《season2》リアルの自分のハードル
外はすっかり暗くなり、大勢の人たちが駅を行き来している。
そんな中貴子は航平と駅で待ち合わせていた。
「ごめん、遅くなって」
「いえ、大丈夫です」
「じゃあ…行こうか」
「はい」
スーツ姿の航平には見慣れていた。しかしいつも眩しく見えていた航平が今日は何故か少しだけ霞んで見えた。
2人は駅の近くにあるレストランに入ると店員に案内され、席につく。
「…わんちゃん、元気ないね」
「そうですか?普通、ですよ」
「社員や他のパートさん達がわんちゃん居なくて寂しがってたよ」
「そうですか…」
「うん。俺も寂しかったしね」
航平は貴子を見て笑った。
「……あの…」
「ん?」
「……その…、私、前に、待ってて欲しい、って言ったこと、覚えてますか?」
「……ああ、うん」
「それ、…取り消しても良いですか?」
貴子は膝の腕で拳を握りながら下を向いている。
「え?それって…」
「ごめんなさい。やっぱり、航平さんとは…お付き合い出来ません」
「ど、どうしたの?急に」
「私…気づいたんです」
「え?」
「…浩太郎さんのことが…好きだって…」
「…本当に?」
「はい」
「本当に?」
「はい」
「…俺の目を見て言って」
「………」
貴子はどうしても航平の目が見れなかった。
「はぁ」
航平はため息を吐いた。
「付き合うって言ってくれるまで保留って言ったけど、わんちゃんに好きな人がいるなら仕方ないね」
「………ごめんなさい…」
「気にしなくていいよ。もう上司でもないし、ドリファム友達として仲良くしてくれれば良いよ」
「………。それと…」
「ん?」
「ドリファムの、ウサコさんって覚えてますか?」
「………え、あ、ああ。覚えてる、けど?」
「昨日ドリファムで偶然会って…、組合に誘おうかな、って思ってます」
「………………。そっか…」
「嫌、ですか?」
「……いや。わんちゃんがそうしたいなら、良いんじゃない?」
「そうですか…」
2人の2度目のディナーは沈黙が続き、店を出るまで2人は会話することはなかった。
「じゃあ…またね」
「………はい、お疲れ様でした」
そして他人のようにそれぞれの帰宅路に戻っていく。
(あーあ、私なんでまたここに来たんだろ…)
貴子は天井を見ながらそう思った。
「貴子!貴子!貴子!」
(私って、本当に馬鹿だな…)
貴子の元彼、建人が裸の貴子の体に傷を付けている。
「貴子!貴子!貴子!」
(…変なの…、爪を立てられて、血も出てるのに…、全然、痛くない…。なんでこんな時に浩太郎さんの顔なんか浮かんでくるんだろ…)
「貴子……愛してるよ。世界で…一番」
建人は貴子の体から出ている血を愛おしそうに舌で拭う。
「ああ、愛してる!愛してるよ!貴子」
(愛してるって何?馬鹿みたい…。愛なんて、独占欲の塊みたい…)
「貴子……」
(何で、泣いてるの?変なの…。泣きたいのは…私のほうだよ…)
貴子は彷徨うように暗い夜道に歩みを進めている。自分がどこに居て、どこに向かっているのかさえわかっていない。
「あれ?貴子さん?」
声がする方を見ると、仕事中の剛が帽子を脱いでそれを頭の上で激しく振っている。
「あ……」
ようやく貴子は自分がどこに居るのかを理解した。
「どうしたの?なんかあった?」
「え?」
「なんか、元気ないみたいだけど」
「ううん。そんなことないよ」
「そう?でも丁度良かった!」
「え?」
「実は凄い暇だったんだよねー。俺の相手してよ」
「人を暇つぶしみたいに言わないでよ」
「あははは。良いじゃん♪」
貴子と剛は店の入り口付近に立ち、剛は貴子に温かい缶コーヒーを手渡すと道路を見つめた。
「で、何あったの?」
「…………」
「言いたくないなら、良いんだけどさ」
「大したことじゃないよ。ただ自分で、失恋しに行っただけ」
「何それ」
「好きな人に好きって言われてたんだけど…、他に好きな人がいるからごめんなさいって言ったの」
「なんで?」
「んー…。大人の事情で?」
「変なの」
「…だよね。私もそう思う」
「そういえば昨日で仕事辞めたんだっけ?」
「うん。早くやりたいこと見つけて仕事しなきゃ」
「やりたい事?」
「うん。夢っていうのかな、やりたいこと。でも自分が何をしたいのか分かんないんだよね…」
「ふーん。難しく考えすぎなんじゃないの?」
「そうなのかなぁ?剛君のやりたい事って何?」
「俺は資格取って、もっとここで役に立てるようになること、かな」
「へぇ。偉いね」
「店長には小さい頃からお世話になってるから。恩返ししたいんだよ」
「そうなんだ。凄いね…若いのに、しっかりしてる」
「貴子さんもまだ20代じゃん」
「もうすぐ30代だよ!?」
「それ、30代の人に失礼だよ」
「うーん、確かに…」
「歳なんて関係ないよ」
「…………」
「そうだ!これから時間あるよね?」
「う、うん。ってか何で時間ある前提なの?」
