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第四章(1)

 凝り固まった肩に触れながら、ミシェルは一つ息をついた。



(疲れたな)



 今日でアーサーが襲われた日から一ヶ月が経つ。今ではすっかり国王の仕事まで熟すようになったアーサーの戴冠式が明日に控えていた。そのため、宮殿内は戴冠式の準備に追われていた。戴冠式は宮殿の敷地内にある大聖堂で行われる。他国の王族も招いて行われる式典であるため、一切の手違いがないように、と前王の側近たちは緊張した面持ちで準備を進めている。


 先程までミシェルはルイスたちと共に当日の警備について話し合いを行っていた。そして配置について騎士たちに伝達し終えたため、明日の朝までミシェルは休暇を与えられている。


 アーサーの様子を見に行く前に部屋で着替えようと宿舎に向かう途中でミシェルは目前から歩いてくるルイスを見付けた。



「ルイス?」


「ああ、レオか」


「出かけるの?」


「ああ。ちょっとな。……それより、」



 ルイスは小さく口元に笑みを浮かべる。



「その口調の方が自然だな」


「え?」


「……俺に隠す必要がなくなったからだろ?」



 そう指摘されて、ミシェルは自分の口調が普段男性として演じている時とは違うことに気付く。言い返せずに口籠っていると、ルイスは下げていた右手を上げた。その手にある花束を肩に担いで、彼は笑った。



「一緒に来るか?」


「一緒に?」


「ああ。直ぐ近くだ。暇なら付き合わないか?」



 ルイスの花束の中に真白な百合が見えた。白を基調としたその花束が誰に贈られるものか、ミシェルはとっさに察しがついてしまう。



「一緒に行って良いの?」


「ああ」


「……それなら」



 控えめに頷くとルイスは笑顔を浮かべて歩き出す。ミシェルはその背に続いた。


 馬に乗り、数分。雑木林でルイスが馬を停めた。ルイスに続いて馬を下りたミシェルは彼の後を追う。



「今日が命日なんだ」



 他愛のないことのようにルイスがさらりと口にした。ミシェルは前に目を向けたままのルイスの横顔を見上げる。



「命日って……」


「妹のな」



 雑木林の中に作られた舗道を歩いていく。木々の間から零れ落ちてくる陽射しが白く肌を光らせる。鳥の囀りが鮮明に聞こえるこの場所は穏やかだ。空気も宮殿内より澄んでいるように感じた。


 やがて雑木林を越えた先に墓地が現れた。幾つもある白い墓石の間を通るルイスの後をミシェルは歩く。やがてルイスは一つの墓石の前でぴたりと足を止めた。



「先を越されたな」



 そう呟いたルイスの視線の先を追えば、そこには一つの花束が置かれていた。愛らしい花々が包まれたその花束を見下ろして、ルイスは小さく笑った。



「この九年間毎年置かれている」


「……アーサー?」


「だろうな」



 ルイスは墓の前で片膝をつくと、自分の持ってきた花束もその場に置く。その彼の横顔から花束に目を移して、ミシェルは目を細めた。その花束を供えるアーサーの姿を想像して、どうしょうもなく胸が痛んでしまう。彼が背負う罪悪感を思い、ミシェルの睫毛が震えた。



「……アーサーは、自分がマイリーを殺したんだって言ってた」


「まだそんなくだらないこと言ってるのか、あいつは」



 ミシェルを見上げたルイスは心底呆れた顔をしている。そのルイスの表情は少しもアーサーを恨んでも責めてもいない。



「その様子だと死因は聞いてないな」


「……訊けなかった」



 ミシェルはそう口にして俯いてしまう。


 マイリーが死んだのは自分の所為だと言ったアーサーにそれ以上彼女のことを訊くことなんてミシェルにはできなかった。それが彼の深い傷をさらに広げる行為だと思ったからだ。


