてのお出かけ編・午後の部
マネーロンダリングという言葉がある。
日本語で言えば、資金洗浄だ。
疲れた芸能人御用達のハイになれる不思議なおクスリや、憎いアンチキショウをあれこれするための武器の売買、他にもニュースでメジャーな詐欺、汚職、政治屋の賄賂などといった、あらゆる犯罪行為で違法に得た資金の出所を分からなくする、という意味で使われる。
こういった汚れた金は、海外では大規模な犯罪組織やテロ組織などの活動資金になっていて、そんなヤバい金の流れを阻止しようと各国が協力して取り組んでいるのが現状だ。
だが、“金は天下の回りもの”って昔から言うだろ?
ゴミが溢れる天下を回ってりゃ、そりゃ少しくらい汚れもするさ。
もしかしたら、自分の財布に入っているそのお札は、誰かの血と涙で濡れていたものかもしれない。
けど、一々そんなこと気にしてたらおちおち買い物も出来ないだろ? だから僕は、もう気にしないことにしている。
少しくらい汚れてたってなんだ。自分で稼いだお金だ、胸を張って使えばいい。襤褸は着てても心は錦さ。
「――学生五枚でお願いします」
先輩たちから預かったお金と一緒に、学生五人分の料金を受付に置く。
「はい。『映画ドレえもん、のび太郎の異世界召喚』の次の上映時間は、午後1時30分からとなります」
お金と引き換えに五枚の映画館のチケットを受けとる。僕は受付のお姉さんにニコリと会釈してから受付を離れた。
……な? 堂々としてたら、こんなにも簡単なことなんだよ。
こうやって金は、今日も人知れず天下を回っていく。
どっきりドンキーを出た僕たちは、図々しくくっついてきたビチ子と共に、次の目的地である映画館に来ていた。
「お待たせしました。いまチケット配りますね」
僕は館内の売店で、人数分のポップコーンや飲み物を購入して待っていた先輩たちと合流した。
「うむ! ありがとう、同輩くん! いま行くのだドレえもん!」
チミ先輩がニコニコしながら真っ先にチケットを受け取って、そのまま一人上映場所にとことこ走って行ってしまった。
先輩は毎年欠かさずにドレえもんの映画を観ているらしい。今年はまだだったようで、とても楽しみにしていた。
最初は、グラスハート先輩が観たがっていた恋愛モノにするつもりだったんだが、美術館でチミ先輩が退屈していたのをグラスハート先輩は気に留めていたらしく、チミ先輩も楽しめるものにと変更したのだ。
「はい、天野くんのポップコーン。バター味でよかったわよね?」
最後にチケットを渡したグラスハート先輩から、ポップコーンを受け取る。
「すみません、色々気をつかわせて……」
「ううん。私も久しぶりに見たい気分だったし。それにこういう機会でも利用しないと、なかなかこの年で観にこれないでしょ?」
イタズラっぽくウインクしてくるグラスハート先輩。こうも自然にウインクできる女子高生なんて、先輩くらいだろう。
思わず魅了されそうだった。
「あー……、チミ先輩が先に走って行っちゃったんで、追いかけますね」
僕に向かって真っ直ぐ降り注ぐ先輩の美しさを振り切るべく、僕は早足でチミ先輩の跡を追いかけてその場を後にした。
「むぅ……逃げなくてもいいじゃない」
◆◆◆
「今年ものび太朗はイケメンでしたね」
「うむっ。映画版ジャイアントも捨てがたいが、普段ダメダメなのび太朗くんが、映画でキラリと輝く瞬間はやはり格別だな!」
「久しぶりにみたら、やっぱり面白かったわねぇ」
映画館を出ての道すがら、僕はチミ先輩とグラスハート先輩、二人と並んで歩きながら、いま観た映画について熱く語り合っていた。
僕はのび太朗推しだ。だって宇宙一の射撃の天才だぞ? 今でいうチート主人公の草分け的存在だ。そして昔から今もずっと先頭を走り続けているその姿は、まさしくレジェンドだ。
「……」
「どったのお嬢? 映画つまんなかった?」
後ろでビチ子がお嬢に話しかけている。だがさっきからお嬢は何かを考え込むように、一言も口を開いていなかった。
「……。チミ先輩、グラスハート先輩。一度何処かで落ち着いて話しませんか?」
「うむ、賛成だ! 腰を据えて、今年の映画の出来を語り合おうじゃないか!」
腕をブンブン降って興奮冷めやらない様子のチミ先輩に先導されて、僕たちは近くの適当な喫茶店に入店した。
◆◆◆
喫茶店は、日曜だというのに閑古鳥が鳴いていた。店内には僕たち以外に客は数名しか居らず、たった今入店してきた客を含めても片手の指で足りてしまうほど。固定客が一定数いるんだろうけど、潰れないかつい心配になってしまう。
席に着いて渋いマスターに適当に注文したあと、チミ先輩たちは映画の話に花を咲かせていた。
