この世界はトリカゴ
気持ち良い風が吹く。青色の香りを運び、私たちをすり抜けていく。人間は風に嫌われているのか、そこに止まってくれない。感じ方にもよるが、一度きりの出会いを大切にしろ、とでも言いたいかのようだ。
私もふと、私たちの住んでいる街の方を見る。
灰色の街は今日もパッとしない。そう感じるのも、緑色に包まれたこの場所の所為だろう。一度自然を美しいと感じてしまえば、何億ドルの夜景でも心ときめかない。自然破壊の敵とさえ感じる。
2人で見るこの景色は、特に寂しさを増し、愚かさを知らされる。みっちゃんが来てないから、すいちゃんが旅立ったから、別の見方を教えてくれた友達が、いなくなってしまうと、いなくなってしまったと感じるから。
木々に囲まれた草原、1人立つすいちゃんは微笑んでいた。その少女を、私たちは見つめていた。不思議な穴を隣に、すいちゃんは別れを告げる。
ありがとう
さようなら
げんきでね
そう言って穴に吸い込まれる少女を、私たちは列車に乗って遠くの町へ行く友達との別れ、のようには送らなかった。永遠の別れじゃない。ただちょっと、遠くに行くだけと、すいちゃんは直前にそう言った。
星空を丸くして落としたようなその穴は、キラキラと神秘的な雰囲気を思わせ、緑の平原にある姿は不気味さを強調させる。
その中に、少女は吸い込まれていく。
手を振る間もなく、すいちゃんの姿は消えてなくなった。穴の向こう、外の世界へ消え去っていったのだ。一般人の感覚で言えば、外国に友達が引っ越しした、が正しいのだろうか。
出会いに比べて、別れは呆気ない。ほんの十数秒の事だ。
私たちは感じる。もう、二度と会う事はないのだと、二度と会えないのだろうと。
会えたとしたら、そこは天国でしょうか。死んで転生を待つ、霊の姿でしょうか。あなたは私を、私はあなたを覚えているでしょうか。
静かな空間、風に揺れる木の葉が擦れ合う音しか聞こえない。少女は旅立った。どこか遠くへ、キュウリからメロンへ旅立ったのだ。
「1週間ってあっという間だね」
すいちゃんが去って、もう聞こえないとわかっているが、それでも口が動いた。かめちゃんは振り返り、私たちの街を見つめていた。
私はこの世界の全体像を思い浮かべる。
この世界は灰色の監獄。全世界から隔離された悲しいトリカゴ。ピーチクパーチク言ってもここから出してくれない。誰も聞いてくれないし、誰も気にしないし、そもそも存在さえ知られていないのかも。
けれども、トリカゴの中の人間たちは、ここから出たいと思わない。それは、他の世界の存在を知る私とて同じこと。
この世界は危険でなければ、便利という名の甘い蜜も貰える。無理して外の世界へ行きたいとは思わない。ノンフィクション作家になりたいなんて、一度たりとも思ったことはない。ただ研究して、発表して、おばあちゃんの無念を晴らせれば良いのだ。
そう思っていた。本当に発表して良いのだろうか、私は自問自答を繰り返す。
昨日、私はこの世界の人間が、他の世界の技術を利用するとしか考えていなかった。冷静に考えれば、それだけでないと気づけるはずなのに。
環境のいい世界、例えば自然豊かな世界はどうだろう。この世界とて、永遠ではない。なくなってしまうとわかれば、そこを侵略し、移住計画でも立てられるのではないか。
私には、いや、誰にだってそんなことをしていい権利などない。他人の幸せを摘み取る権利など、この世にあってはいけない。
そう考えると、この悲しいトリカゴは、完成されているのではないだろうか。
やや強さを増した風を感じ、太陽の光を手で遮るようにする。
「ねえ、かめちゃん」
かめちゃんは顔だけをこちらに向け、
「ん? どしたん?」
「幸せってなんだろ」
親友は顔の向きを変え、吹き出す。こらえるように笑ってから、笑い出た涙を指で拭い、
「いきなり何言い出すかと思ったら、哲学なん?」
「違うよ。そんなに可笑しかった?」
「相当、似合わへんもん」
「そう? まあそれはいいんだ。で、なんだと思う」
あごに手を当て、うーん、と言って考える。やや間があり、そのポーズのまま、
「さっぱり」
そうだろうね、と笑う。実際そんなものだ。
私たちは、あの2人に出会って少し変わったのか、大人になれたのか尋ねる。
「変わったと思うよ。橙華ちゃんも、うちも」
「どんなところが?」
「うちは他人の事を考えるようになった。橙華ちゃんも同じ違う?」
ご名答。ポケットに飴が入っていればプレゼントするところだが、残念ながら何も入っていない。
葉が擦れ合う音が強くなる。また風が強くなってきた。
青色の香りと肌寒さを感じ、私は来た道へと振り返る。
「帰ろっか」
「そやな」
再び森へと足を運ぶ。二度目ともあり、もともと険しい道でもないため、スルスルと進んでいく。交わした会話といえば、晩ご飯何かな、くらい。森を出るまでは、それしか口にださなかった。
舗装された道、太陽の光を遮る建物、車の流れ、飛行機雲、人間はこの世界を変えてきた。良い方向でもあれば、悪い方向でもある。その辺り、昔の人はどう考えるのだろう。
自然は変わっていく、それは当然のこと。ただ森がビル群に変わり、川の流れが車の流れに変わるだけだと、それで納得したのか、私にはわからない。
けれども私は、この世界を受け入れている。
帰り道、カフェに寄り道をした。ケーキセット、これも昔はなかった、今はいい時代だと思う。




