第十六話【ユリウスとシエル】
蹂躙?
いやいや、そんなもんじゃない。
なんと言えばいいのだろうか……?
ケイトさんはどう見ても楽しんでいるし…………遊び?
いや、違うな……
あっ、また一人空を舞った。
そしてそのまま地面へ。まさにグシャッって音が似合いそうな落ち方だ。
「どうっすか? ユリウス」
「えっと……何と言うか…………凄いです」
「ははっ、ユリウスも参加したいんすか?」
「え? …………あっ」
言われて気付いたがオレの右手は剣の柄の部分におかれていた。
どうやら無意識の内に剣を握っていたらしい……
他称戦闘狂としては正しい行動なのかもしれない、なんてふざけて考えてみたり。
「ジョルジュさんもユリウスは戦いが好きって言ってたっすもんね。あっしも分かるっすよー、その気持ち」
そう、今戦闘を行っているのはケイトさんのみ。
四台の馬車には各二人づつの護衛がいるのだが「他にも潜んでるかも知れないから各自で馬車を守ってくれ。その間に俺がなるべく数を減らすから」と言ったそうだ。
ケイトさんの強さを知っているらしいみんなは是非と言って各自馬車を守るのに専念してるのだ。
ちなみにハイトさんも戦いたいと言ったがジャンケンでケイトさんに負けてオレの隣に座っている訳である。
ジャンケンってあるのかよ……と思ったが、気にしてもしょうがない。
「そうだユリウス」
「どうしたんですか?」
「今夜ちょっと手合せしないっすか?」
「手合せ……ですか?」
「そうっすよ。別に軽く体を動かすだけっすし、軽くなら指南できるっすよ」
ケイトさんの指南か……
たしかケイトさんは近接戦闘万能型ってイメージがある。
オレに欲しいスタイルでもあるな。
それなら、
「是非お願いします!!」
「そうっすか? それじゃあ今夜の野営地でやるっすよ」
楽しみだな。
今夜は…………
いや、ちょっと待て。
オレは何か忘れて無いか?
そう、大事な事を……
「“ユリウス”」
「ん、どうした?」
突然サフィールが声をかけてきた。
ちょっと考え事をしてたし、戦闘も見たいんだが…………
「“女の子”」
「……………………」
「“ユリウス?”」
「……………………」
「“女の子”」
…………忘れてた。
賊から救い出した少女。
彼女は未だサフィールの中にいる。
賊から逃げる時点で気絶してしまったのだが…………
すっかり忘れていた。
いや、これはハイトさんの戦闘が面白いせいだ。
うん、違いない。
そうやってオレは責任転嫁をするのだった。
「いやー、終わった終わったー。おいケイト、これで全部か?」
縛られて気絶をしている賊たちを指差しながらケイトさんが言った。
「……そうっすよー。少なくともあっしの分かる範囲っすが」
そんな風に答えるハイトさんにケイトさんが苦笑いしつつ「お前の探知に引っかからないって……」と言う。
確かにハイトさんの探知に引っかからないって…………実力者になってくる訳か。
ちょっと、落ち着けユリウス。
いや、オレは落ち着いている。
ただ、冷静を装っての現実逃避はよすんだユリウス。
先ずは現実を見つめ直せ。
オレの背後には透明化を使ったサフィールとその中に入った少女。
さらに少女には首と手足に枷。
さらには泥だらけで血を浴びた様になっている。
どう説明したもんか…………
「───ウス、おいユリウス?」
おっと、思考の中に完全に沈んでしまっていた様だ。
気をつけないとな……
「はい、どうしたんですかケイトさん?」
「ああ、今日は移動はしないそうだ。今から移動を開始してもさほどの距離も稼げそうに無いしな」
「了解です…………」
「ん、……どうしたユリウス?」
おっと、しまった態度に出てしまった様だ。なんて。
ワザと態度に出したやつの言う台詞じゃ無いな。
こっちから話をするよりは向こうから振ってもらった方が楽に決まっている。
「その…………サフィール」
オレが名前を呼ぶだけで意図を察してくれた出来た相棒が少女を吐き出した。
ドロリと出てきた少女はサフィールの気遣いによりゆっくりと馬車の板の上に下ろされる。
「……………………」
誰ともなく無言になる。
「あの…………」
「人攫い……?」
ケイトさんが呟く。
恐らくこの呟きにはオレへの疑問が含まれているのだろう。
「これはさっきの賊っすか?」
「はい、助けようと思って……」
オレがそう答えるとケイトさんが少し難しそうな顔をした。
その顔を何を考えてる顔なのか……
「そう言えばユリウスは人攫いに会うのはこれが初めてじゃないんっすよね?」
「はい」
どうして知ってるんだ?
