グラスハート先輩の曇りのち晴れ
――日曜日。
朝からビッチのメールがわんさか着てた。昨日もだ。暇なのか?
やはりヤツに個人情報を教えたのは間違いだったか。
なんか怪しい画像ファイルが付いたものも纏めて消去しておく。
必ず見るとは言ってない。恨むならちゃんと僕に確認しなかった自分を恨め。
そんなことより今日は、グラスハート先輩と待ち合わせをしている。
そう、待ちに待ったお出掛けの日だ。
先輩には今日一日楽しんでもらえるように、僕渾身のサプライズも用意した。
グラスハート先輩は今日、僕しか来ないと思っているだろうが、昨日のうちにチミ先輩とお嬢にも連絡して、部活の全員が集合することになっているのだ!
大勢のほうが楽しいからな、普段から仲の良い面子なら言うことないだろう。
グラスハート先輩、喜んでくれるといいが……。
◆◆◆
仕度をして家を出ると、目に滲みるほどよく晴れ渡った青い空が頭上に広がっていた。
今日は雲ひとつない日本晴れだ。絶好のお出掛け日よりだろう。
朝の涼しい風が通り過ぎていって、繁った街路樹や植え込みの緑を揺らしていく。
待ち合わせ場所は、いつも登校時に使っている道の脇にある公園。
そう、女神の寝顔というレアスチルを入手した、あの思い出深い公園だ。
……間違ってもビッチの援交目撃現場ではない。黒歴史は掘り返さず、地下深く埋葬しておくべきだ。
公園に着くと、まだ誰も来ていなかった。朝から元気なちびっこが二人いるくらいだ。
ボーッと待っててもいいけど、せっかくだからブランコでも漕いで暇を潰すことにする。
うわ、座り辛っ。こんなに小さかったか?
まあ遊具は子どものためのものだから、小さくて当然か。
それにどうせこれに座る大人なんて、リストラされたサラリーマンのお父さんくらいだろう。あと僕か。
だが座りづらいくらいで諦めるものか。それなら立ち漕ぎってもんがあることを教えてやる!
僕の立ち漕ぎと言えば、小学校ではちょっとしたものだったんだぞ? パークスウィングのスカイフィッシュと呼ばれてたからな。昔とった杵柄を見せてやんよ!
「おい、そこのちびっこたち! 今からブランコで大車輪みせてやんぞ!」
久し振りにブランコに乗ってテンション上がった僕は、公園にいたキッズを指さして宣言する。
宙を舞うスカイフィッシュの勇姿、その眼にしかと焼き付けよッ!
◆◆◆
「またね、ししょー!」
「バイバイ、ししょー!」
「おー。精進しろよ弟子たちよー」
ちびっ子たちにたっぷりとブランコの魅力を伝え終え、そろそろお家に帰るという弟子たちを手を振って見送る。
久し振りに白熱してしまった……。危険だからと封印していたあの技まで披露してしまうとは、僕もまだまだ若いな。
公園に一人だけになってしまったので、やることもないしボーッと突っ立っていたら、公園の入り口に人影が見えた。
「……あれ、お嬢? 随分早いですね?」
意外な事に、お嬢が二番乗りだった。
それにしてもお嬢の私服、始めてみた。レースの付いた白いトップスに花柄のフレアスカートと、やはり私服でも気品がある。白い日傘を差していても違和感がなく、まさしく良いところのお嬢さまといった雰囲気だ。あのカバンも、やはりブランドものだったりするんだろうか?
「……ご機嫌よう、天野くん」
なんかむすーっとしているお嬢に僕も挨拶を返したが、お嬢の顔は浮かないままだ。
どうしたんです?
