沙奈の説教
「やめなよ、シオン」
俺は意外な人の声に驚き手を止める。そして、包丁を持った手をおろした。
「沙奈ちゃん…」
「沙奈『さん』だ、2歳年下だと思って子供扱いすんな」
俺はその2歳年下に包丁を取り上げられる、別に年下だからちゃん付けしたわけじゃない、ただなんというか…よくわからないけど丁寧語を使おうって気になれない。
そんな事はどうでもいい、やめなよ?冗談じゃない。そっちこそやめてくれ、早く俺の包丁を返してくれ。
「沙奈……さん、あんたには関係ない。さっさとそれ返して」
「あんたおかしいよ、自分でそれがわかってないの?何回も何回も血を流して…その状況を自分で作り出して…あーいやだいやだ」
なんだよ、じゃああんたに何がわかるっていうんだ。わからない…絶対にわからない、大切な仲間を自分の手で殺すなんて最悪な事、それがどれだけ辛いかを。
そうだ…と俺は最低な事を思いつく、包丁は返さなくてもいい、その代わり…
「わかった、あんたには仲間を…人の命を奪う辛さがわからないんだ。ここですよここ、サクッと刺してください。そうしたらわかりますから…」
俺は胡座をかき、首筋を指差す。自分で刺すなら前だが、他人に刺してもらうなら後ろだろう、そう思って沙奈さんを後ろにして座った。
俺より背の低いこの人なら、膝をついて座ればちょうど刺しやすい高さだろう。さあ早くやれよ、人の命を奪うという事の辛さを……
バチンッ!
いい音と共に頬に痛みを感じる、手のひらで思いっきり左頬を平手打ちされたのだ。それをしたのはもちろん沙奈さん、包丁はもう持っていなかった。
「目が覚めた?覚めてないのならもう1発往復ビンタしてあげようか?」
あまりにも突然すぎた為、俺の脳は少しの間思考する事をやめる。だが数秒後にはそれも治った。
目が覚めただって?俺は別におかしくなってなんかいない、それに1発往復ビンタって2発じゃないのか?
「何すんだよ、痛いじゃんか…」
「いい薬になったでしょ?落ち着いたんならちょっと来なさい」
これで落ち着いたと言えるのか?そう考える俺を無視して沙奈さんは縁側に座る。
早く来な、と俺を手招きする。面倒くさいな、なんで俺が…まあいい、沙奈さんの気まぐれに付き合ってやるか。
「何?なんか良い事でも教えてくれるの?」
俺は沙奈さんの隣に座り、少しいやらしげにそう聞く。
「いいや、良い事ではないね。まあ聞いて損はないよ」
はぁ、だったら早くしてくれ、不本意だが俺は早く山に行って仙人にならなくてはいけないんだ。
「そうだね、じゃあ教えてあげるよ」
そう言って沙奈さんは、落ち着いた口調で語りだした。
この話は、私がここで働く事になった理由でもあるんだけど、まあそこんところは気にしないで。
私の家は父さんと母さんと姉さんと私の4人家族でね、町に住んでたんだよ。
恥ずかしながら私は…と言うより私の家はすごく貧乏でね、生活が苦しかったわけよ。
そんで、父さんと母さんは寝る間も惜しんで働いてた、それにも理由があるんだけど…姉さんが病気だったんだ。
年の離れた姉さんでね、私が14で姉さんが22、まぁいい姉さんだった。色々世話してもらったよ、自分が病弱なのにね…本当にいい姉さんだった。
姉さんは苦しい家計を助けるために働こうとしてね、まぁお金の管理をしていたのは私だけど。その所為で経営センスがついたと言っても過言ではないね。
あぁ話がずれたね、ごめんごめん、わかったからそんな顔で見るな。
まぁそういうわけで姉さんも働いてた、もちろん相当無理してね。自分では大丈夫って言ってたけどね、見てるこっちは不安でしょうがなかったよ。
それで案の定、姉さんは倒れたさ。過労とかそんなんじゃない、病気だったんだよ。
もちろん、治すには薬が必要でね、買うには高いし採るには危険だし、一時は盗みを働こうともしたよ。あ、当然だけど盗みなんてしてないよ。
そんで、そんな時にミラに出会ったよ。薬を買ってくれないか、ってね。その時は怪しすぎて信用しなかったし、姉さんの事も教えなかった。
それから何日かして、姉さんの病気が悪化したんだ。その時だよ、ミラが連れてきた胡桃が薬をくれたんだ。もちろん無料でね。
悪いと思ったよ、こんな高価な薬をタダでもらうなんて事は。でもまぁ、嬉しかった。姉さんが助かるって、本当に嬉しかった。
姉さんも喜んでたよ、姉さんには夢があったんだ。ふふっ、私の子供を…甥っ子か姪っ子を見たかったんだって、笑っちゃうわよね。
でね、結局タダで薬を貰うのが悪いと思って、私は草花で働こうと思ったのさ。断られたけどね、お金なんていいから、しか言ってくれなかったの。
それはそれでよかったんだ、でもね…姉さんは死んだんだよ。私がここに入る何日か前だった、突然いなくなったんだ。
あぁ勘違いしないで、薬の所為じゃないよ。病気は治りかけてた、事故だったんだ。元気になってきたからって外に出てね、それで人にぶつかって町に流れる川に落ちた、病弱で病み上がりの姉さんがどうこうできる問題じゃなかったよ。
それで、私はどうしてもここで働きたくなった。なんでだろうね、そうなる原因を作ったと言えばなんだけど…それでも、それでも少しの間、元気な姉さんを見られて嬉しかったんだ。
胡桃は受け入れてくれたよ、それで姉さんが貰った薬の値段を見たら…本当にタダみたいな値段だった。
それで思った、この薬達はこんなもんじゃない、もっと価値のあるものなんだって。だから値上げを勧めたんだけど…そういう問題じゃないね。
胡桃はみんなに分け隔てなく、薬を使ってほしかったんだって、それが最近になってよくわかった。
「そう…そんなことが」
話し終わった沙奈さんに、俺はそう言う。なるほどそういう理由があってここに来たのか。
「あぁ、改心したか?」
「改心…まぁ、ね…」
「私の言いたい事分からなかったの?生きたくても生きられない人がいるの、1…2…3、この3秒で全世界で何人が死んだと思う、数えられない程だよ。生きたいと望んだ命が数えられない程、シオンはその人達に謝っても許されないよ」
強く、力強く言う。この人がぶっきらぼうな口調なのが分かった気がする。
本当は優しいんだ、無理にそんな口調にしているんだろう。その証拠に話をしてくれている時、少し口調が崩れていた。
「分かったよ、本当に分かった」
「信じ難いな、まあいいや。私がこんな事を言うのもなんだけどさ、強く生きなよ。ミラは私の姉さんに似てた、弱いくせにみんなの為に、って…本当によく似てたよ。私だってミラがいなくなって辛い、胡桃達も本当は辛いんだよ、本当は泣きたいんだよ、でもね…シオンの為に泣かなかったんだ。それなのにシオン、あんたが死のうとするなんて…本当に最低だよ。無駄な事ばっかり、本当に死にたいのなら穴でも掘ってそこに埋めてあげようか、永遠に窒息死できるよ」
長い説教が終わる、響いた…しっかり心に響いた。自分が馬鹿げていたのが本当に分かった。
俺はこの人の事を勘違いしていた、ありがとう。
「いや、いいよ。分かった、強く生きるよ、生まれ変わった美良さんに、変わったね、って言ってもらえるように」




