怪談 ーある街角ー
ある街角
セールスマンは、その住宅街に足を踏み入れました。初めての場所です。あまり地理には明るくありません。ひとまず、在宅と思われる家を探しつつ歩いて行きました。
両側に似た様な住宅がずらりと並ぶ道を、左右を見ながら歩きつつ、彼は不安になってきました。誰も見かけないのです。道行く人影も、車も、住宅内の人の気配も、何もありません。昼下がり、人通りは少ないものなのかも知れませんが、それにしても静か過ぎます。まるで、町全体が息を潜めているかの様です。
幾度か道を曲がり、変わり映えのしない風景の中を歩くうち、彼は自分が堂々巡りをしているという事に気付きました。何度も同じ電信柱の住所表示に突き当たったのです。数ブロックは歩いている筈なのですが、その電信柱に戻ってきてしまう様です。何箇所かある十字路や丁字路をどう選択しても、戻ってきてしまいます。その住宅街までやってきた道も、判らなくなってしまいました。というより、消えてしまった様です。冷や汗が止め処もなく流れてきます。風景が色を無くしていきます。
何度目かの試行錯誤の後、また、電信柱にやって来ました。と、家から誰か出てくるのが見えました。老人の様です、様、というのは、背格好こそ老人の様なのですが、顔の印象がひどく曖昧で、会った事が有る様な、無い様な、そんな感覚でした。ようやく人に会えたと、安堵の息をつきつつ声を掛けました。ここはどこですか、と。
老人はしばらく、彼を見詰めた後、一言呟く様に言いました。
「あんたは、まだここに来るには早い」
突然、目が眩む様に視界が真っ白になりました。思わず両腕で顔面を庇いました。
音が、戻ってきました。彼の傍らを、車が走り去って行きます。話し声や足音、その他様々なありふれた物音がします。腕を下げてみると、そこにはありふれた街角の風景が色鮮やかに広がっています。二人連れの主婦が、不審げな視線をセールスマンに向けつつ、何事か小声で話しながら通り過ぎて行きます。気が付けば、彼は電信柱の横に立っていました。町並みも、先ほどとはどことなく違っている様です。何より、あの老人が出てきた家はなく、彼がやってきた道路が延びています。
白昼夢でも見ていた、としか説明が付きません。周囲から見れば、電信柱の横で見知らぬ男が、何分か何十分か、ぼぅと突っ立っていたという事かと、セールスマンは急に恥ずかしくなりました。せかせかと来た道を戻ってゆきます。あるいは、また住宅街を彷徨ううちに、今度こそ本当に出られなくなってしまうのではないか、という恐怖に負けたのでしょうか。




