第6話
気付けば時間は15時を回っていた。小説を読み終えた僕はコーヒーのおかわりを注文することにした。それほど居心地が良かったのだ。
「すみません。」
僕は手を上げ、少し大きめの声で店員を呼んだ。するといつもの女性店員がやって来た。
「注文をお願いします。」
「はい…」
「えーと、ブレンドをください。」
「ブレンドですね。かしこまりました。」
そう言うと女性店員は僕を後にした。僕は何をする訳でもなく、ただここ、この喫茶店に居たかったのだ。正直、自分の家より居心地が良かったのだ。そして僕はまた新しい煙草に火を点けた。少し待つと先程の女性店員がブレンドコーヒーを運んできた。
「お待たせ致しました。」
そう言うと僕にブレンドコーヒーを差し出した。すると僕の座っていたテーブルを女性店員が見ているようだった。
「嶽本野ばらさん、お好きなのですか?」
「はい。野ばらさんの小説はほとんど読んだと思います。」
「私も野ばらさんの作品が大好きなんですよ。」
「そうだったんですね。僕は世界の終わりという名の雑貨店が大好きで…」
「私もです。野ばらさんの作品はどれも素敵ですよね。私はその影響でロリータ服を着るようになりました。」
「似合いそうですね。是非、見てみたいです。」
「私みたいな人間が着ても良いものかどうか…」
「好きな服を着るのは悪いことではないですよ。」
「ありがとうございます。」
人見知りの僕が気兼ねなく話せたのは意外だった。女性店員から話しかけてくれたからだろうか。それとも共通の話題があったからだろうか。そんなことはどうでも良かった。僕はただ嬉しかったことを覚えている。
「では、また…」
そう言うと女性店員はレジカウンターの方へと戻っていった。その女性店員は名札をしていた。本名かは定かではないが、確かに「カノン」と書かれていた。独特な不思議な喫茶店なので、店内ではニックネームで呼び合ってもおかしくないと思った。「カノン」どんな字を書くのだろうか?「花音?」本名かも定かではないが、僕は色々と考えた。そして吸いかけの煙草を灰皿へ置き、ブレンドコーヒーに口をつけた。
僕は彼女のことが気になり出した。例えニックネームだとしても、その「カノン」という響き、彼女の立ち居振る舞い、営業とはいえ丁寧な口調、そしてロリータ服を纏う、どれもが僕には気になったのだ。
僕は音楽鑑賞も好きだ。詳しくはないがクラシック音楽も少しなら知っていた。もちろん「カノン」という曲も知っていて、大好きな曲だった。もしかしたら彼女はクラシックの「カノン」が好きなのかもしれない。そう気付けば、僕は彼女のことを考えていた。
気付くと外はもう暗くなっていた。時間は17時半頃だった。僕はそろそろ帰ることにした。伝票を持ってレジへ行った。会計には「カノン」という名札を付けた先程の女性が来てくれた。会計を済ませ、外へ出た僕は空を見上げた。そこには昨日と同じぐらいの痩せた三日月が姿を見せていたのだった。
──夜空に咲いた痩せた三日月 君はそっと祈っていた──
──季節は巡り巡り やっと出会えたね ねぇ カノン──