あれは父さんと母さんにしか……いや、二人が教えたのか?
「なあユリウス。その子をどうやって助けたんだ……?」
うん、この質問は来ると思っていた。
そりゃそうだ。
オレがどうやって救ったのか気になるだろうし……
「それは───
******
パチパチと音を立てながら燃える焚き火。
時折パキッと弾け火の粉が舞っていた。
近くには小川が流れており、周りには人はいない。
そんな場所にオレはいた。
そばにある毛布の上に少女は寝かされており、サフィールはそばで透明化を使って隠れている。
今、この状態を作り出したのはケイトさんとハイトさん、二人のアドバイスからだ。
先ずは少女の状態。
泥だらけで返り血の様な物もついていて、さらに手足は痩せ細り。
枷のついている箇所には痣があり、とても痛々しい。
さらに賊の男達の証言からして少女が戦闘中に助けに入り、背後から殴り気絶させたとの事だ。
そして次に少女の種族。
彼女はどう見てもエルフだ。
その尖った耳がそれを物語っていた。
賊の男たちによるとネライダ言語──エルフ族の言葉しか喋る事ができないらしい。
言葉の壁はどうにかなる。
なんて言ったってオレはネライダ言語を喋る事ができるのだからな。
問題は種族だ。
エルフは閉鎖的な種族だとケイトさんとハイトさんは言っていた。
町なんかに出てきて育ったエルフはそうでも無いらしいのだが、里で育ったエルフは他種族との交流を酷く嫌うらしい。
それらの理由から子供のオレだけの方がいいだろうとなったのだ。
さらには人族、特に大人の男を嫌って、いや恐れているだろうと……
「───うっ、…………」
そんな思考の渦に沈んでいると、少女のうめき声が聞こえた。
「……と、う……さん……」
お父さん。
恐らく少女はそう言ったのだろう。
力なく少女の口が動く。
そして、
…………ゆっくりと目を開いた。
******
ゆっくりとシエルは目を開いた。
始めに感じたのは暖かさ。
この数週間、無縁だった物だ。
パチパチという音に引かれ目を向けるとそこでは焚き火が赤々と優しい光を放っていた。
そこには鍋が二つかけてあり、とても美味しそうな匂いがする。
シエルは鳴りそうになるお腹を必死に押さえつけた。
それは自分が起きた事を賊の男達に悟られない為である。
きっとこの鍋に入っている物を自分は口にする事はできないだろう。
そんな事は簡単に予想出来た。
(…………?)
ここでシエルにある疑問が浮かぶ。
周りに男達がいないのだ。
さらには自分の体に毛布がかけられていた。
それは二枚で、下に一枚敷かれていて。シエルを挟んでもう一枚がかけられている。
こんな扱いを自分は知らない。
だってこの数週間の生活と呼んでいいのかすら分からない、地獄のような状況からすれば想像も付かないからである。
「───天国」
ふと気付くと、シエルの口からそんな言葉が漏れていた。
聞く物が聞いたらきっと笑うだろう。
この状況が天国だと?
