なな
「…という訳だ。思い出したか?」
膝の上で抱いている彼女の細い身体を腕で抱え込んで、顔を覗きこむ。
「…………」
「…………?」
「………………………ぐぅ」
寝・て・や・が・る。
私の胸に頭を預けた状態で、彼女は平和にもくぅくぅと寝息をたてていた。
一体いつから寝ていたのやら。
毒気をぬかれたような気持ちになり、ため息を飲み込んだ。
彼女の髪と同じ金茶の睫毛が落とす影を見つめた。その頬には、じっと近くで見ないと気づかないくらいの薄いソバカスが散っている。
外を走り回らなくなったせいか、随分と薄くなったそれを懐かしく思う。
ソバカスなんて女性は嫌うだろう。男でもソバカスがない女性がいいという者が多いかもしれない。
でも私は彼女のソバカスが好きだ。
太陽の光を全身に浴びて、のびのびと過ごしてきた彼女の性質をそのまま表しているように思えるから。
そんな彼女が今私の腕の中にいることはまるで奇跡のようで。
彼女が風と同化してそのまますり抜けていかないように、ぎゅっと抱く腕に力をこめる。
陽の恵みを一身に受けたぽかぽかと温かな体温ごと抱いて、今というこの瞬間を噛みしめながら、私はそっと瞳を閉じた。
※※※
「息子さんを私に下さい!!」
部屋の空気が固まった。
父王もシュトラーセ伯も凍りついたかのように身じろぎ一つしない。
ようやく父王が言葉を絞り出した。
「………そうか。いや、よくぞ打ち明けてくれた」
「………?」
「だが、お前は王太子だ。お前の好みは理解したが王族の努めとして子孫は残さねばならない。外聞はよろしくないが男を寵愛しても、女の妃は迎えねばならんぞ」
「……………父上、勘違いがあるようです。私には男色の趣味はありません。普通に女性が好きです」
父王はあからさまにほっとした様子をみせた。
「そ、そうか…。そうか。一瞬本気で心配したぞ」
「父上…、そういう意味ではなくてですね。今回の滞在で、私は彼と非常に親しくなりました。もちろん純粋に友達として、です」
「そのようだな」
「彼には能力も向学心もあります。私の側付きとして、彼を迎えたいのです」
「お前がこんなことを言い出すとは珍しいな」
「そうでしょうか」
「お前のことだ、きちんと諸々を考えた上で言い出したに違いないが、それでいいのか?」
「影響が大きいことは重々承知しています。彼と知り合って日が浅いことはわかっていますが、それでも私は彼ほど信頼に足る人物を知りません。私は彼に、私の背中を預けたいのです。これから先もずっとわたしの側で支えてもらいたいのです」
「アルブレヒト、お前の気持ちは尊重しよう。…で、お前はどう思う?」
父王は同席していたシュトラーセ伯に水を向けた。
シュトラーセ伯は先日会った熊男に瓜二つだった。同一人物かと思えるくらいだ。
後から知ったのだが、シュトラーセ伯は黒熊の異名を持つ剣豪だった。見た目そのまんまだ。見るからに強そうだし。
さらに驚いたのが、シュトラーセ伯は父王の配下の隠密部隊の一員だった。実際のところ籍を置いているだけで特に仕事はしていないらしいが。見た目が目立ちすぎて隠密に向かないだろうに、何故そんな部隊にいるのだろう。そんなこんなで父王とは旧知の仲で、悪友ポジションのようだ。
それまで固まっていた伯は我にかえったようだ。
あくまで私的な場ということで、父王も直答を許している。くだけた様子でやり取りを交わしていた。
「娘をくれって言われたらどうしようかと心配していたんですがね。息子を側近に欲しいと。王太子殿下は人を見る目がおありのようですね。息子といえば、うちの三男のことでしょうか?」
「あ、あぁ……末の息子さんです」
「そうかそうか!殿下はなかなか人を見る目がありますな!」
伯はガハハと笑いながら私の背をバンバンと叩く。手加減してくれているのだろうが、馬鹿力に変わりはなく痛みで一瞬息が止まりそうになった。馴れ馴れしいな。見た目通りの豪放磊落な人物のようだ。
「うちの可愛い娘をくれと言われたのなら、例え王太子殿下でも叩き出すつもりでしたが、息子なら話は別です。長男はちょっとアレなもんで、次男に領地の経営その他全て任せっきりでして。次男をご所望でしたらどうしようかと思いましたが、三男ですかそうですか。うちの教育方針は基本的に個人の自主性に任せていますので」
要するにほったらかしにしているのだな。
「うちの息子にもうこの話はされたんでしょうか」
「いや、まだなのだが」
「そうですか。本人が殿下の元で勉強させてもらいたいと希望するなら、親として何も言いますまい。そもそも殿下に望まれるなんて光栄なことですからな!」
またガハハという笑いとともに嫌な予感がしたので今度はさっと避けた。
「では本人を呼んでもらって意思を確認させてもらっても?」
「構いませんとも。本人の了承さえあればすぐにでも連れていってもらっても構いませんぞ」
言葉に甘えて、デルフィを呼んでもらった。
しばらくしてドアをノックする音。
デルフィが来たようだ。
「失礼いたします」
……………?
