黒い影
僕がそんな、優しいことを思っている中で確実に崩壊の音が始まっていた。黒い…黒いものが叫び、産声を上げる。僕の知る小さな世界を壊すものはその手を振りかざした。
『春雛さんに春雛先輩、ありがとうございました。集団登下校も今日で最後ですね…いつも一人きりの帰り道だったので嬉しかったです。またバスも運営再開の見通しがついたらしいので行きは利用したいと思います。帰りはもうバスがないから歩きですが…またバスが利用出来るのは嬉しいです』
あれから5日経ち、集団登下校の解除が決定した。理由としては色々あるが多分一番の理由としては一部の生徒による集団登下校ボイコットだろうか…現にうちの弟も最初こそ大人しかったものの今ではもうグループから抜けて友達と遊び歩いたり一人で帰っている。
もう高校生だし、こういった現象が起こるとは薄々気付いていた。
『バスがまた走るのか? それは良い、雨座は女の子だ。用心し過ぎるぐらいが丁度いい。行きはバスを理由して帰りも暗くならない内に帰るようにしろよ』
『はい。春雛さんもお仕事がある中でありがとうございました。春雛先輩も…また学校でお会いした時は声をかけてもいいですか?』
これぞ、後輩というように健気で可愛い僕の後輩。勿論だよと返せば雨座はまた嬉しそうに笑って癖っ毛の髪を触る。
途中で集団登下校ボイコットをした叶士のことも責めることなく今日まで一緒に過ごした雨座のことを兄はすっかり妹のように接して保護してくれていた。とても優しく穏やか時間だったなと思う。
『昼頃に雨が降っていたから気を付けて下さいね、泥濘んでいるかもしれませんから』
『わかったよ、雨座。またねー! また学校でも仲良くしようね!』
バス停で別れると、雨座は右手を目一杯伸ばして僕らが見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。長い髪に丁寧な言葉遣いだが、彼女は案外元気溢れるやんちゃな子だった。身長も小さくて気弱に見えるが僕は雨座の一本折れない芯を現したような真っ直ぐな瞳が好きだ。
『良い子だったな、雨座は。偏見ではないが今時の高校生にしては他人を思いやることが出来すぎている感じがある』
『耳が痛いなぁ兄さん。うちの弟にも爪の垢を煎じて飲ませたらどうだろうか』
違いないな、と笑う兄と家路につく。雨座とはまた仲良くしてやれだの叶士は何時に帰って来るんだろうかだの話していると不意に雨が降って来た。持ち合わせていた傘を開いて急いで帰ろうと兄さんと話していた。
『…叶。今…何か森の奥にいなかったか? 何か影が見えた気がする』
『ええ…熊じゃないだろうね、兄さん。僕鈴をこの前無くしちゃったんだよ』
兄が、指差したのは確かに森の奥だ。道もない真っ暗な森でしきりに辺りを見渡す兄さんと共に僕も360度回ってみるもいつも通り雨の降る森だ。ただ、雨のせいだろう。
少し肌寒い。
『家以外にここに住む人はいないしな…すまない、叶。雨で草が揺れたんだろう』
『動物の気配もないしね。帰ろうか』
そう言って僕は今、変なことを言った。
…動物の気配が…ない?
何故。
ここはまだ森の入り口辺りだがいつも動物や虫の気配がする。確かに雨が降り始めているが雨が降り始めたからこそ動き出す動物だっている。今は鳥の一羽の姿だって感じられない。それは今までここで生きてきた僕にとって異常なことだった。
『兄さん、やっぱりちょっと変……っ!?
ひっーっ……!』
目が合った
正確には、それに目なんてなかったけど確かに目が合った気がしたのだ。
影
真っ黒な
人の形をした
でも、異常だった。おかしかった、だって…だってそれはさっきまで何もなかったはずの道に佇んでいたのだ。
人の形をした、黒い影。でもそれは全身が黒で塗り潰されていて特に…顔が、顔が真っ黒に潰されていた。
有りっ丈の叫び声を上げた僕の悲鳴は、山々に伝わりまるでこれから起きる惨劇の幕を開ける始まりのように響き渡った。
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