 ルイスは小さく頷いて立ち上がる。そしてミシェルと向き直ると告げた。



「病死だ」


「病死……?」


「マイリーは身体が弱かった。長く生きられないことは本人も知っていたはずだ」


「……」


「……それでも十四を迎えた貴族の女性は一年間宮殿に入らないといけない決まりだった」


「決まりだった?」


「ああ。アーサーが陛下に掛け合って廃止させたからな」



 その風習とマイリーの死の関係が分からずにミシェルは眉を顰める。



「宮殿で暮らしていたことが原因だったの?」


「違う。……だが十五歳の誕生日にマイリーは死んだ」


「……」


「部屋に起こしに行ったアーサーが既に息絶えていたマイリーを見付けた。外傷はなかった。苦しんだ様子もなかった。だからアーサーが殺したわけじゃない」



 捲し立てるように話されて、ミシェルは目を泳がしてしまう。どのように返せば良いのか分からずに唇を結んだミシェルに気付いて、ルイスは言い直す。



「言い方が悪かったな。宮殿に行くことは無理強いされたわけじゃない。マイリーの身体が弱いことを知っていた陛下は宮殿に来る必要はないと仰せになった。だがそれは自分の務めだから、と押し切ったのはあいつ自身だった」



 だが、とルイスは一つため息を落として続けた。



「宮殿にいる間にマイリーは死んだ。それをアーサーは自分の責任だと感じているんだろう」


「……ルイスはアーサーを恨んでいないのよね?」


「ああ。恨む理由なんて一つもないだろう」



 そう言われてミシェルはアーサーを狙う刺客のことを考える。


 この一ヶ月間、アーサーが命を狙われていることを知った騎士団が彼の護衛を強化した。その所為でアーサーの許に刺客が現れることはなかった。それはつまり騎士団の動きを知っている者が刺客だったから、ではないだろうか。少なくとも宮殿内に出入りできる身分の者が犯人である可能性が高い。



「お前、俺を疑っているのか?」


「ち、違うわ!」



 ルイスの言葉にミシェルは首を左右に振る。



「それにルイスの右手には傷がないもの」


「傷?」


「あ……」



 ミシェルは自らの口に手を当てるが吐き出した言葉は元には戻らない。ルイスはミシェルを睨むと低い声で問うた。



「何かアーサーに口止めされているのか?」


「それは……」


「教えろ」



 事件の後、ミシェルはアーサーから刺客に傷を負わせたことは黙っておくように、と言い付けられていた。なぜだと食い下がる彼女をアーサーはなおも制して、頼み込んだのだ。なぜ彼がそれほど刺客を庇うのかミシェルには分からない。あれほど彼が庇う相手なのだから、もしや刺客はルイスかと勘繰ったが、ルイスの様子からそれは考えられなかった。


 ミシェルはルイスの右手を見る。殆どの騎士が剣を携えている限り手袋を外さない。彼の手も今は革の手袋に隠されていた。ルイスの顔を見上げたミシェルは彼に引く気がないことを知ると諦めて口を開くことにした。



「一ヶ月前のアーサーが襲われた時に私、刺客の右手の甲に短剣を投げつけたの。多分、結構深い傷になったんじゃないかと思う」


「……」


「ルイス?」



 彼は細めた目を斜め下に落としたまま黙り込んでしまう。鋭いその瞳が哀しそうにも見えたミシェルは彼の顔を覗き込もうとした。だがそれを制するようにルイスが唸りのような低い声で彼女に問いかける。



