バタフライドリーム
蝶を1匹肩に乗せ、余裕の表情で言う。まだ力のすべてを出し切っていないという事なのか、ルカと直接戦っていない私には分からない。
だが実際、私の目にもルカが優勢の様に見える。私はそれをバラバラに崩れた蝶を見て判断した。
ルカは目を閉じ、少女を小馬鹿にする様に笑う。
「相殺できた、とか思ってますか」
「ん? できたでしょ」
「いいえ、よく見てみるといいでしょう。そういうところが未熟を物語っていますよ」
ルカが依然空を漂う崩れた蝶の欠片を指差して言う。私の判断は合っていたらしい。
少女は目を凝らしてそれを見た後、舌を鳴らす。
「ちぇっ、なるほどね」
遠目でもわかるが、その欠片のある辺りの中心は赤紫色、それを囲う様に紫色の霧の様な物が漂っている。おそらく崩れ方が違うのだろう。少女のは欠片が大きく、ルカのは小さい。それが広がり方に違いをもたらしている。
「いかに感染させるかの戦い。散らばる範囲の狭さは致命的です」
「くそう、わたしのは丈夫すぎるのか…」
また1本の髪の毛を抜き、それを蝶へと変化させる。数の補充か、ルカも同じ様に1匹増やした。互いの魔力消費量が1匹辺りどのくらいかは知らないが、消耗戦の様相を呈している。
ここで、少女は何かを思いついた様な顔をし、悪い笑みを浮かべる。そのまま少女は自身の頭に手を伸ばし、
「だったら数で押すしかないよねぇ」
あろう事か少女は再び自身の髪の毛を十数本引き抜き、それを全て蝶に変身させる。人間の平均で10万本の髪があるとはいえ、女としてありえない。命を削っている様なものだ。
だが裏を返せば、それほどこの戦いに真剣という事でもある。私は彼女に呆れを通り越して感心していた。
現在のルカと少女の蝶の比率は1対2。だがルカはそれ以上蝶を増やそうとはしない。
消耗戦という私の予想も外れ、今ではどっちが勝つのかと少しわくわくしている。
前のめりになって戦いを見ようとするが、私はそこで馬鹿らしくなってしまった。
その原因は現在戦いが止まっているのと、2人の攻撃手段の蝶だ。
ルカと少女の蝶の合計が約50匹を超え、いよいよ決闘は決闘らしさを欠いてくる。何も知らない人がこの光景を見れば、決闘とは思わず、何か神秘的なものと感じるだろう。
私も目に映るものを決闘とは思えず、蝶好きの戯れとしか見えなくなっていた。毒の霧が消え、また動き始めれば多少はマシになるだろう、と考えてみる。
「その考えの単純さが愚かだというのです。オリジナルを超えることはできない」
少女はニヤリと笑い、
「分からないよ。勝負は時の運、ってね」
「自分で“運”と認めているのですね」
毒が大気中に分散し、それを合図に2人は戦闘を再開する。開始直後、ルカは少々押され気味となった。
それは当然といえば当然で、少女はルカが1匹の蝶を攻撃に割くのに対し、2匹を使う事ができる。たとえ1匹が崩れない程度に軌道をずらさせても、もう1匹は自分で避けなければならず、その運動量は自然と増える。
はじめは息を切らしていなかったルカも、だんだん辛そうな表情になっているのがわかる。体力に自信があったから余裕そうにしていたのだと思っていたが、私から見ても劣勢はルカの方だ。しかし依然、数を増やす気配もない。
地味な戦いは続き、ルカの額に汗が浮かぶ。このままでは負けてしまうのではないか、という私の心配はよそに、ルカはその辛そうな顔に笑みを浮かべる。
「数が多ければ、確かに有利になりましょう。しかし、量よりも質が問題。毒の強さ、扱いはわたしの方が上です」
「上辺だけは余裕そうだね。でも、だからって当たらなければ意味がないよ。…いい加減疲れたよね、そろそろ諦めて分解されなよ」
そういう少女はムッとしている。それを受けルカは、今度は誇らしそうに笑い、
「“諦める”という言葉はつづみ様の嫌いな言葉です」
「…馬鹿だなぁ」
少女の表情が変わり、妙に殺気を放ち始めたので、私は離れていながらも身を引いてしまった。
それと同時に少女は約10匹をルカに送り、時間と距離を稼ぐ。ルカがそれらを避けきる頃、少女は決着をつける準備を整えていた。
10匹を戻し、今いる30匹強の蝶たちを乱雑に空間に置く。少女は見下す様にルカの方を見て、
「そのムカつく余裕、剥がさせてもらうよ。嘘つき遊び」
少女は先ほどと違う能力を叫ぶと、その次の瞬間には、少女の周りを埋め尽くす様に何百匹もの蝶が突然姿を現していた。
妙に殺気を放ち始めた時から私はずっと少女を見ていたが、髪を抜く様子もなく、何もない場所から突如生まれた。戦いには関係ない私だが、無意識に「まずいわね」と言っている。
それは当然ルカもで、自然と距離を取っていた。
「っ…!」
厳しい表情のルカを、少女は幼い子供の様に挑発する。
「あれあれ? 余裕だった表情が崩れたね」
「ええまあ…さすがにこれはキツイでしょう」
「クックック、安心しなよ」
そう言って1匹を自身の手のひらの上に操り、それを握りつぶしてみせる。潰された蝶の欠片が霧の様に広がるかと思いきや、何も起こらない。
少女はその手を開いてルカに見せる。洗いたての、何も触っていないかの様に綺麗な手。蝶の姿もそこにはなかった。
「これは偽物じゃなく、嘘つき。毒も何も使えない空気と同じ存在。触れても効果はないよ」
子供に物を教える様な口調で言う。ルカはそれを聞いて安心するでもなく、表情は厳しさを増していた。
私も間抜けではない。ルカの辛さは理解している。
空気同様の姿だけの無害な蝶たち。その中に紛れ込んだ、どこにいるかもわからない数十匹の危険な偽物。全てを避けるのは不可能であり、嘘だけを避けるのもまた不可能。どう足掻いても、終着点は絶望だろう。
ルカの勝利する方法はあるのか、当たり前だが、私はルカではないからわからない。何かあるのだとしたら、ルカは今も余裕の表情を浮かべているはずだ。
だが実際のルカは冷や汗をかき、息を呑んでただその蝶たちを見ているだけ。最早勝負は決まったも同然。私は最悪の場合を想像した。
「さあ! 全部嘘だと信じて突っ込んでくるか、避けきれずに果てるか、好きな方を選ぶといいよ!」
少女が叫び、ルカに近い蝶から列をなし、一斉にルカへと向かって行く。あまり速度はないが、離していた距離はあっという間に詰まるだろう。
逃げても終わり、逃げなくても終わり。死ぬ時間が早くなるか遅くなるかだけだ。私なら何か策を練りながら逃げるだろう。
「ルカ!」
私はルカの名を叫ぶ。だが、ルカはそれを避けようとしない。ルカは早く死ぬ方を選んだ。
「あの馬鹿!」
私は考えるよりも前に動いている。しかし、距離が離れすぎていて間に合う気配はない。全速力で飛ぶが、無駄に変な軌道を描く蝶に馬鹿にされているようだ。
もうだめだ。私が諦めた時、ルカの声が聞こえた。
「フッ、フフフ…」
ルカは笑っていた。私は速度を落とし、停止する。
「どうしたんだい。恐怖でおかしくなっちゃったかな」




