さん
黒髪の少女の強いまっすぐな視線に、しばし心を捕らわれた。
「なにか?」
「あ、ああ……。ご当主はいらっしゃるだろうか」
「………」
胡散臭げに見られてしまった。
ついでとばかりに私も相手を見返す。
年齢は十歳くらいだろうか。
小柄でほっそりした体型。
黒々とした肩より長いふわふわの髪が色白の顔の横で揺れている。とても愛くるしい顔立ちに、つぶらな瞳の愛玩動物を思い出す。数年後、女らしく成長するのが楽しみだ。きっと美人になるだろう。
そんなことを考えて、可笑しくなった。今までたくさんの貴族令嬢と会ってきたにも関わらず、将来のことまで気になるなんてことはなかったので。
彼女がチュニックに細身のズボンをはいて、まるで男の子のような格好をしているのも興味が湧いた原因かもしれない。
これを、と懐から出した紹介状の宛名を見せる。裏返して、差出人の名前と紋章も。
宛名は現シュトラーセ伯。差出人は王国軍の国境警備担当者。さすがに国王名だと大げさになりすぎるので、名前を借りてある。
一瞥した彼女はわずかに警戒を解いた。
「失礼しました。わたしはロルシュ・シュトラーセと申します。取り次ぎをいたしますので、どうぞ一緒に屋敷の中へ」
屋敷の内装は質素だった。
通された応接間もこざっぱりと清潔に整えらていたが、こちらも飾り気はなかった。
外見を裏切らない中身。仮にも伯爵位を戴いているものが、この住まいとは。頭が痛くなってきた。
良くいえば質素だが、正直にいうと貧乏くさい。
いかん。先だって父王から内心を見せるな、と言われたばかりだった。貧乏くさいと思っているのをおくびにも出すな。
「お待たせしました」
「とんでもありません。突然の来訪、申し訳ない。私はアル・ザクセンと申します」
「私は当主代理…の代理、リューベック・シュトラーセです。事情がありまして、私が代わりにお話を伺いましょう」
当主代理の代理?
当主は留守か。しかも当主代理もまた留守なのか。
握手を交わし、仮名を名乗りつつ紹介状を渡すと、リューベックは一読した。
リューベックは二十歳くらいの青年で、ロルシュと似た雰囲気をしており、血縁を感じさせる容姿をしている。多分兄妹だな。
「その紹介状に書いてある通りなのですがーーー」
「なるほど。わかりました。こちらにいらっしゃる間はこの屋敷に逗留される、と。滞在中にどのように過ごされるか、ご希望があれば承りますが」
「この領地の日常の姿を見せていただきたいので、なるべく大袈裟にならぬよう。食事と寝床はお世話になりますが、その他はお気遣いなく。勝手にあちこち見させてもらいますので」
「それではこの屋敷にいらっしゃる間は、先程案内をしましたロルシュがザクセン様のお世話をいたします。行き届かない点もあるかと存じますが、なんなりとロルシュにお申しつけ下さい。……ロルシュはいるか?」
「ーーーはい、ここに」
扉の向こうから先程の少女が返事をする。
リューベックに促されて室内へ入ってきた。
こうして二人が並んでいると、本当に良く似ていると思う。
「ロルシュ、こちらのお方はザクセン様とおっしゃって、王都からいらした。お連れの方がみえるまでこちらに滞在される。まずは部屋に案内して差しあげなさい」
「承知しました。…改めまして、ロルシュ・シュトラーセと申します。早速ですが、こちらにどうぞ」
「よろしく頼む」
少女の先導で廊下を歩く。
目下でふわふわと揺れる黒髪に触りたい衝動を押さえているうちに部屋についてしまったようだ。
「こちらの部屋をお使い下さい。お荷物はすぐに運んでおきます。夕食まで少し時間があります。休まれますか?」
「いや、そう疲れてもいないし…。さっきから気になっていたのだが、誰か剣の練習をしているのではないか?音が聞こえているのが気になって仕方ない。良ければ見学したい」
「見学…ですか。裏庭の方かと思いますので、案内しましょう」
再び彼女に先導されて家の裏手に出た。
木と木のぶつかる音。そしてかけ声がだんだん近くなってくる。多分、木刀のようなもので打ち合っているのだろう。
ロルシュが不意にこちらを見た。
「こちらにおいでの間、自由に過ごされるのはかまいませんが、一つだけおぼえておいていただきたいのです」
「何かな」
「あちらなのですが」
彼女の細い指先が指す方に目線を向ける。