「ねえ、天野くん。いま、何時か御存じ……?」
今ですか? えーと……。
ポケットからスマフォを取り出して時間を確認する。
「午前8時ちょうどです」
ちなみに、僕がついたのは七時前の早朝だ。
「……待ち合わせは9時のはずなのに、なんでもういるんですのっ!?」
黒い巻き髪を振り乱して、お嬢が猫のように叫んだ。
お嬢が声を荒げるなんて、珍しいものを見たな。
「だって、先輩を待たせちゃいけないじゃないですか」
待ち合わせで先輩より遅れてくる後輩は、クズだと思ってる。僕はクズになりたくない。常に先輩たちのことを思える後輩でありたい。
「もう……、もぉっ……!」
お嬢が猫から牛になった。
さっきから一体どうしたんですか?
「もういいですわ……。時間はありますもの……でも次こそは必ずっ……!」
お嬢が何やらぶつぶつ言いながらベンチに腰かけようとしたので、透かさずベンチにハンカチを広げた。お召し物が汚れてはいけないからな。当然の気配りよ。
「……ありがとう、ございますわ」
「いえ」
お嬢は何故か決まり悪そうに、そっとハンカチの上に座った。
僕はお嬢の傍に護衛のように控える。
「……あの、天野くん。なぜ立ったままでいるんですの?」
「他にベンチがありませんから」
なにせ小さな公園だから、置いてるベンチも少ない。遊具を挟んで向こう側にあるにはあるけど、あれ鳥の糞まみれだし……。自然とお嬢の側に控えることにした。
「いいですから、ここ、空いているのだから座ればいいじゃないですか」
そう言ってお嬢が自分の隣をポンポンと手で叩いた。
「そうですか? では……」
先輩からのご厚意を無下にするのもなんなので、お嬢の隣に失礼することにした。
木陰になっていて涼しぃ……。天気予報では午後から気温が上がるっていうし、今のうちに涼んでおこう。
「今日は、良い天気ですわね?」
「ですね。でもちょっと日差しが強くなりそうですけど大丈夫ですか?」
「抜かりありませんわ。日焼け対策は万全にしてきましたから」
そんな風に、お嬢と暫く取り留めない話をしていると、車のクラクションが聞こえてきた。
なんだろ? と、お嬢と音が聞こえる方へ視線をやる。
「なにかしら?」
「あれ……? チミ先輩ん家の車だ」
国産の水色のツーボックスカー。ナンバーも見覚えがある。
あ、運転席からチミ先輩のお母さんがこっちに手を振っている。
「ちょっと行ってきますね」
お嬢に断りをいれて車に駆け寄ると、後部座席でチミ先輩が横になっているのに気がついた。
裏地がストライプになっている空色のパーカーにキャラものプリントTシャツ、下は白の短パンと、非常に愛らしい服装だ。
てか、チミ先輩寝てる?
車の窓から先輩のお母さんに話を伺うと、どうやらチミ先輩は、今日のお出かけが楽しみ過ぎて昨日眠れなかったのだとか。
それでも寝ぼけながら待ち合わせ場所に行こうとしたので、危ないから車で送ることにしたらしい。
なんて微笑ましいエピソードなんだ……!
脳内のチミ先輩ライブラリーに書き記しておきます!
先輩のお母さんに謝られたり頼まれたりした後、チミ先輩を抱っこしてお嬢の待ってるベンチに戻った。
「チミさん、寝てますの?」
スヤスヤ寝てます。
「今日が楽しみで昨日眠れなかったようです。まだ時間はありますし、そっとしてあげましょう」
お嬢は微笑を浮かべてコクリと頷いた。
さて、このままチミ先輩をベンチに寝かせるわけにもいかないしな……。
申し訳ないが、僕の膝の上で我満して頂こう。
イスに成りきれ、天野……。座り心地で、ベンチごときに負けるわけにはいかないのだ。本物を越える贋作になれ。
チミ先輩を起こさないよう、気を付けながら抱っこし直して座った。
お嬢が隣からチミ先輩の寝顔を微笑ましそうに覗きこんできた。
「寝る子は育つ……の、かしら?」
そこなんで疑問系なんです、お嬢?
