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(5)

 訓練の合間に与えられた休憩で、ミシェルは汗で蒸れた手袋を外しながら訓練場の外に出た。この季節には嬉しい、ひんやりとした風が吹き抜ける。薄暗い廊下。その大理石の床に座り込んで柱に寄りかかるエリオットを見付けた。



「お疲れ」


「おう、レオ」



 ミシェルはエリオットの隣に腰を下ろした。顎から滴る汗を拭う彼女の隣でエリオットは深いため息をついていた。



「ルイスもスパルタだよな……俺、もう宿舎帰りたい」


「お一人でどうぞ」


「冷たいな、お前は」



 エリオットは膝で頬杖をついて、横目でミシェルを眇める。その彼を短く笑って、ミシェルはふと口を開いた。



「そういえば」


「ん?」


「この前、エリオットが花束を持って出かけるのを見たんだ」


「ああ……」



 頷いた彼を見る限り、やはりあれは見間違いではなかったようだ。エリオットはどこか途方に暮れたような顔をして答える。



「デートだよ、デート」


「デート?」



 驚いたミシェルは目をしばたいて、首を傾げた。



「エリオットが?」


「……何だよ、そんなに意外かよ。お前、失礼にも程があるぞ」


「ごめんごめん」



 笑って謝ると、何だよ、とエリオットは不貞腐れたように呟く。そんな彼をさらに笑っていると、エリオットが話を切り替えた。



「それよりもアーサー様の傷の治りが早いってな」


「ああ。もう歩き回っているよ」


「よかったな。大したことなくて」


「……そうだな」



 ミシェルはアーサーの様子を思い出して、目を細める。


 アーサーはすっかり自分の足で立って歩けるようになっている。おかげで、昨日も休んでいるようにと説得するミシェルの後をついて回っていた。彼の本心が上手く読めない以上、彼が無理をしているのではないかとミシェルは心配になってしまう。



「そろそろ戻らないとルイスに殺されるな」


「そうだな」



 エリオットが勢いをつけて立ち上がる。その彼に続いて足に力を入れたミシェルの前を慌ただしく走り抜ける人物がいた。



「ラウィーニア団長! 団長!」


「……何だ、騒々しいな」



 エリオットが迷惑そうに顔を顰める。今走っていたのは確か国王の側近ではなかっただろうか。初老の男が走る、その珍しさにミシェルが男の背を目で追った。男は訓練場内に駆け込んでいく。それと同時に彼が叫んだ。



「今し方、国王陛下が逝去致しました!」



 耳を打ったその訃報にミシェルは目を剥く。そんな彼女に目配せをしてエリオットが闘技場に急ぐ。ミシェルも後を追うと、国王の側近から報告を受けたルイスが疑わしげに眉を寄せていた。



「……陛下が?」


「はい。それと、アーサー様の命で葬儀は明後日行われます。詳細は後ほどお伝えいたしますので」


「……ああ、分かった」


「円卓の騎士の皆様も葬儀に出席されますように、とのアーサー様からのお託でございます」



 そう告げた側近にそれぞれ視線を向けられ、ミシェルとエリオットも首肯する。



(国王が、死んだ?)



 知らない間に握り締めたミシェルの掌はじっとりと汗をかいている。


 国王はずっと病を患っていた。いつか死ぬことは分かっていた。そう遠くない日に彼が死ぬことなど分かっていたつもりだった。そして彼の死でもたらされる感情は、きっと歓喜に近いことを予想していたのに。


 ミシェルの胸に広がったのは、混沌とした蟠りだ。そのもやもやとした釈然としない気持ちを抱えたまま、目を細めたミシェルは心中で呟く。



(……アーサー)



 彼は今、どうしているだろう。







 国王葬儀当日。


 ミシェルは参列者の最後尾で国王の葬儀に参加していた。各国から訪れた来賓と挨拶を交わすアーサーはいつも通りの笑顔で対応していた。どこまでも完璧な応対であったからこそ、ミシェルは不安に思う。いくら嫌っていたとしても、亡くなったのは彼の父なのだ。


 葬儀は滞りなく進み、終わった頃には分厚い雲が空を覆っていた。国王の死を哀しむような、その空の下でミシェルはアーサーの後姿を眺めていた。シリルは既にルイスたちと共に宮殿へと戻っている。共に戻るかという誘いを断って、ミシェルは父の墓前に佇んだまま動こうとしないアーサーの背を見詰めていた。


