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(3)

 誰かに抱きかかえられた自分が馬に乗せられていることに、ミシェルは瞼を閉じてもなお意識を手放さぬようにと努めた中で感じ取っていた。馬の蹄の音を暗闇の中で聞き、瞼に時折刺す日差しの眩しさで意識を繋ぎ止める。それでも四肢はどこまでも重く、彼女の意思に従ってはくれない。


 馬の動きが、止まった。


 引き摺り落とされるように馬上から下ろされたミシェルは倒された身体に土の冷たさを感じながら、重い瞼を持ち上げた。どうやらミシェルが連れて来られた場所は、王都の直ぐ近くにある森の中のようだった。鳥の囀りが遠くから聞こえる。人々の喧騒も聞こえず、ただ人の息遣いだけは直ぐ間近に感じた。


 頭が、重かった。上手く思考が回らず、だがそれでも本能が激しく警報を鳴らす。逃げなくてはならない。ここで死ぬわけにはいかなかった。こんなことのために、あの時生き延びたわけではないのに。死ぬ覚悟など出来ている。だが、それは今、この時ではないから。



「っ……」



 指先は麻痺したように感覚はなかったが、それでもどうにかわずかに動かすことができる。それを薄く開いた視界の下方で確かめるミシェルの耳に、男達の声が届いた。



「早く終わらせようぜ。マルヴィナを殺したら、とっとと報酬受け取って国外逃亡だ」


「分かってる」



 声は、二つ。


 頭上から落ちてくる影と同じ数だ。相手は二人だと認識すると同時に、ふと疑問が頭を過った。



(マルヴィナさまと勘違いされている……?)



 確かにマルヴィナの髪は薄茶色で、容姿を詳しく説明されなければ間違えられても不思議ではなかった。あの宮殿に残っている王女はマルヴィナ一人。その中、似たような髪色をした同じ年頃の娘が宮殿内でドレスを纏っていたものだから、ミシェルは間違えられたのだ。


 ミシェルの首に刃が宛がわれる。その刃が引かれる、その直前。ミシェルはそれから逃れるために体を動かした。だが緩慢な動作しかできない身体では全てを避けきれなかった。


 痛みよりも先に衝撃が頭に伝わった。遅れてやってきた痛覚は表情を保てないほどに、鋭い。咄嗟に、首を重い右手で抑える。首の傷口を抑えた指の間からは、血液が溢れ、零れていく。鮮明な赤は地面に落ちると、黒く色を変え、褐色の土に吸い込まれていった。



「お前……っ」



 怒気に歪む顔を二人の男はミシェルに向ける。それをミシェルは強い眼差しで見詰め返した。


 痛みは酷いが、きっと傷自体は大したことない。


 頭は朦朧としている。霧かかったような視界は曖昧で、上手く身体は動かない。それでもどうにか立ち上がり、男達から離れるように一歩一歩と後ずさる。じりじりと距離を詰めてくる男達からミシェルは視線を外さなかった。しかしふらふらと揺れながらも逃げるその身体はやがて、行き場を失ってしまう。背中に木の幹を感じる。冷たく、硬い感覚が後頭部から伝わってきた。そのままミシェルの身体は幹に沿うようにしてずるずると地面へ向かって崩れていく。


 ここで足を止めてはいけないのに、逃げなくてはならないのに。


 吸わされた薬と傷の痛みの所為で、ひどい倦怠感が身体を襲い、いつもは軽やかに地面を蹴る足を鉛のように重くしている。傷を負った首は重く怠く、重力のままに俯いた。荒い呼吸の間に、かすかに喘ぐ声が唇の隙間から零れて落ちる。苦痛に睫毛を震わせた視界の中に、ミシェルは爪先の擦り切れた二足の靴を捉えた。同時に剣の切っ先も見え、もうだめかもしれない、とミシェルの頭を過っていく。



(でも……)



 彼らはミシェルのことをマルヴィナと勘違いしている。だが、あの大人しく愛らしい少女を殺す必要がどこにあるのだろう。王位継承する王子を殺すなら未だしも、王女は他国や領主の許へ政のために嫁に出される以外に重要な役目などない。それなら、なぜ、マルヴィナは命を狙われているのだろうか。



(わからない)



 首の傷口は、脈打つたびに熱く、強く、痛んだ。生温さと独特の粘度を右手から感じながら、ミシェルは瞼を下ろす。土を踏む、足音。近くづくそれを感じていた、その時。


 金属が、鳴る音を、聞いた。



「何だ、お前……っ」



 狼狽する賊の声と、絶叫。空気が変動し、乱れる気配。足音と声は次々に減り、薄らと重い瞼をミシェルが上げた時には自分の方へゆったりとした足取りで近付いてくる靴は一足のみだった。それも、先程まであった爪先が擦り切れた安物ではない。革の、高級品。土を踏むことを知らぬかのように磨き抜かれたそれに、ミシェルははっとして弾かれたように顔を上げた。



「生きているな?」


「どう、して……」



 霞む視界の中で、ミシェルは目前に見えた相手の顔に目を剥いた。やわらかそうな金色の髪に、碧い瞳。彼はいつも微笑ばかりを浮かべる顔を今は険しいものにしていた。予想外の人物の登場に驚き声を失ったのか、将又喋る気力すら残っていないのか、ミシェルは声を出すことができなかった。



「……出血が酷いな」



 形の良い眉を顰めそう呟くと、彼――アーサーはミシェルを軽々とその両腕に抱き上げた。それにミシェルは彼の胸を押し、拒絶する。だが、弱々しい力ではそれも意味を失くし、まるで彼に縋るような恰好になってしまう。



「なに、して……」


「君を運ぶんだよ。宮殿までね」



 彼はそこでようやくいつもの微笑を浮かべた。やわらかくやさしい笑顔はミシェルを安心させるように、いつもより少しだけ力強く。



「大丈夫。君は僕が死なせない」



 甘く低い声はミシェルの耳に絡みつく。離して、と言いたいのに唇はもうミシェルの命令を聞いてはくれない。血に汚れた手で自分の服を握り締めるミシェルを咎めることなく、彼は抱き上げたまま歩き出す。



(下ろして)



 どれほど心の中で願っても、彼の腕は解けない。寧ろさらに彼女を抱き締める腕に強く力を込めた。



(貴方に、助けられたくなんて、ないのに)



 こんな国の、こんな王子になんて。


 全てを奪った人の、血を引く人なんかに、助けられたくなんてなかった。それなのに、彼の体温に包まれた身体からは溶けるように強張りが緩んでいく。次第に痛みも遠ざかり、目を閉じれば自然とミシェルの意識は遠退いた。


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