高層ビル
入り口の自動ドアをくぐりぬけて、青年たちにつかまらないようにと、できるだけビルの奥のほうへと逃げるように進んでいった。
奥の方について少し時間はかかったものの上の階につながる螺旋階段を見つけて躊躇なくかけ上がる。足音は消したほうがいいのだろうが今はそんな余裕をかましていられる状況ではない。
このゲーム世界はいつ破滅してもおかしくはないのだ。
例えば、今この瞬間に空が真っ二つに割れて落ちてきたりするかもしれない。
だからできるだけ早く制御室につかなければならないのだった。
振り返って糸川に話しかける。
「糸川、これからどうする」
「これからって__制御室を目指すんでしょ」
「そうだけど、そもそもどっからどう行けばいいのかわかってないだろ」
「あ、そうだね__って、前! 前見て! 三条くん!」
螺旋階段は思っていたより短く、糸川と話しているあいだに登り詰めてしまったようで、視線を前方に戻すとそこにはビルの中であるというのに見事な熱帯雨林が広がっていた。
鳥の鳴き声や滝が水を打ちつける音が聞こえてくる。ここがアフリカのど真ん中と錯覚してしまいそうになるほどの再現率だった。
「......すげえな」
「ゲームならこんなこともできるんだね。さっきのおじさんはほんとに凄い人だよ」
走る足を止めて糸川に話しかける。
「さて、ここからどうすれば上の階につくんだろうか」
まさかこんな広大な森の中から奇跡的に見つけろなんていうことはないだろう。
いくらゲームのストーリーに関係していないとはいえ仮にもここは『制御室』のあるビルだ。どうしても制御室にいかなければならないという状況に陥ったとき、ゲームの製作者までもがどこからいけばいいのかわからないなんてことになってしまえば大惨事である。だから、ヒントや分かりやすい道しるべがあるはずだ。
「あ。あれ、見える?」
糸川が唐突に熱帯雨林の奥の方を指差す。
そこには、見方によってはエスカレーターとも階段ともとれるような建造物があった。
しかしその建造物を上りきったところがどうなっているのかは森林に隠れていて見えない。まさか壊れたりしていないだろうか。
「とりあえず行ってみよう。まあ、なにもしないよりは良いんじゃないか」
「てか、そうするしかないんじゃない? 間に合わないと大変なことになっちゃうから早く、走ろう」
熱帯雨林に飛び込んだ。とたんに水分を含んだ空気が体を包み込み、ねっとりとした蒸し暑さのなかをひたすら走ることになった。立ち止まってしまうと奇妙な鳴き声をあげる生き物たちに攻撃されてしまいそうだから止まる気にはなれないし、そもそも暑い暑いとそれだけの理由で進む足を制すなんてことはできるはずがない。
くどいようだが二人にはこのオンラインゲームの全プレイヤーの命がかかっているのだ。それはあの青年たちでさえも例外ではない。
森のなかを進むにつれて地面に蔓延る草がその数を増していった。茶色の土たちも気がつけば緑一色に染まっている。さらに進むとまるで自分の意思で二人の足に絡みついているのかというほど雑草が地面を侵食した。そしてしまいには本当に雑草に意思が芽生えて二人は周辺の草木と戦わなければならなくなった。
久しぶりの『Battle start』という文字が視界を埋め尽くした。もともと大文字だったものが小文字で表示されているのはこのゲームの崩壊が進んでいることへのなによりの証拠だろう。
糸川が腰につけた剣を引き抜きながら言う。
「こいつら多すぎだよ。全部斬ってたら多分時間まに合わなくなっちゃう」
「そうだな。足場になるとこの草だけ倒していこう__って、ああ、いいこと思いついた。俺の後ろについてきて。絶対離れるなよ」
糸川は小さくうなずいた。
一也はサーベルの剣先を地面に突き刺した。そして目的地へとそのまま柄を強く握りしめて走る。
すると剣が地面を斬りながら進み、ついでに意思を持った草も真っ二つにして倒していった。常人がこの作戦を思いついたとしても攻撃力が足りずに草を倒すことはできないだろう。攻撃力が異常なまでに高い一也だからこそ可能になる戦い方だった。
しかし、現実はそう甘くなかった。
この作戦で作られる道はひとりしか進めないらしい。後ろの糸川がその道を通ろうとした時には、他の意思を持った草が、斬られて失った場所を覆って元の状態と何ら遜色ないものになってしまっていた。
「三条くん! ちょっと待って」
叫び声を聞いて振り返ると、不運なことに糸川の足が草に絡めとられてしまっていた。
意思を持っているだけに絡みつき方も尋常ではないほど複雑で、そして強かった。振りほどこうとしてそう簡単にとれるものではなさそうだ。
彼女の緑色のHPバーが少しも削れていないように見えても、その隣に表示されている数字は少しずつ減っていっている。少量ではあるがしっかりとHPは削られているのだ。いくらHPが多い糸川とはいえこのままにしておくわけにはいかない。
