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(2)

 円卓の間は、宮殿内にある。宮殿が騎士団の宿舎と同じ敷地にあるとは言え、一端の騎士は宮殿内には滅多に立ち入ることが許されない。そのため初めて宮殿に足を踏み入れたミシェルはすっかり迷ってしまっていた。ルイスに円卓の間は宮殿の二階にあると教えられたはずだが、それらしき部屋は一向に見えてこない。ミシェルは困り果てて立ち止ると、大きくため息をついた。



(円卓の間はどこにあるの?)



 途方に暮れながら、やはりシリルと共に来るべきだったと後悔する。ミシェルよりも半年早く円卓の騎士に選抜されたシリルは訓練が終わった後、ミシェルに共に円卓の間に行こうと誘ってくれたのだ。だが、ミシェルはそれを断った。感傷に浸るつもりなどなかったというのに、その時の彼女は一人になりたいと思ってしまった。あれほど求めていた母国の仇を討てる。その事実にこの七年の日々がミシェルの胸を痛いほどに軋ませたのだ。


 ミシェルが立っている長い廊下は真っ赤な絨毯が敷かれ、シャンデリアは火が灯っていないのに随分と美しい光を放っている。巨大な窓から差し込む日差しはあたたかく、空中の塵がダイヤモンドダストのようにきらきらと輝いていた。


 穏やかな空間だった。


 この宮殿内を眺めていると、幼い頃の記憶がより克明に蘇ってくる。そのたびに胸に滾るのは、悲憤。どれほど望んでも、嬌声を上げて笑っていられたあの幸福な日々には戻れない。


 羨望よりも切なく苦しい感情の濁流がミシェルの心を押し潰そうとしている。呼吸すら忘れそうなほどの苦痛なのに、ミシェルの目には少しも涙など浮かばなかった。しかし彼女の胸の中で過去は熱を持って蠢いている。


 あの落城の夜、王都を焼いていた炎が今でもミシェルの胸の内で生きている。それに重なって耳の奥で反響する悲鳴にミシェルが目を細めた、――その時。


 背後に人の気配を感じてミシェルは振り返った。



「……」



 後ろに立っていたのは、一人の青年だった。



(……――だれ?)



 見上げる位置にある彼の顔をミシェルは見詰める。


 痩身の彼は、昔読んだ絵本に出てくる王子様を具現化したようだった。


 年齢は二十半ば程度だろうか。


 その彼の金色の髪は、光の粒を纏ったようにきらきらと輝いている。一方でどこか砂糖菓子のように繊細なものにも見え、触れたら掌の熱で溶けてしまいそうだった。怜悧な面にある二つの瞳は、鋭さを伴った碧。透き通る海の青さを集めて作り上げた水晶球のようだ。その肌の白さの所為か、彼から儚げな印象を受けた。身に付けているのは、一目で高級だと分かる衣類だった。フロックコートの下に着込んだシャツもタイもきっちりと首を覆っている。白い手袋を嵌めた彼の左手の傍。そこに、細身の剣を見付けた。服装としては仕込み杖を合わせるべきだろう。そうだというのに見せびらかすように腰に差された剣の存在がミシェルの中で妙に引っ掛かった。その彼の薄く形の良い唇が、静かに開かれる。



「……ここで何を?」


「円卓の間を探していて……」



 低い声は、警戒心を抱いた冷淡なものだった。それを確信させるかのように彼の細い眉は眉間に向かって歪んでいる。その彼に冷静を装って答えたミシェルを彼はしばらく見詰めていた。冷たい鋭さを漂わせた双眸。その瞳が不意に細められた。彼のその表情の意味が分からず、ミシェルは怪訝に首を傾げる。



「何か?」


「いや。……円卓の間は、この先にある。赤い扉をしているから直ぐに分かるはずだよ」


「ありがとうございます」



 訝しげに思いつつも礼を言い、ミシェルは彼に背を向ける。背中に相手の視線を強く感じていたが、振り返ることはしなかった。


 あの青年に言われた通りに進むとミシェルは円卓の間を発見することができた。ほっと一つ息をつき、扉を開く。


 薄暗い室内には大きな円卓が置かれていた。そこを囲うように椅子が十三席置かれている。その一つは飛びぬけて高級感の漂う、国王の席だ。その席と右隣には騎士団団長の席がある。国王の席を残し、一つだけ空いていた席にミシェルは腰を下ろした。向かいの席にはシリルの姿があり、左隣にはエリオットが座っている。エリオットはミシェルを見ると小さく意地悪い笑みを浮かべた。



