第二話 春の日の二人の時間
―今から始まる二人の時間―
食卓には、和紀の大好物である、ハンバーグが乗っていた。お揃いの食器、それは、大学時代に買ったものだ。毎日のように使っていたが、月日は経ったが今は恥ずかしさよりも、二人で使えると言う事が嬉しい。遠距離恋愛をすると、普段は些細な事が、逆に嬉しくなる。多分、自然にそうなったに違いない。和紀は、真美子が作るハンバーグが好きで、会う度にいつもリクエストしている。
実は、二人には両親がいない。真美子は阪神大震災で、和紀は病気で両親を亡くした。
お互いに、父性と母性を求めていたのだろう。
和紀はあっという間にハンバーグを平らげてしまった。
「あら、もう食べたのですか?いっぱい作っておけばよかったですね」
「す、スマン。旨くてつい早食いしてしまった。」
「嬉しいです。あ、それでは」と言いながら、真美子が、自分の食べていたハンバーグを一口の大きさに切り分け、箸でつまんだ。そして、手を添えながら「あーん…」といい、和紀の口元へ差し出した。
真美子はほんのりと顔を赤らめながら、和紀を見詰める。大学時代にもやったことはあるが恥ずかしかった。今も恥ずかしいのだが、昔とは違う恥ずかしさだ。差し出された箸を見詰める和紀は、上目使いで見詰める真美子。和紀は意を決して差し出されたハンバーグを口にした。でも、このやり取りが新鮮だったりもする。端から見れば馬鹿らしい事に見えるのだが、二人にとってみれば至福の一時でもある。
和紀が持って来たDVDを見ていたら、もう11時になっていた。二人でいるときの時間は過ぎるのが早い。
エンドロウルが流れる頃には、真美子は和紀の肩にもたれ掛かり、腕を組んで眠そうな顔をしていた。
「真美子。そろそろ寝ようか?」
「ごめんなさい。朝早かったですから…」
そういえば、会えるのが楽しみで早起きしたと言っていた。
「会えるの、楽しみにしてたんだよな。」
「はい。楽しみでした。今、言葉に表せられない位幸せです」
「嬉しいよ。」
「和紀さん、寝てしまったら和紀さんを感じる時間が短くなってしまいます。」
「真美子、今夜は俺が傍にいるから。明日はゆっくりデイトをしよう。な?」
和紀は、真美子の頭をそっと撫でながら、言った。真美子も了解したのだろうか、こくんと頷いた。
「和紀さん、いつものしてくれますか?」伏せ目がちに、真美子が言った。うん、と和紀が返事をすると、真美子は和紀の膝の上に乗り、和紀の首に腕を回す。そして、和紀は真美子を抱きしめて、そっと唇を重ねた。寝る前にはいつも抱きしめて、存在を確認しあう。離れて暮らす二人にとって、お互いをいつまでも感じていたいという気持ち。
それを、くちづけにして表す。
シンデレラの体は王子の腕に抱かれて、長めのくちづけを終えると、お互いの視線が離れない。
強く抱き合い、二人はベッドへ潜った。
―春の麗らかな日曜日に―
晴れた日曜日。心地よい風が吹いていた。デイト日和だった。だが、約12時間後には離れなければならない。残り少ない時間二人はお互いを感じていたいものだ。
「それじゃ、行きましょう」
真美子は和紀の腕をとり歩み始めた。温かい風が、二人を包み、真美子の下ろした髪を靡かせる。その髪の香りが、和紀の鼻をくすぐる。思わず、どきりとしてしまう。真美子は気付いていないのだが、胸の膨らみが当たっている。まぁ、役得でという事にしている。
月に1度か2度のデートは、まるで舞踏会のように時間は過ぎる。公園のベンチにか腰掛けて肩に頭を乗せて無言で時間を過ごしたり、デパートでウィンドウショッピングを楽しんだり、食事をしたり。カップルにとっては有り触れた光景だが、離れて暮らす事になれば、とても新鮮で貴重な時間でもある。デイト中の真美子を顔は、まるで踊るシンデレラのように見える。和紀は、真美子の嬉しそうな顔を見ると、日々の仕事と疲れを忘れてしまう。その一瞬、一瞬がとても新鮮で、刺激的だ。しかし、時というものは無情に過ぎて行くもので、別れの時間が刻一刻と迫ってきている。
あっという間の日中のデートを終えて、夕食を済ませると時計の針は午後19時30分を指していた。別れの時まで残り1時間35分。デイトの最後に、必ず行くところがある。そこは、真美子の部屋から歩いて約10分位のところにある丘の上の小さな公園。かつては、ここに和紀のアパートが建っていた。アパートが無くなったのは和紀が神戸を離れた次の日だった。落ちついた和室の1Kの部屋。築年数は古かったが、ここから望む夜景がとても綺麗だった。二人が、愛を語り合い、愛を確かめ合い、愛しあった空間は、そこには無い。今でも、アパートの部屋の鍵は二人とも持っている。
「いつ見ても綺麗ですね。」
「ああ。東京には建物に上らないと見ることは出来ないし、高層ビルばかりだから、とても新鮮だよ。」