「少し御手洗いに行ってきますわね」
話の輪に入らず、ずっと静かにコーヒーを飲んでいたお嬢が、スッと席から立ち上がった。
「あ、僕もちょっと席を外しますね」
お嬢に便乗するように僕も席を立って、一緒に店の奥へと歩いていく。
「――天野くん」
「はい。尾けられてますね」
僕はスマホを弄りながら、何処かに電話するフリをしてお嬢と小声でやり取りをする。
「さっき入店した帽子の客ですわね」
僕らの席と付かず離れずの場所に座った、野球帽を目深に被ったあの小柄な客。
確か、ファミレスを出た辺りからずっと着いて来ていた。
「僕が離れても何もしてきませんね」
男手の僕が離れたのに、なにも行動を起こさない。
この次点でグラスハート先輩狙いの雑多な雑魚じゃないことまでは絞れた。
つまり先輩を付け狙うただのストーカーではなく、明確な目的があって僕らを、あるいは僕らの中の誰かを尾行していることになる。
非常に危険だ。
「戻ったら仕掛けますわよ」
「はい」
やり取りを終えて、お嬢がトイレの個室に入ろうとした――その瞬間。
野球帽の客が席を蹴るようにして立ちあがり、店の出入口へと弾かれるように駆け出した。
「気取られたっ……!?」
「追いますわよ天野くん!」
お嬢はカウンターに一万円札を叩き付けながら、乱暴にドアを開けて店外に出たヤツの背中を追う。
僕も一拍遅れてその後に続いた。
「ふぇっ、ど、同輩くん!?」
「お姫ちゃん!?」
「ちょっ、どこ行くの二人とも!?」
「先輩たちは待っていて下さい!!」
店を出る直前でそう言い残して、僕はお嬢と野球帽の背中を追いかけた。
うわ、ヤロウ速いな……! もう10mは距離が開いてきてる。
「ま、待ってよ二人ともぉー!!」
ふぁっ!?
「なんっ……!? チミ先輩、グラスハート先輩! 着いてきちゃ駄目ですって!?」
驚いて振り向くと、店に残してきたはずのチミ先輩たちが追い掛けてきていた。あとビチ子も。
「不味いですわね、チミさんたちを置いていく訳にも……」
貶す訳ではないが、二人の足は決して速くない。むしろ遅い方だ。
このまま走っていたら街中ではぐれることになる、かといってどちらか一人であの野球帽を追う訳にもいかない。
どうしたもんかと悩んでいたら、先頭を真っ直ぐ走っていた野球帽が急に道を曲がった。どうやら路地に入っていったらしい。
答えを出す間も無くお嬢と僕も路地へと入り、少し遅れてチミ先輩たちも続いた。
雑居ビルの合間の路地に入ると、奥が2、3メートルはある高いコンクリート壁で塞がれた袋小路になっていた。
どうやら野球帽に土地勘はないらしい。
「お嬢!」
「ええ!」
追い詰めた、と思った次の瞬間、
「なにっ……!?」
ヤツは脇に置かれていた薄汚れたポリバケツを踏み台にして跳ぶと、更に隣のビルの壁を蹴って三角跳びし、空中で身を捻りながらコンクリート壁の天辺に手をかけて、あっさりと三メートルの壁を乗り越えて行った。
あの忍者みたいな動きは……!
「パルクール……! 野郎、トラスールか!」
アイツ、日本人じゃないな!?
「ふんっ、忍者発祥の国で随分と粋がること……行きますわよっ、天野くん!」
「はい!」
僕は並走するお嬢と呼吸を合わせ、同時にぴょーんと大ジャンプして、スタッとコンクリート壁の上に着地した。
ちょうど壁の向こうから振り向いてほくそ笑んでいた野球帽の口が、あんぐりと開いた。
見たかっ! これぞ、海外から「国民全員NINJA」と言われる、本場の民の実力よ!
おうおう、こっからだとヤロウの開いた間抜けな口がよく見えるぜ!
このままあのエセ忍者を生け捕りに……あ。
「お、お嬢っ! チミ先輩たちは一般人のNINJAです! 壁を越えられません!」
「はっ! しまった……!?」
後ろを振り返えってみると、チミ先輩はキラキラした目で僕たちを見つめ、グラスハート先輩は僕たちに追い付くのに必死で頭が回っていないのか、目をぐるぐるさせて壁の下で一生懸命ぴょんぴょん跳ねていた。
あとビチ子はスマフォで動画を取ってやがる。あとで消去させる。
「二人とここで離れるのは危険です……!」
ヤツが単独とは限らない。こんな所で二人とはぐれるのはリスクが多すぎる。
「っ……なら、ここから狙い撃って差し上げますわ!」
悔しそうに呻いたお嬢は、持っていたカバンの中から素早く拳銃を手に取り――
「わあっ!? だ、ダメですお嬢! ここは学園じゃないんですから!」
――出す前に腕をつかんで止めた。
……あっぶねぇ。今の、誰も見てないよな……?
見てないならセーフだ。お嬢のカバンの中には物騒な物なんかなにもなかった。いいね?
