復讐
家に着いた僕らは、疲労困憊で体を引きずるようにリビングへと入った。叶士は一度躓いた時に足を軽く捻ってしまったようですぐに手当てをする。僕と叶士に至っては酷い汗のかきようだったため二人揃って二階へと着替えに向かった。
『…瀧阿は』
叶士が階段を上り切ると、もう太陽の沈んでしまった空を窓越しに眺めながら言った。
『瀧阿は、あの時…アイツの名前を言った』
そう。
あの時、あの黒い人影に追い付かれ…もはや絶対絶命だと思ったあの時だ。あんなに走っている中でも起きなかった瀧阿が午後6時の鐘の音が鳴るとそれを合図に目覚めた。そして迫ってきたあの黒い人影を見て…瀧阿は言ったのだ。
『栄火君』
小さな、掠れた声で確かに言った。
『あの黒い人影は瀧阿の喉に掴みかかったんだ…。なのに、瀧阿がアイツの名前を口にした瞬間まるで砂になったように消えちまった。瀧阿は……瀧阿は、統木栄火の知り合いだったのか?』
弟の疑問は最もだ。すぐに瀧阿の無事を確認しようとしたが、彼女は暫く僕らの声に反応せずぼんやりとしていた。やがてハッと意識を取り戻した彼女にあれはなんだったんだ? あれを知っているのか? と問い詰めたが、小首を傾げて放った言葉は
なんのことですか?
だった。彼女はあの時のことを全く覚えていなかったのだ。詳しい話は後でするから、今は早く森から出ようという結論に至りやっとの思いで僕らは家に帰って来た。
『…叶士。話をしよう。みんなで話そうよ。僕が見たものや叶士の話したいこと、瀧阿に聞きたいこと…全部話して整理しよう? ここで僕らが話しておかないと、何もわからないままだ。今日みんなが帰ったら…一緒に今日のことも話そう』
とても苦しげな表情だったが、叶士は小さくも頷いてくれた。リビングに戻って瀧阿とみんなを待っていた。最初に帰って来たのは母さんだった。何故か焦った声を上げながら慌ただしく母さんが入ってくると瀧阿にお婆ちゃんが出先で怪我をして入院してしまったと告げた。瀧阿の家に何度も電話がかかってきたところを調査していた父さんが対応したらしい。幸い命に別状はないのだが腰を悪くしてしまったらしく暫く入院しなければならないとのことだ。本人が動けない上にこの辺りに大きな病院はない。病院の近くに長年の友人がいるから必要なものは用意してもらえるし可愛い孫に迷惑はかけたくないとのことだ。
【お婆ちゃんはすぐ退院できるから、たきちゃんはいい子にしてなぁね】と急いで病院に電話した瀧阿はお婆ちゃんにそう言われて安堵した表情で何度もうん、うん、と頷いていた。そして女の子の一人暮らしは危ないし今はこんな状況だからと春雛家が瀧阿のお婆ちゃんが退院するまで瀧阿を預かることになったらしい。
『春雛さんのお宅にはご迷惑をかけてばかりでっ…! 本当のすみません…』
『あらいいのよ! 幸いお婆ちゃんもすぐ退院出来るって話だし、それまで男ばかりでむさ苦しくて申し訳ないけど家でゆっくりしていきなさい』
母さんに頭を撫でられる瀧阿は一瞬だけ身を引くような仕草をしたものの、すぐに照れ臭そうに頬を染めた。
そういえば、何故瀧阿が最近引っ越して来たのか…両親はどうしたのか? 僕らはまだまだ彼女のことを知らない。
そして兄さんと父さんの二人が帰って来た。みんなで夕飯を済ませて片付けが終わると、またみんなが席につく。いつもと違うのは、5人から瀧阿を入れた6人になっていて僕の隣に座っていることぐらいだろうか。
『ではまず、今までの一連の流れをまとめてみようか』
父さんがそう切り出して話は始まった。
統木栄火君の事件があり、集団下校が始まった。そして僕が黒い人影を目撃した。その日には集団下校は終わり、同日 志島卓継君が事故死。
『そして翌日の今日…僕らはまたあの黒い人影に遭遇して襲われた。僕は見たのは二度目だったけど、叶士は…あまり驚いてなかったよね。瀧阿はその時のことを全く覚えてない』
