お金持ち?
「さあ、遠慮せずに入りなさい」
引き戸を半分ほど開け、瑞樹さんがそう促す。しかしあまりの衝撃に足が動かないでいる。
「お、大きい…ですね…」
そう、大きすぎるのだ。それも周りの家のような2階建てだとか3階建てだとかじゃない、1階建てなのだが敷地が異様に広いのだ。なんというか言葉が悪いが、馬鹿でかいのだ。それが玄関先からでもわかってしまうのが更に恐ろしい。
「まぁ約半分は家ではないがの。おーい、今帰った。客人だぞ」
瑞樹さんは何か意味深な事を言い、家にいるであろう家族にそう声を届ける。やや間があって家の奥の方から本当に小さく「はーい」という声が聞こえてきた。声の感じからして多分女の人だろう。
はーい、という声が聞こえてから10秒ほど、まだ声の主は現れない。おそらく玄関から遠くの部屋にいたのだろう、そこから玄関まで来るのに時間がかかるほどこの家は広いのだ、周りの家の3、4倍はあるんじゃないか。
そしてようやく声の主が小走りをしながら現れる。瑞樹さんと同じくらいの歳のおばあさんだった。
「はいはい、あらお客様ってこの方? てっきり病院の方だと…」
「馬鹿者、医者を家に連れてくるわけがないだろう。それでこの少年だが、名を心音と言ってな、記憶喪失か何かはわからんが、行く所がなくて困っておるのじゃ。しばらくうちで生活させてもいいじゃろうか」
そのあと、瑞樹さんは俺と出会った経緯、俺が今置かれている状況を丁寧に説明した。新しい服を買ってあげた、という部分は口にしなかった。さすが瑞樹さん、やはり敷地だけでなく人間が大きい。
「はぁお困りですね、おじいさんの言う事ですし、わたくしも歓迎いたしますよ、心音さん」
「はい、ご迷惑かけます」
「あらら、丁寧な子ね」
そう言っておばあさんは俺の頭を撫でる、この行為にどんな意味があるのかはわからないが、悪い気分ではなかった。むしろおばあさんの優しさを感じられた気がする。
「話はそこまで。すまないがみんなを呼んできてくれるか、一応紹介しておきたい」
「はいはい、わかりましたよ」
おばあさんが家の奥に戻っていくと、瑞樹さんが俺を客室へと案内してくれた。廊下を1分ほど歩いた、外からでは感覚でしかわからなかった家の広さが、中を歩く事でよりダイレクトに感じられる。少し疲れ気味の俺には辛いものがあった。
「ほれ着いたぞ。ここで座っていなさい、わしはお茶を淹れてくるから」
「いえ、お気遣いなく…」
俺の言葉は届かず、瑞樹さんはまた長い廊下を俺を残して歩いて行った。本当にここに入って良いのだろうか、少し不安な気もするけど…入れって言われたんだ、入るしかないだろう。
ガラガラ、と骨組みに薄い紙の貼られた戸をスライドさせる。中は低い机が1つ置いてあるだけだ、しかし予想通り広い、大きめの机なのだがこの部屋の中では小さく見えてしまうほどだ。
疲れた、ゆっくりと机の近くに座る。しかし俺は誰なのかな、子供の頃の記憶がない、というよりは子供の頃が無い感覚だ。もしかしたら自分は今日、この日に生まれたんじゃないのか。そう思えてしまうほど何もわからない。
「でも、それなら今日は…多分……いい…誕生日……です……よね…………」
ゆっくりと、気持ちよく意識が遠のいていった。
「本当なのかい父さん、そんな子を信じて大丈夫なのかい?」
「心配するでない、わしの眼鏡にかなったのじゃ、悪い子ではないよ」
「父さんは楽観的なんだよ、もしそれが演技で、うちの財産目的の為、とかだったら…」
「お前は人を信じられないのか、そんな風に育てた覚えはないのだが、自立して考えが変わったと思っておくかの。ほれ、ここにいるよ」
「ふーん……、父さん、あの子寝てるよ」
「なに、……本当じゃのう。横になればいいのに机に伏せて眠るとは、律儀というかなんというか。疲れておったんじゃろう、布団でもかぶせてやるかの」
「まったく父さんは…、でも確かに悪い子じゃなさそうだ。安心してぐっすり眠っているみたいだし」
「どうしたんですか」
「ああ菫ちゃん、父さんが記憶喪失の子を連れてきたんだよ。ほら、ここで寝てる…」
「そうなんですか、おじいさまもお人好しですね」
「ほっほっほ、お前も歳の近い友達ができて嬉しいじゃろう」
「いえ、そんな事は…。で、ではわたしもそろそろ、おやすみなさい」
………はっ、んん……いつの間にか眠ってたのか、ふぁぁ〜よく眠った。でも座って眠るのって首が痛くなるんだな、今度から気をつけよう。
そうだ、瑞樹さんは……どこか別の部屋で寝ているのだろう。あれ、この布団……瑞樹さんがかけてくれたのかな、暖かくて柔らかい気持ちの良い布団だ。
痛い首を無理に動かしてみると近くに小さい1から12までの数字がついた機械を見つける。針が3本、一番細いのはカチカチ動いてるからわからないけど、短いのは大体5、長いのは3を指していた。
紙の貼られた戸を開くと外はまだ暗い、瑞樹さんと家族が起きていないのなら俺は何をしようか、できる事なら泊めてくれた恩返しがしたい。
恩返しの内容を考えながら、瑞樹さん家族を起こさないように廊下をゆっくりと歩く。少しずつ肌寒いがそれが意外と心地よかった。
こんな風に、落ち着いた雰囲気の家の長い廊下を歩きながら、ゆったり…ゆったりと過ごして……、お腹すいたなぁ。
そういえば俺は昨日から何も口にしていなかった、お腹がグーグーいって止まらない。
「そうだ、朝ごはんを作ろう。これって恩返しになりますよね」




