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今回は説明回です。さらりと読み流して下さい。
何がきっかけだったのは分からないが、私が十歳になった頃から、両親は私に実施で社会勉強をさせていた。
もちろん王太子という立場上、どこに行くにも護衛はついていた。
だがお忍びの場合は、父王からの命令だったのか、影ながらの護衛だったので余程危険な目にあわない限り助けてもらえなかった。まぁ、将来王になる者として、自分の命を最初から他人に委ねきっているというのも情けない話なので、それはそれで良かったと思う。(公式の場など、場合によってはもちろん護衛に任せる。)
おかげで生傷をおったこともあったが、今となってはそれもいい思い出だ。
王城を出て、まずは一人で城下に行くことから始まった。一回目は大通りを歩き、二回目は店で買い物をし…そんな風にして市民の生活状況をこの目で見た。王都だけあって治安は良かったが、表通りから離れるにつれ、徐々に物騒な雰囲気になっていくのは改善しなければならない、と思ったことを今でも覚えている。
王都に慣れたら次は主要都市、そして王都から離れた辺境の都市、といった具合にお忍びであちらこちらを見てまわった。
もちろん、それだけではなく幼い頃から帝王学をはじめ政治経済、外交、社交、護身術、マナーなどおよそ施政者として必要と思われるものは一通り身につけている。
そうやって過ごしてきた私がシュトラーセ伯の領地をお忍びで訪れることになったのは、十五歳の時だった。
父王が同時期に外国へ外交に出かけることになり、その帰りにシュトラーセ伯の領地で落ち合おう、と指示されたのだ。
しかも珍しいことに、伯宛に紹介状まで準備していた。今まで一度たりとて紹介状を準備したことなどなかったのに、どういった風の吹きまわしだろう。
シュトラーセ伯領に向かうにあたり、下調べをしてみたのだが、なんとも奇妙な領地だった。
国境に面した「ギーセラの森」という森を擁する他は特に何もない。特産もなければ名産もない。
ギーセラの森から内地に向けて、牧草地が広がって町(というよりも村)が点在している。その領地面積も目を疑うほどショボい。しかも領地のほとんどがその森。
国境にあるということは国軍の駐屯や貿易のためにそれなりに人が集まりそうであるのに、そんな気配もない。
駐屯部隊もおらず、貿易ルートからも大きく外れた、常識はずれの辺境。
シュトラーセ伯領の森を挟んだ、両隣の別の広大な伯爵領が軍備に定評のある地域だということが唯一の救いか。
「父上、シュトラーセ伯の領地についてですが。かの地の軍備は一体どうなっているのですか?!調べてみたところ、信じがたいことに無防備ではないですか!そのギーセラの森とやらから、国境を越えて他国の者が侵入し放題になっているのではないですか?!」
あまりのことに唖然とし、父王のところへ直接問いただしに行った。
国内のことであるのに今まで知らなかった自分の勉強不足も思い知らされた。
よりにもよって、国境に極小とはいえそんな地域があったとは…。
「あの土地に関して言えば、その心配はいらん」
「どういうわけです?」
「あの森は特殊なのだ。他者の侵入を拒む。軍隊の侵入は無理なのだ」
「…………」
「腑に落ちない、という顔だな」
父王は口の端をニヤリと上げた。
「他国の軍は侵入することはない。が、同時に我が国軍も常駐はできん。森を"怒らせて"しまうからだ。だからあの領に軍はない」
「そうは言いましても…」
「数百年前に歴代屈指といわれた大神官からの託宣により、あの土地には不可侵条約が結ばれている。そしてそれは今も有効なのだ。どのような理由があろうとも、どの国家もあの土地を有してはならない、と」
「我が国の領土ではないというのですか?!」
「正確に言えばな。場所柄、表面上我が国土の一部になってはいるがあそこは我が国土であり、国土ではない。お前はシュトラーセ伯を見知っているか?」
父王の問いにシュトラーセ伯を思い起こそうとして愕然とした。全く記憶にないのだ。
父王はまだどこか面白そうな表情をしている。
「思い出せない、だろう?」
無言で頷くしかなかった。
「シュトラーセ伯は王都に屋敷を持たない。上級貴族の義務である王への表敬訪問も課せられていない。シュトラーセ伯は特例爵位なのだ。名称こそ伯爵ではあるが、実態としては村長兼森番といったところであるな」
「……………」
もう何を言っていいのかわからない。そんな出鱈目な事が許されていいものか。
「はは、その顔、考えていることがただ漏れになっているぞ?人の上に立つもの、内心を容易にさらけ出してはいかん」
「…そんな村長レベルにもかかわらず、伯爵位を与えていることに対しての不満など、貴族の間からでていないのですか?でるでしょう、普通。しかも特例だらけですよ?伯爵位は必要なんですか」
「貴族たちの間の不満を上手に押さえるのも為政者としての手腕の見せどころだぞ。私の次代はお前がその責を担うのだ。お前に務まるか?伯爵位は据え置く。彼らにとって無用のものだとしても、その位がある限り彼らの身を守る一助になることもある。とにかくお前はその地に赴き、自分の目で確かめて来い。そしてその上で、お前がどうするか決めるのだ」
そう言って父王は一足早く外交へと出向いてしまった。
納得できぬまま、もやもやとした気持ちを燻らせている。私が王位を継いだあかつきには、その不用心な警備態勢を含め諸々をどうにかせねばなるまい。
そんな決意を胸に私もシュトラーセ伯領に向かった。
道中はこれといった事件は特になかった。
平和で結構なことだ。父王の治世が順調な証拠だろう。
いつものごとく、一見そこそこの貴族の坊っちゃん(三男あたり)が下手な変装をして一人で気ままに物見遊山している、という設定だ。これが一番無理がないように感じる。私がいくら町民を装っても、どこか違和感が出てしまうのだ。貴族のお忍びだったら、あながち嘘でもないしな。
アッシュブロンドの髪をありがちな濃茶色に染めて、長めの前髪で目元を隠す。これで人相は随分誤魔化せるから、親しい人間に出くわさなければ正体がばれることもない。こんなド田舎にそうそう知り合いもいないが。
護衛もついてきてはいるのだろうが、近くに気配も感じない。このあたりもいつも通りだ。
街道沿いの街に寄りながら、そうこうしているうちにシュトラーセ伯領に入り、シュトラーセ邸に到着した。
田園風景に馴染む、どうという特徴もない屋敷だ。屋敷というよりだだっ広い民家といった風情だ。
領土と同じで危機感の欠片もない。
のんびりとした風土と相まって、平和ボケしているとしか言い表しようがない。
ぱっと見、門番らしき者がいるようでもない。(民家には不要かもしれない…)警備兵や巡回の者がいるようでもない。
ひとまず父から預かった紹介状もあることだし、こちらに逗留させてもらい視察をしながら父王の訪れを待つつもりだったが、どうしたものか。
「うちに何か?」
声に振り返ると、黒髪の少女が私を見ていた。
側妃さまのご実家がシュトラーセ家です。実際にはありえないでしょうが、なんちゃってファンタジー世界ですのでお許し下さい。名ばかりの伯爵位で、実質村長さんです。
国王は直轄領にしたかったのですが、これまた神殿からのお達しでシュトラーセ直系一族に森の管理を任せるようになりました。
名家や旧家の上位貴族は「シュトラーセ伯」に対しては寛大です。ギーセラの森に関わりたくないので、触らぬ神に祟りなし、という感じで容認しています。新興や成り上がりの貴族からは叙爵について不満もあるようですが、国王がうまく抑えています。