「っ! ……申し訳ありません、天野くん。少し、頭に血が昇ってましたわ」
お嬢は悄然と俯きながら、大きな溜め息を吐き出した。
珍しくお嬢が焦っていたのは、ヤツを取り逃がしてチミ先輩やグラスハート先輩に危害が及ぶ可能性を危惧していたからだろう。
勿論僕だって、出来ることならヤツを仕留めたかった。こんなことになるなら、鉛筆の一本でも持ってきたのに……。
「してやられましたわね」
「仕方ありませんよ。チミ先輩たちの安全が最優先です」
立ち上がり、路地を抜けた先の雑踏へと消えていく野球帽の背中をお嬢と見つめる。
「アイツ、何者でしょう」
「……恐らく、海外の学園から遥々ウチの有力生徒を調べに来た、密偵といった所でしょうね」
「え? 海外って……それって、海の向こうのどっかにあるって噂の、ウチの姉妹校の……?」
お嬢が小さく頷く。
あれガセじゃなかったのか……大丈夫か、世界?
言っちゃアレだけど、ウチはだいぶ、アレだぞ?
そんなのが海の向こうにもう一個あるとか……ねぇ? 世界の行く末が不安にもなるよ。
「これはまだ極秘ですが、来年からはそこと交換留学が始まる予定です。その下調べも兼ねているのでしょう」
本場のイカれたヤンキーが、ウチにカチコミに来るのか……。
「勝てるでしょうか、奴等に……」
「勝ちますわ。でなければ、死ぬだけですもの」
死ぬのはヤダなぁ。じゃあ勝とう。
「取り合えず今できることは……まず壁から降りましょうか」
「ですね」
お嬢と僕はずっと立っていた壁からようやく地面に降りた。
興奮しながらあれこれ聞いてくるチミ先輩に、いま流行りのワイヤーアクションだと答えて誤魔化し、僕たちはその場を離れた。
◆◆◆
「なんか、今日はすみませんでした……」
いつもの帰り道。
結局、予定をキャンセルして少し早めに帰ることになった。
あんなヤツがうろついてるのに遊んでたら、今度は何されるか分からん。
せっかくの休日が尻切れ蜻蛉で終わってしまったことを、隣を歩くグラスハート先輩に侘びた。
「なんで天野くんが謝るの? 十分楽しめたわよ」
グラスハート先輩は困ったように笑いながらそう言ってくれるが、僕の心は晴れない。
思えば待ち合わせからミスしてしまったし、その後も色々気をつかわせたり、あげくあの野球帽の接近を許してしまった。僕だって自分の体たらくに呆れているんだ、幾ら慈悲深い先輩だって――
「こらっ」
ウジウジ悩んでいたら、先輩にコツンと頭を叩かれた。全然痛くなかったが、驚いて振り向くと先輩は分かりやすく「怒ってます!」という顔をしていた。が、怒った顔も美しいのであんまり怒られている気がしない。
「私は楽しかったって言ったでしょ? それに私だけじゃなくて、皆も楽しませてくれた。ちゃんと約束も守ってくれたじゃないの」
約束? そんなのいつしたっけ……。
「あ……」
朝に言っていた、先輩命令。あれのことか? 命令じゃなかったのか……?
「普段あんまりはしゃいだりしないお姫ちゃんが、今日はファミレスでいたずらしたでしょ?」
確かに、あんな子どもみたいな真似をするお嬢は初めて見た。
「美術館でチミちゃんを退屈させないようにもしてたし、あと、佐野田さんはまだよく分からないけど、明るい子よね」
チミ先輩のはともかく、ビチ子を会わせてしまったことは一生の不覚です。
「最後にちょっとバタバタしたけれど、天野くんは今日皆を楽しませるために、とても頑張ってくれたわ」
先輩はいつもの慈しむような微笑みを浮かべながら、さっき叩いた所を今度は子どもをあやすように撫でてきた。
「今日一日、ずっと楽しくて笑顔でいられたわ。ありがとう、天野くん」
朝の時と同じ、子どもっぽい笑顔を僕に向けてくるグラスハート先輩。
なんかグラスハート先輩って――お母さんみたいだよな。うちの母上より、ずっとお母さんっぽい。
「どういたしまして、先輩」
先輩に慰められて、僕はようやく先輩に笑い返せた。
「あ。でも一瞬だけ、むすっとしてたかも……」
「えっ?」
いま一日笑顔でいられたって言ったばかりじゃないですか!?
「僕、なにかしました?」
「えーと……だめっ! 教えない!」
先輩は両手で顔を隠して俯いてしまった。
えぇ、何それ……。すごいモヤモヤするんですけど……。
「……これは宿題にします。いつか分かったら教えなさい。先輩命令です」
よく分からないうちに、新たな先輩命令が下された。
結局グラスハート先輩は帰りの間中、それっきり僕と顔を会わせてくれなかった。
せめて馬鹿な後輩に、ヒントを下さい……。
こうして、先輩たちとの慌ただしかった長い休日に幕が降りた。




