弟の隈
朝眼を覚ますと、いつもよりも早い時間だった。いつもなら起きない時間だったけど少し賑やかなリビングが原因だと分かると急いで着替えて身嗜みを整えてから僕もリビングへと入る。
そこには仕事に行く支度を終えた両親と兄さん…そして僕の、我儘のようなお願いを聞いて一泊してくれた雨座がいた。
『おはよう、叶一郎! まーったくいつもなら絶対起きない時間のくせに、現金な息子だわぁ。星一はいつもの時間だし叶士は相変わらず寝坊助だけど』
『おはよう、叶一郎。ゆっくり休めたか? こっちに座りなさい。瀧阿ちゃんの入れてくれた紅茶が美味しいんだよ、お前も頂くといい』
ぐさぐさと息子のハートを刺してくるのは母で、それにさり気なくフォローしてくれるのが父だ。母は看護師で父は探偵、数年前まで警察官だったがどうしても探偵の夢を捨て切れず転職したらしい。
瀧阿は母さんと一緒に台所に立っていて父の言葉にピンと反応すると、ティーポットを手にパタパタとスリッパを鳴らしてやってきた。
『春雛先輩、おはようございます! よろしければ紅茶いかがですか? 先輩のお母さんが美味しい淹れ方を教えてくれたんです』
母さんのものと思われる(若かりし頃の)ワンピースに、丁寧に結われた両サイドにあるお団子頭。仕上げとばかりに可愛らしい髪飾りまで付けられた雨座は完全に両親の玩具にされていた。
怒るべきなのに何故だろう、完璧だと向こうから得意げな表情を寄越す両親に一つ頷いてみたらキャーキャー騒ぎ出した。
『やり過ぎだと言ったんだがなぁ…雨座が起きてくるまで大人しく待機してたし、初めて女の子の世話が出来て舞い上がってるんだよ』
事の次第を見届けたのであろう兄さんは、途中からもう口を出すのを諦めたらしい。
確かに男が三人もいるのだから、女の子の雨座は特に母さんにとってはとても貴重な体験をしているのだろう。
『瀧阿ちゃん細いからワンピースくらいしか合わなかったのよー。取っておいて良かったわ! こんなに可愛い子に来てもらえるなんて夢みたいよ』
『髪は僕が結ったんだぞ? どうだい、中々いい腕をしていると思わないかい?』
完全に浮かれた両親を放って僕は冷めない内に紅茶と朝食を食べ始めた。噂の寝坊助も両親のはしゃいだ声に起きたらしく寝間着のまま降りてきたものの雨座を目にするや否や気まずそうにUターンして、着替えてからリビングに入った。
『…叶一郎。そして、叶士…よく聞きなさい』
粗方騒ぎ終わり、全員がテーブルに着く。
父さんがそう言って特に叶士の方を見てから悲しそうに目を閉じてこう言ったのだ。
『二年生の志島 卓継君が亡くなったと、先程連絡網が回って来たんだ』
その言葉に叶士は唖然として言葉を発さなかった。僕と叶士だけが電話の時にいなかったらしく他の三人は驚いた様子はなかった。
『お前とはクラスメートだったんだろう? 仲が良かった友人か?』
『…いや、あんまし…でも普通に何度も話してたし…』
語尾はどんどん小さくなり、度重なる訃報に叶士も堪えたのか片手で目を覆った。やんちゃで少し反抗的な弟だが、友達想いだし正義感もちゃんとある。
『事故か事件かは分かっていない。まだ学校側でも協議しているだろうから今日は三人とも学校へ行きなさい。
…突然こんなに危なくなったというのに、送ってやれなくて本当にすまない。星一にも感謝してるよ』
『俺は学校と会社近いし…会社の方でも協力体制になってるみたいだから大丈夫だ』
両親に頭を撫でくり回された。特に叶士は母さんが抱きしめるまでに至ったが人の目を気にする叶士は嫌だ嫌だと逃げ続けた。
父さんは雨座に目をやると彼女の頭も優しく撫でると僕らにちゃんと守ってやりなさい、と声をかけた。
『よし。じゃあ行くぞ、お前たち。今日は雨座の家に寄って制服を取りに行かないといけないからな。早めに出発するぞ』
『可愛いけどワンピースじゃ登校できないしね』
父さんが茶化すと真っ赤になった雨座はぶんぶんと頭を振って否定するが動かしちゃダメと父さんに止められていた。
どうやら髪はそのままで登校させたいらしい。
『じゃあ、いってきます』
朝の森というのは実に新鮮な空気に満ちていて、一番好きだ。昨日あの黒い影を見た場所を通ってもまるで別世界のように木漏れ日があたり優しい空間に満ち溢れているのだ。
『大丈夫か、叶士…?』
いつも以上に口数の少ない弟。
声をかけると、叶士はゆっくりと空を見上げるのだ。木々が邪魔して大きな空は見えない。叶士は日に日に目の下の隈を濃くする。
『…この前さ。兄貴…部屋に俺を起こしに来ただろ』
何度も起こしに行っているので記憶を探ると、数日前に起こしに行った時に珍しく叶士が起きていた日だと思い出した。
『うん、覚えてるよ?』
『…友達からさ、連絡きた。卓継じゃねーよ? アイツは連絡先とか知らねーし。
…見たんだって。俺のダチが…見たんだって』
『死んだ…死んだクラスメートの、統木 栄火の霊を…見たんだってよ…』
その時の僕の脳裏に蘇ったのは、昨日の…あの黒い、影の姿だった。
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