「アーサーはそれを黙っていろと言ったんだな?」


「え、ええ」


「命が狙われているのも黙っているように命じたのはアーサーだったな」


「そうだけど……」


「あいつ……」



 呟いたルイスが舌を打つ。そうして顔を上げたルイスが目を見開いた。彼の視線がミシェルの背後に向かっている。驚いた表情のルイスの唇が開かれた。



「エリオット」



 そう口にしたルイスの声はどこか責めるようだった。ミシェルが振り返るよりも早く駆け出す足音が背後で聞こえ、それを追うルイスがミシェルの隣を走り抜けた。



「エリオット!」



 振り返ったミシェルの視界で白い花々が散っていく。エリオットに放り投げられた花束だった。その向こう側でルイスに倒されるエリオットの姿があった。



「やめろ!」



 エリオットの上に乗ったルイスは抵抗する彼の右手を無理やり掴んだ。そしてその手にはめられた手袋に手を掛ける。


 そして……――。



「……――それ」



 陽の下に晒されたエリオットの右手。その手の甲に赤味を帯びた一文字を見付けた。


 ミシェルは呟いたきり、何も言えなくなってしまう。放心状態で立ち尽くす彼女の目前でエリオットの右腕を捻り上げるルイスの姿があった。



「これはどうした」



 エリオットは無言でルイスを睨み返している。その彼を目で捉えたまま、ルイスはミシェルへ声を投げた。



「お前言っていたな。アーサーを襲った刺客に傷を負わせた、と。確か右手の甲だな?」


「……ええ」


「普段から手袋をつけているから気付かなかった」


「……」


「何とか言え、エリオット……」



 ルイスの声はいつにも増して低い。全ての感情を押し殺すようなその声を受けて、エリオットは目を細めた。



「ルイス、――お前は悔しくないのか」



 エリオットは静かに問うた。だが次の瞬間には全ての怒りが声となって吐き出される。



「俺は許せない! マイリーを死んだ原因は、あいつだ!」


「お前は何を言って――」


「宮殿なんかに行かなけりゃ、マイリーは死なずに済んだだろ!?」


「……」



 血を吐くように告げたエリオットにルイスは眉を寄せた。



「お前、本気で言っているのか?」


「俺は本気だよ。マイリーが死んだ理由も、全てあいつが原因だ。……俺はあいつを赦せない」



 そう告げた直後、エリオットの左手が自身の腰に回った。彼の指先が触れたのは、腰に携えた短剣の柄。そのまま素早く抜かれた短剣の刃がルイスを狙う。反射的に手を離したルイスの隙を狙って、エリオットは彼から逃れた。立ち上がる勢いさえも利用して、彼は全力で駆け出す。



「エリオット!」



 叫ぶルイスの呼び声に、エリオットは振り返ることすらしなかった。ルイスが立ち上がる間に雑木林へと逃げ込んだエリオットの姿が見えなくなってしまう。きっと彼もここまで馬で来たのだろう。その馬で今頃さらに遠くまで逃走しているに違いない。


 ミシェルはルイスの傍まで近寄るとそっと彼に手を差し出した。



「ルイス……」


「……悪いな」



 ルイスはミシェルの手を掴むと立ち上がった。ミシェルはエリオットが去っていた方角に視線を投げる。走り去っていくエリオットの背を思い出いて、胸が痛んだ。



「どうして、エリオットが……」


「エリオットはマイリーと婚約していたんだ」


「婚約って……」


「マイリーは宮殿から帰ってきたらエリオットの許に嫁ぐはずだった。だが帰ってくるはずのあの日、マイリーは死んだんだ」



 ミシェルは以前エリオットから聞いた話を思い出す。彼は大切な者を自分で護るために騎士団に入ったと話していた。


 だが彼が本当に護りたかった者は、もう、この世にはいない。再会する直前に愛しい人を失った彼の心痛はどれほどのものだっただろう。



「行くぞ」


「え……行くって……?」



 ルイスに声を掛けられ、ミシェルは戸惑う。そんな彼女に振り返って、ルイスはいつも通り厳しい表情で言った。



「お前がアーサーを護るんだろう?」


「でも、エリオットは……」


「……」



 エリオットはミシェルが騎士団に入ってからずっと共に暮らしてきた。騎士団の中で誰よりもミシェルが仲良かった人物だろう。


 ミシェルは未だにエリオットがアーサーの命を狙っていたことを信じられないでいる。自分よりもずっと長い間彼と付き合ってきたルイスならなおさら平気なはずはないのに。



「行くぞ」



 もう一度そう言ってルイスが歩き出す。その彼の背に続こうとしたミシェルの足元に崩れた花束があった。それはエリオットが持ってきた花束だ。ミシェルはすっかり花が散ってしまっているそれを拾う。そしてそっとマイリーの墓前に供えると、ミシェルはルイスの後を追った。