真美子は和紀の腕を絡めて、そっと肩に頭を乗せた。眼鏡の奥の瞳は、まるで夜景を写すかのように潤っていた。そして、絡めた腕に力を込める。この瞬間、時間が永遠に止まって欲しいと願うのは、真美子だけでなく和紀も同じ願いだ。時というものは無情だ。時というものが無ければ、いつまでもその瞬間は残る。しかし、動いてしまえば過ぎるという事には変わりない。かといって残るものはない訳はない。過ぎ去った時間は二人の心の中に残るのだ。
真美子は、和紀の手を握り胸元へそっと当てた。そして、顔を近づけた。温もりが、和紀へ伝わる。
「真美子…」和紀は、真美子をそっと抱きしめ、キスをした。
―シンデレラは、召使に。―
真美子の家に荷物を取りに戻り、新神戸駅へと向かった。その足取りは重い。シンデレラは召使に、王子は国務に追われる人間に戻る。
駅のホームは閑散としている。真美子は和紀から離れない。和紀も離れない。別れの時間まで残り10分。無言でただ抱き合うだけ。本当はこのまま連れて行きたい。だが、何故か出来ない。その苦しい思いはどうしたら良いのだろうか、お互いに解らない。真美子がそっと呟く。
「行ってしまうのですか?」
本当は聴きたくない。しかし、どうすることも出来ない。
「…」和紀は黙って頷く。
「私を置いて行かないで下さい」
「それは出来ないよ」
「どうしてですか?じゃあ、連れて行ってください」
「わがまま言うな」
「わがままじゃありません」
本当に心苦しい。どう答えてもいいのか解らない。このまま、列車が来なければいいのにな。いつ会っても、この時間だけはどうも慣れない。そして、シンデレラと別れを告げる鐘の代わりにアナウンスが流れた。
(間もなく、2番線に、のぞみ、52号、東京行きが参ります…。)
列車は滑るようにしてホームに入ってくる。この箱に揺られて、帰る。真美子は帰らないでと言わんばかりに抱きしめる力を込めてくる。列車の扉が開くと、そっと真美子の手をとり、いい子だから、と宥めるように手の甲にキスをする。そして、デッキに和紀はたった。
「真美子、すぐに会いにくるから」お互いにじっと見つめ続ける。二人は思う。一枚の扉が閉まるギリギリまで、手を繋いでいたい。別れの時は、刻一刻と迫ってくる。一番聞きたくない、別れのメッセイジがホームに響く。
(2番線から、のぞみ52号、東京行きが発車します。ドアが閉まります。ご注意下さい)
扉が閉まる前に、二人は無言でキスを交わす。そして、扉が閉まる瞬間繋いでいた手を離す。二人の感じていた温もりが、冷たくなる。扉の窓枠で顔が見えなくなり、扉が閉まりきるとガラス越しにお互いを見つめる。無言の言葉、ガラス越しに愛の言葉をささやく。お互いに「好きだよ」と。列車は二人の別れを惜しむかのようにゆっくりと動き出す。本当であれば動いて欲しくない。しかし、行かなければならない列車。それには乗りたくない。しかし、乗らなければならない。そして、動いて欲しくない。シンデレラを置いて行く辛さ、それを見るのはとても辛い。
ホームで見送る真美子は、流れそうな涙を抑えていた。遠距離恋愛が決まった時から決めていた事だ。愛しい人が離れていく事はいつでも辛い事。会社でも恋人の話を聞いていると羨ましく思う。だけど、心は揺るがない。和紀が一番だと思っている。人とは違う恋愛だってそれは変わりはない。和紀の姿を、ホームから見つめる。そして、見つめる和紀からの言葉はわかっている。和紀が言った一言を信じている。「すぐに会いに来るから」の一言を信じて待っていよう。真美子はそう思った。列車に乗った和紀を、真美子はそっと追いかける。列車には追い抜かれてしまったが最後まで和紀の顔を見ることが出来た。好きな人の顔を、笑顔で見送った。
それから2日後。
会社から帰った真美子は、ポストを開けた。いつも変わらない封筒が入っていた。その場で踊りたくなるのを抑えて部屋に入る。封筒をはさみで開けて便箋を開く。
(真美子、この間は楽しかった。今週は仙台の出張が入るかもしれないよ。あの日にメールが来てね。何か美味しい物があったら送るよ。来月も真美子に会えることを楽しみにしている。)
毎週火曜日の到着に合わせて手紙を送っている。短い文章のやり取りだが、身代わりの手紙を送る事が離れた二人の毎週の楽しみになっている。会いに行く事が出来ない分、形として会えるものとして手紙を書いている。和紀は、新幹線の中で手紙を書いて東京駅から出している。夕暮れを見ながら、真美子は手紙を抱きしめた。
東京、午後7時。
ほろ酔い加減で帰ってきた和紀は、ポストの扉を開けて手紙を取り出した。ピンク色の、ハーとに彩られた封筒を取り出す。階段を上り、部屋に入ると、コンビニで買ったビールを開け、一口飲む。そして封筒をはさみで切り、便箋を開いた。
(お仕事、お疲れ様です。会えて嬉しかったです。春の日はとても気持ちが良かったですね。今度会ったら、また、公園でデートしましょうね。では、また来週に。)
窓辺からは満月とビルの明かりが差し込む。和紀はビールを飲み干した。