 声を掛けることを躊躇った。けれどどこか痛々しい彼の姿に、気付けばミシェルはそっと声をかけていた。



「アーサー?」


「……ミシェルか」



 振り返ったアーサーはどこか疲れた顔をしている。彼はその顔にかすかな笑みを浮かべた。



「ルイスたちと先に戻ったのかと思っていたよ」


「護衛の私が貴方を置いて戻るわけがないでしょう」


「……それもそうだね」



 ミシェルはアーサーに手招きされて、彼の隣に並んだ。


 国王の墓だというのに、想像していたよりも遥かに小さい。あれほど憎み、恨んでいた男の死だというのに、ミシェルの心が晴れ渡ることなどなかった。全てを赦せたわけではないのに、なぜか死者を悼む心がある。



「僕は父に嫌われていた」



 アーサーがぽつり、と呟いた。耳を澄まさなければ聞き逃してしまいそうな声だった。彼は白い墓石を見下ろしたまま続ける。



「以前、騎士団で団長を務めている男がいたんだ。その彼が僕と同じ金髪碧眼だった」


「それは……」


「真実は分からない。母は死んでしまったし、その男はコーデリアとの戦争の最中で亡くなったからね」



 死した者に、なぜ、と問うことはできない。彼は抱えた疑惑の中で、どれほど心を殺してきたのだろう。


 アーサーは一際大きな息を吐いた。その吐息に乗せて、彼は告げる。



「僕も父が嫌いだ」



 そして全てを吹っ切るように、彼は空を見上げる。



「戦に狂い、強さこそが正義だと信じていた人だった。人から恨みを買い、誰も信頼することがなかった。その結果が病に蝕まれて苦しみ死ぬことなのだとしたら、必然以外の何ものでもないんだろうね」



 その声に、ミシェルは答えることができない。彼の苦しみはミシェルとはきっと違う種類のものだ。


 彼に掛ける言葉を探すミシェルの手が、不意に彼の手に絡み取られた。ずっとここで立ち尽くしていた所為だろう、彼の手は真冬にあるように冷たい。その冷たさに驚くミシェルの耳に彼の声が流れ込む。



「僕はこれから、この国を背負わなくてはならない」



 強い、声だった。


 鋭ささえ滲ませて、彼は決意をその声に乗せた。



「父が残した、この国を」



 彼は父の墓石を睨むように見ていた目をミシェルに向けた。



「君は、」



 いつもは笑みばかり浮かべた、その顔を真剣なものに変えて。彼の双眸は真っ直ぐにミシェルの瞳を射抜いた。



「ミシェルは、僕の傍にいてくれるんだろう?」


「……ええ」



 返す声もまた、強くなる。けれどミシェルは口元に穏やかな微笑を乗せた。



「貴方を護るって、約束したでしょう?」


「……うん」



 頷いた彼は屈託なく笑った。



「そうだね。君がいれば、僕は無敵になれる気がするよ」



 その声にミシェルは彼の手を握り返す。すると彼の手がより強くミシェルの手を握り締めた。それも束の間、ミシェルは彼に腕を引かれた。その強さに導かれるままにミシェルはアーサーの肩で額を打つ。そして驚く間もなく背中に回された彼の腕に捕えられた。



「アーサー?」


「……少しだけ」



 喋る彼の吐息がミシェルの耳を撫でる。掠れた声は、切なくミシェルの胸を締め付けた。


 ミシェルの視界は薄暗く、胸は彼の匂いで満ちていた。自分の心音が相手に聞こえてしまいそうな距離に戸惑うミシェルの耳に、彼の震えた吐息が聞こえた。



「僕には、もう、君しかいない」



 背中に回された、彼の腕の力が強くなる。



「君だけは、失いたくない」


「……私はここにいるわ」



 ミシェルは彼の背の傷に触れぬように気遣いながら、彼の身体を抱き止める。


 彼の顔を見ることはできなかった。彼が今、どんな表情をしているのかなんて、顔を見なくても分かってしまう。彼の震えた吐息と身体が、ミシェルの涙を誘う。それに耐えて、ミシェルは茶化すように彼の胸の中で小さく笑い声を立てた。その強がりで、少しでも彼の痛む心が解放されるように願って。


 ミシェルはいつかの台詞を彼に返した。



「貴方が私に飽きるまで、傍にいてあげる」


「……心強いな」



 アーサーのささやかな笑い声が聞こえる。その声に耳を澄ませながら、ミシェルも微笑んだ。

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