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(2)

 アーサーの執務室に向かう途中、一階の廊下を歩いていたミシェルはふと足元に視線を落とした。耳の奥では先ほどルイスから聞いた話が繰り返し流れている。


 結局、なぜルイスの妹が亡くなったのか、その理由を訊くことが憚れてできなかった。否、もしかしたらミシェル自身がその理由を訊くことを恐れたのかもしれない。彼女の中で何かが繋がってしまった以上、それを確信に変える、それが怖いのだろう。


 深い吐息を落としながらミシェルは顔を上げる。その時、丁度左右の壁が途切れ、視界が開けた。瞳に直接差し込んだ陽射しに目を細めながら、ミシェルは外へと視線を投げた。その視線の先で見覚えのある姿を見付けて彼女は足を止める。



「エリオット?」



 距離は遠かったが、その背格好からエリオットだとミシェルには分かった。いつもとは違う私服姿で、腕には色とりどりの物が抱えられている。花束のようだった。



(どうして?)



 誰かと会うのだろうか。


 宮殿の外へと向かっていく彼の後ろ姿を眺めていると、ミシェルの後ろから近づく足音があった。



「ああ、ここにいたんだね」



 その声に振り返るとアーサーの姿があった。彼はゆったりとした足取りで近付いてくると自然な仕草でミシェルの右手を掴む。



「ミシェル、こっちだよ」



 少し強い力でミシェルの手を引いて、アーサーは歩き出す。彼に手を引かれながら、ミシェルはエリオットを振り返った。彼は振り返ることなく、真っ直ぐに宮殿の外へと向かっている。その彼から醸し出される雰囲気がいつもの彼のものとは違う気がして、ミシェルは目を細めた。


 それからミシェルは自分の手を引き続けているアーサーに視線を上げる。



「どこへ行くの?」


「庭園へ行こう。とても綺麗に薔薇が咲いているんだ」



 そうすることが当たり前のように答えたアーサーにミシェルは戸惑う。ミシェルは遊ぶために彼の護衛を買って出たわけではないのだ。



「でも……」


「何なら剣も置いて」


「……私は貴方と遊ぶために護衛を買って出たわけじゃないのよ」


「知っているよ」



 不服そうなミシェルの声を笑顔でかわしながらアーサーは足を止めた。



「庭園がお気に召さないなら何にしようか? 部屋で読書でも? そういえば良い茶葉が入ったとマルヴィナが話していたよ」



 自分の意見を無視して話を進めてしまうアーサーにミシェルは焦る。



「ま、待って。私の話聞いてる?」


「聞いているよ。僕の護衛をしてくれてるんだろう?」


「そうよ。だから遊ぶわけじゃ――」


「一緒にお茶をするのは、遊びじゃないよ」


「……そうかしら?」


「そうだよ。それじゃあどうする? 部屋でお茶か、薔薇園の散歩か」



 なんだか彼のペースにすっかり巻き込まれている気がする。納得いかないミシェルにアーサーが微笑む。その微笑一つで、ミシェルは吐き出しかけた不満を飲み込んでしまう。そんな彼女に彼は尋ねる。



「やっぱり薔薇園の方が良い?」


「……そうね」


「うん。じゃあ薔薇園にしよう」



 再び歩き出したアーサーにミシェルは腕を引かれる。彼の手と繋がれた手首から彼の体温を感じる。そのあたたかさで胸の内側に広がる焦燥感があった。その感覚を拭い去るために、ミシェルは前を行く彼の後頭部に声を放つ。



「貴方といると調子が狂うわ」


「うん、それが目的だからね」


「……変なひと」



 本当に変な人だ、とミシェルは思う。


 かつてミシェルは彼の父の命を狙った。その彼女を助けたことすら不思議だというのに、彼は護衛を買って出たミシェルをすんなりと受け入れた。そして今はこうして共に行動することを彼から望む。それはとても不自然なことのようにミシェルは思うのだ。本来ならば、彼に不信感を持たれることこそ自然なことではないだろうか。



