現世へ
はっと、まるで怖い夢をみたあとのように飛び起きると。
そこには非日常があった。
というより、真っ白な天井があった。
わけがわからない。自分は死んだのではなかったのだろうか。
ふかふかのベットの上で寝ていたようだ。とりあえずと体を起こす。
ここは__
まぎれもなく、三条家の自室だった。
まさか夢だったのだろうか。
いやそんなことはない。糸川の唇の柔らかい感触はいつまで経っても忘れられない気がした。
パソコンに目をやるが、少しホコリ被っているだけで、以前見たときと特に代わり映えしていない。なぜだ。理解できないことがわらわらと脳内を埋め尽くしていった。
ベットの下に、きれいに揃えられているスリッパに違和感を覚えつつも、履いて部屋からのっそりと出た。
すると木製の階段が手前に現れ、やはりここは自分の家なのだなと思う。
階段を下りなにをするでもなく台所の扉を開けると、死んだはずの二葉が調理に没頭していた。
思わず「え」と声をあげると二葉が振り返る。驚くわけでもなく彼女は「兄ちゃんお帰り」と優しい声で言った。
「た、ただいま」
動揺を隠せない一也に二葉は話しかける。
「だよね。初めてだったらそりゃそうなるよね。説明したげる。机、座って」
言われるがままに椅子に座らされる。
その正面に二葉も腰かける。これがいつもの食事の風景だ。
まだ現状を理解できていない兄をみて二葉は少し笑った。
「では説明しましょう__とりあえず、あの、極端にいえば『死んではならない』というルール。あれは、嘘」
「は? 何でだよ。ルールだろルール」
「そうなんだけど、最後になかった? ルールで、このゲームで起きることは疑わなければならない、って」
そこにまで適用されていたのかと、一也は深い溜め息をついた。
「ほんとはね、死んでも戻れるんだよ。あれはゲームに熱中してもらうために作ったような偽のルールなんだと思う」
なるほど、とすべて合点がいった。
あの青年たちの話を最後まで聞いていればよかったのだ。あの人たちはそれを知ってプレイヤーを狩っていたのだろう。それを狩られるプレイヤーに伝えなかった理由は、どうせ教えても信じてくれないときめつけたからだ。話が途中で切れてしまったから『ゲーム内で死んでしまうと、ほんとうに死んだことになる』という勘違いをしていたのか。
あのまま大人しく殺されていればよかったかもしれない。無駄な苦労をしなくてすんだのに。
「けれど二葉、なんでお前そんなこと知ってんの?」
「それはね__私、昔一回プレイしたことあるの。その時に死んで、知ったの」
「レベルが高かったのは?」
「夏休み合宿いくとか言ってたでしょ。あれ嘘なの。実はずっとあのオンラインゲームしてた」
へえ、と一也は相づちをうった。
二葉はよしと言って机から立ち上がる。台所に近づいて何をしているのかと思うと、棚からインスタントラーメンを取り出して作ろうとしていた。
机から離れるのがめんどうだった。だからのんびりと二葉の背中を見つめていると再び会話が始まる。
「あの隣にいた人、誰なの?」
「ああ、あれはなあ__」
と、糸川とキスしてしまったことを思い出して椅子から転げ落ちた。
「あれは?」
「__あ、あれはなあ__なんでもないよ」
嘘でしょと言わんばかりのオーラを二葉の背中から感じ取った。
けれど答えるつもりはない。
なぜならこの答えは少し言うには恥ずかしいものだからだ。
普通の言い方をすれば他人になるが、
恥ずかしい言い方ををすれば『好きな人』または『彼女』というものになる。
「なに顔赤くしてるの。なんかあったの? あの人と」
「なかったなかった」
「ふうん__また機会があったら訊いてやるからね。覚悟しといてよ。誘導尋問は得意なの」
そして少し時間がたつと、二葉が食器棚から大きめのお椀を取り出した。
振り返った二葉が持っていたのは大好物のラーメン。
それをどんと机において、
「お兄ちゃん、ラーメン好きだったよね。頑張ったご褒美、あげる」
といった。
そしてなんとなく感じていた違和感の発生源に、一也はいま気づいた。
「お前ってさあ」
「なによ」
「お兄ちゃん、って、そんな呼び方してなかったよな」
すると二葉は、顔を真っ赤にして台所から出ていってしまった。