「はは。俺もう仕事あがるからさ!面白いことしよ!」
「面白いこと?」
貴子と剛がガソリンスタンドから歩いて向かった先は、剛が中学生の時に通っていた学校だった。
「え…もしかして?」
「うん。侵入♪」
「無理言わないでよ!私、刑務所なんかに行きたくないよ!」
「もう、大げさだなぁ。大丈夫、グラウンドにお邪魔するだけだから!」
そう言うと剛はフェンスをよじ登って校内へと入って行き、中からフェンスの鍵を開けた。
「俺、陸上部の部長だったんだよね。だからいざという時の為に合鍵作っておいたんだ」
そう言って鍵を自慢げに見せる。
「犯罪じゃん…」
「うわー!懐かしーー!」
剛は気にせずグラウンドを走り回る。
「貴子さんは何部だったの?」
「……帰宅部」
「地味ー」
「悪かったわねぇ。運動は苦手なの」
「腕立て3回だもんね!ははは」
「………今は6回出来るし…」
「あ!そうだ!」
今度はグラウンドに置いてある物置の鍵を開けて中に入る。
「ちょっ!何やってんの!?」
「ははは。良いもん見つけた」
剛はハードルをグラウンドに置いた。
「ハードル走」
「え?」
「んー、こんなもんかな?」
剛はハードルをだいたい同じ間隔で3つ並べる。
「やってみせるね」
そう言うと剛は助走をつけてハードルを難なく飛び越えて走った。
「おおお!さすが陸上部!」
「はは。次は貴子さんの番だよ」
「え!?私は無理だって!」
「良いから。飛べなくても笑わないって」
「えー……」
「早く!誰か来ちゃうよ?」
「…………」
貴子は仕方なく位置についてハードルを見つめる。
「位置についてー、よーい…ドン!」
剛の合図で貴子は走り出す。勢いでハードルを越え、走っては越え、走っては越える。
「やれば出来るじゃん!」
「ハァ…、ハァ…、ははは」
「ね?簡単でしょ?」
「…うん。思ってたよりは簡単だったかも!私もまだまだやれるね!」
「ははは。でしょ?ハードルが高いって自分が決めてるだけで、本当は低かったりするんだよ」
「…………。剛君って、人生の先輩って感じ」
「何それ。…あ」
「え?」
「今、職員室にいた人と目が合ったかも…」
「え!?嘘!?」
「ヤバっ!逃げよう!」
「前言撤回する!!!」
「ははは」
2人はハードルをそのまま置き去りにし、急いでグラウンドから出る。
「貴子さん!早く!」
貴子は急いで走ってるつもりだが、剛の速さにはついて行くことすらできない。
「ほら!早く!」
何故か剛は笑っている。速く走れない貴子が可笑しいからなのか、逃げることが楽しいのか、それとも別の理由なのか、貴子には分からない。だが、貴子自身も何故かそれが可笑しくて笑った。
しばらく走ってから疲れて歩き出すと、貴子の携帯が上着のポケットの中で震えた。
「あ…」
貴子は携帯を取り出した。
「もしもし?」
『もしもし?じゃねーよ!』
「え!?」
電話の相手は浩太郎だった。
『何回電話かけたと思ってんだよ!?』
「ご、ごめん。走ってた」
『は?…まぁ、無事なら良いんだけど』
「もしかして、心配してた?」
『当たり前だろ!自殺でもしたんじゃねぇかと思っただろ!』
「ごめん……」
『お前、今どこに居んの?』
「えっと…、剛君の母校の近く」
『は?なんだそれ』
「これには色々訳が…」
『あっそ』
「もう仕事終わったの?」
『ああ』
「そっか。…そうだ、小林さんの事なんだけどさ」
『ん?』
「うちの組合に入れて欲しいんだけど」
『は!?』
「詳しくはドリファムで話すね!今日オンするよね?」
『ああ』
「じゃぁ、ドリファムでね!」
『ああ。後でな…』
「誰?誰?」
「浩太郎さん。ジムにいるそっくり兄弟のお兄ちゃんの方」
「ああ!その人が何だって?」
「ふふ。私が電話に出ないから自殺したんじゃないかって心配してたらしい」
「ははは。そうなんだ」
「いっつも心配かけてばっかりだなぁ、私」
「心配してくれる人がいるって良いことじゃん!」
「うん…。そうだね」
「そうだ!」
「え!?今度は何!?」
「はは。警戒しすぎ。俺もドリファムやるよ」
「え?」
「色々興味湧いてきた」
「色々って…」
「今日ダウンロードするから、明日には一緒に遊べるよ!」
「遊べるって、基本的に1人で牧場経営するんだよ?」
「え!?そうなの!?」
「そうだよ。牧場の経営が合体するのは結婚した時だけ」
「はは、何それ。結婚とかあるの?」
「そうだよ。恋人になったりすると色んなことに行けたりするし」
「へぇ。じゃ、俺と結婚してよ」
「はい?」
「そしたら1人で牧場経営しなくてすむんでしょ?」
「それはそうだけど…」
「ん?何?」
「……。剛君がドリファムに来てから考える」
「はは。そっか。じゃあアカウント作ったらメールするね!」
「うん。じゃぁ…、またね」
「うん。またー!」
2人はガソリンスタンドで分かれた。