この声は。
ドアが開いて入ってきたのは黒髪の。
「ロルシュ?」
ロルシュは綺麗な所作で礼をとった。貴族の男性がする正式な礼を。
「王太子殿下におかれましては、知らぬこととはいえ、数々のご無礼を…」
「それはいいんだ。なぜお前がここに?」
「私をお呼びと伺いましたが」
「え、いやだって、三男」
「私が三男です」
「え」
今の今まで女の子だと思っていた。
だってこんなに色白で愛らしくて物腰が柔らかくて小さくて、どこからどう見ても女の子だ。
「じゃあデルフィは」
「デルフィだとぅ?!うちの可愛いティアちゃんの名前を男が気軽に呼ぶなどと許さーん!!!」
突如として激昂した伯が突進してきて私の胸ぐらを掴みガクガクと揺する。
「ちっ父上っ?!お止めください、王太子殿下になんてことをするんですか!しかも陛下の御前でこのような無体な真似をするなどと」
ロルシュが間に入って止めてくれたようだ。死ぬかと思った。多分むち打ち状態になっていることは間違いないだろうが。
「ティアとは誰だ?」
「デルフィですよ、殿下。ティアという愛称は今は父上くらいしか呼びません」
「ティア?が、デルフィ??訳がわからん。デルフィはお前の兄だろう」
「デルフィティアは私の妹です、殿下」
いやいやいやいや、それはない。
「妹ってそんな」
「デルフィは私の一つ年下の妹です」
「どうみても男で、お前が妹だろう!」
「そう言われましても。デルフィという妹が産まれた時から私は兄です。十歳ですからね、二次成長もまだでデルフィは男の子にしか見えませんが」
「デルフィが女……」
あれが女だったとは世も末だ。
そして女にしか見えないロルシュが男。
その時地を這うようなおどろおどろしい声が響いた。
「すると殿下、殿下はうちの世界で一番可愛らしいティアちゃんを男だと思っていた、と……?」
シュトラーセ伯の目が据わっている。
いかん。
蛇に睨まれた蛙の気分だ。
「しかもティアちゃんを連れていくつもりだと………?」
ヤバイ。悪寒がはしった。
「愛しのティアちゃんは誰にもやらん!!そこへ直れ!成敗してくれる!!!」
そこからはもう阿鼻叫喚。
怒り狂い暴れだした伯を前に護衛たちの怒号が飛び交った。
「シュトラーセ伯が乱心だ!」
「いかん!我々では抑えきれん」
「陛下と殿下をとにかく安全な場所に退避させろ!」
あれよあれよという間に、護衛たちに連れられてシュトラーセ伯から逃げ出した。
追いかけてきたシュトラーセ伯がようやく落ち着いてくれたのは王都も間近に迫った頃。
あんなに恐ろしい目にあったのは初めてだ。今思えばデルフィと共に蜂に追いかけられたことなんて生易しかった。世の中には必死に逃げなければいけない事態が結構あるらしい。
そして、誰ともまともに別れの挨拶をしていないことに気がついた。リューベックやロルシュ、そしてデルフィにも。
※※※
「ーーーーーーーー………ふごっっ」
!!!
