第3話
その晩、僕は珍しくベランダに出て空を眺めた。すると痩せた三日月が姿を見せていた。僕はなぜか満月になると体調が悪くなる性質だった。気のせいだろうと思うかもしれないが、これは本当の話。だから月を見ることはあまり好きではなかったのだ。しかし、痩せ細った三日月は好きだった。
そして僕は昼過ぎに入った喫茶店のことを思い出した。あの異空間は何だったのだろうか?街の喧騒とは裏腹にあの喫茶店は客を良い意味で裏切るであろう。僕はそこまで感じていた。そしてなぜか接客をしてくれたあの女性店員のことまでも思い出した。女々しいかもしれないが、また逢えたらいいなと思っていた。久しく恋愛をしていないので、これが恋愛感情なのかは定かではない。ただ接客をしてくれた、それだけなのだ。ただそれだけで恋に落ちてしまうものなのだろうか?そんな疑問さえ脳裏をよぎっていた。考えても仕方がない、もう横になろう、そう決めた僕はベッドに横たわることにした。
僕は精神疾患のせいで早朝に目が覚めてしまう。所謂、早朝覚醒と呼ばれているものだ。ベッドに横たわった僕は気付くと眠りに落ちていた。そして5時頃、僕はいつものように目が覚めたのだった。
今日も特に予定は無かった。まだ薄暗い空を見上げる限り、天気は悪くなさそうだった。僕はまた昨日の喫茶店に行こうと考えた。本を持って行こう、そう決めたのだった。落ち着きのないようで落ち着く空間なので、読書に没頭できる、そう思ったのだ。さて何時頃行こう?そもそも何時から何時まで営業しているのだろう?それが分からなかったので、昨日と同じくらいの時間に行くことにした。本は何を持っていこう?家にある本はすべて読み終えたものだった。新しく買っていこうか、家にある本をもう一度読もうか悩んでいた。その結果、嶽本野ばらさんの「ミシン」という小説を持っていくことにした。「ミシン」には「世界の終わりという名の雑貨店」という小説が収録されている。僕はその作品が大好きだったのだ。またコーヒーを飲みながら「世界の終わりという名の雑貨店」を読むことに決めた。それまでの時間をどう潰すか、それも考えなくてはいけない。何もしなくてもいいのだが、僕の性格上、何かしていないと落ち着かないのだ。
そうこう考えているうちに8時を回っていた。予定があるのは良いことだが、それに合わせて行動するのは結構苦手だった。とりあえず楽器スタンドに立てかけてあるギターを手にしてギターを適当に弾き始めた。作曲を始めた。しかし、良いメロディもコード進行も思い浮かばなかった。それでもなんとなくギターを弾いていた。予定の時間まで時間を潰さなくてはいけなかったのだから。何だか僕は落ち着かなかった。予定がある、とはそういうことなのだ。そして気付くと11時を回っていた。僕は昨日と同じライダースを羽織り、ダメージデニムを履き、お気に入りのつばの広い中折れハットを被った。そして財布と煙草と本を持ち、エンジニアブーツを履き玄関の鍵を閉めた。
外は相変わらず寒かったが、快晴に近い良い天気だった。駅までの約20分間、僕はいつものように歩いた。早くあの喫茶店に行きたい、その一心だった。僕をそこまで魅了させた店だったのだ。僕のようにリピーターになる人は居るのだろうか?きっと居るであろう。僕はそう感じた。そして地元の駅に到着した。それから少し待つと急行が来たので僕はそれに乗った。ここから約20分間、電車に揺られることになる。その間、僕は本を読むこともなく、昨日の帰り道のようにぼーっと外を眺めていた。そうこうしているうちに目的の駅に到着したので、僕は電車を降りた。そして目的のあの喫茶店へ向かって歩いていった。
駅から歩いて3分程度の場所にその喫茶店はあった。その街は比較的栄えていて、喫茶店のチェーン店がたくさんあるので、大半の人たちはそっちへ行くのであろう。しかし僕はあの喫茶店へ行く。もう本当に魅了されていたのだ。外観は目立たないのだが、店内はゴチャゴチャとした異空間。こんな魅力的な場所が比較的栄えた街にあるのは奇跡だとさえ思った。そして僕はすぐにその喫茶店に着いたのだった。
僕が扉を開け入るとすぐに店員が来てくれた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」
昨日と同じ女性店員だった。僕は一通り店内を見渡した。ランチタイムにも関わらず、昨日と同じように店内は閑散としていた。昨日と同じ席が空いていたので、僕はそこを選んだ。そして腰を下ろすとすぐに煙草に火を点けた。今日はお昼の時間だったので、僕は昼食もここで食べることにした。メニューを見るとシンプルでパスタが3種類、サンドウィッチが2種類あるだけだった。あとはデザートだった。僕はナポリタンとアイスコーヒーを注文することにした。ちょうど良いタイミングで水とおしぼりを持ってきてくれた。またあの女性店員だった。
「メニューはお決まりですか?」
「ナポリタンとアイスコーヒーをお願いします。」
「かしこまりました。」
そう言うと女性店員は僕を後にした。