オオカミの謎
「こ、こんにちは…」
「ああ、心音の友達…」
私の顔を見るなり溜息を吐く。少し失礼じゃないのか、と言いたいが言葉にできない。だが私の内心を見透かされたかの様に、沙奈ちゃんはハッとし、
「あ、ごめん。ちょっと疲れててさ、別にあんたを嫌ってるわけじゃないから」
と言って軽く微笑んだので、私も安心する。嫌われていなかったからではなく、面倒な事にならずに済んだからだ。ホッとしていた私に、沙奈ちゃんは「で、何の用」と冷たく問う。本当に嫌っていないのか、全くわからない。
「ちょっと用事があって、それで声が聞こえたから。で、今日はどうしてご立腹なの?」
問い返すと、沙奈ちゃんの表情が変わる。
「どうもこうもないよ。うちで預かってた子が急にいなくなったんだ。心配で探してたんだけど、ちょっと前に友達連れてヒョッコリ帰ってきてね。それで叱ったら、『あはは』って笑いだしちゃうから、人として、ちょっとお灸を据えてる。…あ、爪もこんなに伸びて、誰か怪我させたらいけないだろう。ほら、私が切ってやるから…手出しな」
沙奈ちゃんは厳しい顔をして、子供の手を取るために身を乗り出す。
しかしもう1人の少女はそれを拒み、泣きながらではあるが、必死にその手を払いのけようとする。
「やーだーよー、柱でガリガリするー」
「猫かあんたは!」
もはや漫才としか思えないやり取りをした後、無理やり沙奈ちゃんはその手を取り、自身の服から小さなかばんのような物を取り出した。中身は刺抜き、耳かき、絆創膏、裁縫道具、その他諸々。もちろん、爪切りも入っていた。
微笑ましい光景だが、柱でガリガリにやられた私は笑いをこらえるのに必死だ。「笑ってんじゃないよ」、沙奈ちゃんにそう言われるのが怖い。
しかし、もう堪えられなくなってしまい、最終手段で部屋を通り過ぎようとする。元々用はない、ここに長居は無用なのだ。
「ほ、ほどほどに、ね…」
笑いを堪えていることを察されないよう、未だかつてないほどに冷静を装い、私はその部屋を通り過ぎる。
だが、私はまた立ち止まってしまった。一瞬見えた何か、それを確認するためにもう一度部屋を覗くと、そこには観念したのかおとなしく爪を切られる少女の姿がようやく見えた。
(獣の耳と…尻尾?)
心の中でつぶやき、唖然する。私は咄嗟に覗くのを止めて隠れた。
ずっと沙奈ちゃんに目がいってしまい全く気がつかなかったが、泣いている少女には普通ではありえないその2つを持っていた。装飾品とは違い、尻尾はフリフリ嫌がるように振り、耳はパタパタと忙しく動いている。最近の装飾品が凝っているのでなければ、それは自前のものとなる。
「まさか…」
鼓動が早くなる。今、私はとんでもないことを想像している。
私はその姿に先ほど見た巨大オオカミを重ねた。しかし、ありえないという事は自分がよく理解している。あれは完全に獣で、断じて人間などではない。なんなら獣臭がしていた。
だが私はふと、小さい頃に読んだ本のオオカミ男というものを思い出す。満月を見ると変身する伝説の生物、その中には女もいるらしい。
しかし今は昼時。彼女がそれだったとしても満月がなければ変身できない。元々伝説上の話、この線は無しだ。
私はもう一度部屋を覗き直し、少女を確認する。
「髪は切らなくていいからね、絶対だよ!」
「………」
部屋を覗くのを止め、私は再び歩を進め、つぶやく。
「ありえない、わね…」
言葉の通り、ありえない。あの耳と尻尾はおそらく自前だろうが、私が見たオオカミはあんなに間抜けそうではなかった。
だが、そうなるとその少女とオオカミの謎が増える。2人–––1人と1匹だが–––を同じにしてしまえばこの謎は解決だが、やはり本人なのではないのか。
顎に手を当て、考えながら縁側を歩き続ける。
「…ないない、ありえないわよ。…何考えてるんだ私」
自問自答を繰り返し、結論は“違う”という事になった。
結局、あのオオカミは何だったのだろう。いや、それ以前に、あのシオンが決闘させた少女をどうして連れて行ったのだろうか。当然御免だが、餌であれば私も連れて行っていいはずだ。それなのにあの少女、鬼灯だけを攫った。何か理由があるように思える。おそらく少食なのだろう。
私が「待て」と言った時、私に威嚇をしたのも何か理由があるのだろうか。謎が謎を呼ぶ謎のオオカミ。
考えてもその答えが出てこない。あの微妙なお茶の所為か、もしくは考えすぎなのか頭が痛くなってきた。頭痛薬を貰うこともできるが、さっき胡桃さんに仕事をすると豪語した所為で戻りにくい。すぐに治ると割り切って仕事に戻るべきだろう。
歩きながら身体を伸ばし、1つ大きなあくびをする。眠たいわけではないが、身体を伸ばすと出てしまう。
ややあって、廊下は角に差し掛かる。それを曲がる時、私は誰かにぶつかってしまう。咄嗟によろめくその人の手を取り、なんとか事なきを得る。
「あっ、ごめんなさい。大丈夫?」
「い、いや、こちらこそ…」
互いに謝る中、その人の顔を見た瞬間、私は転ばせなくて良かった、より、なんでこんな所に、と考えてしまう。
「えっ…なんで…」
ぶつかったのは先ほど怒られていた少女と同じくらいの娘。その娘は私の顔を見るなり驚くが、それは私も同じことだ。
私がぶつかったのは、私がここに来る理由を作った張本人であり、謎のオオカミに餌として連れ去られたとばかり考えていた少女。鬼灯とかいう人だ。
「って、あんた!」
「え、あ、そそその…ご、ごめんなさい、もうしないから!」
そう言って少女…鬼灯はこの場から逃げ出そうと私に背を向けるが、私はまだしっかりとその手首を掴んでいる。さらに左手も加え、両足で踏ん張る。
「ちょっ…待ちなさいよぉ…!」
「痛い痛い!」
少女は逃げるため、私は逃さないために引っ張り合うが、手首を引っ張っている私の方が有利なのは一目瞭然。少女は痛がりながらも逃げるのを諦める様子はない。
「なら引っ張るの止めなさい…、私はあなたに何もしないから…」
苦し紛れの説得だが、本当に何もする気はない。
「ただ話を聞きたいだけ。お願いだから…!」
「…ッ、嘘つき遊び!」