「君は僕の護衛をするために、騎士団に残ったの?」


「ええ」


「それじゃあ、僕の護衛が終わったらヴァルナーを出て行くのかな」


「……」



 アーサーの声は投げかけているというよりも、独白に近い。ミシェルからは彼の表情が見えない。しかし発せられた彼の声に切なさが漂っていると感じたのは彼女のエゴだろうか。


 ミシェルが見上げた視線の先で、アーサーの金色の髪が風に吹かれて揺れている。そのたびにきらきらと細かな光の粒が舞うように輝いている。その彼の後姿を眺めながら、ミシェルはふと口を開いた。



「ねえ、アーサー」


「なに?」


「マイリーって子を知ってる?」


「……マイリー?」



 アーサーはミシェルの言葉を確かめるように小声で反芻する。同時に足を止めた、その彼はミシェルに振り返ろうとしなかった。



「ルイスから聞いたの。ルイスは公爵家の嫡男で、マイリーは九年前に亡くなったって。そのために騎士団に入ったんだって」


「……貴族の息子の殆どは騎士団に入るけどね」



 それよりも、と再び足を踏み出しながらアーサーは続ける。



「僕といる時に他の男の話は聞きたくないな」



 そう言って振り返った彼の顔にはいつもの微笑がある。やさしくやわらかく見える、その笑顔がどこか翳っているように見えた。それはミシェルに形のない不安を過らせる。彼がこのまま消えてしまいそうな、不安定な存在に思えてしまう。



「ほら、着いた」



 薔薇園に着くとアーサーはミシェルの手首から手を離した。薄れていく彼の体温を追うように、ミシェルは掴まれていた自分の手首を見下ろす。胸の中で膨れる切なさが痛みを放っていた。


 顔を上げたミシェルの視界でアーサーは薔薇の花弁に指先で触れる。



「この薔薇は紅茶に入れても香りが良い、とマルヴィナが話していたよ」


「……」



 返答のないことに気付いたアーサーがミシェルに顔を向ける。ミシェルの顔を見たアーサーが困ったように微笑んだ。その表情の意味も、今の自分の表情も分からないミシェルは首を傾げる。そんな彼女の前に立って、アーサーはささやかな声で尋ねた。



「ミシェル、明日は暇?」


「……明日?」


「うん」



 なぜ、そんなことを訊かれるのか。分からないままミシェルは答える。



「明日は休暇をもらっているけど……」


「それなら調度いい」



 アーサーは嬉しそうに笑った。



「一緒に城下に行かないか?」


「城下?」


「うん。街に下りよう」



 突然の誘いにミシェルが困惑する。その彼女に微笑みかけて、アーサーは言う。



「これも護衛の一つだよ」


「またそんなことを言って……」


「良いじゃないか。たまには僕と一緒に遊びに出たって」


「それは……」


「君が来なくても、僕は一人でも城下に行くよ」



 なんて強引な誘い方をするのだろう。


 そう言われてしまえば、ミシェルは断ることなんてできない。



「異論はあるかな?」


「……ないわ」


「それなら良かった」



 そう口にして、アーサーは立ち止ったままのミシェルの手を引く。咲き誇る薔薇の間を通りながら、アーサーは他愛のないことのように続けた。



「それじゃあ服も用意しないとね」


「服?」


「うん。楽しみにしていて」



 彼と一緒にいると自分のペースが崩される。彼のペースに巻き込まれてしまう。けれどそれが不快ではないのは、なぜなのだろう。


 ミシェルは戸惑いながらも、自分の手を引く彼の手を払いのけることができなかった。







 アーサーが用意した服を身に纏って、ミシェルは顔を顰めた。



(何なの、これ)



 淡い青色をしたドレスのスカートの部分は幾重にもやわらかな生地が重ねられ、ところどころ薔薇の形を模している。肌にしっとりと馴染む、その肌触りから随分と高級品であることが分かった。胸元に散りばめられたビーズは目映く光を反射する。その一粒一粒が高価であることは容易く想像できて、ミシェルはさらに眉根を寄せてしまう。



(これで、街に下りるの?)



