異世界?
話が変になってきた......
「..............................」
ふかふかのベットの感触。一也の目には天井が写っていた。あれ死んだんじゃなかったっけなと体を起こして辺りを見回す。机、棚、ドア、カーテン、窓、台所......。とそこでぴょこぴょこ跳ねる青髪の少女を見つけた。彼女は右手に包丁を握り締めて台所に向かっている。その後ろ姿に一也は何故か見覚えを感じた。
はて誰だっけなと背中見つめていると彼女は包丁を台所に置いた。となりの炊飯器から「熱いっ熱いっ」と悲鳴をあげつつ釜を取り出して茶碗にお粥を少し入れた。続けて梅干しをぶち入む。雑だなーと思って眺めていると「できたっ!」という掛け声と共に彼女が振り返る。
「 」
それは勿論、一也と青髪の少女の目が合ったということだ。
「あっ......おま「__________お兄ちゃぁぁぁぁん!!」
叫ぶと同時、一也に涙目で飛び付く少女。もとい一也の妹、三条二葉。現役中学二年生。
「お兄ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」と、一也の胸に顔を埋める二葉。
「分かったから「お兄ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
青と白のジャージが涙で濡れる。そんなのお世辞にも良い気持ちとは言えない。強引に二葉の肩を掴んで無理やり引き剥がす。「ふぇ?」と一瞬戸惑ったような表情をして、すぐさま勘違い。
うぇぇぇぇぇぇん! と嫌われたのだ捨てられたのだと泣きじゃくる。一也はどうしたものかと悩んで結局優しく撫でてやることに落ちついた。
撫で続けて数十秒。二葉はうぇっうぇっ......と少しずつしゃくりを治めていく。
しかしなんなのだ。確かにこのオンラインゲームに二葉がいたのも問題であり疑問であるのだが。
一也の記憶の限りでは、二葉はこんな性格じゃなかった。
もっと静かで「お兄ちゃん嫌い」程ではなかったにせよ、ある程度の距離をおいていた兄弟だったはずだ。
こんなオンラインゲームに急に送り込まれて怖かったから?
ならなぜ引き剥がしたときにあんな反応をしたのだ。......まさかだけど別人? ゲームならあり得そうだ。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん」
「呼びすぎ」
というか、一也の記憶によればそもそも『お兄ちゃん』と呼ばれたのは小学生で最後だったはず。
それからは名指しで呼ばれた記憶がないのだ。「ねえ」とか「そこ」とか。最近は自分から話しかけたとしても相手をしてもらえることがなかった。
まさかあのログイン履歴だろうか? カップラーメンを食べに台所へ行ったその隙に? しかしオンラインゲームのことを二葉に教えた記憶はない。何故知っているのだ?
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん」いつの間にか膝の上に座っていた二葉が言う。
「呼びすぎ。何?」
「私ね、お兄ちゃんのパソコン勝手に触ったの。で、ここに来たの!!」
きゃーきゃーと。両腕をぶんぶん振り回す二葉。
180度逆転したくらいに妹のキャラが違いすぎる。もはや現実世界での性格の原型を留めていない。誰だ。
その疑問を一也の表情から察して彼女は言った。
「私ね、ずっと我慢してたんだよ」
「はっ?」
膝の上に座っていた二葉が、体の位置を変えて一也に抱き付いてくる。それは思っていたより温かくて柔らかかった。
「私ね、お兄ちゃんが大好きなの。でもだからといってお兄ちゃんに引っ付くとお母さんとお父さんに怒られるでしょ? それに最近『二人の部屋を分ける』とかお母さんが言い出したからね。それだけは嫌だから『二人は一緒の部屋にいても安全』って知ってもらうために冷たくしたの。思春期の男女はエッチ大好きだからねー。ごめんね」
「........................」
「あ、エッチしたいの? お兄ちゃんも妹とエッチしたいなんて変態さんだねー」
うふふ。と小さく笑う二葉だった。勢いよく一也の体に寒気が走り、瞬時に鳥肌が立つ。
二葉の目はドロドロと赤黒く濁っていた。見ていると引き摺り込まれて行きそうになる。慌てて目を反らして、違うことを考えようと一也は努力した。
と、そこで思い出す。鉄球に弾かれて自分は死んだのではなかったのだろうか。HP0の死亡表示はなんだったのだろう。死んだのは確実として......バグか?
