可愛いマリちゃん
「あら、ごめんなさいね」
そう言うとモエミは何かを知ったように微笑む。
実際、私はニヤけていたのかもしれない。いつもより良い事があったのは確かだ。しかし、マリと特にモエミには内緒の話、言うことなどできない。
話題を変える為、私はマリがどこへ行ったのかを訊く。
「ああ、鞠ちゃんなら––––」
「もしかして、白花ちゃん帰ってきたの?」
モエミが言い終える前に、奥の部屋から声が聞こえた。当たり前だがマリの声だ。
やや間があり、開いた襖の奥からマリが割烹着姿で現れる。いつものマリにはありえない、落ち着いた雰囲気が私には気持ち悪い。そしてどこから取り出してきたのか知らないその割烹着は、私が数年前に使っていた物だ。もう着られないから仕舞っていたが、私より小柄なマリにはちょうど良いらしい。
「勝手に人の物を使わないでよ」
少々呆れ気味に言う。声が小さかったのか、それともマリが聞き取れなかったのかは知らないが、私の言葉を無視すると眩しいほどの笑顔を見せながら私に近づく。
「おかえり白花ちゃん。ねぇねぇ、わたし白花ちゃんの為にお部屋の掃除したの。ね、綺麗になったでしょ」
私はマリに手を引かれ、奥の部屋を見せられる。
「あ、ありがとう…。あら、ほんと綺麗…」
普段汚いわけではないが、畳が輝いて見える。床の間に無意味に置いてある壺もピカピカだ。掃除をしたとはいえ、まさかここまで本格的にとは思っていなかった。
「えへへ、頑張ったよ」
そう言って笑うマリ。幼馴染の私が言う事ではないが、可愛い。ザクザクした性格と派手な寝癖で気づきにくいが、元々綺麗な顔立ちをしているため、ちゃんとしていれば可愛いのだ。
ずっとこのままならそれでいいのだが、私はこの後のマリを知っている。以前その姿を見せたマリ、私の頭にその次の日の拷問がよぎる。
「次、白花ちゃんの紙作ってあげる」
依然、眩しすぎる笑顔で私の手伝いをしてくれるマリだが、その笑顔の裏に拷問が見え隠れしていそうで、私は内心穏やかではなかった。マリはそのまま奥の部屋へと消える。紙の置き場所、切り方、大きさなど分かるだろうか?
いらない心配をしつつ、私は溜息を吐く。流石に楽しそうなマリの前では自重した。
「…調子狂うわ…」
「そうかしら? 可愛くていいじゃない」
モエミが微笑ましそうに言いながら2つお茶を淹れる。マリの湯呑みは机の上にあるので、もう一方は私のだろう。
私は机の近くに正座し、紙を服から1枚取り出してお手拭きの布に変え、ポットのお湯を少し拝借してから手を拭く。以前、これで火傷をした事があったので気は進まなかったが、手を洗いに行くのが面倒だったから仕方なかった。
「後が怖いの、あんた知らないでしょ。死ぬわよ…」
「あらあら、それは怖いわね。ふふふ…」
私の暗さに比べ呑気なものだ。マリの拷問と言ったら、可愛い部分を忘れるまで呼吸を制限され、筋肉は攣り、体の自由を奪われるそれはもう恐ろしいものだ。それが終わっても数十分は体力が回復しない。よって、笑い事ではないのだ。
「あんたはいつも平和でいいわね。はぁ…、なんかすごく眠い」
私はあくびをし、机に伏すようになる。せっかくモエミが淹れてくれたお茶には口をつけていない。
「若い子が何言ってるの、まだ太陽は沈んでないわよ」
モエミのその言葉にムッときて、私はたった今座ったばかりなのに立ち上がり、縁側の方に向かう。
「それも時間の問題でしょうよ。どうせもう沈みかけ––––」
事件の調査で家を出る前、お昼ご飯はとっくに食べていたから、色々あってもう4時ごろだと思っていたが、太陽の位置を見て私は肩を落とす。
「…じゃないわね」
私がそう言うと、モエミもこちらに来て空を見上げる。
「あらほんとう。体感では9時間は経ったはずなのに」
「それじゃあとっくに夜になってるわよ。どうせ暇だったからでしょう、ぐーたらしてる人の体感なんてアテになんないわよ」
「まあ失礼ね。鞠ちゃんとお茶して、お煎餅食べて、とても有意義な時間を過ごしたわ」
「私が仕事してる時にあんたら…」
いつもの事ながら私はモエミに怒りを覚える。だが怒ったところで反省しないのは知っているし、隠していたお茶とお煎餅の在りかを教えたのは他ならぬ私だ。ここで起こるのはお門違いだろう、と私は再び溜息を吐く。
「はぁ…ところで今何時? 今日はもう仕事やめた。時間あるなら晩御飯に力入れるわ」
「あら、ごちそうさま」
「誰がごちそうする、って? はぁ…まあいいけど…、作り甲斐があるわね…」
「じゃあわたしが時間見てきましょうか? 時計は白花ちゃんの寝室よね」
「ええそう…なんで知ってるのよ…、まさかあんた!」
「違うわよ。目覚まし時計があるはずでしょう」
なるほど、と私は納得する。まさか私のいない間に勝手に寝室に入られたのか、と勘違いをしてしまった。確かに目覚まし時計はあるが、それだけで決めつけるのも悪かったと思う。
「じゃあ見てくるわね」
と言うとモエミは指で小さく空間に丸を描き、その瞬間に消えてしまう。いちいち部屋を移動するだけで能力を使わなくても、と思う私だが、手を拭くのに能力を使った私も同じだと気づく。
「…ったく」
まったく紛らわしいと腹を立て、心を落ち着かせるためにお茶を一口啜ると、私はあまりの美味しさに驚いた。いつものお茶なのに、何が違うのだろうと考えるが、シオンの不味いお茶を先に飲んだからだと気づく。
「白花ちゃん」
10秒も経たずに、モエミは戻ってきた。その手には私の愛用している目覚まし時計が握られている。時間を見るだけなら持ってこなくてもいいのに、と私は疑問に感じたが、まず先に時間を尋ねる。
「おかえり。で、何時だったの?」
「それがね、これ…」
何やら深刻な顔でいるモエミに渡された時計の針を見る。
「…あら? 壊れてるわね」