 ミシェルは今、アーサーに案内された宮殿の一室に来ていた。服なら自分の部屋で着替えられると告げたミシェルを、それでも半ば強引にこの部屋に連れてきたアーサーの思惑がようやくミシェルにも分かった。


 確かに騎士団の宿舎からこの恰好で出てくることは不可能だ。その上、あの王子は丁寧に化粧道具まで部屋に置いて出て行った。時間をおいて迎えに来ると話していた彼の楽しそうだった表情を思い出して、ミシェルがため息を零していると軽く扉がノックされた。振り返ったミシェルの視線の先で、そっと扉が開かれる。



「レオさま?」


「マルヴィナさま……」



 扉からひょっこり顔を出したのはマルヴィナだった。ミシェルが賊に襲われた後日泣きながら謝りにきた時とは打って変わって、彼女はミシェルの姿を見ると零れんばかりの笑顔を浮かべた。



「まあ、本当! お兄さまの言った通りだわ!」


「え?」


「お化粧、するんでしょう? お手伝いしに来たの!」


「……」



 ミシェルは心底あの男の周到さに感心する。


 さあさあ、とミシェルを椅子に導いて、マルヴィナはてきぱきとミシェルに化粧を施していく。



「マルヴィナさまは王女なのにお化粧ができるのですね」


「ええ、好きなの。ドレスは自分じゃ着られないけど、お化粧は自分でするのよ」



 笑みを濃くしながらマルヴィナは手を動かしていた。その手を止めずに彼女は流れるように話を変える。



「レオさま」


「何ですか?」


「わたくし、お兄さまのあんなに楽しそうな顔は久しぶりに見たわ」



 その声がかすかに震えている気がして、ミシェルはマルヴィナの顔を盗み見る。そこにはどこか哀しそうに笑う彼女がいた。



「レオさまに出会って、お兄さまってば昔に戻ったみたい」


「……」


「だからわたくしは良いと思ってるの」



 何を、と首を傾げたミシェルにマルヴィナは微笑む。



「お兄さまが男色でも」


「いや……それは違うと思いますよ」



 やんわりと否定したミシェルにマルヴィナは笑顔を向けるだけだった。そして化粧を仕上げるとマルヴィナは満足そうに笑った。



「できたわ」


「ありがとうございます」



 化粧道具を仕舞うとマルヴィナは扉に向かいながら首を傾げる。



「これからお兄さまと城下に?」


「はい」


「それじゃあ、お兄さまに何かお土産をお願いしてこないと!」



 マルヴィナは張り切った様子で両手をぐっと握り締めると早足で部屋を出て行った。あの様子だとアーサーがこの部屋に現れるのはもうしばらくかかりそうだ。


 ミシェルは姿見に映る自分の姿を眺める。アーサーから贈られたこのドレスは先日のマルヴィナに着させられたドレスよりも遥かに自分の身体にぴったりと合う。化粧までしたその姿はかつてコーデリアで見た第二王女の姿によく似ていた。


 胸に浮かんだ鈍痛を拭うようにミシェルが自分の胸を撫でた、その時。



「……ミシェル様?」



 小さなノックの音の後、控えめな声と共に扉が開かれた。そこから現れた従者の姿にミシェルは目を瞬く。



「シリル、どうしたの?」


「アーサーにミシェル様がこの部屋にいると聞いて……」



 シリルが後ろ手に扉を閉める。その彼の視線がミシェルの姿を映して固まる。その彼の反応と現在の自らの格好を思い、ミシェルは目を泳がせる。押し寄せる羞恥に耳が赤く熱を持つのが分かった。ぎゅっと胸元で手を握り締めて、ミシェルは早口で言い訳を捲し立てる。