「なあ二葉」
「どうしたのお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん」
「......お前はどこで俺を見つけたんだ? まさか突然ここに飛んできたわけでもないだろ」
「うん? ああ、えっとね、確か公園の噴水のまえに倒れてたよ」
「もちろん死んでなかったよな」
「説明書読んでないの? 死んだらゲームオーバーだよ」
やはり死んでいなかったのだろうか。吹き飛ばされて公園に落ちて、たまたま妹の家に連れてこられたと考えるほうがよほど現実的だろう。あの表示は多分バグだ。
鉄球の方にも疑問は残るが考えたところでわかりそうにもない。意識してドアを開ければ弾かれることはないだろう。
__じゃあ、そろそろ外へ行きますか。
膝の上に座っていた二葉を優しく下ろした。立ち上がってドアに向けて歩こうとして、異常に気付く。というか二葉に右腕を勢いよく引っ張られた。一也はバランスを崩して、木製の床へと仰向けにひっくり返る。
「どこ行くの?」
二葉が一也を上から覗き込むようにして言った。その声は低く冷たくなにをしているのか全くわからないというような、そんな疑問の声だった。心なしか先ほどより目が濁っているようにも見えた。
「どこって......外。ゲームしに行くんだよ」
「ここ、出るの?」
「うん、まあそういうことだけど」
この後、二葉の口から発される言葉を、一也は予想していなかった。
先ほどまでの彼女を見ていれば、予想出来たであろうものだったのだが。
「何言ってるのお兄ちゃんここから出すわけないじゃないそんなこともわからないのバカなの私のこと嫌いなの?」
彼女は睨んでなどいなかった。鋭く刺すような視線ではなく、じわじわと侵食するような恐ろしさをもった目で一也を凝視している。起き上がろうとしていた一也は、蛇に睨まれた蛙のように硬直するしかない。
しかし数秒も経たないうちに二葉は目線をキッチンの方に移して、走っていった。無機質な天井が見えて、安堵のため息を付く。一也は救われた気分になった。そうして体を起こす。
「お兄ちゃんお粥食べる?」
キッチンから、いつもと変わらない二葉の優しい声色。さっきのことなどもう忘れたと言うように。
もちろん食べるつもりではあるが......ここで食べないと言えばどうなるのだろう。そんな必要性のないことが一也の頭にはっきりと浮かぶ。やめろやめろ考えるなと頭を掻きむしるが、脳裏に焼き付いて離れることはない。
「はい。お粥」
一也の目の前にお粥が差し出される。もちろん食べる食べると手を伸ばすが、寸のところで手が止まる。
もしも、これが我慢できないほど美味しくないお粥だったならば......どうする? 思わず吐き出してしまった時なんてそれはもう__いや駄目だ考えるな。
「どうしたのお兄ちゃん?」
「....................................」
ここで何を言うべきか一也には分からなかった。いつもなら「なんでもないよ」という一言で済んだはずなのに。
二葉が、怖い。
怖い。
と、ただそれだけで人間は何もできなくなる。死の恐怖とはベクトルの違った__そんな怖さだった。
一也は二葉の手から恐る恐るお粥を受けとった。それと恐怖でにらめっこしてしまうより早く、勢いにまかせて口の中に注ぎ込んだ。
「!」
一也の喉が焼けた感覚。それはお粥がただ単に熱いのではない。喉から、轟々と呻き声を上げて炎が燃え盛っているようだった。たまらずもんどりうって床をのたうち回る。
朦朧とする意識の中で、力の限り目を動かす。何か解決策はないのかないのかと、ぐりんぐりんと目を回す。
キッチン、カーテン、窓、ドア、テーブル、ベット、二葉......!?
彼女の目が__死んでいた。生気を枯らしてしまったような、虚ろな目だった。先ほどのドロドロとした感情も跡形残さず消え去っていた。
二葉はふらりふらりとよろめきながら後退する。ついには膝を折って床に倒れ込んでしまった。
「おい二葉ッ!!」
痛む喉の事など忘れたように駆け寄った。肩を揺するが反応はない。ひどい焦燥にかられて頭が思うように働かなくなってしまう。
どうするどうすると一也が無駄な思考を続けている間にも、事態は深刻化していく。
二葉の眼球が内側から押し出されるようにして落ちた。空いた両眼からは大量の血液と共に、細長い紫色の指であろうものが顔を覗かせる。いうなればそれは悪魔の爪だった。
その指が、ゆっくりと二葉の目の縁をなぞる。一也には、それが二葉の皮膚を切り裂くということの暗示だという気がしてならなかった。結果、それは杞憂では終わらなかった。
紙を引き裂くよりも容易そうに二葉が二等分された。
ずたずたになった脳みそを撒き散らし、そいつはゆっくりと彼女の脳天から這い出てきた。
紫色の光沢のある皮膚。尖った細い長い鼻。全てつり上がった百眼。目が眩むほどまばゆい光を放つロッド。紅緋色のローブ。
『ブラックサタン LV15』
途端に一也の視界を埋め尽くすようにして『BOSS BATTLE』の文字が表記された。次いで視界の右端で、緑色のバーと共に『ブラックサタン』のHPが表示される。更に青のMPバーも。
『HP 2500』
『MP 3000』
視界の左端には、自分のHPバーが現れる。
しかしそれがあり得ないほど残酷だということに気付く。
『三条一也 LV1』
『HP 5』
『MP 1』
いうまでもなく力の差は歴然だった。
だが、一也の目は死んでなどいなかった。
勝つぞ勝つぞと勇むこともなければ、敗北を認めてニヒリストに成り代わることもない。
ただただニヤリと不敵な笑みを浮かべるブラックサタンを、憤怒の表情で睨み付けていた。