「迷ったか?」


「……迷った」


「俺はてっきりシリルと来るのかと思ってたよ」


「ちょっとお手洗いに行っていて――」



 そこまで言った時、静かに扉が開かれた。扉から薄暗い室内に伸びた光。その光の筋に浮かんだ影。ミシェルは扉の前に立つ人物に視線を上げた。



(さっきの……)



 そこに立っていたのは、先ほど廊下で出会った金髪碧眼の青年だった。凛々しい表情をした彼は鋭い双眸で室内を見渡す。



「アーサー様?」


「なぜアーサー様が……」



 小声で言葉を交わす騎士の声を聞きながらミシェルは知らないうちに息を止めていた。


 アーサーは、ヴァルナー王国の第一王子だ。次期国王になるだろうと言われている人物である。宮殿内への出入りが殆どなかったミシェルはこの時になって初めてアーサーの顔を知った。


 アーサーは円卓の周りを闊歩すると、迷うことなく王の席へ腰を落とした。その悠然とした動作はやはり王族の者だと強く感じさせる。



「国王陛下は病状が酷く、本日の会議には参加できない。そのため、僕が会議に参加することとなった」



 アーサーが低い声で告げた言葉にミシェルは目を瞠った。


 ヴァルナーの国王は二年前から床に臥せている。それは承知の上だったが、彼はつい先日まで円卓の間で行われるこの会議に参加していたはずだ。動揺を顔には出さないように努めながら、それでも膝の上に置かれた手をミシェルは握り締めた。


 今日で全てが終わるはずだった。この日のためにと、ミシェルは自分の全てを偽り必死で生きてきたのだ。それなのに――。


 七年前に眼球の裏側に刻まれた情景は今でもミシェルの心を惨く焼く。その彼女の耳に淡々としたアーサーの声が流れ込んできた。



「それで本日の議題は?」


「イラメダ王国への騎士の派兵についてです」


「ああ、そうだったな」



 アーサーはルイスの助言に頷き、イラメダの財政状況について話を始める。その様子は現国王と相違ないのだろう。聡明さを感じさせる彼の発言に誰もが静かに耳を傾けている。その中で時折、ルイスたちが意見を述べる。


 ミシェルは心の痛みを殺し、会議に参加していた。ふと隣を見ればエリオットが欠伸を噛み殺している。その彼を一瞬殺意すら匂わせる目付きでルイスが睨んでいたが、エリオットは全く動じなかった。その二人の様子を見ていると、ミシェルの心のざわつきが遠ざかる。こんな時だと言うのに、胸の痛みがわずかに和らいだ気がした。


 そして会議は円滑に進行され、終わりに差し掛かった頃。



「……」



 アーサーの視線がミシェルを捉えた。それは一瞬のことだったが、目が合ったその刹那にミシェルは彼の瞳に強い光を感じた。それに眉を顰める彼女に目を向けず彼は静かに口を開いた。



「それでは、本日の会議はここまでにしようか」


「派兵はしないということで宜しいですか」


「ああ。我が国の利益には繋がりそうにない。それに、イラメダは派兵を断られたからと言って攻め入ってこられるほど大国でもないだろう。問題はない」



 アーサーとルイスがそう言葉を交わし、会議は終了した。――だが。



「――レオ・マーヴィン、と言ったかな」



 唐突に名を呼ばれ、呼吸を止めたミシェルは顔を上げる。声の先にはアーサーの姿があった。肘起きに頬杖をついた彼がミシェルを見ている。目を細める、その小さな仕草すら優美に感じるのはその容貌のためか。



「はい」



 ミシェルが頷けば彼は頬杖を解きながら、告げる。



「あとで僕の執務室に来てくれ。話がある」


「……はい」



 なぜ呼ばれるのか、ミシェルには覚えがない。彼の言葉を怪訝に思ったのはミシェルだけではなかったようだ。向かいの席に座っているシリルが険しく目を細めている。



「では。失礼」



 アーサーは最後にそう言葉を残して、円卓の間を後にした。それに続くようにばらばらと円卓の騎士が散っていく。エリオットも、先に行っている、とミシェルに告げてルイスと共に円卓の間を出て行った。その後からゆっくりと腰を上げるミシェルの傍に立った人影があった。視線を上げるとシリルがいた。既に室内には二人以外いなかったが、それでもシリルは声を潜める。



