白花の気持ち
私は眉をひそめる。少女は至って真剣な表情だ。彼女の言う償いとは自らの命を絶つことで、私の予想はどんぴしゃりだった。
「お姉さんなら他人の命奪ってもいいんでしょ。ねえ、だったら––––」
少女の言葉の途中、バチンッという音と共に、私は右手に痛みを感じた。少女の右を向き、左頬がほんの少し赤みを帯びている。
その状況は紛れもなく、私が彼女に平手打ちを食らわせた後だった。
思いの外右手が痛い、かなりの速度で振り抜いたようで、少女の頬も赤がゆっくり主張してくる。
驚いた表情をしていた少女はそれを怒りに変え、目を細めて私を睨む。
「…何、すんだよ…」
「ふざけないで…」
「何が、わたしは本気なんだ。お姉さんなら他人を殺したっていい–––」
「ふざけないで!」
少女が言い終える前に私は怒鳴る。私は少女の顔を見ずに下を向き、両拳を強く握った。
「私なら命を奪ってもいい…ですって、何も知らないくせにいい加減なこと言わないで」
「…そう、だよね。他人に頼むのが間違いだったよね」
少女は薄ら笑いを浮かべると自身の髪の毛に手を伸ばし、1本抜き取る。その直後に髪の毛は鋭い刃を持つナイフへと姿を変えた。
嘘ではなく偽物の力、少女はそれを自身の首に突き立てるべく逆手で握り、上を向いてそれを実行する。
思わず、私はそれを止めるためにナイフの刃の部分を掴み、止めた。痛みはない。能力でそれを押せば凹むスポンジのようにしたからだ。
だが少女は突き立てるのに夢中で柔らかくなったことに気づいていない。必死でスポンジから私の手を離そうと振り回す。
「離して…っ、離してよっ!」
「離さないわよ…、絶対」
そのまま奪い取ろうとしたが、思いの外少女の力は強い。しかし、何か驚いたような顔をしたと思うと、少女の力は一気に抜けた。奪ったナイフの柄を握ろうとした時、私はその理由に気づいた。
スポンジの吸水性を得たナイフの色は、鈍く輝く銀色の中に赤色が混ざっている。私は痛みのないはずの右手に違和感と痛みを感じた。掌が切れている。脳がそれを認識した時、ようやくそれに気づいた。私も必死だったのだ。
私は少女の目を見る。憎しみを持った目、私が敵の命を奪う前に必ず向けられる目だ。まさか命を助けて向けられるとは思っていなかった。彼女にとっての救いは“死”以外の何物でもないということだろう。
しかし、私はそれを納得できない。
「確かにあんたのやった行為は許されるものじゃないわ。でも私の知る限り、あんたは死ぬべき人間じゃない。死ぬのは勝手、だけど私の前では死なせないし、私の見てないところでも死なせない」
「恥を晒して生きろって、そう言いたいの…、なんで…なんでなのさ! わたしは最低な事をしたんだ! 人を殺そうとして、約束も破って、友達を裏切った! お姉さんは正義の味方なんだ、世界の守人なんだ。わたしとは違う、わたしみたいな悪人の命を奪っていいはずなのに!」
「ええ、いいでしょうね」
「だったらなんで…」
「嫌だからよ。それ以外の理由はないわ」
私が言うと少女は悔しそうな顔をする。憎しみの目が和らぎ、涙が溜まっているように見えるのは気のせいだろうか、少女は鼻をすする。
「ごめんなさい、まだ理由はあるわ」
溜息をひとつ吐き、私は私の言葉に間違いがある事を訂正する。
「あなたが本当は優しいから、だから死なせたくないの。あの時、私が倒れるって分かったから布団に変身したんでしょ。あれだけで十分にあなたの優しさが分かるわ。それに、悲しむ人だっているじゃない。シオンと友達と、あと私も悲しい。…命を絶つ事だけが死ぬ事じゃないわ。反省して、新たに決心する事も昔の自分との決別、過去の死。悪い事をしたと苦しんでいるあなたなら、きっと、ね」
中腰になり、少女と目の高さを合わせて微笑む。この娘は強い娘だ。きっかけさえなければ、こんな事件は起こりえなかっただろう。だが、この事件が少女を更に強くするというのなら、私はこの娘を見守っていたい。
人の命を奪おうとした、それを背負って生きるのが辛いのは分かっている。私にはどこからか湧いてくる期待感があった。この娘なら、という謎の安心感が。
「なんで…」
少女の涙声に、私は不意に微笑むのをやめた。目からポロポロと零れる涙を少女は手で何度も拭い、途切れ途切れに私に訴える。
「なんで…、もういいのに…なんで、なんでお姉さんは笑うの…、なんで無関係のお姉さんさえ殺そうとしたわたしに…優しく笑いかけてくれるの…」
子供特有の調子で少女は私に「どうして」、と何度も問う。私の用意した答えは単純だ。
「私もあんたと同じ、人の命は奪いたくないの。…人の弱い部分だけ聞くのは不公平よね。あんたには話してあげる。隣、失礼するわ」
そう言って隣に行き、少女の背後にある木にもたれかかった。私はゆっくりとした口調で話し始める。
「私ね、この世界が好きなの。大好きな友達がいて、憧れの人がいて、大好きな家族がいる…そんな世界が好き。でも、人を傷つけるのは嫌いなの。おかしいわよね、世界を守る為に戦うはずの私が人を傷つけるのが嫌いなんて、ほんと最低…。でも最近、世界を守っている私が嫌いじゃなくなってきた気がするの。私が残酷になったのか、守りたいものが増えたのかは分からないのだけれど、それを大好きな人たちに見せたくないのよ。人を傷つける私はどうあっても残酷、以上はあっても以下はない、どこまでも非道。真面目に仕事をしない私に腹を立てる人もいるんだけど、そいつと私はこれまでずっと一緒にいた。…あんたの友達は、1度間違いを犯しただけであんたを裏切るの? あんたが優しいのは私なんかよりその友達の方が知ってるはずだし、喧嘩するくらいがちょうどいいのよ。ほら、もう泣かないで、謝ってガツンと怒られてきなさい。そしたら、きっとまた笑ってくれるだから」