一也は立ち止まった。そして足に絡みつこうとして近づいてくる草に気づき、それを斬りながら言う。
「とりあえず落ち着こう。で、草、自力で外せるか?」
糸川は草を引き剥がそうと試みたが案の定絡まり方が複雑すぎてどうやっても外れることはなかった。
「どうしよう。このままじゃ何もできないよ」
「__ていうか糸川は自分の心配してろよな。ちょっとずつだけどHP減っていっているんだから」
すると糸川がとても驚いたという表情を作った。
そして彼女は恐る恐る自分のHPの残量を確認する。
つられて一也も糸川のHP表示に目をやると、そこにはスピードを徐々に上げて減っていっている数字があった。
「ど、どこが『ちょっとずつ』なの!! めちゃくちゃ減ってきてるじゃない!!」
「さっき見たときはそんなに減ってなかったんだよ! ......くっそ、何があったんだ」
緑色のHPバーに少しずつ赤色が見えてきた。これはダメージを受けているという証拠だ。
「糸川、お前、このまま放っておいたら死んじまうぞ」
「どうにかならないの!?」
「待ってくれ。今考えるから......」
しかしなかなか名案が思いつかない。
頭に浮かんでくるのはどれも糸川を傷つけてしまうものばかりだった。あまりの自分の無能さに腹が立ったが、今はそんなことで考える時間を無駄にしている場合ではない。
「なんでもいいから、とりあえずここから離れられるようにしてよ!」
「できないこともないけど、嫌だ」
「なんでよ!」
「糸川を斬りたくないからに決まってるだろうが」
しかし糸川はほとんど叫びながら言う。
「いいから、それで、いいから。とりあえずここから出してよ! このゲームはHPさえ残っていたら死なないんでしょう!」
「........................」
それでも一也は嫌だった。
どういう理由があったとしても糸川の足を斬りたいと思わない。
「早く、私の足、斬っていいから! 早く!」
糸川が叫ぶ。どうすればいいかまったく思い浮かばない。
しかし、何気なく斬っていた自分に絡みつこうとしていた草を見て思いついた。
こいつらは斬られると、斬られた部分の周辺の草が退く習性がある。
だからなんとか糸川の足に絡みついている草を、少しでもいいから自分の足に持ってこられれば。
自分の足と草を斬って退かせて、糸川の足についている草の絡みつきを、彼女が逃げられるくらいには弱められるはずだ。
「糸川、行くぞ」
そう言って足を彼女の両足のあいだに差し込んだ。
すると案の定草が一也の足に絡みついた。
この草のモンスターの攻撃は、時間がたつにつれて段々と強力になっていくのだ。
だからはじめの方のダメージはほとんど無いに等しい。1だとか2だとかそんなところだ。
しかしHPが極端に少ない一也にとっては大ダメージである。自分の足を斬ることを一瞬でもためらってはならない。
目をつむって半ばやけくそ気味にサーベルを振るった。
途端に猛烈な痛みと、それに伴う悲鳴が強く食い縛った口の端から漏れる。ついでに糸川の小さな悲鳴も聞こえてきた。
しかし糸川は一也の功を無駄にすることはなく、自分の足に絡みついていた草から抜け出した。そして糸川には一也の少し手前を走ってもらい、一也は剣をギリギリまで前に伸ばして糸川の進む道を作った。その後ろを密着するような形でなんとか草の道を走り抜けた。
安全地帯について、思わず地面に寝転がった。
「............ありがとう。私の足切らずに助けてくれて」
「いや、あたりまえだろ。糸川の足切れるわけがない」
そして心のなかで自分の足なら斬られるとけど、と続けた。
すると糸川は笑った。
「小心者なんだね」
「仲間思いと言ってくれ__で、肝心の階段はどこだ」
「真後ろだよ。三条くん」
振り返ると確かに目指していた階段があった。
しかしその階段は上の階に繋がっているわけではなく、一番上の段が天井と引っついていてどうすることもできなさそうだ。
「あれ、進めなさそうに見えるけどな」
「何か方法でもあるの?」
「このゲームのことようやくわかってきた気がするよ。多分、天井ぶち抜いて進めってことだろう」
まさかぁと笑いながら糸川が後をついてくる。
階段を一番上まで登った。
軽く天井を叩いてみると、コンコンと、空洞になっているような音がする。
ためしに思い切り殴ってみると、予想通り天井がガラスのようにあっけなく割れて、そこから上の階に繋がっていた。
「へー。このゲームなかなか適当だねえ」
糸川が呟く。
一也はそうだなと笑いながら、何気なく糸川のステイタスを開く。
無意識の内に糸川の残りHPが気になっていたのかもしれない。
そして二人は予想外の出来事に直面した。
「糸川、なんかあったのか」
「なにが?」
「お前、毒にかかってる。残りHPも俺ほどじゃないが結構少ないぞ」