「アーサーのところへ行かれるのですか?」


「……行くしかないでしょうね」



 シリルに椅子を引かれ、ミシェルは立ち上がる。シリルは眉を寄せて深刻な顔つきをしていた。その彼にミシェルは微笑みかける。



「心配しないで。貴方は先にエリオットたちと一緒に訓練場に行きなさい」


「ですが……」


「大丈夫よ。心配しないで」


「……はい」



 シリルは唇をきゅっと結ぶと顎を引いた。しかし直ぐに彼は眉を顰める。



「ですが……」


「なに?」


「……アーサーは……」



 シリルは言い難そうに一度口籠り、続けた。



「アーサーは女好きであった、とエリオットから聞いたことがあります」


「女好き?」


「九年前からは大人しくしているようですが……もし、女性だと気付かれれば……」



 言葉に詰まったシリルが何を言いたいのか理解し、ミシェルは小さく笑い声を立てる。生真面目な従者は時折、ふざけているのではないかと思うようなことを心配する癖がある。



「大丈夫。まだ気付かれていないと思うから」



 それよりも、とミシェルは笑みを消した。



「……国王の件はあとで話すわ」


「はい」



 シリルと共に円卓の間を出ると、外でメイドが待っていた。彼女にアーサーの執務室の場所を聞くとミシェルはシリルと別れ、アーサーの執務室を目指す。赤い絨毯の敷かれた廊下に再び胸が痛みで疼き、ミシェルは全てを振り払うように深く吐息を落とした。感傷に浸っても、何も手にいられないことを、ミシェルは知っている。


 やがてアーサーの執務室の前に辿り着いたミシェルは躊躇しつつも、扉を叩いた。短い声を受け、ミシェルは口を開く。



「レオ・マーヴィンです」


『ああ。入って良い』



 返事を聞き、ミシェルは扉を押した。中ではソファーに腰掛けたアーサーが本に目を落としていた。


 アーサーの執務室は一目で高級だと分かる家具が揃えられていた。窓の近くに机と椅子があり、その傍らに置かれた本棚にはぎっしりと資料が詰められている。部屋の中央にあるテーブルを囲うように置かれたソファー。その一つに腰掛けていた彼は静かに本からミシェルに目を上げた。


 重なった視線。


 ミシェルは彼の瞳に息を飲む。彼の瞳の色は青だと言うのになぜだろう、――落城の夜に見た、赤い炎と重なって見えたのだ。



「好きなところに座って」


「はい」



 アーサーにソファーを勧められ、ミシェルは彼から離れた位置に腰掛ける。それを確認するとアーサーは穏やかな低く、どこか甘い響きをする声で尋ねた。



「君はどうして騎士団に?」


「……それは、どういう意味でしょうか」


「だって、」



 不審に思いながら問いかけたミシェルが彼の顔を見上げると微笑みかけられた。不自然なほど美しい、隙のない完璧な微笑。気を抜いたら心を捕らわれてしまいそうだというのに、ミシェルは決して彼から視線を外さなかった。その彼女へアーサーは他愛のないことのように、告げる。



「君は、女性だろう?」



 彼の言葉を脳が理解する前に、呼吸が詰まる。無意識に見開いたまなこで彼を見れば、彼は持っていた本をかすかな音を立てて閉じた。口元の微笑だけは崩さず、だが瞳の奥では笑みを消して彼はなおも言葉を紡ぐ。



「女性の騎士団入団は許可されていないはずだ。そこまでして、なぜ君は騎士団にいるのか……僕は不思議でならない」


「それは……」



 言葉が途切れる。緊張と焦燥に身体が硬直し、ミシェルの喉が、こくん、と堅い音を立てた。視界が揺れるのは、早鐘を打つ脈の所為か。動揺を堪えるために、膝の上に置いた両手を強く握り、拳を震わせた。



(――必死、で)



 ここまで、必死で演じてきた。


 過去を忘れたことなど一度もないというのに平気な顔をして、時にはコーデリアに勝利した時の話をする者の会話を微笑んで聞いたこともあった。心を殺し、必死で生きてきた。落城の夜に心に刻んだ誓いと共に、ミシェルはここまで生きてきたのだ。ただ、必死で。必死に、生きて来たのに。



