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世界に捧ぐ幻想花  作者: にぼし
第8章 弱き者らの導き手
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声無き悲鳴

 町の住民の1人。大塚さん。彼は他人を恨んだことのない、優しい人だった。

 彼は妻と2人の子供で4人、ペットに猫を飼い、貧しいながらも幸せに暮らしていた。

 職業は料理人。だが客はあまり来ず、安いだけが取り柄の不味い店だった。その店はもう畳まれることが決まっている。

 だってその店には、もう不味い料理を作る人も、店を継ぐ人も、誰1人いなくなってしまったからだ。


 丑三つ時、彼はいつも自身が使っている道具を手に取った。

 野菜や肉を切る包丁。不味い料理を作る包丁。

 仕込みではない。調理台から離れてまっすぐ寝室に向かう。彼はどんな事を考えていたのだろう。その目は光を失っていた。

 塞がれていない手で寝室の扉を開け、自分のいない川の字を眺める。自分が養った3人、幸せそうな顔をして寝る3人。

 妻はこの日、近所の奥様方と井戸端会議に花を咲かせていた。子供達はその間に友達と遊びまわっていた。疲れてぐっすり眠っている2人は、ちょっとやそっとでは目を覚まさないだろう。

 彼の生きがいは3人と猫だった。彼が今思い出しているのは綺麗な家族との思い出。苦しいながらも、笑顔で生きてきた彼自身の人生。その要となる3人の目の前で包丁を逆手に持ち、彼は佇む。

 カチカチと時計の音だけが鳴り響く部屋、その音は彼の遠慮ない足音により上書きされる。

「あなた、まだ起きてたの」

 と妻は音で目を覚ましたようで、むくりと体を起こし、寝ぼけた声で目をこすりながら言う。彼女の最期の言葉はそれだった。

 そんな妻に彼は寄り、利き腕を引くと先ほど手にした包丁でそのまま彼女の胸に何度も突き刺す。ズタズタになった体からドクドクと流れ出る血を見ている彼は、もうすでに優しい彼ではなかった。

 狂気じみた彼の目、態度、表情。心拍数は上がることなく、冷静そのものである。赤黒いぬるぬるしたものを右手に感じ、最期に涙を流す妻を冷たく見た。

 続いて彼は同じ包丁で子供を歳の若い順に刺す。1度ではあるが人を殺して学んだのか、熟睡していた2人は苦しむことなく、迷わずに心臓を刺され即死した。

 彼の服は返り血を浴び、元の色はほとんどわからなくなっている。

 ほんの数秒で無くなった生きがい、最後の猫は包丁で刺すことなく、首を絞めて殺した。動物の生存本能というやつか、猫は叫び、彼の手を引っ掻くなど抵抗をしたが、所詮は飼い猫である。彼の握力により脳機能はまもなく停止した。

 彼の目に映るものは、赤色とそれに染められた家族の姿のみ。その光景を再確認した彼はその場に座り込み、自分のした行為を誇らしく感じたという。

 自身の手の延長線である包丁。その赤く染まった刃を見た後、自分に刃先を向け、ひとり言を言いはじめる。

 こんな世界なんざ糞食らえだ。ああそうだ、幸せなんてなかったし、本当に散々だった。こいつらもそうだ。誰のおかげで生きてこられたと思ってる。ひとの苦労も知らずにのうのうと生きやがって、思い出しただけでムカムカする。そうだ、そうだよなぁ、死ねば楽だよなぁ。

 そう言い残し、ついに自身も首を掻き切り自殺をした。死体が見つかったのは翌朝のことで、隣人たちが死臭に気づき、入ってみると酷い光景が広がっていたらしい。中には朝食を戻した人もいたという。

 隣人たちはこの事件について、旦那が不倫をしていた、生活に苦しくて一家心中、子供の反抗がエスカレート、と口々に言う。真実はその中のどれでもない。

 優しい家族だったのに、そう言う人もいた。

 それこそが盲点。優しい家族、優しい旦那だったから、この事件は起こった。

 内なる自分が、声無き悲鳴をあげたのだ。

 私がそんな聞きたくもない話を聞かされていたは、いつものようにあいつが来たから。それでもって、その事件の被害者が知り合いにいたからだ。


 三葉ちゃんと買い物をした翌日、マリは早速私の家に訪ねてきた。だが拷問をしに来たわけではなく、私を心配して来たのだという。

 演技は抜けておらず、お淑やかなマリのままで。

 体調は、頭痛は、食欲は、などと色々なことを訊かれ、私も疲れてしまった頃、救いか地獄への落とし穴かモエミが事件てみやげを持ってやって来た。

 そしてモエミは真剣な表情、声、態度で昨夜起きた事件のことをゆっくりと語る。

「と、まあそう言うわけ。物騒…、で片付けられる事件じゃないと思うの」

 今回も私は聞くつもりなどなかったが、途中からその事件にマリの姿を重ね合わせた。

 人を憎んだことのないような人が、突然殺人鬼に豹変し、自分も命を絶った。なんとも奇怪な事件だ。

 着目すべき点は突然豹変した、というところだろう。何か闇を溜め込んでいたとすれば、必ずボロは出るはずだし、隠し通すことはほぼ不可能。何かの影響だと考えられる。

 そこまで詰まることなくスルリと考えられたのは、私がその事件の被害者の1人を知っていて、偶然にも今、私の隣にいるからだ。昨日からおかしいとは感じていたが、奇妙な運命を感じてしまう。

 その被害者は小刻みに震え、幼気いたいけな少女のような反応をする。

「そんな事件が…、なんだか怖いわ…」

 あんたのことだ、というツッコミはさすがに吞み込んだ。

 モエミよりも早くに来ていたマリはその話を聞き、まるで他人事のように怯えていた。いつもなら「私たちの出番だな。行くぞ、ハク」、とか言って私を引っ張るのに、今はこのザマだ。

 正直有難い。だが気持ち悪くてしょうがないのもまた事実であり、私はこんなマリを見ていられないのだ。

 だが具体的な解決方法が分からない。私はマリの方を見て溜息を吐く。叩いて治るのなら苦労はしないのだから。

「それで、あんたは私にどうしろって言いたいの。その人達の仏様に南無、って拝んだらいいのかしら」

 素直にモエミに尋ねるのが癪で、私は遠回しにそう言う。直訳すると、「マリを元に戻す方法を教えろ」だ。

 モエミは肩をすくめ、まるで私の心の中を見透かしたように喋り始める。

「もちろん、二次被害を未然に防ぎ、マリちゃんを戻すことよ。実はつい2日ほど前だけど、カナンに外界からのお客様が来たの」

 現状での無理難題を押し付けると同時に、有力な手がかりとも思える情報を提示する。それを聞いて私は本能的に嫌な顔をするが、話は最後まで聞くように、とモエミは手振りで示し、続ける。

「まだ関係ある“かも”って段階だから、躍起になってその人を探しちゃダメよ。視野は広く、引いて物事を見るのも大事。まあ、こんな事は誰かの能力じゃないと不可能だから、その悪い人をぶっとばせば一件落着よ」

 と、モエミは笑顔で1人で戦闘態勢をとり、まるで子供のように軽快に体を揺らし始めた。

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