『…ふむ。叶一郎が体調を崩したのはその黒い人影を目撃したからか…。にわかには信じられないが、同じものに二度も遭遇したとなると存在を否定し切れない。叶士もみているし、何よりあの日のお前は本当に顔色が悪かったし何かあったと星一も言っていたしな』
父さんが一人頷いていると、母さんは突然立ち上がるとキッチンへ向かいみんなのお茶を持ってきてくれた。僕にお茶を出してくれた時に頭を優しく撫でられ大丈夫よ、と声をかけてくれた。
『次に行こう。
叶士。お前の話を聞かせてくれるか? ずっと何か話したいことがあったんだろう?』
父さんの言葉に叶士はビクッと大袈裟に肩を揺らした。俯いて、コップに入るお茶を見つめる叶士の姿に誰も急かすことなく静かに待っていた。
何分か経つと、叶士は自分のコップを掴み中身を一気に飲み干して勢いよくコップをテーブルに置いた。父さんや兄さんがそれを注意しようとした時、震える声で叶士が叫んだ。
『いじめがっ…いじめがあったんだ…』
それは、傍観者だった弟の懺悔の声だった。
『統木は、いじめられてたんだよ…クラスの奴らに…ずっといじめられてたっ…。1年の頃から、ずっと…』
そう、それはまるで
『死んだ志島は…統木をいじめてた奴らの一人だ。噂されてたんだ、統木が死んだ日に統木の霊を見たって…
統木がっ…志島を呪い殺したって…』
死者による復讐。
普通なら笑い飛ばしてる。だけど、あんなものを見た後でそんなことを言われれば何も言えなかった。あの黒い人影がもしも本当は叶士を狙っていたのだとしたら。
この復讐は、一体…どの範囲の人間が裁かれるのか。涙を流しながら語る弟を見てそんなことを思い、僕は堪らない不安を持つのだ。
『そうだったのか…いじめか。叶士、泣くんじゃない。お前が泣いたところで何も解決しない。お前の過ちを責めることは出来ないし…かと言って話してくれたのは、正しいだろう。
お前一人に責任があるわけじゃない。今まで沢山考えたんだろう? 自分の考えがあるのなら、自分なりにまずは考えなさい』
父さんはそう言って泣いている叶士にティッシュを渡していた。星一兄さんも叶士の背中をさすってやり、母さんは温かいおしぼりで叶士の目元を拭いてやっていた。
やがて父さんが目を向けたのは瀧阿だった。
『瀧阿、教えてほしい。叶一郎の話では黒い人影に襲われた6時に君は目を覚まして黒い人影を栄火君と呼んだらしい。
君と統木君は…知り合いだったのか?』
『はい』
瀧阿ははっきりと、そう答えた。
誰もが驚く中で瀧阿は父さんの方をしっかり見ていた。
『…とは言っても、私も彼が統木栄火君だと知ったのは最近です』
『どういうことだい?』
瀧阿が転校してきた頃は、まだバスが動いていた。転校してきたばかりの瀧阿は知り合いもいないこの町で一人バスに乗って登校していたらしい。バスは通る数が少ないため何人もの学生や社会人が利用していて、身長も小さく小柄な瀧阿はとても苦労していたらしい。そんな瀧阿によく手摺りのある場所を譲ってくれていた男子生徒がいたそうなのだ。吊革に手が届かない瀧阿のために無理矢理場所を譲ってくれていた男子生徒…統木栄火君だ。結局バスは車体の劣化や諸々の理由で瀧阿は一週間程しか利用できなかったが統木君は毎日瀧阿に場所を譲ってくれていたらしい。
『彼は前髪が長くて顔もよく見えなかったし、混んでいたバスでしたから…いつもお礼を言いたくて降りた後は探してたんですが、見付けられず…。後に彼が統木栄火君だと知ったんです…亡くなった後だったから、結局…お礼は言えませんでした。
今日のことはあまり覚えていないんです…ただ、今日…あのバスに乗っていた夢を見たんです。夢の中でも…私は彼にお礼を言えなかった気がします』
.




