ご
"ご"と"ろく"にはファンタジー展開が含まれます。この部分のみの予定で、話の本筋には影響がないため、タグ追加はしていません。
こういう状況を的確に表現する言葉があったような気がする。
後悔先に立たず。
覆水盆にかえらず。
そんな言葉が脳内で躍っている。
先人たちの言は確かに正しい。
今、この身をもって実感している真っ最中だ。
どうしたものか。
「先ほど先触れが来ました。外交に出ておられた国王陛下が帰国されたそうで、帰路から多少外れますが、この領に視察のため訪れられるとのことです。到着は明日の午後になるとか」
「明日?」
「ええ。明日です。突然陛下が言い出されたそうで、周囲の者たちも大慌てです。かくいう私も大慌てです」
全く慌ててない涼しい顔でリューベックはそう言った。
普通は数ヵ月前に連絡がくる。迎える側はその間、国王に失礼がないよう、細心の注意を払って万全の準備を整えるのだ。
……明日ではどうしようもないな。
リューベックも同じ気持ちなのか、もう開き直っているとしか思えない達観した表情だ。諦めのこもる声で続ける。
「国王陛下はありがたくも事を大袈裟にしたくないとのご意向で、あくまでも帰路の途中"ちょっと遠回りをしてこの領を通りすぎる"ついでにこの屋敷で休息をとられる、と」
「それはそれは災難ですね」
「本当にそう思っていらっしゃいますか?アル"殿下"」
はっとリューベックを見返した。
口の端に笑みを浮かべてリューベックもこちらを見ている。
「すぐに気づきましたよ。アルブレヒト殿下だと。あぁ、ロルシュとデルフィはまったく気づいていませんし、告げてもいませんのでご安心を。『お連れの方が来られるまで逗留する』ご予定でしたが、国王陛下がお連れの方という認識で間違いございませんでしょうか」
「その通りだ。明日、陛下と共にここを去ることになるだろう。…今まで世話になったな」
「とんでもありません。おもてなしもいたしませんで」
まったくもってその通りだ。謙遜でも何でもなく。
このリューベックは私が王太子であると早々に気づいていたにもかかわらず、普段通りを貫いた。"おもてなし"の"お"の字もない。
王太子と知っていながら私に馬の世話や芋の皮むきをさせていたのか。ある意味尊敬に値する。
そんなやり取りをしたのが昨夜の夕食後だった。
ロルシュとデルフィにばれないよう、二人が入浴中を見計らって着替え一式を窓の外の植え込みに隠した。
そして三人で就寝。恐ろしいことにすっかり日常になってしまっている。
夜明け前に起きてこっそり部屋を抜け出した。
ロルシュが目を覚ましたが「手洗いだ」と言って誤魔化し、気配を殺したまま着替えを回収。居室から十分離れた物陰で素早く寝間着から軽装に着替えた。
立ち入り禁止の柵の向こうへ一歩を踏み出す。
誰にも見つからないよう周囲に気を配りながら木立へ分け入った。
それまでは変てつもない森だった。立ち入り禁止にする理由がわからないくらいの。
しかしそれは間違いだった。
わずか十歩ほど進んだ時、急に空気が変わった。
咄嗟に「踏み越えてしまった」と感じた。
清涼な空気が凍えるように冷たく、息をすれば肺まで冷気が刺さる。
さっきまで聞こえていたはずの虫や鳥の鳴き声もしない。静寂で耳が痛い。
それなのに何かから取り囲まれて、じっと見られている気配がする。目を凝らしてもなにもいない。握った手に汗がにじむ。
慌てて振り返ると、今通ったはずの景色ではなかった。
森の入り口のはずなのに、四方八方を密集した巨木や下生えが生い茂ってまるで深い森の中心部だ。外から見た限りこんな巨大な木はなかったはずだ。
足元に目をやると白骨が散らばっている。
森の入り口からたった十歩だぞ?
背中に冷たい汗が流れた。
しばし呆然としてしまったが、こうしていても仕方がない。
こんな時はむやみに動き回らない方がいいのかもしれない。
この場に留まり助けを待つか?
王太子としては身の安全を優先するという意味で正しい選択だろう。
しかしそれでは私がこの地に来た意味がないではないか。
裏を返せば千載一遇のチャンスだ。
足元の白骨を見なかったことにしよう。自分がそうなるかもしれないという予想を頭の隅に追いやる。
私は一歩を踏み出した。
結果から言えば、非常に消耗した。デルフィの無茶につきあったのと同等の消耗具合だ。
歩いても歩いてもぐるぐると堂々巡り。
真っ直ぐに歩いているはずなのに、しばらくするとさっきと同じ白骨のところに出る。白骨が目印になるなんて嫌すぎる。
疲れて白骨の隣に腰を下ろした。
最初こそ驚いたが、何回も遭遇しているとなんだか愛着がわいてきた。貴重な目印だし。
空腹で目が回りそうだ。喉も乾いた。
自分の見通しの甘さと、準備不足を再認識した。
まさかこんなことになるなんて考えてもみなかった。
ちょっと様子を見て、すぐに戻るつもりだったのだ。
水と食料を持参しなかった自分を呪いたい。
これだけ歩いたのに、川にも行き着かない。
果実のなる木もない。一本も。
獣もいない。鳥もいない。虫もいない。
風も吹かない。
聞こえるのは自らの吐息と、煩いほど鼓動を刻む心臓の音ばかり。
私は一人だ。
"出会い"編は"なな"までです。
もう少しだけお付き合い下さい。