ただの野営ではないか、と。
しかし、今のシエルにとっては男達がおらず毛布に包まれそばに焚き火がある。
この状況だけで十分なのだ。
そしてシエルは一つの事を思いつく。
ここが天国なら通過しているべき出来事があるはずだ。
すなわち、
「……私は、死んだの?」
そう、自分に問いかける様に発した声。
別に誰も聞いてはいない。
なんせここは天国なのだから。
だがそんなシエルの声に答える声が一つ、
「いいや、君は死んでなんかないよ」
本当に三ヶ月ぶりに聞く、ネライダ言語。
綺麗なイントネーションで語られるそこの声はスッとシエルの耳へと入って来た。
そして、その事に感動を覚えた。
と、同時にシエルはその声を発した存在の顔を見たいという欲望に駆られる。
どんな顔をして自分に語りかけてくれているのだろうか、と。
そう思いシエルが体を動かそうとした時、
───カチャ
静かで冷たく、硬質な音が鳴った。
そして一気に現実に引き戻されるシエル。
ああ、さっきの声は幻聴なんだ。
そうシエルを絶望させるのに時間はかからなかった。
するとシエルの頬を冷たい液体が流れる。
涙だ。
だが、男達に聞かれたら一大事。
シエルは懸命に出そうになる嗚咽を押し殺していた。
「……うっ、…………くっ、ひっ…………」
だが、どうしても漏れてしまう。
体力、精神。共に限界が近かったシエル。
そんな彼女が垣間見た天国。
そして現実。
その二つがシエルの心にさらにダメージを与えていたのだ。
だが、
「どうしたの? 大丈夫?」
さっきの声で自分を気遣う言葉が聞こえた。
もうシエルには何が本当で何が嘘なのか分からない。
ただ、一つ思った事があった。
この声の主を見たい。
たったそれだけ。
いや、彼女にとっては大きな気持ち。
もう、これが嘘でも構わない。
それでも、ただ、今だけは……と、
そしてシエルは力の入らない体をモゾモゾと動かし焚き火に背を向ける様にして逆側を向いた。
目が合った。
青色の透き通った瞳。
そこにはこちらを心配しているかの様な感情が読み取れた。
恐らく種族は人族だろう。
銀色の髪が焚き火の色を反射し綺麗な色を映し出している。
その瞳はシエルから逸らされる事なくこちらを見つめていた。
まるで探るかの様に、
だがそれも不快な感じではなく、こちらの具合なんかを確かめる母の様な優しい瞳で、
「……あなたは?」
と呟くシエル。
だが呟いた本人、シエルは驚いていた。
本当に無意識の内に声が出ていたのだ。
「僕はユリウス。君は?」
少年はそう名乗った。
「私は、シエル……」
「そう、シエル。……綺麗な響きだ」
ユリウスは正直に思った事を口にした。
これは昔からの癖と言えよう。
「ありがとう」
自分の、父から貰った大切な名前を褒められ嬉しくなるシエル。
だが笑おうとしても上手く笑えない。
頬っぺたが動かないのだ。
キュルルルルーーー
そんな音。
緊張が解けたシエルのお腹から可愛く虫が鳴いたのだ。
「お腹が空いているんだろ?」
ユリウスはシエルになるべく優しく話しかける。
と、シエルは口には出さずにコクリと静かにうなづいた。
場違いにもこの反応に可愛いと思ってしまったユリウスを許してやって欲しいものだ。
「シチューを食べる?」
そう聞いてくるユリウス。
シエルの鼻をくすぐるのは野菜が溶け出したような甘い香り。
もちろん答えは決まっていた。
「……うん…………」
そんなモジモジしたシエルの態度に苦笑いの様な微笑を浮かべながらユリウスは鍋へと近づき、立ち止まった。
ここで一つ、ケイトにされた注意を思い出したからだ。
「ねぇ、シエル。シエルはお肉とか食べれるの?」
そう、エルフ族には肉を食さない者がいる。
この忠告を思い出したのだ。
「…………うん」
シエルはユリウスの気遣いに驚くと同時に嬉しさを感じた。
久々に感じる心からの気遣い。
感じたのは何ヶ月、いや何年ぶりなのだろうか?
