騙し絵風味
「薬屋か…おい薬屋、何をしているかも答えろ」
呼ばれ方が薬屋になってしまった、だが逆に瑞樹と答えても誰だ、という事になるに決まっている。さらに言うと俺は何もしていない、水を見ていただけだ。
「水、見てただけですよ」
「そうか、なら早く帰れ。それとも斬られたいか」
辻斬りさん、この人が俺を薬屋と呼ぶのなら俺はこの人をそう呼ぼう。
「恐ろしい事言わないでくださいよ、水を見て斬られるか帰って道を失うかなんて」
道か、失くしとけそんな物、と言われた。なんだろう、いつもこんな事を言われても笑ってスルーしているのに、腹が立ってきた。
「なんですかね、あなたは何者なんですか。こっちの身分だけ明かすっていうのもどうかと」
9割の落ち着きと1割の苛立ちを含んだ声でそう言う。
すると、怒りも落ち着きもなにも含まない、意味が分からないが無を含んだような声で彼女はこう言う。
「忌絶 瑠璃、この屋敷の主人の使用人、いわゆるお手伝いさんだ」
お手伝いさん、自分で言うかそれを。自分で自分の事をさん付けで、しかも棒読みに近い言い方で…笑ったら悪いな。
「あっ、名前言うんですね。瑞樹 心音です」
「そうか、薬屋、さっさと帰れ」
心音だって言ったのに、よし決めた、この人の名前は辻斬りさんだ。
「帰りませんよ、あなたの主人に会わせてください」
「断る、帰れ」
辻斬りさんは1秒の間も開けずにそう言った。帰れしか言っていない、俺の周りに同じことを何度も何度も言っている人が3人に増えた。
「帰れ帰れって小学生じゃないんですから」
今のは落ち着きと苛立ちが8:2だ。そして彼女はまた無を含んだ声で、
「小学生ってなにさ、私はそんなもの知らない」
と言った。
「そうですね、この世界に学校は無いですからね。どうも失礼しました」
7:3、どうしてだろう、この人に怒りは感じない、俺は何に苛立っているんだ。その答えは明確であったがなんとなく受け入れたくなかった。
「なんか感じ悪いな、いいから早く帰れ」
その時俺の中で何かが切れた、心を安定させていた細い糸のようなものがぷつんと切れたのだ。
俺はこの世界に来て初めて怒鳴る。
「帰れ帰れって五月蝿いんですよ!俺はあんたの主人に会わせろって言ったんだ、いいからさっさと…」
「騒がしいわね、何事?」
俺の声が聞こえたからだろうか、それとも庭の様子がおかしかったからだろうか、辻斬りの主人らしき人が出てきた。
望永実さんと同じくらいの歳の女性、黒いゆったりとした服を着ている。黒い服という事で一瞬この人が美良さんを連れ去った犯人かと思ってしまった、分かりきっていることだが奴は男、この人じゃない。
精神がおかしいのは奴ではなく俺なのかもしれない、馬鹿みたいというか完全に馬鹿だ。
「ゆりさん…申し訳ございません、騒がしくしてしまって…」
「いいのよ、下がってなさい瑠璃、私はその子を知っている」
ゆりさんと呼ばれた女性は俺を知っていると言った、もちろん俺はこの人を知らない、初めて見る人だが名前をは聞いたような気がした。
「話があるんでしょ、どうぞ上がって」
俺は言われるままに庭から廊下へと上がった。
「さあ、こちらへどうぞ」
辻斬りに誘導され、俺は応接間へ入る。うちの店と同じ和室で畳が心地よかった。
辻斬りの口調は丁寧語へと変わっていた、その頃には俺も落ち着きを取り戻し、どうも、と言っていた。
「さて、どういった話しがあるの?」
「その前にちょっといいですか、さっき俺の事を知っていると言いましたがどこかでお会いしましたか?」
いいえ、気にしないで、と言われた。答えになっていない、どうも腑に落ちないが今はそんな事どうでもいい。
「実は友達を捜してまして………とだいたいこんな感じです」
俺は黒服の男に襲われたこと、美良さんが連れ去られたこと、黒い渦に飲み込まれたこと、行き場がなくてここまで来たことをゆりさんに話した。なお、一度黒服に殺された事は省いた。
「そう、大変だったのね」
俺の話した量からしたら少なすぎる返しを受けた。まあ他人事だから仕方ないといえば仕方ない。
「それでここは一体どこなんですか?カナンの様ですが俺の知っているカナンと違って季節が夏ではなく冬で左右も反対です」
ずっと俺の中で答えが見つからなかった疑問を、こちらのカナンをよく知っているであろう屋敷の主人にぶつける。帰ってきた答えが想像以上に衝撃的だった。
「ここはカナンの裏側、私達はウラカナンって呼んでるわ。裏側って言っても地面をずっと掘っていったらここにたどり着くわけじゃなくて、説明が難しいわね。うーん…騙し絵ってわかる?見方を変えると別の絵が出てくるみたいな」
カナンの裏側という事に戸惑いを隠せないが、ゆりさんの質問には、はい、と答えることができた。
「そう、続けるわね。このウラカナンは騙し絵みたいな物、2つの絵を縦に切って順番に交互に並べる、そうすればよくわからない絵ができるでしょう。それの片方を隠せばちゃんとした絵になるわね、それと同じ様なものよ。カナンとウラカナンは同じ場所にあるけど認識するには片方を隠すしかない、つまり片方にしかいられないのよ」
は、はぁ…わかった様な、わからなかった様な…
「つまり水と油をずっとかき混ぜている状態ですね、同じ場所にあるけどしっかりと別れている別々の存在…みたいな」
まあそんな感じよ、とゆりさんは言った。正直に言うとまだ理解できていない、ちんぷんかんぷんだ。
「まあウラカナンのことはいいのよ、私はこことカナンのバランスを守っているだけ」
大変なんですね、と俺もゆりさんと変わらない返しをした。するとゆりさんは軽く笑い、1つの提案をしてくれた。
「友達を捜したいんでしょ、よかったらここを拠点にしてもいいわよ」
「本当ですか⁉︎ありがとうございます!」
突然の好意に喜びを隠せなかったが、案の定そのための条件があった。
「その代わり炊事洗濯掃除その他諸々よろしくね。瑠璃もいるし、そんなに大変じゃないと思うから」
そのくらいどうって事ない、いつも店でやっていることだ。
俺は数日、ゆりさんに仕えることになった。