(どうすれば良い)



 上手い回答を探す視線は自然と己の爪先へと落とされる。嫌な汗が皮膚の上に浮かび、じっとりと肌を湿らせる。心拍数は上がるのに、呼吸は浅く、息苦しい。


 その彼女の耳を打った、衣擦れの音。肩を振るわせ顔を上げると、離れた位置に座っていたアーサーがミシェルの真横に移動していた。彼がミシェルの隣に腰掛けると、かすかにソファーが上下に揺れる。近付いた彼から感じた仄かに甘い香料に、くらくらと眩暈を覚える。その彼の指先が結われているミシェルの髪に触れた。髪を梳く彼の指先。ミシェルは驚き、咄嗟に身体を離した。



「失礼し――」


「駄目だよ」



 だが、直ぐに優雅な仕草で彼に手首を掴まれてしまう。



「まだ話は終わっていない」



 引き戻されたミシェルの身体は崩れるようにしてアーサーの膝の上へと落とされる。



「不審者を宮殿内に置いておくことはできない。理由を言ってくれなければ、僕は君をルイスに突き出さなくてはならない」



 そう耳元で囁かれた声はどこか殺気を帯びており、ミシェルは息を飲み、目を細めた。掴まれたままの右手から伝わる彼の体温はひどく熱く感じられ、鈍い痛みが骨を軋ませている。


 彼の顔に浮かんでいるのは、微笑みだ。一見やさしく優美に見えるそれが彼の武器なのではないか、とミシェルの頭を過る。隙のない微笑をした彼の瞳はやはり冷たい炎のようだった。



(……大丈夫)



 落ち着くための、吐息を深く一つだけ落として、ミシェルは不安も戸惑いも自分から拭い去る。閉じた白い瞼の裏にはシリルの姿を思い描いた。


 ここで失敗するわけにはいかない。


 性別を偽る。それが必ずしも謀反へと繋がるわけではないのだから。



(考えろ)



 上手く彼の詰問をかわすための台詞を脳内に並べて、ミシェルは目を開ける。そして彼女は視線を彼の膝の上に座ったままの自分の足元に落として、不服そうに呟いた。



「……不公平だわ」


「……不公平?」



 彼の声に首肯し、ミシェルは彼の顔を真っ直ぐに見上げて訴える。



「どうして男性しか騎士にはなれないのですか?」


「……と、言うと?」


「女性だって、こうして円卓の騎士に選ばれるのです」


「……なるほど」



 アーサーの口元に面白がるような笑みが浮かび、彼は小首を傾げた。



「君は剣術が好きかい?」


「はい」


「こんな細い腕をして?」


「ええ」


「性別を偽ってまで?」


「ええ」


「……そうか」



 アーサーは小さく数度頷くと、ミシェルの右手から手を離した。それにミシェルが心中で安堵するのも束の間、次の瞬間には彼の右手はミシェルの髪を撫でていた。その彼の顔を見上げてば、穏やかに微笑みかける彼の面がある。その慈愛に満ちた笑みがどこか恐ろしく、ミシェルは彼から視線を外すと同時に立ち上がった。



「それで……私は罰を受けるのでしょうか?」


「いや、それは構わない」



 彼は静謐な瞳でミシェルを見詰めて、言った。



「君がなぜ騎士になったのか。その方が僕は興味があるから」



 彼の穏やかな声音は耳にやわらかいと言うのに、ミシェルの胸を鋭く刺した。もしかしたらミシェルの嘘は彼に見抜かれているのかもしれない。だが、それなら彼が自分を泳がしておく理由が彼女には分からなかった。余裕に満ちた彼の態度にミシェルは一種の恐怖すら覚える。


 ミシェルの腰には長剣がある。アーサーの剣は離れた位置にある机の傍に立てかけられている。そうなれば、この場ではミシェルの方が有利だろう。切っ先を彼に向け、脅せば良い。いっそのこと、あの国王の息子である彼を殺すことも考えた。だが、そこまで考えたところで、結局ミシェルの右手は剣の柄にさえ触れない。



「時間を取らせて悪かった。もう皆のところに戻って良いよ」


「……はい」



 再び本を開いたアーサーから視線を逸らすとミシェルは扉に向かう。部屋を出る直前で振り返って彼を盗み見た。アーサーは本に視線を落としたままだというのに、どこまでも隙のない人物だった。

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