私、今、「ふごっ」って言いませんでしたか?
言いましたよね?
絶対言った。確信しています。
急激に意識が覚醒しました。
とりあえず現状把握です。
……誰にも聞かれていませんよね。
というよりも私は何をしていたんでしたっけ。
寝ていました。
それはもう心地好く。
どこで?
ーーーーーー陛下のお膝の上で。
何てことでしょう。
この生き馬の目を射抜くような王宮で、警戒心もなく他人様の膝の上で寝こけるなどあるまじきことです。
すっかり爆睡していましたが。
言い訳をするなら、ちょうど耳元にある陛下の胸から規則正しい心臓の鼓動が聞こえてきて。心臓の鼓動って気分が落ち着きませんか?
私の体に回されている陛下の腕からほのかに体温が伝わってきますし。包み込まれているみたいで、これまた落ち着きます。
柔らかく優しい低い陛下の美声も心地好くて落ち着きます。
…………私ったら何を言っているんでしょう。
それは横に置いておいて。
陛下は昔の話をしていらっしゃったのでしょうか。
すみません。
強烈な睡魔に襲われて、最初の五分くらいしか聞いていませんでした。その五分も、もう今の時点で内容をほとんど覚えてません。
えーと、陛下がお忍びで王都に出没されていたとか、そういう感じだったような。
お忍びでおでかけになられるなら私も連れていってくださればいいのに。
陛下という今のお立場では難しいかもしれませんね。
お忍び!
なんて素敵な響きでしょう。
ふふ、いつか実行にうつしてやろうではありませんか。
ちらりと陛下を盗み見すると、なんと陛下も爆睡中ですね!
先程の「ふごっ」は聞かれていないようで、ほっと胸を撫で下ろしました。
正直な話、陛下に聞かれたところでどうということもないのですが、さすがに乙女として「ふごっ」はないと思うのです。
陛下だからまだしも、これがライナス様相手だったら恥ずかしすぎて死ねます。爆死間違いなし。
それにしても陛下のお肌が綺麗なこと!
顔の造作も絶妙なバランスで激しく整っていらっしゃるのに加えて、なんでしょうこの美肌。
つるんとしていてまるで茹でたて剥きたての卵。
吹き出物の跡ひとつなく、ほくろの一つもありません。はえかけのヒゲがポツポツと見えることもないですね。剃ってはいらっしゃるのでしょうが、剃り跡もなし。肌目細かい!
手入れの行き届いた女の肌のようです。
十六歳の私の肌より余程綺麗です。
………イラッ。
今無性に腹が立ちました。
腹立ち紛れに陛下の頬でも思いっきりつねってやろうかと思い立って、陛下の頬に手を伸ばして。
やっぱりやめました。
悔しさを飲み込んで、そっと陛下の頬に指を這わせました。
見た目と違わぬ絹のような指触りです。気持ちよくていつまでも触っていたくなります。
あれ。
なんかこの顎のラインに既視感を覚えました。いつかどこかで見たような。
うーん思い出せません。
ひとしきり首をひねって考えましたがわかりません。ここはスッパリ思い出すのを諦めてしまいましょう!
今まで忘れていて問題なかったのですから、この先も忘れていても問題ないでしょう。
今の体勢に疲れて、コテンと頭を陛下の胸にもたれかけさせました。
異様に落ち着く…。
トクトクと聞こえる心音に耳を傾けているうちにまた睡魔がやってきました。
まぶたがトロンと重くなっていきます。
相手が陛下だというのがちょっと癪にさわりますが、結局私は誘惑に負けてしまいました。
ゆっくりと瞳を閉じて。
もうちょっと。
もう少しだけ、このままで。
温かなぬくもりに包まれた私の吐息を風がさらっていきました。
お読みいただきましてありがとうございました。
"なな"を一番はじめに思いついて、結果的にこんな感じになりました。途中迷走した感がなきにしもあらずだったので、読んで下さった方が納得できる内容になったのか、迷いつつの投稿でした。というより"なな"だけ読んでもらって良かったんですが(笑)それではわけがわかりませんよね~。
今後といたしましては、ショートストーリーなどのおまけを数話予定しております。