「へ、変よね。ずっと女性の恰好なんてしてなかったし。でもアーサーが――」


「きれいです」


「……え?」



 遮ったシリルの声に、ミシェルは目を見開く。



「ずっと見てみたかった」


「こ、こんな姿を?」


「はい。よくお似合いです」



 そう口にしたシリルが、笑った。


 微笑んだ彼の姿に、ミシェルは涙が込み上げそうになる。今まで共に生きてきて、ようやくミシェルはシリルの本当に求めていたものを知った気がした。


 涙の気配を無理やり飲み込んで、ミシェルは笑顔を浮かべる。



「でもどうしてここに? アーサーに聞いたの? 私のことを探していたの?」


「いえ。アーサーがこの部屋に行け、と――」


「お待たせ」



 シリルの声に被せるようにして聞こえてきた声があった。同時に開いた扉からアーサーが姿を現す。彼は手を背後に回したまま部屋へと入ってくる。



「もう準備はできた?」


「え、ええ」



 頷きながら、ミシェルは近付いてくるアーサーに戸惑う。彼は鼻先に吐息がかかる位置までミシェルに顔を近づけてから微笑んだ。



「うん。完璧だね」


「でもこの恰好で宮殿内を歩くのは……」


「大丈夫だよ」



 そう口にした彼は後ろに隠していた手を現した。その手に持っていた白いベールをミシェルの頭にかける。



「ほら。これで君がミシェルだとは分からない」



 薄いベールで髪も顔も覆われた。淡い視界でミシェルはアーサーを見上げる。



「本当に出掛けるの?」


「うん。ベールは宮殿を出たら取ろうね。……一緒に来てくれるんでしょう?」



 そう言ってアーサーはミシェルの手を掴む。繋がれた手にミシェルが目を瞬かせている間にアーサーは扉の近くに佇んでいたシリルに声をかけていた。



「それじゃあしばらく彼女を借りるよ」


「ああ」



 シリルは静かに頷き、ミシェルに目を向ける。



「お気をつけて」


「ええ」



 シリルに微笑んだミシェルの手がアーサーに引かれる。そのまま歩き出そうとしたところでミシェルは足を止めた。



「あ、ちょっと待って」



 ミシェルはアーサーの手から逃れると部屋の隅に置いた服の上に重ねていた短剣を手に取る。それをそっと鞄に潜ませていると背後からアーサーのため息が聞こえた。



「そんなものはいらないって言ってるだろう?」


「でも私は貴方の護衛なのよ」



 そのために一緒に城下に降りるのだ。それにミシェルが剣を持つことを拒むくせにアーサーの腰にはいつも通りに剣が携えられている。これではどっちが護衛役か分かったものではない。そのミシェルの考えが分かったのか、アーサーは呆れた様子で首を縦に振った。



「分かったよ。ほら、行こう」



 差し出されたアーサーの手。その手を掴むべきか悩む、そのミシェルの手がアーサーの手に取られた。



「行こう、ミシェル」



 甘く響く声に誘われて、ミシェルは足を踏み出す。その彼女をかすかな笑顔を浮かべたシリルが見送る。その彼を一瞥して、ミシェルはアーサーと共に部屋を出た。


 彼に手を引かれるまま廊下を歩き、宮殿の外へ向かう。その途中でミシェルは前を歩くアーサーの背を見上げて尋ねた。



「でもアーサー」


「なに?」


「……こんな高級な服を着ていたら、きっと城下で目立つわ」


「良いんだよ」



 やわく否定して、アーサーは軽く笑う。



「どうせどんな格好をしていても、目立つんだから」


「……」



 そう言われてしまうと、ミシェルは何も言えなくなる。


 金色の髪も空のように澄んだ碧い瞳も、透き通るような白い肌も。きっと彼はどれほどみすぼらしい服を着ていても、たくさんの人の目に留まるだろう。



(否定できないのが悔しい)



 そう思って少し膨れていると、足を止めたアーサーがミシェルの顔を覗き込んだ。



「でもね、」



 一度声を区切った彼は微笑む。



「ベールを外しても、きっと誰も今の君をレオ・マーヴィンだと気付かないよ」



 ミシェルはその言葉の意味が分からず首を傾げる。そんな彼女をアーサーはおかしそうに笑った。



「きれいだって、言ってるんだよ」


「……冗談ばかり」


「冗談じゃないのに」



 かわかうような声で告げたアーサーにミシェルは口を噤むことしかできなかった。

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