建物の向こう側に森というか、木立というか、そんなに高くもない木が生い茂っている一帯が見えた。
見る限り深い森という感じでもない。
ギーセラの森という例の場所か、と当たりをつける。
「森…に見えるが、あそこが何か?」
「見たままの森ですが、目に見える通りの森というわけではありません。わかりやすいよう、柵を作ってありますので、その柵からあちらに行かれぬようにお願いします」
「見られて困る何かでもあるんじゃないのか?」
「そのようなものはございませんが。あの森に入ってはいけないということは、この辺りの者なら年端もいかぬ子供ですら理解しております」
ロルシュの真剣な眼差しが微笑ましい。
十歳くらいで、しかもこんな辺境で暮らしている割には言葉使いも丁寧でしっかりしているし、所作もなかなか綺麗だ。
腐っても伯爵家、ということか。
田舎に引きこもって王族に謁見するような機会もないと聞いていたが、そのあたりの最低限の教育はされているらしい。
「あの森に入られたら御身の保証はしかねます。お忘れなきよう」
「……心に留めておこう」
彼女にはそう答えたが、見るなと言われれば見たくなる。入るなと言われれば入りたくなるのが人情だ。
父王からもその目で確かめて来いと言われたことだし。
そう自分に言い訳をして、滞在中にその森に入ってやると決意を固めた。
木と木のぶつかる音はすぐそこから聞こえる。
ひょい、と角を曲がった瞬間に目に飛び込んできた光景に目を丸くする。
大きい。
熊?
いや人間のようだ。
黒づくめの大男がいた。
衣服も黒。髪も目も黒。肌も日によく焼けていて浅黒い。
上背がある上に、筋骨隆々といった体で、とにかくデカい。
こんなにでかい男は最大規模を誇る王都の軍でもそうそう見ない。
一方で、熊男と相対しているのは、華奢な少年だった。
陽に透けると金色に光る金茶の髪が顔のまわりでふわふわと揺れている。色は違えど、その髪質に既視感を覚えて隣を見た。その金茶の髪は肩よりも短く切られているが、質感はロルシュにそっくりだ。
こいつもロルシュと兄弟か。
少年をよく見れば、ほっそりとした体型や顔立ちもロルシュと共通点が多い。身長はロルシュより頭一つ分高いようだ。
年齢は私とロルシュの中間くらいだろう。
「へえ」
主に少年が熊男に打ちかかっている。
腕力が弱いのを身軽さで補っているのが見てとれる。体さばきから基礎がしっかりしているのがわかる。なかなかのものだ。
王都の軍の訓練生に混じっても、同年齢の間ではいい線いくだろう。
だがいかんせん、実力に差がありすぎる。
少年は熊男に軽くあしらわれて汗だくだ。一方の熊男は涼しい顔をして、しかも一歩も動いていない。
熊男の動きは全く無駄がなく、完成されていた。
国王軍の近衛隊と遜色ない。身近で近衛隊の騎士たちを見てきたからこそわかる。こんな使い手がこんな片田舎に埋もれていたなんて。もったいないとしか言い様がない。
二人の動きはさながら舞のようで暫し見とれてしまった。
疲れから段々と少年の動きが雑になってくる。そろそろ潮時だろうな、と思ったその時。
少年の足がもつれ、僅かながら態勢が崩れた。
「隙あり!」
あ、と思った時はもう遅かった。
ガッという派手な音と共に、熊男の手に握られていた木の棒が見事に少年にクリーンヒットした。
脳震盪でもおこしたのか少年はパタリと倒れてしまった。
「デルフィ!!」
成り行きを見守っていたロルシュが倒れた少年に駆け寄る。
「デルフィ!しっかり!あぁ何てこと!」
ロルシュは少年の横に膝をついて怪我の具合を見ている。
心配になり、私も側に寄った。デルフィと呼ばれた少年の汗まみれの顔からは血の気が引いてしまっている。
ロルシュはキッと熊男を睨みつけた。
「兄上!何てことをなさるのですか!もうちょっとやり様というものがあるでしょう?!」
「あぁん?だいじょーぶだよ。ちゃんと急所は外したから」
「そういう問題ではありません!傷が残りでもしたらどうするんですか?!」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ」
早く医者を呼んだほうがいいんじゃないかな。
言い争う二人の隣で倒れた少年の傷をみながら、私はそんなことを考えていた。
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