育つに決まってますよ。だって胸がこんなに大きいんですから、他もちゃんと成長するに決まってます。
胸だけフライングしちゃったんですよ、きっと。
チミ先輩を起こさないように静かにお嬢と話をしていると、膝の上に抱えたチミ先輩が寝返りをうつよう体を横向きにして、猫のように顔をスリスリしてきた。
「むぅ、えっへへ……しょうがにゃいな〜、あまにょくんは……むにゃむにゃ」
夢の中でも僕を導いてくれているのか、何とも頼もしい寝言だ。
あっー、可愛い!! お嬢! 写メ撮って!
この可愛さはデジタル情報にして後世に伝えるべき!
お嬢にチミ先輩とのツーショットを撮ってもらったり、お嬢も入れて三人で記念撮影したりしていたら、あっという間に時間が過ぎていき、待ち合わせ時間の15分前になった。そして――。
「――あっ! お待たせ天野く……ん、とお姫ちゃんに、チミちゃん……?」
「あ、おはようございます、グラスハート先輩!」
待ち人来る。
本日の主役、グラスハート先輩が下界に降臨した。
「……なんで二人がいるの?」
グラスハート先輩が抑揚のない声で、なぜ二人がいるのか尋ねてきた。
「驚かせたくって、ゲストに二人を呼んでみました」
「えぇっ!? ち、ちょっと待ちなさい天野くん! 貴方、グラスハートさんに私とチミさんのこと、話してなかったんですの!?」
何故か横からお嬢が驚きの声をあげていた。あれ、言ってなかったか?
「皆で一緒に出掛けようとしか聞いてませんわ!」
え、ダメでしたか?
グラスハート先輩には内緒にしてればいいんだし。
「私たちにまで内緒にしてどうするんですの!? サプライズにするならそうと、先に言って下さいまし!」
「ご、ごめんなさい……」
どうやらミスしてしまったらしい。
お嬢にぺこぺこ謝っていると、膝の上のチミ先輩が目を覚ました。
「ん〜っ……。あれぇ……? ここは……――テレポート……?」
どうやらまだ半分寝ぼけている様子。
テレポートしたのではなく、車で来たんですよチミ先輩。
「ふぇぇ……。あ、グラスハートくんだ。おはよー、今日は楽しみだねぇ」
寝起きのふにゃっとした笑みでグラスハート先輩に笑いかけるチミ先輩。
その無垢な笑顔を見て、さっきまで表情が固まっていたグラスハート先輩からふっと強張りが消えた。
「おはよう、チミちゃん。……そうね、私も楽しみにしてた。――だから、今日は皆で、たくさん遊びましょうね」
そう微笑んだ先輩は、やはり慈愛の女神のように美し――
「あ痛っ」
いきなり後頭部にダメージを受けた。
振り返ってみると、お嬢がカバンに扇子を仕舞っている。どうやらあれで叩かれたらしい。
「チミさんに感謝なさい」
「? はい……」
よく解らないが、頷いておいた。もっと女心というのを学んだほうがいいのだろうか……。
「はぁ……。ほら天野くん。ぼーっとしてないで、今日の主役をエスコートしなさいな」
お嬢に促されてベンチから立ち上がり、チミ先輩と戯れていたグラスハート先輩に駆け寄る。
「あ、天野くん……」
「あの、なんかすみませんでした。がっかりしましたか……?」
「んー……そうね、ちゃんと皆にお話をしてなかったのは、ちょっと減点ね」
「う……」
いつになく厳しいお言葉をもらってしまった。
少し落ち込みかけた僕に、グラスハート先輩がイタズラっ子みたいに笑いかけてきた。
「だからその分、今日は皆をうんと満足させなさい。先輩命令ですっ」
おどけるようにそう言って僕を指さした先輩の笑顔は、今までみたことのない――子どもっぽい、可愛らしい笑みだった。
「……分かりました。では今日は全力でおもてなしするんで、よろしくお願いします、先輩」
その笑顔に見惚れていたのを誤魔化すように、僕も先輩に笑い返した。
こうして、夏らしい目映い青空の下、先輩たちとの始めてのお出掛けの幕が上がった。