「そうか、良かった」
そう言ってユリウスは片方の鍋からシチューをつぐとシエルへと渡そうとし、途中で止めた。
シエルはユリウスが渡すのを止めたのを悲しく思うと同時にユリウスの視線に気づく。
彼の視線はシエルの手首、その両方についた無骨な枷に向けられていたのだ。
そしてシエルは慌てて両手を自分の後ろに隠そうとする。
だが、その動きはユリウスに止められてしまった。
シエルの両手をそれぞれの手でしっかりと握るユリウス。
そして、
「ごめんね……」
そう謝ったのだ。
シエルは困惑した。
なぜ彼が謝るのかが分からなかったのだ。
だがユリウスは申し訳なさそうに顔を伏せた。
そして懐から金属で出来た何かを取り出したのだ。
カチャッ、カチャッ
そんな簡単な音を立てながら外れる枷。
なぜユリウスが鍵を?と疑問に思う前にシエルはユリウスに感謝した。
自分を解放してくれたのだ、と。
それに対してユリウスの顔は浮かなかった。
罪悪感。
これがユリウスの中にはあったのだ。
シエルの枷を自分が外す事で信頼を得よう。なんて考えていた自分の浅ましさに。
シエルが枷の存在に気を取られたのを知っていたのに、それを見てから罪悪感が湧き出した自分に対し。
怒りを感じた。
「ありがとう」
そんなユリウスの手を取ってシエルは言う。
その両手首には無骨な枷を嵌められていた事による痕がしっかりと残っていた。
だがシエルはそんな事を気にも止めずユリウスに感謝する。
「ありがとう」
この言葉がさらにユリウスに罪悪感を持たせた。
ユリウスはそんな気持を振り払うように「ごめん」ともう一度呟いてから鍋へと視線を戻す。
今は自分の感情よりもシエルの事を、この数週間パンと水しか与えられなかったこの少女の事を、と。
「……暖かい」
シエルはそう呟き、ユリウスの顔を見た。
そこには食べてもいいのか?という疑問が浮かんでいた。
「うん、どうぞ。召し上がれ」
ユリウスが言い終わるや否や、「ありがとう」と言ってシエルはシチューに口をつけた。
そしてスッと一口。
熱々のシチューに舌を焼きながらもしっかりとその味を味わう。
野菜の味がしっかりと染み出ていてとても美味しいシチューを。
シエルは涙しながら味わった。
そんなシエルの様子に心を痛めるユリウス。
今まで出会った人攫いの被害にあった少女たち。
その中でも特に、群を抜いてシエルは酷い状況だったからだ。
ユリウスはこっそりサフィールを呼び寄せ中からある物を取り出しシエルへと渡した。
「これは……?」
初めて見る物に興味を覚えるシエル。
「それはね、パンだよ」
パンとユリウスは言ったがシエルの知っているパンとは違っていた。
ユリウスがシエルに渡したのは白くてふわふわしていて木の実のような甘い香りがするのだ。
「白パンって言うんだ。美味しいよ」
美味しい……確かに美味しそうだ。
と思ったシエルは早速一口。
するとふわっとした中にもしっかりと旨味と食べ応えがありシエルは驚いた。
「シチューにつけてごらん?」
ユリウスの言葉に従いシチューにパンをつけるシエル。
そしてそれを恐る恐る口へと含んだ。
瞬間、パンの隙間からシチューが溢れ出し口の中に広がる。
さらにはシチューにより柔らかくなったパンが口の中でとろけるのだ。
「──美味しい…………」
シエルの口から漏れる言葉。
それを聞き満足そうにユリウスはうなづいた。
「ありがとう、ございました」
シチューとパンを完食したシエルはゆっくりとそう言った。
「どういたしまして」
シエルの言葉に嬉しそうに笑うユリウス。
「いやー、あそこまで喜んで貰えるなら作った甲斐があったよ」
そう、あのシチューはユリウスが作った物だ。
サフィールの中に入れていた新鮮な食材を使い、鳥肉をベースにだしを取り。そこにからじっくりと時間をかけて煮込む事で野菜の旨味を引き出す。
簡単だがとても美味しいシチューだ。
「あれを、ユリウスが?」
「そうだよ」
「凄い…………美味しかった」
「ありがとう」
「……? お礼を言うのは私」
「いやいや、美味しいって言ってくれたろ?」
シエルはその台詞を聞き父との会話を思い出していた。
昔、似たような会話をした事があると。
「…………っうぅ」
ここでシエルの首がカクンと落ちて、復帰する。
きっと眠いのだろう。
「眠いの?」
ユリウスがそう質問するもシエルはフルフルと横に首を振る。
だがその姿は寝るのを拒む子供の様であった。
だがシエルの胸中は穏やかでは無かった。
夢が覚めてしまう。
そう考えたのだ。
もしかしてこのまま寝てしまったら。
起きるとあの男達がいて、もしかしたら今の会話が全て夢になってしまうんじゃないかと。
「──大丈夫だよ」
ユリウスはそう言いながらシエルの頭を撫でる。
「僕は居なくなったりなんかしないよ」
その言葉はシエルの心情を見抜いてるからこそなのだろうか?
「大丈夫。眠るまでずっとこうしてるから」
ゆっくり、ゆっくり撫でる。
「大丈夫、大丈夫」
優しく、優しく撫でる。
「お休み、シエル────
暖かな気持と感覚に包まれたまま、シエルはゆっくりとまどろみの中に落ちて行った。