 宮殿に帰るとミシェルはアーサーの許に急いだ。長い廊下を駆け、騎士が見張る彼の執務室へ飛び込む。



「アーサー!」


「ミシェル?」



 机で書類の整理をしていたアーサーはミシェルを見ると目を瞬いた。



「どうしたの、そんなに慌てて?」


「あ……」


「なに? 僕に会いたくて仕方がなかったのかな?」



 ノックもせずに入ってしまったことに気付いたミシェルにアーサーはいつものように軽口を叩く。だがアーサーは直ぐに仕事を再開すると首を傾げた。



「それでどうしたの?」


「……全部聞いたわ」


「……」



 ミシェルの声に怪訝そうにアーサーは目を細める。



「何の話?」


「アーサーは、全部知っていたの?」


「何が?」


「自分の命が誰に狙われているか、知っていたの?」



 問い掛けながら、知っていたのだろう、とミシェルは思う。そうでなければ彼が刺客を庇う理由など有りはしない。そして刺客がなぜ自分の命を狙うのかも、きっと彼は知っていたのだ。


 アーサーは持っていたペンを置くと、一つ息をついた。そして視線を手許に落とした彼が滔々と話し始める。



「昔はね、この国では国王が王妃の他にもたくさんの女性を囲うことが普通だったんだ。今では一夫一婦制だけれど、その名残が最近まで残っていた。その犠牲者がマイリーだった」



 アーサーは、マイリー、と彼女の名を口にする時声に切なさを滲ませる。その感情が何から来るのか考えそうになる、ミシェルの耳にアーサーの言葉が続いた。



「僕は彼女が弱っていることに気付けなかった。だから僕が彼女を殺したことになるんだ。エリオットもそう考えたんじゃないかな」


「……でも」



 アーサーが顔を上げる。重なった視線を逸らさず、ミシェルは唇だけを動かした。



「アーサーも、マイリーのことが好きだったんでしょう?」


「好き?」



 それは初めての言語を聞いたような反応だった。アーサーは瞳をぱちくりとさせてから困ったように切なげに笑う。



「そうだね、好きだったよ。でも僕とエリオットの『好き』は少し違うかもね……僕は彼女に甘えていたんだ。何があっても笑っていられる、彼女の強さに」



 父からも母からも忌み嫌われた彼の救いが彼女だったのかもしれない。恋ではない、けれど誰かを慕う感情をミシェルも知っている。つらい時に傍にいてくれるだけで安らぐ存在の強さを、ミシェルも知っていた。



「僕は彼からマイリーを奪った。そう思っている」



 それきり机に右肘をついたアーサーは掌で口を覆ってしまう。


 ミシェルは自らの胸に手を当てる。その胸にある痛みを思い、ミシェルは目を細めた。



「貴方は、それでいいの?」



 アーサーが顔を上げる。その瞳の奥にある光は全てを諦観してなどいない。それが彼の強さなのだろう。そんな強さが全てを自らの罪だと受け入れさせたのだろうか。それはあんまりだと思った。



「だって……苦しんでいるのは、貴方も同じなのに」



 掠れたミシェルの声に、アーサーはただ微笑むだけだった。


 彼は立ち上がるとミシェルの傍に寄った。そうしてやはり完璧な隙のない笑顔を湛えて、彼は言った。



「明日は戴冠式だ」



 アーサーがヴァルナーの国王に即位する日だ。口では嫌いだと話していた父の跡を継ぐ。その彼の決意がどれほどのものか、想像に難くない。


 アーサーはふっと息をついた。それは憂うような、けれど優美な微笑だった。その表情をミシェルに向けたまま、アーサーは首を傾ぐ。



「戴冠式の前に僕の部屋に来てくれる?」


「アーサーの部屋に?」


「そう」



 頷くアーサーはにっこりと笑って、ミシェルの顔を覗き込む。



「待っているからね」

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